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山本周五郎、人情ものがたり(武家篇)

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者 山本 周五郎 、 出版 本の泉社
いやあ、しびれます。久しぶりの周五郎の2冊目です。短編ですので、毎晩、寝る前に2編ずつ読み、幸せな気分で安らかに寝入ることができました。
町人の人情話もいい(えがった)のですが、武士と女性たちの話も、胸にストーンと落ちて泣けてきます。
自分の暮らしさえ満足でないのに、いつも他人のことを心配したり、他人の不幸に心から泣いたり、わずかな物を惜しみもなく分けたり…、ほかの世間の人たちとはまるで違って、哀しいほど思いやりの深い、温かな人たちばかりでした…。
貧しい者は、お互いが頼りですから、自分の欲を張っては生きにくいというわけだろう。
他人を押しつけず、他人の席を奪わず、貧しいけれど真実な方たちに混って、機会さえあれば、みんなに喜びや望みをお与えなさるあなたも御立派です…。
人を狂気にさせるほどの恋も、いつかは冷えるときが来る。恋を冷えないままにしておくような薪(たきぎ)はない。友達を憎むことで、いっとき愛情をかきたてた。しかし、それも長くは続かなかった。憎悪という感情のなかには、人間は長く住めないもののようだ。
あやまちのない人生というやつは味気のないもの。心になんの傷ももたない人間がつまらないように、生きている以上、つまずいたり転んだり、失敗をくり返したりするのが自然。そうして人間らしく成長していく。でも、しなくてすむあやまち、取返しのつかないあやまちは避けるほうがいい。どんなに重大だと思うことも、時がたってみると、それほどではなくなるものだ。
いやあ、しびれるようなセリフのオンパレードです。俗世間にまみれた心がきれいさっぱりと洗い流される気分に浸ることができます。
そして、この本の究極のセリフは次です。
「もし、およろしかったら、お泊りあそばしませぬか。久方ぶりで、下手なお料理を差し上げましょう。そして、若かったころのことを語り明かしとうございますけれど…」
わけあって遠くに行ってしまった初恋の女性に久しぶりに会ったとき、その女性からかけられた言葉です。ああ、なんという幸せ…。これぞ、まさしく小説を読む醍醐味というものです。
(2022年4月刊。税込1320円)

秋田に土着して半世紀

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 沼田 敏明 、 出版 秋田中央法律事務所
最近の司法修習生の7割は東京・大阪。そして多くが企業法務かテレビCMなどで全国展開する大手事務所を志向している。
若者の大都会志向が強まっていることに加えて、その主たる理由の一つが、東京のほうがいろんな事件を扱えて勉強になると若者たちが考えていることにあると聞きました。
ええーっ、東京より地方のほうが、千差万別、多種多様な事件に触れる機会が多く、勉強になると思うのですが…。きっと、地方の弁護士が、どんなことを実際にしているのか、してきたのか若い人に伝わっていないのですよね。
私も、最近、自分の扱ってきた事件を『弁護士のしごと』(花伝社)としてまとめ出版しました。田舎の弁護士の実際の仕事ぶりを若い人に伝えたいと思ったからです。
この本は、北海道出身の著者が秋田での50年間の弁護士としての活動を振り返ったものです。第22期の司法修習生ですから、私より先輩にあたりますが、本当にいい仕事をし、世の中に大きく貢献してきたこと、また、私生活では40歳から山登りを楽しむなど、悔いない人生を歩んできたことが実感として伝わってきます。
130頁ほどの小冊子で、フツーの本の格好ではありませんので、少し読みにくいところもありますが、内容は、ぐぐっと濃いもので、後進の弁護士にとって、大いに勉強になります。
なかでも秋田県が「塩サバ事件」と名づけた、生活保護をめぐる加藤人権裁判はその勝利判決は全国にもいい意味で、大きな影響を与えました。
リューマチにかかり重度の障害者になった加藤さんは、一匹の塩サバを小さく切って何日ものおかずにして節約し、付き添い看護費用に充てるため預金したのです。その預金が73万円になったのを知った秋田県が収入認定し、墓と葬儀費用以外に使ってはいけないという「指導・指示」処分をしたのでした。しかし、加藤さんは、すでに墓は確保してあり、献体を約束しているので、葬儀費用は不要なのです。生活保護費を切り詰め、付き添い看護費用に充てるための預金を収入認定するというのは、あまり人間性を無視した冷酷・無比の行政です。さすがに秋田地裁は、加藤さん側の圧勝。被告の秋田県知事は控訴もできず、福祉事務所所長は、加藤さん宅を訪問して謝罪したのでした。
このほか、国保税裁判では憲法87条違反(一審)、それに加えて憲法92条違反(二審)を判決で明示するという画期的判決を勝ちとっています。秋田市は、最高裁でも負けたら、年間50億円もの国保税収入を5年前にさかのぼって市民に返還しなければならなくなることから、「和解」を申し出て、「申請減免制度」がつくられたとのこと。すごいです。
大王製紙誘致反対の裁判でも、秋田県440億円の補助のうち240億円の支出をしてはならないという。地方公営企業法違反による差止判決を得ています。この結果、大王製紙は進出を中止したのでした。
著者は、法廷において主導権を確保することが大切だと力説しています。まったく同感です。
法廷で、裁判所から質問されたり、相手方から釈明を求められたりして、なんとなく回を重ねているというのは、大変まずいこと。そういう雰囲気にならないよう、毎回、必ず声を出し、こちら側から相手に説明を求めていく。そうやって、法廷で被告行政の側がおかしいことをしているというムードをつくりあげていくことが大切だ。本当に、そのとおりです。
著者がまだ40代の若手弁護士のころ、弁護士会の会長や副会長がボス(長老)弁護士の談合で決められているのを透明化していったということも語られています。福岡でも、かつてはそうでした。そもそも選挙規定すらきちんとしていなかったのです。全会員の投票による会長選挙が実現するまで、容易ならざる困難がありました。弁護士会館には、福岡部会以外の副会長は机すらなかったのです。
とても読みごたえのある在職50年のあゆみです。引き続きのご活躍を心より祈念しています。
(2022年6月刊。非売品)

