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初心、「市民のための裁判官」として生きる

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 森野 俊彦 、 出版 日本評論社
 福岡高裁で定年まで裁判長をつとめた元裁判官(23期。今は弁護士)が、その半生を振り返った、大変興味深い本です。
 本の表紙はドイツはハンブルグのアルスター湖の写真で飾られていますが、そのライトブルーの空は著者の心境をあらわすかのように澄みきって、すがすがしさに溢(あふ)れています。
 著者は一貫して裁判の現場にいて、所長にも支部長にもなったことがありません。支部にも若いころ尾道支部にいたのと堺支部にいただけです。そして、家裁に長くいました。最後の福岡高裁の裁判長も、あきらめていたところ、幸運にもなれたようです。
 私の印象に残る福岡高裁の裁判長といえば、西理(にし・おさむ)判事(今は弁護士)と著者の二人だけです。西さんの法廷はピリピリとした緊張感がありました。記録をよく読んでいるので、容赦ない釈明権の行使がありました。なので、裁判官評価アンケートでは絶賛する弁護士と酷評する弁護士と二分していました(全体としては高く評価されていました)。
 著者の法廷は、ほんわかムードのうちにも真の意味の口頭弁論がすすみましたので、裁判官が何を考えているのか、よく分かって、助かりました。定年退官のあと、弁護士会で控訴審における代理人の心得を講義してもらったという記憶があります。
 この本には、著者が実践した裁判官としての裏技(ウラワザ)が二つ紹介されています。その一は、「サイクル検証」です。私も現場が問題になっている案件ではカメラをかかえて一度は現場に行き、たくさんの角度から写真を撮ることにしています。やはり、他人の撮った写真だけでは実感のわかないことは多いものです。同じようなことを、著者は、裁判官として担当している事件の現場に自分の自転車で見に行っていたのです。
 裁判官には「不知を禁ず」という格言があり、裁判官が職務を離れて個人的に仕入れた情報を事実認定の基礎としてはならないことになっている。そこで、著者は、「たまたま」通りすがりに「現場」にぶちあたっただけだから、いいではないかと考えた。なーるほど、そんな弁明もありうるのですね…。
 自転車で行けないところには徒歩で行くようになったので、これは「サイクル検証」とは言えないから、「徒歩(とぼ)とぼ検証」と名づけたとのこと。著者はダジャレが大好きなのです。
 もう一つのウラワザは…。嫡出(ちゃくしゅつ)子3人と非嫡出子1人とのあいだの遺産分割調停事件で、最高裁が平成25年9月に違憲判断を示す前のことですが、嫡出子1.5対非嫡出子1の割合を和解案として示して、双方が受諾したとのこと。たしかに、ときに、こんな折衷案を裁判官に出してもらうと、歩み寄る可能性がぐぐっと高まります。要は、裁判官のやる気と積極性にかかっています。
 著者より3期若い私も弁護士生活50年が近くなりますが、やる気のない裁判官、実体的紛争の解決より形式論理ばかりを振りかざす裁判官があまりに多いのに、「絶望」に陥りそうになっています。たまにやる気があり、事件の適正な解決に努力する裁判官にあたると、ほっとして、救われた気持ちになりますが、それは残念ながら珍しい出会いでしかありません。
 最近の裁判官は全体としてモノトーンであり、自分の本質を見せたがらない、「正解志向」が強く、マニュアルや先例のない問題にぶつかったときの対応力が弱い。これは著者の印象ですが、同感します。
 最高裁の町田顕長官が「上ばかり見る『ヒラメ裁判官』はいらない」、「裁判官の神髄は自分の信念を貫くことにある」と言ったことに著者は驚いたとのことですが、裁判所内部のトップの目から見ても、由々しき実態にあるということだと思います。町田裁判官は青法協の熱心な会員でしたが、青法協が攻撃されたとき、いち早く脱会したことでも有名です。
 そして、私は、こんな「ヒラメ裁判官」を大量生産してきた・しているのは最高裁自身だということも、きちんと指摘しておく必要があると考えています。青法協加入を理由として司法修習生からの任官を拒否し、裁判所内部では裁判官会議を形骸化して、モノ言わないのを習性とする裁判官をつくってきたのは最高裁判所です。その一例が、著者を家裁漬けにし、また、定年間際まで裁判長にしなかったことにあります。
 先輩裁判官が上からいじめられ、任地や給料で差別されるのを見せつけられる後輩は、次第に独立独歩の気概を失い、ことなかれに陥ってしまうのは必然です。福岡県弁護士会の会報に裁判官評価アンケートの意義をふくめて、そこらあたりを詳しく論述していますので、本書とあわせて、ぜひ一度読んでみてください。著者から贈呈を受けましたので、さっそく2日かけて読了しました。今後ますますのご活躍を心より祈念します。
(2022年9月刊。税込2420円)

