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小説・ムッソリーニ(上)

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 アントニオ・スクラーティ 、 河出書房新社
ヒットラーについては最近の中公新書をふくめて何冊も評伝を読みましたが、イタリアのファシスト党のドゥーチェ(総統)のムッソリーニについては初めて読みました。ただ、小説と銘うっていますし、「ファシズムの側から反ファシズムを描いた小説」ということなので、イタリアの戦前・戦後の歴史に詳しくないと、なかなか没入できない本です。それでも、なんとかガマンして読みすすめていくうちに、ファシズムというのは、むき出しの暴力をともなうものだということがよく分かりました。
私の大学生のころ、全共闘という学生集団があり、暴力肯定でむき出しの暴力を行使し、大学を支配下におこうとしました。東大では、その野望は結局、挫折しましたが、全国の大学のいくつかで暴力支配が実現してしまいました。その暴力支配は、絶えず内ゲバをともない、多くの死傷者を出しました。今でも全共闘を賛美する人が少なくありませんが、暴力肯定論は浅間山荘における日本赤軍の大量殺人に行きつくものだという真摯な反省が欠けていると私は考えています。
ムッソリーニは、ファシストになる前は、労働者を大切にしようと主張する社会主義者の新聞『アヴァンティ―』の主幹として活躍していた。知りませんでした。
ムッソリーニは、梅毒に冒されていたものの、屈強な体格の持ち主だった。
ムッソリーニは、プロレタリアート(労働者)の精神を把握し、解読することにかけて、その右に出る者はいないと仲間たちは公言していた。
ムッソリーニは、真摯で熱烈な絶対的中立論者だったのに、ほんの数週間のうちに真摯で熱烈な参戦論者に転向した。それで、ムッソリーニは社会党から除名され、プロレタリアートの兵隊を失った。
手錠、牢獄、それでも足りないときは腹に打ちこまれる銃弾。民衆のために用意されているのはいつもそれだけ。そして、暴力の担い手は、ブルジョワ、地主、企業家だ。広場に集まった群衆は、暴力の犠牲者となることにかけては、もはや熟練の域に達している。
この上巻は1919年に始まり、1921年までのイタリアの状況を活写しています。
1920年12月、フェッラーラ県のエステンセ城前の戦闘で3人のファシストが社会主義者に殺された。この戦闘はファシストが仕掛けたものだったが、社会主義者の側も防衛のために爆弾を持ち込んでいて、それが警察に摘発されていたことから、ファシストは、社会主義者に責任を押しつけることに成功した。
1921年当時のイタリアでは、暴力について、尽きることなく議論していた。政治闘争に暴力を持ち込むなという点について、ムッソリーニの主張は明快だ。
ファシストは、そうせざるをえない場合においてのみ、暴力を行使する。ファシストは、そうするよう強いられた場合にかぎり、破壊し、粉砕し、放火する。それがすべてだ。