満洲国グランドホテル

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 平山 周吉 、 出版 芸術新聞社
満洲のことを今、調べています。叔父(父の弟)が25歳で応召して満洲に渡り、工兵(2等兵)としてトンネル掘りなどしていました。日本敗戦後はソ連軍の下で使われたあと、八路軍(パーロ。中国共産党の軍隊)の求めに応じて技術員となり、紡績工場で働き、ついでに新工場をたちあげ、指導員として8年ほど働いていたのでした。今、それはどういう状況だったのかを調べているのです。知らないことだらけなので、古い写真もあり、調べれば調べるほど、ワクワクしてきます。
1931(昭和6)年9月に始まった満洲事変のとき、日本人が満州に23万人いた。日本敗戦時には、その7倍近い155万人の日本人がいた。開拓団や青少年義勇団が増えていたのです。「王道楽土」を夢見て内地を出て満州にたどり着いたとたん、開拓団員たちはとんでもない悲惨な現実に直面させられるのでした。
満洲では、日本人が米、朝鮮人が米と高梁(コーリャン)、中国人は高梁が主食として配給されていた。まさしく、目に見えた差別が公然と横行していたのです。これで「五族協和」だと、笑わせます。
錦州は張学良の本拠地だった。石原莞彌が空から爆撃した。
岸信介は、満州国に入って、40歳で実業部の次長となって、実業部の実権を握った。
河本大作・大佐と甘粕正彦大尉の二人は、「一ヒコ一サク」として、ペアを組み、組まされた。河本大作は、日本敗戦後の1953(昭和18)年に拘置所で死去した(71歳)。
満洲には、日露戦争の「成果」としての満鉄付属地があった。ここは、治外法権の地で、日本軍の介入を許さなかった。この満鉄付属地の存在は、日露戦争の勝利によって日本が得た重要な権益だった。したがって、軍部と財務省の協議は難航した。
日本軍は、匪族と良民の分離工作をしたが、これは完全な失敗だった。
日本支配下の満州の各都市には多くの「密吸煙館」があった。そこでは公然とアヘンの吸飲を許した。アヘンについては、専売制を敷いたことから、「専売益金」を担保として借金し、満州国を国営した。
昭和天皇は、将軍に対して、「満州事変は、関東軍の謀略だったとの噂を聞いたが、どうなのか」と質問した。その模範回答は、謀略の存在をはっきり認めつつ、関東軍の所為ではないとするものだった。昭和天皇は、それにうまうま乗せられた。いや、真相を知っていて、「乗せられた」ふりをしただけなのかもしれない。
関東軍は莫大な機密費をもっていた。お金をもっていたのは、陸軍と満鉄。それぞれ3000万円ほど持っていた。
四平街は奉天と新京の中間にある。この四平街には満鉄の図書館もあった。四平街には戦車学校があった。
1935(昭和25)年の秋、満鉄育成学校に入ったが、ここは完全自治の寄宿舎だった。
満洲国立大学ハルピン学院に転院した。少数精鋭なので、1学年100人(うち日本人60人)だった。
ノモンハン事件の前、天皇は国境の不明確なものを、無理することはない、としていた。
知らないこと、オンパレードの本でした。
(2022年4月刊。税込3850円)