立てないキリンの赤ちゃんをすくえ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 佐藤 真澄 、 出版 静山社
 広島市にある安佐(あさ)動物公園に赤ちゃんが生まれました。ところが、この赤ちゃん、生まれてから一晩たつのに立った様子がない。よく見ると、うしろ足の格好が変だ…。足先が本来なら曲がらない方向に曲がっているから、立てないのだ。診断名は、重度の屈腱(くっけん)弛緩(しかん)。屈腱がダランと伸びきっている。
 キリンが立てないと、母・キリンのおっぱいを飲めない。母キリンのおっぱいは地面から高さ2メートル。立ったままで授乳する。赤ちゃんキリンは立たなければ、お母さんキリンのおっぱいに吸いつくことができない。
 キリンでは、先天的にしろ、後天的にしろ、立てない状態では、最終的には衰弱して死を迎える。人工ミルクを与えても、胃腸の働きが悪くなって、消化不良となって、衰弱してしまう。
 母キリンは赤ちゃんキリンを足で蹴ったりする。これは、いじめではなく、早く立ち上がりなさいという合図。でも赤ちゃんキリンは自力で立ち上がることができない。そこで、飼育員たちは後ろ足にギブスをはめることにした。
 ところが、赤ちゃんキリンがどんどん大きくなっていくので、ギブスの装着は頻繁に変える必要がある。そのため、大勢の飼育員がキリンを取り囲む。それに平気なキリンになってもらわないといけない。
 大きくなると、麻酔するしかない。でも、キリンは4つの胃をもっているので、横になったら胃が圧迫されたりして、誤嚥性肺炎になったりする。
 でもでも、麻酔注射も無理になってきた。しかたなく麻酔銃を使う。赤ちゃんキリンは、銃を見ると警戒するようになった。そして、銃を撃つ人はキリンに嫌われる。すると、その人だけ嫌われ者になってもらい、他の飼育員は「いい人」を演じる必要がある。なーるほど、微妙なんですね、キリン心も…。
 麻酔したときも、キリンの首はある程度は起こしておかないといけない。首の保定(ほてい)も大変。
 赤ちゃんキリンが大きくなって、ついにギブスでも限界がきた。さあ、どうする…。
 広島国際大学には、義肢装具学専攻を含むリハビリ学科があることをHPで発見し、そこにSOSを送り、受け入れてもらえた。大学で赤ちゃんキリンの義肢を何度もつくってもらうのです。なにしろキリンって、体重が1年で200キロも増える。赤ちゃんキリンは、生まれたとき体重57キロだったのが、3ヶ月で120キロ、倍以上になった。
義肢装具士は、厚労省が認定する国家資格。知りませんでした。
 装具バージョン4のあと、ついに、キリンは、装具をはずして歩けるようになった。す、すごーい。
キリンの食事は、1日に枝つき木の葉を10キロ(可食部は3~5キロ)。これに、乾燥させたマメ科の牧草5キロ、固形飼料(ペレット)5キロ。このほか、リンゴや小松菜などの青菜を0.5キロをおやつとして与える。
 2歳(2022年4月現在)のキリン「はぐみ」は、身長350センチ、体重350キロ。いやはや、なんと大きいことでしょうか…。育ち盛り、わんぱく盛り。生まれたときから人間に慣らされているため、飼育員の帽子をかじったり、メガネをとろうとしたり、ちょっかいを出してくる。これは大変ですね…。でも、なんだかホンワカ心が温まりますよね…。
 世界中のキリンは、キタキリン、ミナミキリン、アミメキリン、マサイキリンの4種。日本にはアミメキリンとマサイキリンがいる。広島の安佐動物公園のキリンは、全部、アミメキリン。
 アミメキリンは、東アフリカのサバンナに生息する。1頭のオスと2~3頭のメス、その子どもを加えた10頭ほどの群れで生活している。
 アミメキリンは、生息数が1万頭以下。過去30年間に15万頭以上が10万頭以下にまで減ってしまった。日本の動物園には、58園・館で190頭のアミメキリンが飼育されている。動物園の飼育員って、安月給にもかかわらず、好きで好きで仕方がないのでしょうね…。とても面白くて、一気読みしました。
(2022年7月刊。税込1540円)
 暗くなるのが早くなりました。薄暗くなると、台所の窓にヤモリがへばり着きます。2匹出てくることもあり、少し離れたところでじっと静止しています。夜12時前には姿を消します。
 自然が近いせいか、家の中はあちこちに大小のクモが徘徊しています。庭にはモグラがいて、たまに地上でモグラの死骸をみます。そして困るのがヘビです。突然出くわさないように心がけています。
 今はピンクのフヨウが咲いています。リコリス(ヒガンバナの一種)が庭のあちこちに咲きはじめました。燃えるような赤、やさしいクリーム色、そして純白の花が秋到来を告げます。
 朝はまだ朝顔がたくさん咲いて迎えてくれています。いかにも元気なので、おはようと声をかけます。

