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うんち化石学入門

カテゴリー:恐竜

(霧山昴)
著者 泉 賢太郎 、 出版 インターナショナル新書
ティラノサウルスといえば恐竜界の人気ナンバーワンでしょう。そのウンチの化石が見つかっているというのです。驚きました。
ティラノサウルスは白亜紀(1億4500万年前から6600万年前)の後期に陸上生態系の頂上に君臨した史上最大規模の肉食恐竜です。
鋭い歯をもつ、体長10メートルをえる超巨大な肉食恐竜。そのウンチは幅15センチ、長さ44センチという巨大サイズ。このウンチ化石を分析すると、骨の化石のカケラが見つかった。つまり他の脊髄動物を食べていたということ。
ウンチ化石としては、ハドロサウルスのほかにも、首長竜(恐竜とは別)のウンチ化石ではないかと調査中のものもある。
化石は、体化石と生痕化石の二つに大別される。
生痕化石とは、古生物の行動の痕跡が地層中に保存されたもののことをいう。足跡の化石も、その一つだ。
脊髄動物のウンチは鉱物化する。それは、ウンチが砂や泥に埋没したあと、かなり早く微生物の作用によって鉱物化するということ。
ウンチ化石は、化石の宝庫なのだ。
生痕化石は、肉眼で観察できるという魅力がある。しかし、漠然と眺めていてもダメ。
恐竜のウンチ化石を専門に研究している学者がいるっていうこと自体に驚いてしまいました。でも、もちろん、必要な研究ですよね…。
(2021年4月刊。税込880円)