ファシストの暴力は騎士道精神にもとづいたもの。暴力は、個人的な復讐という性質ではなく、国家の防衛としての性質を有する。
どこでも、警察を軍が盾(たて)となって、ファシストの敵の労働者協会の拠点を蹂躙するファシストを援護した。警察権力はもう、投獄をちらつかせファシストを脅すようなことはしなかった。それどころか、ファシストは、軍の車に同乗し、120丁の小銃と3ケースの手りゅう弾を提供されていた。
社会主義者が真摯に武装解除するのであれば、そのときこそ、ファシストもまた武器を捨てるだろう。ファシストにとって、暴力とは異議申立であって、むごたらしく、だが不可避な営みとして、この一種の内戦を受け入れている。ムッソリーニは、このように語った。
いまや、ポレジネ地方の哀れな農村では、夜中に誰かが戸を叩き、「警察だ」という声が聞こえたなら、それは死刑執行を意味すると認識されている。
ファシズムとは、行き過ぎること。ファシストたちは、週末になると、近隣の農村に出かけていき、労働者会館、組合事務所、そして赤の役場を襲撃する。殴り、破壊し、広場で旗を焼いた。
ファシズムとは、教会ではなく訓練場であり、政党ではなく運動であり、綱領ではなく情熱である。ファシズムとは、新しい力である。暴力のスペクトルのなかに光の性質を正しく浮かび上がらせる。無差別殺人とは、ファシストではない者たちが、アナーキスト、共産主義者が行使する、暗がりのなかの暴力だ。ファシズムの暴力は光だ。
わずか2.3ヶ月のうちに、9つの労働評議会、1つの生活協同組合、19の農村同盟が破滅させられた。社会主義勢力の瓦解は、とどまるところを知らなかった。いまや各地で、農村の大衆は赤旗をおろし、ファシストの組合に加入していた。
農村運動の指導者たちは、すさまじい速度で進行する崩壊を前にして、なすすべもなく立ちつくしていた。そして、次のように呼びかけた。
「家から出てはいけない。挑発に応じてはいけない。沈黙すること。臆病にふるまうことは、ときとして英雄的な行為なのだ」
ひまし油の利用。ファシストの脅しに屈しない社会主義者を見つけると、その口にじょうごを突っ込み、通じ薬に用いられるひまし油を1リットル、無理やり胃に流し込む。そして、車のボンネットに縛りつける。それで屁をひり、糞をもらす姿を、村中の住人にさらすのだ。ひまし油を飲まされた人間は、殉難者になる資格を喪失する。恥辱が同情を吹き払ってしまうからだ。公衆の面前で糞をもらした人間に、崇拝の念を抱く者はいない。嘲笑にはすぐれて教育的な効果がある。その効き目は長く続き、人格の形成に影響を与える。排泄物は血よりも広く、国家の未来に拡散していく。
いやあ、これはひどい。ひどすぎます。こんなファシストの蛮行は絶対に許せません。
暴力が渦を巻き、新たな犠牲者の血が流され、家屋に火がつけられた。ファシズムは、暴力的であることをやめるやいなや、そのあらゆる邪悪な特権を、そのあらゆる力を失うだろう。
ファシズムの本質がよくよく分かる本です。
(2021年8月刊。税込3135円)