「大地の子」(上)

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 山崎 豊子 、 出版 文芸春秋
 いま、戦前、応召して中国東北部(満洲)で工兵として働いていた叔父(父の弟)が、戦後、八路軍(パーロ。中国共産党の軍隊)の要請に応じて技術員として紡績工場に働くようになり、結局、1953年5月に日本に帰国するまで、9年ほど中国にいたときのことを調べています。
 この本の主人公・陸一心は、日本が満州に送り込んだ開拓団の孤児として、大変な苦労をします。満州開拓団はまさに侵略者の一員でしたが、その生活は惨(みじ)めなものでした。終戦直前に「根こそぎ動員」によって働ける男たちは兵隊にとられ、開拓団に残ったのは老人と女性と子どもばかり。そこへソ連軍が突如として襲いかかってきて、また、恨みを買っていた現地の人々からも襲われました。
 7歳だった主人公は両親と死別し、妹ともはぐれて中国人にさらわれ、こき使われ、さらには売りに出されました。そのとき、ひょんなことから中国人の良心的な小学校教師に救われ、そこで養われます。地域でも学校でも「日本鬼子」としていじめられますが、心やさしい中国人少年もいて助けられます。
 養親の期待にこたえて必死に勉強して工業大学に入り、鉄工所に就職。
 ところが、文化大革命の嵐のなかで「反革命分子」として吊るしあげられ、冤罪でモンゴルの労働改造所に送られてしまうのでした。ここでの生活もひどいものですが、心優しき看護婦と出会い、また、幼なじみが主人公を労働改造所から助け出そうと努力します。
 いえ、なにより養父のがんばりがすごいのです。教師の職をなげうってまで、主人公を救出しようと北京にのぼって陳情活動を続けるのでした。
 30年ぶりに読みましたが、迫害のひどさに胸を痛め、また、心優しき人々が主人公の救出に執念を燃やす姿に接し、目頭が熱くなりました。著者の筆力に、今さらながら感服します。私もぜひこんな小説を書いてみたいと思いました。
(1992年1月刊。税込1400円)

