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女が学者になるとき

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 倉沢 愛子 、 出版 岩波現代文庫
スカルノ大統領の第三夫人となったデヴィ夫人は、日本がインドネシアに対する戦争被害賠償金の関係で誕生した。つまり賠償資金でインドネシアですすめられているプロジェクトの利権をめぐって日本企業が激しい受注競争を展開した。そのひとつ、東日貿易という小さな商社がスカルノに取り入ろうとして紹介した日本女性がデヴィ夫人だった。彼女は東日貿易のタイピストという身分でインドネシアに渡った。そして、日陰の愛人生活を経て、ついに正式な第三夫人の座をモノにしたのだ。なるほど、そういうことだったんですか…。
著者は東大闘争のとき全共闘シンパとして行動したとのこと。今なお、東大闘争の主役を「もちろん全共闘派だ」と言ってはばからないところは本当に残念です。民青派に対しては「不毛な争いを全共闘派に対して挑んでいた」と非難していて、全共闘の暴力賛美について反省するところがまったくありません。そして、全共闘が暴力行使とともに唱えていた「東大(大学)解体」にもかかわらず、自らが大学教授になったのです。私のクラスにも東大解体を叫んでいたのに東大教授になった人がいます。「転向した」などという決めつけは決してしませんが、せめて全共闘の本質だった暴力賛美だけは反省してほしいものだと願います。
というわけで、この本の冒頭の記述は、ほとんど同世代の私には強烈な違和感がありましたが、それを乗り越えると、あとは、ひたすら著者の行動力に驚嘆するばかりでした。
著者は学生結婚したあと、1972年春に夫はサイゴン(ベトナム)へ、本人はジャカルタ(インドネシア)へ渡ったのでした。私が司法修習生になったのと同じ時期です。そして、1975年4月にサイゴン陥落、ベトナム戦争終結までの3年間をベトナムとインドネシアを行ったり来たりして暮らしていたのでした。いやあ、まさしく激動の時代に、その現場にいたわけですね。私が弁護士になって2年目の春、メーデーの会場でサイゴン陥落のニュースを聞いて、みんなで喜びました。
著者はジャカルタでは寮に入って生活した。お昼ご飯はインドネシア人にとって一日でいちばんのご馳走。夕食ではないのですね…。夜の食事は、昼の残りを食べるだけ。
350年間にわたるオランダの植民地支配は欧米の食文化を庶民にしみ込ませてはいなかった。いやあ、これも驚きですね。
この寮には、テレビも洗濯機も冷蔵庫も、もちろんクーラーもなかった。いやはや、なんということでしょう…。
1623年に、バタヴィアには159人の日本人が居住していた。日本人が鎖国とキリスト教禁止で日本に戻れなかったのです。
第二次世界大戦中、日本軍は2個師団5万人の兵力をインドネシアに投入したが、太平洋方面の戦場へどんどん放出させていって、1943年には1万人となった。それで、ジャワ郷土防衛義勇軍が日本軍の命令によってジャワ全土で編成された。「ジャワのためのジャワ人の軍隊」というもの。義勇軍は最終的にジャワ全土で66個大団(大隊)、3万3千人を擁する兵団となった。
著者は、この義勇軍に参加していた元将兵に会って話を聞いていったのです。もちろんインドネシア語で…。のちに大統領になったスハルトも、青年のとき義勇団に入り、小団長になり、中団長にまで昇格したのでした。
1969年代には、国軍のリーダーの大多数は義勇軍の出身者で占められていた。しかも、軍人だけでなく、政界や財界の実力者にもなっていた。
日本占領時の「ロームシャ(労務者)」という言葉が残っていた。海外に派遣されたジャワ人労働者のこと。「ハンチョ」は班長のこと。
1943年から1944年にかけて、郡長や村長などの要職にあるものが次々にケンペイタイ(憲兵隊)に逮捕された。県下4郡のすべての郡長、4ヶ村中3ヶ村の村長、そして区長など合計37人が逮捕され、ついには県長自身に及んだ。日本軍が大量虐殺したのだ。
日本側の歴史書には、もちろんそんな事実は書かれていない。著者が現地でつかんだことだった。
著者は風呂もトイレもない民家に泊まりこんで調査していったのですから、本当に頭が下がります。たいした根性です。私には、とてもできません。さらに、東京に住む前、インドネシアで日本人と再婚して2人の子どもを育てたというのですから、頭が下がるどころではありません。その勇気というか、ガンバリにはひたすら拍手するしかありません。
1998年の本の増補版です。いやあ、女性が学者になったら、こんなに大変だし、活躍できるんだということを改めて思い知りました。
(2021年8月刊。税込1694円)

