法律相談センター検索 弁護士検索

奈良絵本・絵巻

カテゴリー:日本史(中世)

(霧山昴)
著者 石川 透 、 出版 平凡社選書
 この本の冒頭に書かれていて、あっと驚いたのは、『ガリバー旅行記』に日本の絵本の影響が認められるということです。
 『ガリバー旅行記』は、イギリスの作家スウィフトが1726年に刊行したものです。私は原文を全文読んだ覚えはなく、ダイジェスト版の絵本を読んだと思います。でも、そこに、こびとの島や巨人の島、さらには馬人の島、天空の島が登場してくるのは覚えがあります。
 ところが、御伽草子(おとぎぞうし)の一つである『御曹司島渡(おんぞうし、しまわたり)』という、源義経が兵法書を求めて、さまざまな島を訪れるというストーリー展開の絵本があり、そこにこびとの島、背高島、馬人の島が登場するというのです。日本の絵本のほうが『ガリバー旅行記』より100年古い。いったい、これは、どういうこと…?
 スウィフトは、イギリスで駐オランダ英国大使の秘書をしていて、大使の遺品整理をしている。もちろん、オランダは江戸時代の日本と長崎・出島を通じて交流があった。そのなかに日本の絵本が含まれていた可能性は大いにある。そして、文章は読めなくても、絵を見るだけでストーリー展開は理解できる。空中の島も絵本の中にあり、スウィフトは最後に「日本」を登場させていることから、恐らく間違いないだろう。
 驚きましたね。日本の浮世絵がヨーロッパの絵画に大きな衝撃を与えていたことは知っていましたが、それよりもっと早い時期にも、日本の絵本がイギリスに伝わっていたとは…。
 奈良絵本とか絵巻というから、奈良時代か奈良地方でつくられたものかというと、いずれも間違い。奈良絵本・絵巻とは、17世紀を中心として、主として京都で製作された絵本・絵巻のこと。印刷ではなく、すべて手作り。豪華に彩色されていることが多い。その作者として、浅井了意がいるが、居初綱(いそめ)つなという女流絵本作家もいる。
 このあと、私たちがよく知っている昔話が、実は、昔はストーリーの結末が大きく異なっていることが、いくつも紹介されています。
 「浦島太郎」では、子どもが亀をいじめる場面はなく、浦島太郎は乙姫と結婚している。そして、太郎は船で蓬莱の島へ向かう。息のできない海中を進むような非科学的なシーンはない。なーるほど、そうだったんですね…。
 『鶴の草子』は「鶴の恩返し」のもとになった御伽草子だけど、室町時代から江戸時代にかけては、機織(はたお)りをするのは鶴ではなく、蛤(はまぐり)だった。
 『桃太郎』のもとになった『瓜子(うりこ)姫』では、日本の古い時代において円形状ないし卵状のものから誕生するのは、圧倒的に女子が多い。瓜から生まれた瓜子姫は、その代表的な存在。
 かぐや姫は、竹から誕生するのではなく、その多くは鶯(ウグイス)の卵から誕生する。そして、かぐや姫は月に帰るのではなく、富士山へ帰っていくのが多い。
 いやあ、知らないことばかりでした。物語って、こんなに内容が変遷していくのですね…。
(2022年7月刊。税込3960円)

すごい言い訳!