太平洋の試練(上)―レイテから終戦まで

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 イアン・トール 、 出版 文芸春秋
日米の太平洋戦争を詳細に明らかにしている戦史です。マッカーサー将軍が、いかに自分のことしか考えない、嘘つき放題の人物であったか、いやになるほど暴露されています。
そして、それは、台湾を攻めるのか、フィリピンを攻めるのか、その二者択一の選択に関わっていました。
続いて、地獄のペリリュー攻防戦が詳しく紹介されます。平成天皇がわざわざ足を運んで一躍有名となった小島です。よく出来たマンガ本もシリーズで出版されました。
フィリピンではレイテ島をめぐる攻防戦、例の栗田艦隊の謎のUターンも迫ります。どれもこれも見逃せない戦史です。ところで、私は、この600頁ほどもある部厚い戦史・上巻の巻末の記述に目を奪われてしまいました。紹介します。
日米両軍がレイテ島で死闘を繰り広げたあとの1944年12月。アメリカの艦隊のあらゆる艦内では毎晩、新しい映画が上映された。映画交換艦に指定された駆逐艦には何百本という映画、何千巻というフィルムのライブラリーを管理し、発表された予定表にしたがって艦隊内を巡回した。そして、米軍慰問協会のミュージカル・レビューが艦から艦へとまわり、芸能人は1日に4回から5回も同じ出し物を演じた。
風光明媚な島モグモグには、ピクニック場、テニスコート、バレーボールコート、ボクシングリング、野球場、バーベキュー場、ビアガーデンがあった。そして、水兵たちには、ひとり2缶のビールが配給された。賄賂をつかうと、もっと強い酒も手に入れることができた。毎晩1万から1万5千の下士官兵と、5百から1千の士官で大いににぎわっていた。
いやあ、これって、わが日本帝国陸海軍の兵士さんには考えられないことですよね。せいぜい、軍公認の慰安婦施設があるだけでしたから…(今でも自民党は認めたがりませんが、争いようのない歴史的事実です)。
マッカーサー将軍は、ひたすらアメリカ本国で人気を得て、アメリカの大統領選挙に出ることしか念頭になかった。マッカーサーの配下の下士官兵には、自分さえよければいいというマッカーサー将軍はまったく不人気だった。
マッカーサー将軍は、フィリピンから脱出するときも、レイテ島に再上陸するときも、決して「我々」とは言わず、必ず「私」という一人称をつかった。いやあ、これは、ひどい、ひどすぎますよね…。
この本は、マッカーサー将軍について、「連続作話魔」だと決めつけています。しかし、この本を読むと、それは誇張でもなんでもないことが分かります。日本にマッカーサー将軍とともにやって来たホイットニーは、「作り話とでっちあげた会話だらけの聖人マッカーサー伝」を出版したとしています。その本の内容は、嘘つきが、別の嘘つきから聞いた話を焼き直したものだとしているのです。
いやはや、マッカーサーもホイットニーも、とんだくわせ者だったんですね…。
そして、8月9日のソ連の満州進攻にアメリカが期待していた事実も明らかにされます。つまり、東京にいる現人神(あらひとがみ)である天皇が降伏して停戦命令を出したとしても、満州にいる100万の日本軍は従わないかもしれない、そんな日本軍をソ連軍が撃滅してくれることをアメリカは期待していたというのです。
なーるほど、ですね。中国にいる100万以上の日本軍が天皇の1回の放送でたちまち武器を使わなくなるなんて、アメリカ政府と軍には信じられなかったのです。たしかに、ごく一部でしたが、終戦後も戦おうとして日本軍将兵がいましたからね…。でも、日本兵の大勢は停戦命令を喜んで受け入れたのでした。
ペリリュー島の日本軍兵士は、バンザイ突撃方式で向こう見ずに押し寄せてくるのではなく、物陰から物陰へと横切った、抜け目なく戦い、立場が逆なら、アメリカ海兵隊員たちがそうしたのとまったく同じやり方で攻撃した。
なので、せいぜい4日から5日かで終わるはずの戦闘が、なんとも続いた。
兵力1万1千の日本軍守備隊は、満州にいた関東軍の精鋭第14師団から選抜されていた。
アメリカ海兵連隊は、ペリリュー島の戦闘の最初の8日間で1749人の損害を蒙った。攻撃部隊は56%の死傷者を出し、第一大隊は71%もの驚異的な損害を蒙った。第1海兵師団は67786人の損害を蒙り、そのうち1300人以上が戦死した。多くの生存者もPTSDに悩まされた。
1949年9月15日の上陸から2ヶ月後の11月24日、日本軍のトップ・中川大佐の最期まで戦いは続き、さらに、1947年3月、33人もの日本軍元兵士が投降してきた。
ペリリュー島で戦った2万8千人のアメリカ海兵隊員と陸軍将兵のうち、死傷者は40%、うち戦死者1800人、負傷者は8千人。これに対し、日本軍守備隊1万1千人のほぼ全員が死亡。
レイテ沖海戦において日本艦隊は決定的に敗北した。このとき、栗田は疲れ切っていた。3日前から、一睡もしてしなかった。しかも、旗艦を撃沈され、55歳の海軍中将は海中を命がけで泳がざるをえなかった。
日本軍将兵は軍艦は軍艦と戦うものだと訓練されていたから、上陸中のアメリカ艦船を襲撃するという発想はなかった。
約束された航空支援は影も形もなかった。連合艦隊司令部の愚かさと硬直性について現場には憤満やるかたなかった。栗田は臆病からではなく、司令部への不満、部下の志気の低下によって行動しただけ…。
この本では、アメリカのイルガー提督の美名も、その実像をあばいています。要するに、マッカーサーと同じ虚像だったということです。
私は、前に、沖縄の熾烈な攻防戦について、アメリカの戦史研究家が、アメリカ軍は沖縄で日本軍と死闘をくり広げる必要なんてなかったのだという指摘を読んだことがあります。それよりむしろ、防備のうすい九州、いや本土を直接に攻撃したほうが、終戦は早まったはずだというのです。なーるほど、これも一理あるかなと思います。いかがでしょうか…。
人間ドックで泊ったホテルで一心に読みふけりました。
(2022年3月刊。税込2970円)