真夜中のコール

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 最上 裕 、 出版 民主文学館
この本を読んで、会社づとめの大変さ、SEの苦労、労働組合の意義とか、いろんなことを学ばされ、考えさせられました。
著者は、40年の会社員生活の大半を社内SEとして過ごし、最後の10年間は生産管理システムの運用保守チームのとりまとめ役をやっていたとのこと。
夜間処理が停止すると、コンピューター室のオペレーターから、会社支給の携帯電話に電話がかかってくる。真夜中に電話して、相手がなかなか出てくれないと心細く、腹の底が冷えるような不安を感じる。
運用保守チームには、本体の会社からの出向社員、子会社のプロパー社員、協力会社の常駐請負社員、派遣社員など、さまざまな労働者がいる。
著者のそんな体験が生かされた小説なので、実に状況描写が詳細で身に迫ってきます。過酷な労働環境のなかで苦闘するSEは、不安定な雇用で、明日の保障がなく、パワハラにさらされ、うつ病にかかる。それが、みんな「自己責任」の思考の枠内で「解決」されようとする。そんな労働者を救うはずの労働組合は労使協調、会社の言いなりの企業内労働組合。
連合は新春旗びらきに自民党の首相を招いて挨拶させる一方、連合の会長は共産党と野党共闘を口汚くののしる政治的発言を繰り返して、恥じることがありません。
著者は、唯一の希望は、一人でも加盟できる労働組合(ユニオン)だとしています。だけど、一人で加盟するのは勇気がいりますし、周囲の無理解、妨害とたたかい、乗りこえる必要があります。
偽装請負。請負だったら、請負会社の責任者にしか作業指示はできないはず。ところが、実態は、請負会社の社員に対して、直接、作業を依頼している。これは法律違反。
黒い携帯電話が水曜日の夜中に突然けたたましく鳴りだした。目をこすりながら電話に出ると、「オペからJOBエラー停止の連絡がありました。対処お願いします」という。
翌朝のオンライン開始までに必ず処理を終了させなければならない。パソコンを立ち上げて時刻を見ると午前1時15分。午前2時までにJOBを再実行しなければ、夜間処理をオンライン開始時刻の午前7時半までに完了させることができない。こんな時刻に電話するなんて、家族の危篤のときくらいのはずだ…。
夜間障害対応の残業代は請求できるのか…。
「年俸制だから、個別の残業手当はない。見なし残業代にふくまれている」
ええっ、本当だろうか。ユニオンの回答は、夜間働いたら、会社は深夜割増の賃金を払わないといけない。これは管理職も同じ。では、どうやって、それを立証するか…。パソコンの起動・停止時刻。イコール、業務開始と終了時刻。だからパソコンの履歴を見たら、一目瞭然。しかし、そのパソコンは会社貸与なので、期間満了で「解雇」されたとき返還した。だったら、まだ社内に残っている元同僚に提供してもらったらどうか。
元同僚は業務上に知り得た情報を勝手に外部に渡すのは禁止されていると冷たい拒否反応だった。さあ、どうする…。
小さな職場で同じような仕事をしているわけですが、立場がそれぞれ違い、個性も異なり、ねたみや足のひっぱりあいもあったりして、まったく一枚岩ではありません。
取引先の会社からは厳しい要求をつきつけられるし、本体の会社は、業務悪化のため外部委託を減らそうとするのです。そんな状況で主人公はついに悩みが深刻・長期化して精神科にかかり、うつ病と診断され、休職するのです。
ITエンジニアなら、プロフェッショナルで、いろんな職場を渡り歩いてスキルを磨き、ステップアップできる。上と合わなければ会社を変わればいい。自由でいいと思ってこのキャリアを始めた。でも、時がたつと、それが夢物語でしかないことが分かる。
システムエンジニアの実態は、昔なら飯場(はんば)を渡り歩いた建設労働者の現代版のようなものだ。使っている道具がつるはしとスコップから、パソコンに替わり、使う身体の部分が筋肉から頭脳に替わったくらいのもの。会社が本来、労働者に支払われるお金をピンハネしているのも変わらないし、長時間働いて心身を壊したらぼろきれのように捨てられるのも同じだ。ひどすぎる。
主人公の夫婦は、妻はガンにかかり声を失い、夫はうつ病にかかってしまうのですが、妻のほうは、障害者年金を申請し、リハビリで少しずつ声を取り戻しつつあり、夫のほうもユニオンとともに会社と団体交渉したり、労働災害認定を申請し、また労災に強い弁護士とめぐりあったりして、先の見通しがあるのも読後感に救いがあります。
現代社会の断面を切り取った小説として、人間ドッグに入った一晩、ホテルで一心不乱に読みふけりました。一読を強くおすすめします。
(2020年2月刊。税込1100円)