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 中川 越 、 出版 新潮文庫
 人生最大のピンチを、文豪たちは筆一本で乗り切った。オビのこんなキャッチフレーズにひかれて読んでみました。
 この本によると、樋口一葉は22歳のころ、名うての詐欺師(相場師)に取り入って、お金をせびろうとしたそうです。そのときの一葉の文章は…。
 「貧者、余裕なくして閑雅(かんが)の天地に自然の趣(おもむ)きをさぐるによしなく…」
 一葉は、名うての詐欺師も舌を巻くほどの、非常にしたたかな一面も持ち合わせていたようだ。本当でしょうか…。そうだとすると、ずいぶんイメージが変わってきますよね。
 石川啄木(たくぼく)について、北原白秋は「啄木くらい嘘をつく人もいなかった」と評したそうです。ええっ、そ、そうなんですか…。
 借金してまで遊興を重ねたくせに、あるときは、「はたらけど、はたらけど、なお、わが生活(くらし)楽にならざり。ぢっと手を見る」と、啄木はうたった。
 啄木はウソの言い訳を連発した。人は、こんなに見えすいたウソを続けて並べるはずがないという相手の深層心理につけいった。いやはや、なんということでしょうか…。
 「前略」も「草々」も言い訳。「前略」は、全文を省く失礼をお詫びします、という意味。「草々」は、まとまらずに、ふつつかな手紙となり、すみませんという意味。
 夏目漱石は、明治40年、40歳のとき、それまでの安定した東京大学の教師の地位を捨て、朝日新聞社の社員へ、果敢に鞍替えした。不惑で転職する人は、勇敢だ。
 私の父は46歳のとき、小さなスーパー(生協の店舗)の専務を辞めて、小売酒屋の親父(おやじ)になりました。5人の子どもたちに立派な教育を受けさせるためです。サラリーマンでは無理なことだと正しく判断したのです。
 漱石は、朝日新聞社では主筆よりも高い棒給をもらいました。月給200円(今の200万円以上)、賞与は年2回で、1回200円。朝日新聞は、日露戦争が終結すると、購読数が伸び悩んでいたので、漱石を社員として囲い込んだのでした。
 漱石は40歳で死亡しました。
若死にですよね。これに対して画家は長生きしています。北斎は88歳、大観は89歳、ピカソは91歳まで生きた。絵を描くのは精神衛生によいからだろう。
言い訳にも、その人となりがよくあらわれるものですね…。
(2022年5月刊。税込693円)

明智光秀

カテゴリー:日本史(戦国)

(霧山昴)
著者 早島 大祐 、 出版 NHK出版新書
 明智光秀は医者だったようです。光秀は牢人時代に医者をして食べていたようだ。つまり、越前で牢人医師をしていた。光秀は、京都代官のとき、医者である施薬院全宗のところによく泊まっていた。
 足利義昭が没落したあと、光秀は織田信長の家臣となった。そして、京都の市政を担当する代官となった。村井貞勝と2人で代官の職務をとった。
 光秀の妹、御妻木殿(おつまきどの)が信長に側室として仕えていた。
 これは、知りませんでした。そして、この妹は光秀と信長とを結ぶ重要な役割を果たしていたというのですが、天正9(1581)年8月に死んでしまったのでした。妹は機転がきいていて、信長の意向全般に通じていたそうです。そんな重要な位置にいた妹を失ったことが本能寺の変を光秀が決断する遠因となっている、とのこと。これはまったく初めての知見です。
 信長は、訴訟の基本方針だけを示し、あとは信長の意向を忖度(そんたく)して、光秀らが裁許した。信長の指示は、「当知行安堵(あんど)」、すなわち現在、管理、運営している者を優遇せよ、というものだった。
 本能寺の変の前、信長は一族優先等に切り替え、着々と実行していた。つまり、織田一族に連なる、重代の家臣、直属の家臣たちの権威を高めていた。一族を中心に織田家中が序列化されていっていて、その意味で信長の周囲には、組織の自由な雰囲気は失われ、硬直化しつつあった。「外様」の光秀は、これによってはじき出されつつあったようです。
土地調査の方法として、秀吉は現地に出向いて調査して土地台帳をつくるようにした。これを検地という。これに対して光秀は、自らは現地に行かず、現地からの報告にもとづいて土地台帳を決定した。これを指出という。
いろいろ知らないことが書かれていて、勉強になりました。
(2020年1月刊。税込968円)

