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沖縄美ら海水族館はなぜ役に立たない研究をするのか?

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 佐藤 圭一 ・ 冨田 武照 ・ 松本 瑠偉 、 出版 産業編集センター
 前に、このコーナーで紹介しました『寝てもサメても。深層サメ学』の続編です。むずかしい記述もありますが、そんなところは読み飛ばして、とても面白い、ハラハラドキドキの研究が紹介されているのに目が強く惹かれます。
 なにしろ、ガラパゴス諸島に出かけて、その近海で1週間も潜水調査するのです。お目あては、かの巨大なジンベイザメ。巨大ザメに取りつき、注射針を刺して採血し、また水中エコー機で腹部をスキャンするのです。いやあ、すさまじい、涙ぐましい努力ですよね。興奮のあまり録画ボタンを押し忘れるなどの失敗もしながら、見事に血液サンプルを確保し、腹部エコー画像もとったのでした。しかも、それをしたのは日本人研究者の男女です。もちろん、現地の人たちがサポートします。なにしろ水深30メートルほどもあり、水中でエア切れになったりするのですから、サポートなしでやれるものではありません。
 本職が看護師の村雲さんは、採血するにあたって、胸ビレには針が刺さらないので、背ビレの付け根に針を刺して成功した。このとき、ジンベイザメのヒレにつかまっているので、そのまま海の向こうに連れていかれないよう、サポーターが見守っている。いやはや、怖いこと。
 美ら海水族館で独自に開発した健康管理の技術がガラパゴス諸島の周囲に生息する野生ジンベイザメの生態研究に貢献したというのです。すごいことです。
 水族館は、博物館などと比較して、運営コストが群を抜いて高い。というのも、水中にすむ動植物を多数飼育しているから、その飼育水を維持するには、ライフサポートシステムを24時間、絶えることなく稼働させる必要がある。沖縄美ら海水族館は、年間1000万キロワットの電力を消費している。これは一般家庭2800世帯の年間消費量に相当する。そのほか、エサ代そして人件費が必要となる。
 水族館のスタッフは研究する必要がないのか、研究成果の発表なんて不要なのか、という問いかけがなされています。いやあ、必要ですよね。見物客に向けたショーをやっているだけでいいなんてことはありません。
 でも、その研究って、いったい、何の役に立つのか…、と声を低めてしまいます。
 でもでも、目先の役に立てるものばかりが人類に真の意味で役に立つのかどうかは別ですよね。生物の多様性、多様な生物の形態を保持・維持することは人類の生存の保持にもつながるものです。
 沖縄美ら海水族館には、私も2回だけ行きました。年間入場者200万人を記録したとのことですが、コロナ禍の下では、入場者も激減したのでしょうね。だけど、沖縄に行ったら、ぜひ行ってみたいところです。ただ、那覇から遠くて、バスかタクシー、レンタカーしかないのが難点です。早く地下鉄を延伸してくれませんかね…。
 この水族館では、サメの人工子宮をつくっています。人為的にサメの子宮内環境を再現した装置で胎内の胚発生を観察し、サメを産み出すのです。そのため、人工子宮の中を満たした水「人工羊水」を開発しました。サメの体液生成に似せた液体を人工的につくって、本物の羊水の代わりを果たさせるのです。そして、サメ人工出産に成功したのでした。いやあ、すごいことです。
 そして、著者(の一人)は、こう書いています。
 私には、自分の研究の重要性を他人に認めてもらいたい一方で、自分の研究の重要性が他人に分かってたまるかという気持ちがある。お前は、いつから「人に役に立つ研究」なんぞするような研究者に成り下がったのか…。研究者とは、かくも我がままで、矛盾に満ちた生き物なのだ。
 いやあ、面白い本です。挑発的なタイトルもいいですね。こんな問いかけをする研究者がいるからこそ、世の中は発展するわけで、それを阻害する政府の日本学術会議の任命拒否は、ますます許せないという気持ちが強まりました。一読を強くおすすめします。
(2022年6月刊。税込1980円)