仲人の近代

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 阪井 裕一郎 、 出版 青弓社
私の身近な若い弁護士に、結婚式のとき仲人は頼んだかと尋ねると、そもそも結婚式をしていないので、仲人は当然いないという答えが返ってきました。そうなんですよね。最近では仲人を立てることがないだけでなく、結婚式自体を、しないですますカップルが増えました。これはコロナ禍の前からの現象です。
ちなみに私は、弁護士になる前、司法修習生のとき、会費制の結婚式をあげました。このときセツルメントの大先輩に仲人を頼みました。仲人料なるものを払った覚えはありません。そんな感覚もありませんでした(親から10万円もらい、別に10万円借金し、あとで利子つきで返済しました)。
この本によると、仲人を立てたというのは、2007年に0,7%だったとのことですから、今や仲人なる存在は完全に消滅したと言っていいのではないでしょうか。
私自身は頼まれた仲人を1回だけやったことがあります。このとき、親しい新郎からは、もっともっと天まで高くほめあげてほしかったと不満を言われました。結婚式と葬式のときしかほめられないけれど、葬式のときは、いくらほめても本人は聞けないのだから、せめて結婚式のときくらい、思いきりほめてほしいという真情を聞かされ、なるほど、そうだよなと大いに反省しました。しかし、その後、私に仲人を頼む人は誰もいませんでした。
「死ぬまでに3度は仲人をしろ」
「3度、仲人をしたら一人前」
「仲人をするのは、社会人としての義務」
これは私たち団塊世代より上の世代では通用していたと思います。
医師が結婚するときには、所属する医局の教授に仲人を頼む、そして、仲人料は何百万という相場がある、…という話を聞いたこともあります。
ところが、仲人という存在が日本で普及したのは明治になってからのこと。その前の江戸時代には、一部の上層階級にあっただけで、決して普遍的なものではなかった。なるほど、江戸時代の婚姻について書かれた本で、仲人をどうするどうしたという話なんて読んだ記憶がありません。
1990年代になると、結婚式の80%以上に仲人がいた。
明治時代までは「仲人」という言葉はほとんど使われず、「媒酌人(ばいしゃくにん)」のほうが一般的だった。
江戸時代までの婚姻は、「若者仲間」が支配していた。結婚については、親の権限はそれほど強くはなく、若者仲間や娘仲間のほうの厳しい規律と干渉のほうが強かった。
そして、女性は「処女のままでは結婚できない」という規範が多くの地域に存在していた。
明治時代には伊藤博文など支配層の上層部では、一夫多妻がごくあたり前に存在していた。伊藤博文などは、多くの愛人や妻がいて、何ら隠そうともしていなかった。
企業への忠誠の証(あか)しとして、新郎の上司に仲人を頼むという慣習が生まれ、戦後の新しい都市的環境のなかで、従来は村落共同体が支えていた生活の保障と所属意識にかかわるものを企業が担ったと思われる。
1990年には結婚式で仲人を立てた割合は86.3%だった。それが1999年には、21%にまで減少した。わずか10年で4分の1にまで減った。そして、2004年には、1.0%にまで急減した。
1990年初頭からの10年は、いわゆる「失われた10年」と呼ばれる日本経済の低迷期だった。この「失われた10年」は、「失われた仲人」でもあったわけだ。
日本人の結婚観は、インターネットによって、再び大きく変わりつつあると思います。大変に面白い本です。あなたも、ぜひ手にとって読んでみてください。日本の「伝統」なるものが、実は明治以降のものだということの一つだと思いました。
(2021年10月刊。税込1760円)