ベトナム戦争と韓国、そして1968

カテゴリー:朝鮮・韓国

(霧山昴)
著者 コ・ギョンテ 、 出版 人文書院
アメリカがベトナム侵略戦争をすすめていたとき、韓国軍もベトナムに派遣され、ベトナムの人々と戦いました。韓国軍の兵士が5千人も亡くなり、1万人あまりが負傷したのですが、ベトナムの人々を5万人も殺したとのこと。
そのなかで、アメリカ軍がソンミ村で罪なき市民を大量虐殺したのと同じように、韓国軍も平和な村へ進攻して、何の罪もない非武装・無抵抗の村人たち(年寄りと女性・子どもがほとんど)を大量に虐殺したのでした。この事件は直後にアメリカ軍が駆けつけて証拠写真を撮り、アメリカ軍のウェストモーランド司令官が正式に書面で韓国軍に調査を要求したことで表面化しました。
1968年2月12日、ベトナム中部のフォンニャット村で74人の村人が虐殺された事件です。この本は、なぜ虐殺事件が起きたのかを、当時の韓国社会の状況、ベトナム戦争の実情、そして加害者である韓国軍元兵士、被害者のベトナム人遺族と生き残った人々へのインタビューによって多面的に構成されていて、とても読みごたえがありました。
韓国軍によるベトナム戦争時の民間人虐殺の犠牲者は9千人にのぼるといいます。韓国人兵士はベトナムの子どもたちに優しく接していたという報道があります。恐らくそれも本当のことでしょう。でも、ひとたび戦場に投入され、殺すか殺されるかの極限状況に置かれたら、タガが外れてしまって「動くものは皆殺せ」とばかり何も抵抗していない民間人に発砲していったのでしょう。恐ろしいばかりです。
1968年2月1日、南ベトナムの治安局長のロアン将軍がサイゴン(ホーチミン市)の街頭でベトコン将校の頭にピストルをつきつけて即決処刑した。この場面はあまりに有名です。何ら尋問することもなく、裁判によらず、カメラマンなどのマスコミもいる面前でベトコン容疑者の頭に向かってピストルを撃って殺すとは…。野蛮な行為そのものですが、それはベトナム戦争の本質をずばりあらわすものでもありました。
このときのテト攻勢によって、アメリカ大使館はベトコン特攻隊(19人)によって6時間も占拠されています。
このテト攻勢は、ベトコンと北ベトナム軍は3万人もの犠牲者を出し、軍事的には失敗したと言われている。しかし、政治的にみると、アメリカ国民のベトナム戦争に対する見方を根本的に転換させたという点で大きな意義があったことは間違いなく、軍事的失敗を上回る大きな成果を上げたと評価されています。私もそう考えています。なにしろ、強大なアメリカ軍の象徴であるアメリカ大使館がベトコンによって半日ほども占拠されたのですから、ベトコンの不屈の力をアメリカ国民に見せつけることに成功したのです。このあと、アメリカ国内にはベトナム戦争の行方に疑問をもつ国民が増え、ベトナム反戦運動が大きく盛り上がりました。私も大学2年生でしたが、ベトコンってすごーい、と驚嘆したことを今でもはっきり覚えています。
ちなみに、ベトコンというのは、アメリカ軍が南ベトナム民族解放戦線(NLF)を「ベトナム共産主義者」と軽蔑して表現するコトバです。日本でも韓国でも、マスコミが普通に使っていました。私も日常用語として深く考えもせずに当時は使っていました。
このロアン将軍は、3ヶ月後の5月5日に、ベトコンの狙撃手に狙われ足を撃たれたが、命だけはとりとめ、サイゴン陥落後にアメリカに渡って、1998年7月、68歳で亡くなった。
1968年1月21日(日)、北朝鮮の特殊部隊員31人が韓国の首相官邸である青瓦台を襲撃した。この襲撃は失敗に終わり、31人のうち1人だけが投降し、残る1人が北朝鮮に逃げ帰ったものの、残る全員が死亡した。
北朝鮮はベトナム戦争を支援するため、ミグ戦闘機とパイロット87人を北ベトナムに派遣した。うち14人が戦死したという。地上軍の派兵はしていない。
1月21日の青瓦台襲撃は、北朝鮮にとって、「南朝鮮革命」攻勢の一つであり、ベトコンへの側面支援でもあった。
朴大統領は北朝鮮への報復爆撃をアメリカに求め、ジョンソン大統領はそれを拒絶した。
「シルミド事件」は、このあとに起きた悲劇なんですよね…。
青瓦台襲撃事件で唯一生き残ったキム・シンジョは北朝鮮軍の特殊部隊の厳しい訓練状況を暴露した。その結果、韓国軍は服務期間が延長され、訓練内容も厳しいものに変えられた。
ベトナムに派遣された海兵第二旅団は4800人。対する敵兵力は8700人と想定されていた。これは北ベトナム軍第二師団7400人とベトコン地方軍1300人を加えたもの。
フォンニャット村はベトコンの解放区で、村長もベトコン。村の人口300人で、遊撃隊80人が活動していた。ベトコンの遊撃隊員は狙撃と監視が主たる任務であり、中隊規模の敵兵力に対峙するのは山中に身を隠す正規軍の役目だった。
韓国軍の海兵第二旅団は空軍に負けてはならなかったし、ベトコンに負けては、さらにいけなかった。
アメリカ軍司令官による調査要求に対して、韓国軍は、ベトコンが韓国軍偽装用の軍服を着て残虐行為をして、責任を転嫁して韓国軍についての悪宣伝に利用したものだと弁明した。
たしかに、朝鮮戦争のとき、韓国軍兵士が人民軍の服装をして北進し、人民軍の後方を攪乱することがあった。そのときの部隊長がベトナムに派遣された韓国軍司令官チェ中将だった。なるほど、自分の体験をもとに偽装事件をデッチ上げようとしたわけです。
戦争中に敵の軍服を着用して偽装するのは、ときにあったようです。第二次大戦中、ナチス・ドイツ軍がヨーロッパ戦線(たしかアルデンヌの森)で偽装してアメリカ軍の部隊を攪乱したことがあったと思います。
それにしても、ベトナムでベトコンが韓国軍兵士に偽装して村民を大量虐殺したというのには無理がありすぎます。わずかながら奇跡的に生存者もいたのですから、同じベトナム人が韓国軍兵士に偽装していたら、すぐに見破ったはずです。
ベトナムには自由射撃地帯と射撃統制区域があり、フォンニャット村は、何でも自由に撃ってよい自由射撃地帯ではなかった。なので、韓国軍の村民虐殺は許されることではありませんでした。しかし、韓国軍は兵士の士気低下を恐れて何も処罰しなかったのでした。
朴大統領が青瓦台襲撃事件の報復として対北軍事報復しようというのを、アメリカのジョンソン大統領は断固として阻止した。それは、北朝鮮の思うつぼにはまるだけのことだと考えたからです。
1968年2月というと、私が大学1年生の終わりころのことです。この年の6月から東大闘争が始まっていますし、ベトナム反戦のデモや集会にしばしば参加して、声を枯らしていました。1968年の1年を複眼的にみることのできる、いい本です。一読を強くおすすめします。
(2021年8月刊。税込3960円)