花散る里の病棟

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 帚木 蓬生 、 出版 新潮社
 九州で四代、百年続く「医者の家」が描かれている本です。
 「町医者」がぼくの家の天職だった。オビにこう書かれています。でも、戦争はそんな「町医者」を戦場にひっぱり出します。
 軍医にもいくつかのコースがあったのですね、知りませんでした。
 赤紙で招集される医師には相当な苦労が待っていた。まず二等兵で入営するから、ビンタなどの苛酷な軍隊生活を覚悟しなければならない。医師だからといって手加減されない。
ところが、軍医補充制度というものがあって、衛生上等兵となり、1ヶ月の軍人教育が終わると、衛生伍長として陸軍病院で軍人医学を学び、修了したら衛生軍曹になる。
 主人公は、再招集されて衛生軍曹から軍医見習士官となった。そして、フィリピンに派遣された。ルソン島の陸軍病院で働いていると、レイテ島への異動命令が出た。ところが、それは困ると上司がかけあってルソン島にとどまった。レイテ島に行った将兵は全滅した。運良く助かったというわけ。
 ルソン島では薬剤もなく、食糧も尽きてしまって、多くの日本軍将兵の患者は栄養失調のなかで死んでいった。運よく日本に帰国できたので、戦病死した上司の軍医中尉の遺族宅へ行き、当時の実情を報告した。
 現代の「町医者」の活動を紹介するところには、ギャンブル依存症を扱う精神科医に講演してもらったという記述もあり、著者が自分のことをさらりと紹介しています。
 また、コロナ禍に「町医者」がふりまわされている状況を描写するなかでは、例の「アベのマスク」に対する批判など、政府の対策の拙劣され対しても厳しく批判しています。
「町医者」を四代も続けるということが、いかに大変なことなのか、少しばかり実感できる本でもありました。
著者は、次はペンネームの由来である「源氏物語」の作者である紫式部の一生に挑戦すると予告しています。楽しみです。
(2022年6月刊。税込1980円)

笑いの力、言葉の力

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 渡辺 文幸 、 出版 倫理社
 「井上ひさしのバトンを受け継ぐ」というサブタイトルのついた本です。井上ひさしは私のもっとも尊敬する偉大な作家の一人です。
 井上ひさしは中学生時代、成績優秀で、いつも全校10番以内にいた。ところが、仙台一高では、なんと1学年300人のうち250番内に入ったことがなかった。ただし、国語については、抜群の優等生だった。
 いったい、高校生の井上ひさしは何をしていたのでしょうか…。
 井上ひさしは、勉学の道から離れて、映画監督か脚本家を目ざした。そこで担任の教師に対して、「仙台に来る映画を全部みたい」と申し出た。これに対する教師の回答は、なんと…。
「まあ、やってみたらいいじゃないか。その代わり、学校には3分の2は必ず出てこいよ」
そして、映画の半券と感想文の提出を求めた。
 いやあ、いい時代ですね、うらやましい限りです。
井上ひさしは、早朝割引と学割を使って、同じ映画を最低2回みた。2回目は、暗闇のなかでメモをとりながらみたのです。これには、さすがにたまげました。映画館の暗闇のなかでメモをとるなんて、私は考えたこともありません。結局、高校3年間に1千本もの映画をみたというのです。これはもう人生の大きな財産に間違いなくなったことでしょう。そして、映画批評を書いて送ったら、第一位に入賞して、賞金2千円などをもらったとのこと。さすが天才的な人は、やることが違います。
井上ひさしは、医師になろうとして、医学部を受験して、2回も失敗します。それで、次に作家になろうと考えたのでした。
井上ひさしは、読むのが速い。1日に30冊から40冊も読んだ。そして、「遅筆堂」と名乗って、書きあげるのは遅かったが、本当は書き出したら速かった。書くためには調べ尽くさないといけない。調べるのは大好き。自分への要求が高い。それで書き始めるまでに時間がかかってしまう。
井上ひさしの遅筆は完璧主義によるもの。追い詰められないと力が出ない。遅くてもいいから、納得のいくものを書きたい。いいものを書くために、練って練って、何度も何度も書き直す。そして、「悪魔が来」て、傑作が出来あがる。
私も小学生のころ、「ひょっこりひょうたん島」を楽しみにみていました。1964(昭和39)年4月6日に始まったのです。私が高校1年生のときですが、これは生意気盛りの子どもにとっても共感を呼ぶ内容でした。大人中心の社会に対する子どもたちの異議申し立て、大人たちのおかしさを笑いのめす子どもたちがひょうたん島にはいるのでした。
私と同じ団塊世代の著者による井上ひさし評伝です。天才的な井上ひさしに、今なお、私はあこがれています。
(2022年7月刊。税込1430円)