刀伊の入寇

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 関 幸彦 、 出版 中公新書
モンゴル軍の襲来(元寇)は鎌倉時代、北条執権のころのことですが、平安時代、藤原道長が栄華の絶頂にあった1019年、対馬をはじめとして九州北部(福岡から佐賀)が、突如として外敵に襲われた。中国東北部の女真族が日本に侵攻した。
この女真族(刀伊と呼ばれた)の入寇の状況を詳しく紹介した新書です。
それこそ、『源氏物語』の紫式部や『枕草子』の清(せい)少納言のころの出来事です。来襲した敵が残した物に書かれていた文字が女真文字であると判明したのは、なんと明治になってからのことだというのに驚きました。
「刀伊」とは、いったい何かというと、女真族について「東夷」というのを「刀伊」としたということです。
芥川龍之介の小説『芋粥(いもがゆ)』は、『今昔物語』を元ネタにしているが、この『今昔物語』に登場する人物のモデルである藤原利仁は、鎮守府将軍そして征新羅将軍になった武人だ。ところが、『今昔物語』によると、利仁将軍は新羅征伐に向かった途中、新羅側の仏法の威下のもとで敗死する。
伊攻した女真族は、九州北部から大勢の日本人の捕虜として連れ去った。死者364人、捕虜となったのが1289人、牛馬の被害が380頭。捕虜となった者が死傷者の3倍をこえているのは、大陸での奴婢(ぬひ)市場へ供給していたから…。
初めは敗退していた日本軍は朝廷からの督励とは別に、なんとか最新式の兵器によって反撃に転じることができるようになった。
九州に上陸した女伊族は、その後、朝鮮半島の元山沖で高麗(こうらい)水軍によって壊滅打撃を受けた。
朝鮮半島の内情の複雑さに乗じて朝廷内にはいろいろ議論があったようです。ノド元過ぎれば熱さを忘れるということです。
鎌倉時代の元寇の100年も前に、同じような異民族が来週した事実は知っていましたが、想像以上に深刻な打撃を受けていたことを初めて知りました。
(2021年8月刊。税込880円)

菌の声を聴け

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 渡辺 格・麻里子 、 出版 ミシマ社
鳥取県の山奥に智頭(ちづ)町があり、そこで「タルマーリー」という店を経営している夫婦の苦闘が語られています。店は保育園を改造した建物で、パンとビールをつくっています。森に囲まれたカラフルな建物で、いかにも楽しそうです。とても美味しそうなパンの写真が載っています。近ければ行ってみたい店です。
パンもビールも、菌による発酵でできる発酵食品。著者は、31歳から東京と横浜の4つのパン屋で4年半修行した。
「タルマーリー」のパンづくりはとても非効率的だし、一つひとつの判断基準もあいまいで、失敗は日常茶飯事。「タルマーリー」では、週に5日、パンを焼く。その5日分のパン生地は月曜日に、すべてまとめてミキシングして作り、焼く日ごとに生地を取り分けて、冷蔵庫に寝かしておく。焼く前日に冷蔵庫から取り出し、ホイロで発酵させて焼く。ビール酵母をつかうと、以前よりも柔らかく、食べやすいパンができた。ビールのおかげで、圧倒的に楽になった。
パンづくりで、とくに気をつかうのが酵母の調整。パン屋は毎日、この緊張感ある作業をしないといけないので、とても疲れる。伝統的なパンの製法は、手間暇かかるし、重労働だ。なので、いつも疲れている。
「タルマーリー」では、グルテンが多くない岡山産と九州産の小麦だけでパンをつくっている。グルテンが多いとパンは膨らみやすいが、歯ごたえが強くなる。グルテンの弱い小麦をつかうことで、結果的に「さくっと歯切れのよいパン」という評価を得た。
種まき小麦、そしてひきたての小麦粉をつかう。
「タルマーリー」って何だろうな…、と思っていると、この夫婦が「イタル」と「マリコ」だということに気がつきました。なーんだ、自分の名前をつけているんだなと納得しました。
ともかく、自分の思うどおりに自分の人生を生きていこう、そして、子どもたちには大自然の恵み触れさせようという意欲的な生き方に溢れています。なかなか出来ることではありませんよね…。
(2021年5月刊。税込1980円)