やさしい猫

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 中島 京子 、 出版 中央公論社
日本にやって来たスリランカ人がビザの期限が切れているのが品川駅で警察官から不審尋問を受けて発覚。不法滞在者として身柄は東京入国管理局に拘束された。しかし、彼には日本人女性とのあいだで結婚の話があり、紆余曲折しながらも入籍していた。入管当局は、この結婚を偽装結婚として、国外退去を命じた。これに異議申立して、ついに東京地裁で裁判が始まる。
オビに「圧巻の法廷ドラマ」とありますが、まったくそのとおりです。入管行政の問題に詳しい指宿昭一弁護士に丹念に取材してこの本が出来あがったことがよく分かります。女性の訴務検事が、偽装結婚を認めさせようと、根堀り葉掘り、嫌らしく問い詰める様子は、まったくそのとおりで、この人(女性検事)は何が楽しくて、こんな尋問をしているのか、自問自答することはないのかと、小説ではありますが、とても気になります。
そして、法廷で証言することの大変さが、高校生の娘の心理描写で、ひしひしと伝わってきます。
入管行政の問題点が、この本を読むと、すんなり頭に入ってきます。要するに、日本政府は「優良外人」(モノを言わず、ただひたすら働くだけの人々)だけがほしいのです。少しでも当局に歯向こうものなら、たちまち本国に身ひとつ帰国するよう指示します。
そして、収容所での処遇は劣悪と言うほかありません。
茨城県牛久市にある入管の収容所(東日本入国管理センター)だと、東京から往復で4時間もかかってしまう。とても辺鄙な土地にある。
「小さな家族を見舞った大事件」とオビに書かれていますが、まったくそのとおりのストーリー展開です。本当に話の運びが自然ですし、読ませます。最後は、あえなく敗訴してしまうのかと心配していたら、なんとハッピーエンドでした。
来日した外国人の毎日の生活の実情について、詳しく紹介されてて勉強になります。
タイトルだけでは何をテーマとした小説なのか、さっぱり分かりませんが、読み出したら止まりません。いつもながら、さすがの著者の筆力に驚嘆し、圧倒されました。
(2021年10月刊。税込2090円)