アウシュヴィッツのお針子

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ハーシー・アドリントン 、 出版 河出書房新社
 アウシュヴィッツ収容所の所長の妻などが、自分たちの服を見栄えよく仕立てるために、アウシュヴィッツ絶滅収容所に収容された若いユダヤ人女性たちを働かせていた実話です。彼女らはアウシュヴィッツ収容所から生きのびて、長寿をまっとうした人もいたのでした。
 アウシュヴィッツ収容所にファッションサロンがあり、このサロンのお針子の大半はユダヤ人。他に、政治犯で裁縫のできる女性もいた。これらのお針子たちは、友情とまごころの強いきずなでナチスに抵抗し、生き永らえることができた。しかも、親衛隊幹部夫人のために立派な服を仕立てるだけでなく、レジスタンス活動に加わり、なかには逃亡の計画を立てる女性たちもいたというのです。成功したケースも、失敗したケースもありました。
ナチス上層部の女性は、ナチスと同じく衣服を重要視していた。たとえば、ゲッペルス宣伝相の妻マクダ・ゲッペルスは、ユダヤ人のこしらえた衣服を臆面なく身につけていたし、国家元帥ヘルマン・ゲーリングの妻エミー・ゲーリングも同じくユダヤ人から略奪した豪華な衣服をまとっていた。
 アウシュヴィッツに婦人服仕立て作業場を設けたのは強制収容所のルドルフ・ヘス所長の妻ヘートヴィヒ・ヘス。このサロンのお針子の大半はユダヤ人。そのほか占領下フランスから送られてきた非ユダヤ人のコミュニストもいた。彼女らは、ヘス夫人をはじめとするナチス親衛隊員の妻たちのために型紙を起こし、布を裁断して縫いあわせ、装飾をつけ、美しい衣服をつくっていた。お針子たちにとって、縫うことは、ガス室と焼却炉から逃れる手段だった。
このサロンには総勢25人の女性が働いていた。サロンを指揮するのは、1942年3月に入所したハンガリー出身のマルタ・フフス。人気のファッションサロンを経営していた一流の裁断職人。お針子の大半は10代後半から20代はじめ。最年少はわずか14歳。サロンには十分な仕事があり、ベルリンからの注文でさえ、6ヵ月待ちだった。注文の優先権は、もちろんヘス夫人にあった。
 ファッション業界と被服産業からユダヤ人を追い出すことは、ユダヤ人主義が偶然もたらした副産物ではない。明確な目標だった。両大戦間のドイツでは、百貨店とチェーンストアの8割をドイツ系ユダヤ人が所有していた。また繊維製品卸業者の半数がユダヤ系だった。衣服のデザイン、製造、輸送、販売に携わる被雇用者の大きな役割をユダヤ人労働者が占めていた。ユダヤ人実業家の実行力と知力があったからこそ、ベルリンは1世紀以上ものあいだ女性の既製服産業の核とみなされてきた。
 ゲッペルスの妻マクダは、ユダヤ人のファッションサロンが閉鎖されたことを嘆いた。「ユダヤ人がいなくなったら、ベルリンからエレガンスも失われるってことを、みんな分かっているはずなのに…」
 戦後、生き残ったユダヤ人たちに対して、「なぜ抵抗しなかったのか?」と尋ねたときに返ってきたのは…。「起きていることが信じられなかったから」
 アウシュヴィッツ収容所から幸運にも逃げ出した人が外の世界で収容所内で起きていることを伝えたとき、人々の反応は「まさか、そんなこと、信じられない」というものでした。人間は、想像外の出来事については、まともに受けとめることができなくなるようです。
 衣服は人を作る。ぼろ切れはシラミを作る。衣服は尊厳と結びついている。後者はシラミが不潔な環境で湧くこととあわて、ぼろ切れをまとった人はシラミ扱いされることも意味している。収容所の外でも中でも、見た目がすべてなのだ。清潔で、まともな衣服は、人間であるという感覚を回復させてくれた。
 収容所の中では、ハンカチ、石けん、歯ブラシは、とくに重宝された。薬は金(きん)よりも貴重品だった。
 ファッションサロンの責任者である親衛隊女性エリーザベト・ルパートは驚くほど親切な看守だった。お針子たちに好意的に接したら、仕事の合間に、無料で服を縫ってもらえた。ただ、ほかの親衛隊女性隊員から不満の声が上がってビルケナウへ異動させられた。そして、異動先では威張りちらす残忍な人間と化した。場所によって、人間は良くも悪くも変わるのですね。
 お針子のノルマは、最低でも週に2着は注文のドレスを仕立てること。すべて無料でありながら、高級服仕立て作業場の仕事はきわめて質が良く、マルタの品質管理の目が行き届いていた。
 親衛隊の顧客は、その見返りとして、食べ物の余りやパン、ソーセージをもってきた。
 病気すると、レモン、リンゴそして牛乳が届けられることがあった。
 アウシュヴィッツに関する本はそれなりに読んできたつもりでしたが、このジャンルは欠落してしまいました。関心のある方に、ご一読をおすすめします。
(2022年5月刊。税込2475円)