コンビニからアジアを覗(のぞ)く

カテゴリー:アジア / 社会

(霧山昴)
著者 佐藤 寛 ・ アジアコンビニ研究会 、 出版 日本評論社
日本には5万店をこえるコンビニがある。これは郵便局(2万5000局)の倍。
たしかに、町の至るところにコンビニがあります。不意にトイレに行きたくなったときにも、コンビニを見つけたらホッとします。でも、コンビニが閉店した跡を見ることも多いですよね。もちろん看板も何もかも残っていないので、どのコンビニチェーンかまでは分かりませんが、コンビニの栄枯盛衰も激しいと実感しています。ちなみにマクドナルドなどのファスト・フード店も全国に7000店近くあるそうです。
今、日本のコンビニはアジア各国に進出している。
日系コンビニには共通点がある。チェーンが異なっていても、レジカウンターの配置、商品の店内での位置が極度に標準化されていて、どの店でも似たような商品は似たような場所に並べられている。コンビニでは、チェーンをこえて「標準化」が徹底している。これは、消費者にとって、予測可能性の高さ、それは慣れ親しんだ空間という安心感を与える。
日系コンビニは、売り場面積100平方メートルほどの標準的な店舗で2800~3000品目を扱う。
日本型コンビニはSQC、良質な店員の接客態度(S)、商品の品質の高さ(Q)、店舗の清潔さ(C)を密接不可分のものとしている。
また、POS(販売時点情報管理)は、いつ、どのような商品が、どのような価格で、どれだけ売れたかを経営者が把握するためのシステム。このシステムを最大限に活用して、販売と発注を連携させ、フランチャイズの本部が個々の店舗を経営指導するのに役立てている。
日本では、たとえばセブンは、98%がFC(フランチャイズ)加盟店であり、直営店は2%のみ。そして、商品の製造・物流は既存のメーカーや卸売業者を利用した。また、米飯・調理パン・惣菜といった、日持ちのしない調理ずみ食品を「戦略的商品群」として重視している。これらは高い粗利益率をもたらしている。
インドネシアではセブンは2017年に116店舗を閉鎖したように苦戦している。インドネシアで日系コンビニがうまくいかなかった理由の一つが、ジャカルタの交通渋滞が激しすぎるから。
最近、力を入れているのはベトナム市場。
日系コンビニは、カンボジア、ラオス、ミャンマーには進出していない。
ベトナムにファミリーマートとミニストップが先行している。
ローソンは中国で2000年代に苦戦した。
ファミリーマートは2014年に韓国から撤退した。
タイでは、買い物に行くことを「パイ・セブン」と言うほどになっている。タイのセブンイレブンは1万店をこえている。タイのセブンイレブンは全店舗のうちの14%以上の1574店舗がガソリンスタンド併設型。タイのセブンイレブンは、屋台文化と共存している。
ちなみにセブンイレブンは全世界に6万8千店舗近い(2019年2月末)が、そのうち81%はアジアにある。
台湾では、身近な存在であるコンビニをいかして、「幸せを守るステーション」という社会政策がとられている(新北市)。これは、食事をとれない18歳以下の子どもを発見したら、コンビニで無料の食事が提供されるというシステム。新北市は、食事をとれない子どもを発見したら、必要なサポートを行う。コンビニが食事を提供するときの費用は新北市の負担ではなく、寄付によってまかなわれている。
これは、日本の「子ども食堂」のようなものです。いいですね…。
中国市場について、ファミリーマートは台湾企業のもつノウハウに依拠している。
中国のコンビニでは、中国人の口にある日本料理というのではなく、「ホンモノ」の日本の味を楽しみたいというニーズが強い。中国風にアレンジされた「ニセモノ」は敬遠されるようになった。
アジア各国における日系コンビニの実際と課題とが写真つきで紹介されている面白い本です。
(2021年6月刊。税込2640円)