すばらしい人体

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山本 健人 、 出版 ダイヤモンド社
人体がいかに素晴らしい機能をもっているか、健康でいる限り、私たちは、そのことになかなか気づかない。しかし、人体のしくみは美しく精巧なものだ。
外科医であり、解剖学者の著者が人体のすばらしい仕組みを分かりやすく解説している本です。この本を読むと、人体がよく出来ていることがよく分かります。
椅子に座っているヒトが立ち上がるとき、頭の位置を前後に動かさずに立ち上がることはできない。まずは頭を前に突き出す必要がある。
頭を左右に振っても視野はぶれることがない。なぜか…。顔の動きに合わせて、自動的に眼球が動いてくれるから。これは走りながらカメラで周囲の景色を撮影しようとすると、とんでもなく揺れ動いて、見るに耐えない映像になることと対比したら、驚異的なこと。
私は車中で揺られながら読書を続けて50年になりますが、今でも活字は裸眼で読みますし、近視のままです。
心臓の筋肉は心筋と呼び、一生動き続ける。1分間で血液が全身を一周する。安静時に毎分5リットルの血液を送り出す。全身の血液量は5リットル。
私はピロリ菌の除去をしてもらいました。ピロリ菌感染者は非感染者より胃がんになるリスクが15~20倍もあり、非感染者の胃がんになった人は1%以下。
がんの転移先としては肝臓がんが非常に多い。それは、消化器を流れる血液が、その次に向かう主な行き先が肝臓だから。
健康な人は、どんなに深く眠っていても床ずれは起きない。それは、無意識のうちに寝返りを打っているから。子どもの寝相ほど見ていて面白いものはありません。じっと固まって寝てなんかいません。眠り込んでいるのに、身体のほうはよく動いています。ときには、隣で寝ている私の身体を乗りこえてしまうほどです。
日本人の死因の4分の1以上を占めるのががん。がんによる死亡率が増えている最大の理由は、高齢化。がんは高齢者に多い病気。かつてはがんになる前に、他の病気で死んでいた。そして、医学の発達のおかげで、がんによる死亡率は、年々減少している。
ところで、がんなのか、がんでないのか、という境界線は明確ではない。
全世界にHIVの感染者が3800万人いる。その半数以上はサハラ砂漠より南のアフリカの患者だ。今ではHIV感染症は、コントロール可能な慢性疾患である。つまり、HIVに感染しているが、エイズ(AIDSを発症しない)状態を、薬のおかげでなんとか維持できている。
この本には書かれていませんが、ヒトの体内でクスリもつくられているそうです。まことに人体の不思議は奥深いものがあります。
(2021年10月刊。税込1870円)

ジャズ、よもやま話

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 ミキ 、 出版 自費出版
ジャズ・ストリート52という空間に遊ぶ。こんなサブ・タイトルのついた美的センスのあふれる小さな冊子です。
ジャズ・ストリート52(Jazz Street 52nd)は、1968年創業の北九州にあるジャズ喫茶。この店は静かにレコードを聴いて、静かにお酒を飲む店。
マスターが客に媚(こ)びることなく、自らこだわりの音を提供し、客はそれを心ゆくまで享受できる。店を営んでいるマスターは、グラフィックデザイナーになったあと、26歳のときジャズ喫茶を始めた。店には何千枚ものレコードがある。
マスターはマティーニをつくる。少し口径の小さい逆三角形のグラスにオリーブを入れ、ミキシンググラスから注いで、最後にレモンの香りを移す。キリっと辛口ののど越し、微かなレモンの香りが鼻を擽(くすぐ)る。
マスターは、レコードをジャケットから取り出してプレーヤーを置く。レコードの埃を払い、針を下ろす。そして、プレーヤーとプレーヤーの間にジャケットを立てかける。レコードの針は兵庫県の山あいの工場で職人がひとつひとつ作っている特別仕様のもの。
マスターは、レコードに針を下ろすという仕事を一生の仕事として選んだ。
音楽を聴くというとき、音は機械だけでつくるものではない。店の広さ、客の聴く位置、それらみんなひっくるめての総合芸術だ。
この店では、「常連客」になるには40年もの年月が必要。2年前から通っている著者は、まだピヨピヨ、ひよっこにもなっていない。
ジャズ喫茶には不文律がある。私語厳禁。初心者はスピーカーの真ん前の席に座ったらいけない。客には序列がある。
マスターは、VANのモデルをしたことがある。VANのモデルというのは、今でいうメンズノンノのモデルのようなファッション・アイコンを意味する存在。映画俳優にならないかとスカウトされたこともある。
人生の楽しみの部分、そのほとんどが無駄といえば無駄な部分だ。大いなる無駄な時間のなかで生活の潤いが生まれる。
静かに流れるような心優しい文章とあわせて、著者による見事な水彩画が添えられ、心をなごませてくれる一時(ひととき)を与えてくれます。
コロナ禍の下で、ギスギスしがちな日々に、ほっと一息いれさせてくれる素敵な冊子でした。マスターの名前は林直樹さん。著者である原田美紀先生に心からの拍手を送ります。
(2021年12月刊。非売品)

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