100問100答

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 日本国民救援会 、 出版 日本国民救援会
 弾圧・干渉とたたかう心得と私たちの権利というサブタイトルのついた小冊子です。30年以上も前は、選挙のたびに警察による不当干渉があり、逮捕者が出ていました。
 私が担当したのは、政党演説会の告知ビラを市会議員が商店街で一軒一軒に声をかけながら配布していたのが戸別訪問にみなされるとして起訴された案件です。私は戸別訪問が買収・供応の温床になるとして取り締まりの対象になっているのは、当時も今も間違いだと考えています。ちなみに個々訪問は戸別訪問と違って許されます。
 アメリカもヨーロッパも戸別訪問こそが有権者が自らやれる選挙運動だとして、大いに推奨されていますが、当然です。戸別訪問と買収・供応とに必然的な関連性はまったくありません。一日も早く戸別訪問を解禁し、もっと自由に、のびのび選挙運動がやれるようにして、現在のような6割にも達しない投票率をせめて7割台にまで引き上げたいものです。
 警察は「不倫不党」ではなく、ときの政権与党に明らかに有利になるよう常時考えて行動している。
 街頭でビラ配りをするとき、通行人の妨害にならないように配布する限り、警察の許可は要しない。マンションへのビラ入れ活動も正当な活動。ただし、住人から注意されたら、その場で論争せずに速やかに退去したほうがいい。マンションのエントランスにある集合ポストへのビラ入れは住居侵入罪に該当しない。
 HP、ブログ、SNS(ツィッター、LINE)で、特定の候補への投票を呼びかけたり、候補者の演説の映像を流すのは自由。ただし、電子メールで投票依頼のメールを送ることはできない。なりすましや中傷は、もちろんNG。
 尾行されていることに気がついたら、その場で「なぜ私をつけるのか」と問いただし、抗議してやめさせる。一人では難しそうなら、友人・知人そして救援会にSOSを発信する。
 パソコンが押収されようとしたら、その場でファイルを一つひとつ開いて確認させ、必要なデータだけを印刷したり、関係ないファイルを持ち出させない。
 警察がビデオ・カメラで録画するのをやめさせられないのなら、こちら側からも録画を試みるべき。今では、ほとんどの人がスマホをもっていますので、録音・録画は昔と違って簡単です。
 黙秘権は、ずっと黙っていても、ときどき話してもいいけれど、終始一貫、何も言わず、ただ黙っているのが一番。目の前にいる捜査官の言うことは、完全に無視する。供述調書に署名・押印はしない。
 わずか110頁ほどの本文ですが、今の日本で、まだまだ本当に役に立つ小冊子です。あなたもぜひ手にとって読んでみてください。
(2022年7月刊。税込500円)

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