法律相談センター検索 弁護士検索

菌類が世界を救う

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 マーリン・シェルドレイク 、 出版 河出書房新社
菌類はどこにでもいるが、なかなか気づかない。菌類の90%以上の種類は未確認だ。知れば知るほど、菌類は、さらに分からなくなる。
植物は菌類の助けを借りて5億年前に陸に上がった。植物が独自の根を進化させるまでの数千万年間、菌類は植物の根の役目を果たした。今日では、植物の90%以上が菌根菌に依存している。
キノコは胞子を拡散する多様な手段の一つにすぎない。菌類の大多数は、キノコに頼らず胞子を放出する。
菌根は1年で50メガトン、これは50万頭のシロナガスクジラに匹敵する、におよぶ胞子をつくる。
世界には220万種から380万種の菌類がいる。現状は、菌類全体のわずか6%しか発見されていない。
人間の脳は数百万種の色彩を区別し、耳は50万種の音を聞き分ける。ところが、鼻は数兆種の匂いをかぎ分ける。ええっ、ホ、ホントでしょうか…。人間の鼻は、1立方センチあたり3万4千個の分子という低濃度の化合物でも嗅ぎ分けられる。この濃度は、2万個のオリンピック用水泳プールの中の1滴の水に匹敵する。
トリュフは栽培できない。マツタケと同じく、トリュフは収穫してから2日から3日以内に新鮮なまま客の皿にのせなくてはならない。トリュフの香りは、生きて代謝している活性プロセスでしかつくれない。トリュフの香りは、胞子の成熟とともに強力になり、細胞が死ぬと失われる。トリュフは乾燥させて後日食べることはできない。
菌類は、高速データの伝達に電気信号を使える。
菌糸体は脳のような現象だ。植物は大気中から得た炭素の30%を菌類パートナーに与える。菌根菌は、植物が必要とする窒素の80%、リンについては100%を与えることができる。
菌糸体は土壌をまとめる粘り気のある生きた継ぎ目だ。菌類を除去すると、土壌は洗い流されてしまう。
人類にとってもっとも親しみ深い菌類は酵母だ。酵母は、人間の皮膚の上、肺の中、消化器官系に棲息し、あらゆる穴の内面にいる。人類は、はるか昔から酒づくりに発酵を利用してきたと思われる。酵母は、糖がアルコールに変わるプロセスにかかわる。
キノコ、カビ、酵母は本当に人間の生活に欠かせないものだということがよく分かる本でした。
(2022年1月刊。税込3190円)

東北の山と渓

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 中野 直樹 、 出版 まちだ・さがみ事務所
東京(正しくは神奈川県)の弁護士が東北の山歩きをした写真と紀行文が楽しい冊子にまとまっています。
私は阿蘇・久住なら登ったことはありますが、本格的な登山をしたことはありません。山をのぼりきったところに広がっているお花畑の写真を見ると、さぞかし気持ちがいいだろうと想像はしますが、そこに至るまでの難行苦行を考えたら、とてもとても山登りなんかしようとは思いません。この冊子にも、苦労した山歩きが少し紹介されています。
稜線に出ようとするところで、烈風が待ち構えていた。山が咆哮(ほうこう)し、波状的に押し寄せる風に押し返されて前に進めない。足を前に出そうとして片足立ちになると、足下からあおられてふらつき、後ろずさりをさせられるほどの風圧だった。雨粒が真横から身体を打ち、砂粒も飛んできた。
奥鬼怒沼の避難小屋に一人で泊っていると、激しい雷雨となった。すぐ目の前を稲妻が暴れまわり、湿原全体を青白く浮かびあがらせる。その不気味さ、雷鳴がすぐ耳元で咆哮し、振動した空気が身体に響き、全身に鳥肌が立った。
いやはや、山の天気は変わりやすいし、烈風が吹きすさめば低体温症になってしまいそうです。せっかく山小屋にたどり着いたかと思うと、カギがかかっていて、哀れ、なかに入れなかったこともあるとのこと。
この冊子の写真は、ほとんど青空の下のお花畑です。それはそうでしょう。雷鳴の下で脅えているとき、カメラなんか構える余裕なんてないでしょう。そして、絵になる構図も考えられません。
著者は単独行、気のあった弁護士仲間との山登りのどちらもやるようです。不思議なことに奥様のすばらしい山野草のスケッチがいくつも添えられています。たまには奥様と二人で山行きするということなのでしょうか…。ともかく安全には気をつけて、これからも山登りを楽しんでください。
著者より贈呈を受けました。ありがとうございます。
(2022年2月刊。非売品)