死刑について

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 平野 敬一郎 、 出版 岩波書店
 この著者の、ときどきの社会的発言は、いつも大変鋭く、共感することがほとんどです。
 このタイトルで著者が何を言うのか、恐る恐る読みすすめたのですが、まったく同感するばかりで、改めて著者の見識の深さに心より敬服しました。
 著者も、大学生のころは、なんとなく死刑制度「在置派」だったとのこと。死刑制度があるのも、やむをえないと考えていたのでした。今は「廃止派」です。
 恐怖心による支配の究極が死刑制度だ。
 人間に優しくない社会は、被害者に対しても優しくない。被害者への共感を犯人への憎しみの一点とし、死刑制度の存続だけで被害者支援は事足れりとしてきたことを私たちは反省すべきだ。
 いやあ、本当に、この指摘のとおりだと私も思いました。すごい指摘です。
 著者が死刑制度に反対するようになったきっかけの一つは、警察の捜査の実態を知ったから。この点は、弁護士生活48年になる私の実感にも、ぴったりあいます。
 日本の警察は(恐らく世界中の警察も、そうなんでしょう…)犯人が無実、つまり冤罪だとわかっていても、いったん「犯人」だと決めつけた以上、決して自らの過りを認めようとはせず、むしろ自分たちの正当性を守るため、場合によって証拠を捏造(ねつぞう)してまでする。その結果、死刑判決が下され、執行されても、警察は「自己責任」とウソぶくだけ。これが警察捜査の真実です。私は弁護士として体験的に確信しています。
 警察官にとって、やってもいない犯行を「自白」させるなんて、朝飯(あさめし)前のことでしかありません。窓のない狭い小部屋に押し込められ、一日中、「お前がやっただろ。やってないというのなら証拠を出してみろ」と怒鳴りあげられたら、フツーの人は3日ももたないと私は思います。私だって、2日以上もつ自信はありません。
 劣悪な生育環境に置かれて育っていたり、精神面で問題をかかえていたりして、それが放置されていたのに、重大な犯罪を起こしたら死刑にして、存在自体を決してしまい、何もなかったようにしてしまうって、国や政治、私たちの社会の怠慢なのではないのか…。
 著者の鋭い問題提起は胸に響きます。
 そして、死刑執行。法務大臣と法務官僚たちが、どのタイミングで、いつまでに何人執行しようか、政治状況をにらみながら話し合いをしている。こんな、人間の命を絶つことを同じ人間が話し合いながら決める、なんて、やっていいことなんでしょうか…。人を殺すための計画をたてて、話し合って決めるなんて、そんな話し合いは、根源的に誤っている。たしかに、私もそう思います。
 死刑執行のボタンを押すのは現場の刑務官であって、法務大臣でも法務官僚でもありません。刑務官の精神的負担の重さに、私はひしひしと痛みを感じます。
 自分の人生に絶望している人が「拡大自殺」として殺人行為を敢行する。そんな人たちに死刑という刑罰は、まったく意味がなく、抑止効果もない。本当に、そのとおりです。むしろ、助成効果があるだけでしょう。
 著者は日本の人権教育は失敗している、欠陥があるとします。とても共感できない人の人権をこそ尊重するような教育が子どものころから必要なんだというのです。これにも、まったく同感です。
 犯罪の抑止のためには、共感よりも人権の理解が重要であり、そうである以上、死刑制度は背理だ。
 著者による問題提起の深さに心が震えるほど共鳴しました。わずか120頁の小冊子です。弁護士会での講演会がベースなので、とても読みやすくなっています。あなたも、ぜひ、ご一読ください。
(2022年6月刊。税込1320円)