ホロコースト最年少生存者たち

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 レベッカ・クリフォード 、 出版 柏書房
この本の冒頭の写真とキャプションに驚きました。
アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所が1945年1月に解放されたとき、子どもが400人以上いた。ただし、ほとんど病気(結核など)や栄養失調だった。
また、ベルゲン・ベルゼン強制収容所も1945年4月に解放されたとき、子どもが700人以上いた。ブーヘンヴァルト強制収容所が解放されたときは、ユダヤ人の子どもが1000人以上いた。
これらの強制収容所は絶滅収容所として有名ですから、これほどの子どもたちが生き残っていたというのは信じられない、奇跡的な出来事です。ただし、手放しで喜んではおれません。
この本は、1945年の解放時に10歳以下だった子どもたちを歴史研究の対象にしています。幼年時代にホロコーストを体験した子どもたちが、そのときのことをどうみているのか、その体験はどんな影響を与え、また克服していったのか、興味深いものがあります。
大半の人は、自分の幼年時代のことについて、両親や家族、コミュニティそして自分の属する集団や社会の人々が思い出せない話や情報を提供してくれる。ところが、ホロコーストを経験した子どもたちは、たとえば両親や家族を失い、キリスト教信者の家庭で育ったりして、その幼年時代の人生の物語は穴だらけになってしまう。すると、「自分は何者なのか?」というもっとも根源的な疑問への答えは自分で見つけるしかない。
幼い子どもの経験と、思春期の若者や大人の経験とは決定的な違いがある。幼い子どもたちには、思い出せるような戦前の自己がない。振り返るべき戦前のアイデンティティがない。そうなんでしょうね。そのことの重みが想像できません。
一般に、子どもは例外を普通と受けとめる能力に長けている。比較すべきほかの生活を知らなければ、迫害や追及を受けたとしても、それに危険や不安を感じて混乱することはない。子どもたちが本当の意味で混乱や衝撃に見舞われたのは、戦時中ではなく、戦争が終わってからだ。というのも、終戦により、子どもたちは、それまで築き上げてきたものが一気にひっくり返ってしまった。戦争中はまだ幼く、日々の暮らしだけで精一杯だった。戦争の影響をもろに感じたのは、むしろ戦争が終わったあと。自分のなかで闘いが始まったのは、1940年ではなく、1945年。父も母も兄も、もう戻ってはこないと知ったとき、その闘いは始まった。
なんとなく分かりますよね、これって…。
ブーヘンヴァルト収容所から解放された子どもたちは、無感覚、無頓着、無関心な態度で、声をあげて笑うことも、顔に笑みを浮かべることもなく、スタッフには著しく攻撃的になる。不信と疑念に満ちている。感情的麻痺だ。大人を警戒し、食べ物を貯め込み、よく子ども同士で激しいケンカをした。スタッフは、子どもの体は回復しても、心は回復しないのではないかと危惧した。ところが、実際には、驚くほどの速さで回復していった。人間には信じられないほどの身体的・心理的回復緑があることを証明した。
子どもには現在のニーズや要求にあわせて過去を書き換えられる柔軟性がある。子どもたちは、大人のさまざまな要求にあわせ、巧妙かつ堂々と自分の過去をつくり変え、父や母が生きている事実さえ隠そうとした。大人の意図が錯綜するなかで、自分の意思を貫き通すため、情報や感情を隠したり、新たに確立された愛情を断ち切られるのを拒んだり、場合によっては、自分の過去を意図的に修正したりした。
子どもが戦後、支援機関の調査員に語った物語は、まったくのでたらめであることがよくあった。それには正当な理由があった。当時、子どもは移住を認めるが、生き残った親には移住を認めない残酷な方針があった。そのため子どもは、不当な制度の要件に合致するように、自分の物語をつくり変えた。
アウシュヴィッツを体験し、生きのびた大人たちの多くは、その体験を語ろうとしなかったようです。あまりにも苛酷な体験だったから、消したても容易に消せない記憶と知りつつ、自分の口から言葉として語ることはできなかったのでしょう。
ところが、幼い子どもたちは、その体験を自分のコトバとして語ることが、そもそもできなかったのです。この違いは、大きいというか、両者に違いがあるということをはっきり認識すべきだということを、この本を読んでしっかり確認することができました。
ユダヤ人幼年時ホロコースト生存者世界連盟という組織があるそうです(1997年に発足)。4大陸15ヶ国・53団体が加盟。
それにしても、幼い子どもたちを大量に抹殺していったヒトラー・ナチスの組織・体制の恐ろしさ、おぞましさには改めて身震いさせられます。そして、これは、今の日本で相変わらず横行しているヘイト・スピーチ、「嫌中・嫌韓」などに共通していることに思いが及ぶと暗然たる気分にもなってしまいます。もちろん、そんな気分に浸るばかりで、何もしないというわけにはいきません。
いろいろ考えさせられた本でした。
(2021年9月刊。税込3080円)
 日曜日、フランス語検定試験(準1級)を受けました。今回は、なんと受験者は11人のみ。いつもの半分以下です。これもコロナ禍なのでしょうか。
 会場の西南学院大学に早目に着くと、枯れ葉が足元でカサコソ、音を立てるのもいい感じでした。
 この1ヶ月ほど、必死で過去問を繰り返し復習しました(20年間分もあります)。そして、「傾向と対策」もちょこっとだけ。ともかく、単語を忘れています。本当に、「日々、新なり」という悲しい心境です。それでもボケ防止になります。この半端ない緊張感がたまりません。
 先ほど、自己採点したら、83点(120点満点)でした。6割で合格なので、次の口頭試問に進むことになりそうです。ひき続きがんばります。