寅さん入門

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 岡村 直樹 ・ 藤井 勝彦 、 出版 幻冬舎
知識ゼロからの、映画「男はつらいよ」入門の手引書です。
古い映画でしょ。50作もあるなんて、何からみていいのか分からない。ヤクザが主人公の映画なんて…。こんな映画をみたいファンなんて、年寄りだけじゃないの…。
そんな疑問に一挙に答えて、なるほど、それならぜひみてみたい、そう思わせる入門書です。「寅さん」をみるのにルールはいらない。初めのころに傑作が多い気がするけれど、それは好みによる。
テーマは普遍的。家族・愛・友情。まったく色あせない。そこに浮かびあがるのは、人間同士が裸でつきあえる豊かな世界。
葛飾柴又の参道には、私も何度も行ってみました。矢切の渡しにも、もちろんお寺の境内にも入りました。笠智衆や源公(げんこう)に出会えなかったのは残念でしたが…。
オープニングタイトルが流れ、参道の「くるまや」店内がうつし出されると、なつかしさが胸一杯こみあげてきます。
寅さんの映画には、冒頭に寅さんの夢物語が展開するのも楽しみでした。
浦島寅次郎、マカオの寅、車寅次郎博士、宇宙飛行士などなど、夢ですから何にでも寅さんは大変身します。まさしく夢のような別世界に私たちも一緒に連れて行ってくれるのです。
寅さんの啖呵売(たんかばい)も、まさしく名人芸です。言葉の魔力で通行人を自分の前に引き寄せる。サクラを置けばいいというものではない。そして、インチキすれすれの買い物をさせられた客に、「あんなに面白い啖呵が聞けたんだから、まあ、よしとするか」とあきらめさせる話術でなければならない。うむむ、これは難しいことですよね。
家族相手のモノローグ(独白)。寅のアリア(独唱)と呼ばれる場面がある。物言い、間、情感、表情、身振り手振りなど、すべてが渥美清の独壇場。まさしく、寅さんに扮した渥美清は天才としか言いようがない。
渥美清は黒いサングラスをかけて変装して都内の映画館に行って、よく映画をみていたそうです。そして、自宅とは別にマンションをもっていて、私生活は絶対オープンにしませんでした。命の洗濯としてアフリカ・ケニアによく行っていたそうですが、それもなんとなくよく分かりますよね。あんな顔をさらして町を歩いたら、あまりにも目立ってしまい、すぐに人だかりができたでしょうから。
50作のほとんど(全部だと言い切る自信はありません)を映画館でみた私です。4K・デジタルマスターしたブルーレイでみてほしい。この本に書かれていますが、私はやっぱり映画館でリバイバル上映でみたいです。
渥美清は1996年8月に68歳で亡くなりました。私より20歳だけ年長ですから、今、生きていたら93歳になります。もっと長生きしてほしかったですね。
(2019年12月刊。税込1430円)

奄美・喜界島の沖縄戦

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 大倉 忠夫 、 出版 高文研
著者は横須賀で活動してきた弁護士ですが、父親が喜界島からの出稼ぎ労働者で、戦前(1939年7月)、父とともに喜界島に渡り、8歳から戦後(1949年3月)17歳まで喜界島で生活していました。
沖縄戦がたたかわれたときには、喜界島にいて危ない目にもあっています。その自分の体験をふまえて喜界島と沖縄におけるアメリカ軍との戦闘を刻明に調査し、再現しています。580頁もある大作ですが、著者の執念深い調査によって本当に詳しく沖縄戦の実情を追体験することができます。
喜界島ではアメリカ軍の飛行機が墜落し、逮捕・連行された2人のアメリカ兵を日本軍が斬首してしまうという事件も起きています。戦後、そのことが明るみに出て、2人の日本兵がアメリカの軍事法廷で死刑判決を受け、1人は処刑されています。もう1人はなぜか減軽されて、やがて釈放されました。
戦前の喜界島の人口は1万5千人。小学校(国民学校)は6校あった。
喜界島に日本兵が3千人もいて、島民は軍の対空砲火は集落を守るためにも使われると信じていた。しかし、日本軍が島民を守ってくれるというのは、アメリカ軍の空爆が始まるとたちまち幻想でしかなかったことが明らかになった。
アメリカ軍による空爆が激しくなって、著者たちはムヤ(喪屋)に潜り込んだ。これは先祖が掘った古い横穴式の風葬跡である。
宇垣まとい将軍は敗戦が決まったあと、部下22人(11機)を自らの自殺につきあわせた。これは本当にひどい話です。うち3機は途中で不時着していますので、結局16人が無理心中のようにして亡くなったのでした。
喜界島の全戸数4千戸のうち半分近くが空爆のため焼失してしまった。
8月15日のあとも沖縄の兵士は戦闘を続けたようです。9月5日に日本軍は降伏式にのぞみ、ようやく戦争が終わりました。
喜界島のアメリカ兵捕虜斬殺事件では、一番の責任者である伊藤三郎大尉が戦後いち早く行方をくらましてしまい、アメリカ軍は裁判にかけることができなかった。そこで、裁判のストーリーには、伊藤大尉は出てこないように検察官は苦労した。
この横浜で開かれた軍事法廷は、ともかく十分な弁護権が行使できなかったようです。
91歳にもなる著者が長年の調査・研究の成果を1冊の本にまとめたことに心より敬意を表します。私が45年前に横浜弁護士会(現・神奈川県弁護士会)に所属していたとき、著者と面識がありました。お元気であること、かつ、大著をまとめあげられたことに驚いてもいます。喜界島から見た沖縄戦、とくに日本軍の特攻作戦の実際がよく分かる本です。
(2021年11月刊。税込3300円)