脳は世界をどう見ているのか

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 ジェフ・ホーキンス 、 出版 早川書房
どうやって脳が知能をつくり出すのか…。脳についての最新のレポートです。
新皮質は知能の器官である。知能として思いつく能力、視覚・言語・数学・科学・工学のほとんどが新皮質で生みだされている。何かを考えるとき、その考えているのも新皮質だ。
新皮質は、脳容積の4分の3近くを占めていて、多種多様な認知機能に関与している。
新皮質は、生まれながらに世界について何らかの想定をしているが、具体的には何も知らない。経験をとおして、世界に豊かで複雑なモデルと学習する。
脳は、入力が時間とともにどう変わるかを観察することによって、世界のモデルを学習する。脳が何かを学習する唯一の方法は、入力の変化だ。学習のほとんどは、以前はつながっていなかったニューロン間に新しい結合を形成することによって起こる。
脳は複雑である。どうやって場所細胞と格子細胞が座標系をつくり、環境のモデルを学習し、行動を計画するかという詳細は、まだ部分的にしか分かっていない。
私たちの行動を導く感情は、古い脳によって決まる。
そもそも宇宙が存在することを知っているのは、宇宙の中で私たちの脳だけ…、という発想にも驚かされますし、万が一、ヒト以外に宇宙に生命体がいたとしても、それが私たちヒトと同時的に交信できる確率はきわめて低いだろうという指摘にも圧倒されました。
天の川銀河は誕生して130億年。知的生命体が100億年だとして、人類が1万年のあいだ生存していたとすると、6時間のパーティーのなかにヒトは50分の1秒しかいなかったことになる。ということは、たとえば、何万という知的生命体が来ていたとしても、私たちヒトとは誰とも会わなかったということになってしまう。
天の川銀河に生命体が生息できる惑星は400億個ある。地球上の生命は、数十億年前、惑星ができて、すぐに出現した。地球が典型なら、生命はこの銀河系では、ありふれていることになる。でもでも、たとえ、ありふれているとしても、ヒトがいた(いる)のは、わずか50分の1でしかないというのですから、地球外生命との出会いはすごーく、まれなことなんでしょうね…。
ヒトの脳の話は広大無辺の宇宙の話と直結しているという典型の本でもあります。
(2022年5月刊。税込2680円)

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