続・新中国に貢献した日本人たち

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 中国日中関係史学会 、 出版 日本僑報社
1945年8月15日、日本敗戦後、ソ連軍の次に満州に入ってきた八路軍(中国共産党の軍隊)は、日本人に次のように言った。
「日本に帰るまで八路軍に入りませんか。腹いっぱいご飯が食べられるし、時期が来たら必ず帰国させます」
翌日、数十人の日本人が八路軍に加わることにした。それは脅しに屈したというより、腹ペコの毎日だったので、食べさせてくれるのなら、それでいい。あとは帰国の日を待つだけだと考えたことによる。八路軍の共産思想に共鳴したからでは決してない。だいいち八路軍とはどういう軍隊か知らないし、共産思想については怖いというイメージしかなかったから。
ところが、八路軍とともに行動するなかで、多くの日本人が民衆を尊重し、共に戦うという点を文字どおり実践している八路軍に共鳴し、本心から八路軍を支えるように変わっていった。そして、それは多方面にわたった。多くの医師・看護婦が中国に残った。あたかも日本人経営の病院であるかのように…。工場の技術者として、また鉄道技師として…。新聞を発行し、映画製作にもあたった。
それだけでなく、中国人とともに最前線で八路軍の兵士として戦う日本人も多数いた。中国空軍のパイロット養成にも大きな力を発揮した。器材が乏しいなかで飛行機を飛べるようにしたうえで、中国人飛行士を養成していったというのです。すごいですね。
少なくない日本人が勤勉であり、創意・工夫に長(た)けているという特色を生かして毎日のように奮闘していたとのこと。
八路軍では階級の上下の差を少なくし、集団討議を重んじ、教育・学習の優先順位が上位にあった。ある日本人医師は連隊長級の待遇を受けて、毎月230万元をもらっていたとのこと。これは当時の日本のお金で3万円に相当し、日本人にとってもかなりの高収入を意味した。
日本敗戦後、中国の戦後復興は、国共内戦もあって本当に大変だったと思いますが、そのなかで少なくない日本人が新中国の建設に寄与していた事実を知るのはうれしい限りです。私の叔父(父の弟)も八路軍の要請に応じて紡績工場の技術員として戦後8年間、中国にいて、1953年5月に日本に帰国しました。
(2005年11月刊。税込2900円)
 お盆休みは遠出することなく、天神へ出かけて韓国映画「キングメーカー」を見ただけでした。庭にブルーベリーの青い実がぎっしりなっているのを摘み、夕食のデザートとしました。玄関脇の朝顔がとてもきれいで、自然に「お早よう。がんばってるね」と声をかけたくなります。雨も多いので、あっというまに雑草だらけになってしまいますので、雑草とりもしました。
 子どもたちがいなくなった子ども部屋を書庫としていますが、どうしても捨てられない愛着のある本、資料として残しておきたい本を選んで、この基準にあわないものは捨てるようにしています。そして、ジャンル別にまとめつつありますが、これが楽しい作業です。もう少ししたら、「私の本棚」シリーズとして私の個人ブログにジャンル別で紹介していくつもりです。
 お盆前まで、孫たちが来ていました。来てうれしい、帰ってうれしい。孫たちが来るたびにそう思います。「柱のキズ」を測ったら、この2月から半年間で3センチも身長が伸びていました。私のほうは身長が縮んでいくばかりです。
 室内でフワフワボールのキャッチボールをして遊んでもらったり、絵本を読んでやったりしました。今回は、「ダンプ園長やっつけた」が大人気でした。

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