海馬を求めて潜水を

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 ヒルデ・オストビー、イノヴァ・オストビー 、 出版 みすず書房
子どもたちに幸せな人生を支えるのは、親が語って聞かせる、子どもの小さいころの楽しい話だ。親の話を聞くことにより、子どもは、自分が楽しく生きてきたという、ポジティブな感情をもつことができる。夕ご飯を食べるとき、一緒に過ごした思い出をほんのわずかな時間でも語りあうことによって、子どもたちの心の傷を癒し、自信を与える。これは、すてきな記憶のプレゼントだ。うーん、そうなんですね…。
記憶の定着には眠りが必要。人は、眠っているあいだに、その日の出来事を見直し、大脳皮質に定着させている。
PTSDを負った人の海馬は、通常の人よりサイズが小さい。
私たちの記憶は、都合よく改ざんされる。自分が体験したと思った出来事も、すべてが事実とは限らない。虚偽記憶はさまざまな方法で形成される。他の人の記憶を「盗む」ことさえある。証人は、あてにならない。多くの場合、本当に間違って覚えている。
人々は睡眠不足に苦しむと、通常よりも記憶に影響を受けやすくなる。
刑事被疑者がにせの自白をするのは3つのパターンがある。その一つは、やってもいない罪を自由意思で認めるもの。目立ちたいから、というのもある。その二は、強制による拷問や時間の心理的圧迫を受けたあと、今の抑圧から逃れるための「自白」。三つ目は、自分の自白を信じていて、自ら虚偽自白を生み出してしまうケース。
記憶術トレーニングは、一般的な記憶力の向上に効果があるとは言えない。
人口の12%という、信じられないほど多くの人々がうつ病に苦しんでいる。彼らは、記憶力の低下に苦しんでいる。
健忘症にかかった人の多くは、程度の差はあれ、古い記憶は維持しているものの、新しい経験を記憶するのに苦労している。
私たちは、年齢(とし)をとれば、とるほど、過去を振り返る。
記憶とは、将来起こりうる危険を予測し、それに向けて備えるための大切な機能だ。私たちの記憶は柔軟で変形しやすく信頼性が低い。その理由は、記憶は、美術館の展示品ではなく、実際に使われるべきものだから。記憶は、将来のビジョンや計画、夢、空想にとって不可欠のもの。将来を想像することは、記憶の自然な機能。記憶をはっきりと認識するプロセスと、未来を想像するプロセスは同じだ。生き残るためには過去が必要なのだ。
ゾウの集団を率いるリーダーは経験豊富なメスのゾウ。彼女は過去の記憶をたどって、いつ、どこに水と食べられる植物があること、そして、そこにたどるルートを知って覚えているからこそ、群れを率いて生きのびることができる。
未来思考は、文字を書くという創造性を生み出した。
人間とは何かを考えさせられる本です。著者はノルウェー人姉妹です。
(2021年6月刊。税込3740円)

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