幕末社会

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 須田 努 、 出版 岩波新書
江戸時代、とりわけ幕末のころの日本について改めて深く知ることのできた本です。
まず何より百姓一揆について認識を深めることができました。
天保11(1840)年の老中水野忠邦が画策した三方領知替え反対一揆については、藤澤周作が傑作『義民が駆ける』で詳しく紹介しています。ノンフィクション小説として、本当に読ませます。この本でも、史料にもとづいて、詳しく解説していて、この百姓一揆のすごさに改めて驚嘆しました。
山形から江戸まで百姓たちが何百人も集団で出かけていって「江戸愁訴」を繰り返したのです。4ヶ月のあいだに6回も実行しています。そして、彼らは百姓一揆の作法を厳しく遵守(じゅんしゅ)しました。あくまでも幕藩領主に柔順な百姓であることを強調し続けたのです。そのため、脇差し(刀)を持たず、鎌を一艇ずつ持参するだけでした。また、このとき、江戸愁訴のやり方については、江戸の公事師の指導を受けていたそうです。
そして、庄内の百姓たちは、近隣の諸藩にも手分けして愁訴しました。仙台藩には、蓑笠姿で、鍋米を背負った300人もの百姓が押しかけています。百姓たちは、飲酒、乱暴しないという申し合わせし、それを実行しました。5ヶ条の「掟」を定めています。
さらに、地元で参加者「何万人」という大規模集会を繰り返したのです。いわゆる主催者発表によると、7万人とか数万人規模といいますから、1ケタ少ないとしても、たいしたものです。
結局、この「三方領知替え」は中止され、百姓たちが勝ったのです。しかも、百姓たちから一人の処罰者も出さなかったというのですから、まさに完全勝利でした。
庄内の人々は、あくまで冷静、見事な戦略・戦術を組み立て、実行していったのです。その政治的力量はずば抜けています。江戸「登り」などに多大な費用が発生したのも、百姓でなんとか処理できたのでしょう。いやはや、すごいです。ぜひ、藤沢周平の小説を読んでみて下さい。感動そのもののノンフィクション小説です。
百姓一揆については、もう一つ、対照的なのが天保7(1836)年の甲州騒動。こちらは、今の山梨県全域で打ちこわしが発生した。騒動勢の中心は20代以下の無宿の若者たちであり、「悪党」と呼ばれた。「悪党」たちが、百姓一揆の作法を守らなかったことから、幕府は騒動勢の殺害命令を出し、それを受けて、村々は独自に自衛し、騒動勢を殺害した。結局、騒動勢は敗れ、500人も捕縛されて、死罪9人、遠島37人となったが、ほとんど牢死した。
本書によると、著者が調べた百姓一揆1430件のうち、武器を携行し使用したのはわずか14件のみ(1%未満)、そして、この14件のうち18世紀には1件だけで、残り13件のうち8件は19世紀前半に集中している。つまり、18世紀まで、百姓たちは百姓一揆において暴力を抑制していた。百姓にとって要求を実現するには、武装蜂起よりも、訴願のほうが有効だと認識されていたことが分かる。
この本は百姓一揆だけを論じたものではありません。国定忠治など博徒(ヤクザ)の生態も紹介されていますし(忠治の妻・一倉徳子についての興味深い紹介もあります)、また水戸の天狗党の乱について詳しい実情が紹介されていて、大変勉強になりました。興味深い本です、ご一読をおすすめします。
(2022年1月刊。税込1034円)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.