王朝日記の魅力

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 島内 景二 、 出版 花鳥社
NHKラジオで古典講読をしている著者が放送台本を書き言葉に置き換えていますので、とても読みやすく、しかも内容が濃いのです。さすが学者は違います。読み方の深さに圧倒されました。
『蜻蛉(かげろう)日記』の作者は道綱の母、そして藤原兼家の妻。上巻・中巻・下巻には、19歳から39歳まで、あわせて20年間の「女の一生」が書かれている。
著者による現代語訳を少し紹介します。
夫から捨てられて、みじめな死に方をするのではなく、夫を捨て、夫によってみじめなものにさせられた自分の人生をも潔(いさぎよ)く捨ててしまう。そういう潔い死を、私は求め続けた。私にはプライドがある。運命に追い詰められて死ぬのはみじめである。死にたくないなどと逃げ回って、けれども、ほかにどうしようもなくなって、仕方なく死んでゆくような、情けない死に方は絶対にしたくなかった。けれども、ただ一つだけ、私が捨てられないものが存在する。私の生んだ、たった一人の男の子、道綱である。
道綱の母は、藤原兼家という夫の束縛を断ち、大空のはるか向こうまで、自由を求めて飛んでいきたかったことだろう。夫の兼家には、「近江」という愛人がいて、別に村上天皇の皇女とも男女の関係にあった。道綱の母は、『蜻蛉日記』を読んでいる読者に向かって、直接、私の心を推し量(はか)ってくださいな、と呼びかけている。
いやあ、すごいですね。これではまるで現代に生きる日本女性の叫び声ではありませんか…。
平安時代には、女性が出家して尼になるときも、髪の毛を全部剃(そ)って丸刈りになることはない。髪の毛を肩のあたりまでで切り揃(そろ)える。残った髪の毛は、額のあたりで振分髪(ふりわけかみ)にして、左右に分ける。この髪型を「尼削(あまそぎ)」という。
オカッパ頭になるのですね。そして、いよいよ死の間際になったら髪の毛を剃ってしまったのです。
道綱の母は、読者の目からすると感情移入するのがかなり難しい性格の持ち主だ。
この本は、『蜻蛉日記』と『源氏物語』の共通点を指摘しています。それは、紫式部の『源氏物語』が『蜻蛉日記』から多くのものを学んでいるということです。
道綱の母は、兼家との夫婦関係が完全に消滅すると、わが子・道綱の政治家としての未来も閉ざされてしまうことを心配した。なので、我慢するしかない。
『蜻蛉日記』は、作者の主観が生み出した世界を、言葉にうつしとったものだと考えられる。言葉が世界をつくり出す。正確には、心を写しとろうとした言葉が、王朝日記文学をつくり出したのだ。
『蜻蛉日記』のなか、『源氏物語』、そして『更級(さらしな)日記』のなかにも不思議な夢のお告げがよく登場する。王朝の女性たちは、夢の実現を強く願い続けた。女性たちの夢や希望がぎゅっと圧縮されたもの、いわば「夢の遺伝子」が『蜻蛉日記』であり、『源氏物語』であり、『更級日記』だった。
『蜻蛉日記』の作者(道綱の母)は、60歳まで生きて、995年に亡くなった。
その夫である藤原兼家は一条天皇が即位したとき、摂政になった。その4年後、兼家は亡くなった。さらに、その5年後に作者(道綱の母)が亡くなった。この年、兼家の息子である道隆と道兼は相次いで死去した。翌年、兼家の息子の道長が権力を掌握した。
まもなく紫式部による『源氏物語』が書かれはじめ、『和泉式部日記』そして、『更級日記』の著者が生まれた。女性の手による散文の名作・傑作が続々と誕生した。その最初が『蜻蛉日記』なのだ。
この『蜻蛉日記』は『源氏物語』に大きな影響を与えただけでなく、近代小説にも影響を及ぼしている。田山花袋、堀辰雄、室生犀星の3人があげられる。
こういう講釈を聞くと、『蜻蛉日記』で言われていることは、そのまま今の日本にあてはまると思えてきます。決して古いとか時代遅れになったとは思えません。喜ぶべきか悲しむべきか分かりませんが、すごいことですよね。手にとって読んでみる価値が大いにある本です。
(2021年9月刊。税込2640円)

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