満州崩壊

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 楳本 捨三、 出版 光人社NF文庫
 1945年8月9日未明、ソ連軍は日ソ不可侵(中立)条約を無視して、満州に侵攻してきた。対する日本軍(関東軍)は「無敵」として自称していたが、精鋭部隊を南方の戦線に転出していたので、「根こそぎ動員」によって人員こそ75万人の兵隊がいたものの、軍備が伴っていなかった。充分な兵器なしで兵士が戦えるわけがない。
この本には、なので、ソ連軍は「わずかな抵抗を受けたにすぎなかった」としています。それでも、朝鮮との国境地帯では地下要塞にたてこもって18日間も耐え抜いたとか、西側のモンゴルとの国境近くのハイラルでも関東軍は必死で抵抗したようです。なので、「わずかな抵抗」というのは全体としてみたら、ということなのでしょう。
 ソ連軍は侵入に際して、関東軍の猛抵抗を予測して、シベリアの凶悪な無期徒刑囚からなる囚人部隊を2ヶ国、最前線部隊として編成したという風説が紹介されていますが、歴史的事実としては間違いだとされています。たしかに囚人部隊はいましたが、それは経済犯の囚人が主体だったとのことです。
 ソ連軍による満州支配は略奪・強姦が頻発して悲惨な状況にあった。それでも、個人としてのソ連兵は、素朴で親しみのもてる者が少なくなく、例外なく子どもが好きだった。
 ところが、公人としてのソ連軍将兵の言うことは嘘が多く、約束は多く守られなかった。
 満州に中国共産党(中共)軍が進入してきたとき、満州(戦後は東北地域)の人々は、中共軍を恐怖的存在とみた。しかし、次第にそれは薄れていった。
 戦後中国では、さまざまなグループは張りあっていて、お互い諜報活動が活発だったようです。満州国がソ連軍の侵攻によって崩壊していく過程がリアルに解説されていて、よく分かりました。
(2022年9月刊。税込924円)

ドレスデン爆撃1945

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 シンクレア・マッケイ 、 出版 白水社
 都市住民への無差別空爆を世界で初めて始めたのは日本軍。そしてアメリカ軍も1945年3月10日の東京大空襲で、一夜にして10万人以上の死傷者を出しました。日本の木造家屋を焼き尽くすために焼夷弾を念入りに開発・改良して実行に及んだのです。それを指揮したアメリカのカーチス・ルメイ将軍は戦後、日本より勲一等を授与されました(その名目は航空自衛隊の育成に貢献したこと)。罪なき日本人を10万人以上も殺傷した「敵」軍に勲章を授与するという日本政府の神経が信じられません。アメリカのやることなら何でもありがたがる、自民党政府の奴隷根性がよくあらわれています。
 さて、この本は同じ1945年2月13,14日に英米空軍の猛威爆撃によってドレスデンが灰燼(かいじん)に帰した前後の状況を描いたものです。
 ドレスデンはドイツ南部の都市、オーストリアに近い。しかし、かつてのナチス・ドイツの領土としては、中心部に位置する。そして、ヒトラー・ナチスの政策を早い段階で熱狂的に受け入れていた都市でもある。
 終戦のわずか数週間前、1945年2月13日の一晩に、英米空軍の爆撃機796機が飛来して、「地獄の門を開いた」。この地獄の一夜で、2万5千人もの市民が殺された。
 ソ連軍のドイツ進攻によってアウシュビッツ強制収容所が解放され、ユダヤ人の大量虐殺の事実が明るみに出たのは、この少し前の1月27日のこと。
 ドイツの戦争遂行意思をなくすためには、産業施設に限定することなく、都市の破壊、労働者の殺害そして、共同体生活を崩壊させること。イギリスの爆撃機軍団のサー・アーサー・ハリス大将は、そう主張した。
 爆撃は、まず照明弾投下機が一番に飛ぶ。一番に濃線色の照明弾を投下すると、明るい白色の棒状の焼夷弾が滝のように落ちていく。後続機が、赤い照明弾を落とす。そして、橙色、青、淡紅色がそれぞれ違った目標の目印となる。航空機乗組員は、みな志願兵だった。しかし、みな神経がずたずたになっていく。そして出撃中毒にもなる。
 爆撃機はドレスデンの3千から4千メートル上空から、木造建築の内部と周囲に火をつける目的で、2種類の殺傷兵器を投下した。まず重さ1.8トンのブロック・バスターあるいはクッキー爆弾。路上にいた者は、みな爆発で発生した火で瞬時に炭化し、着衣を焼き尽くされ、裸の遺体が地面に残される。
 第一波の爆撃機244機とモスキート9機は、15分間のうちに、880トンの爆弾を投下した。その57%が高性能爆弾、43%が焼夷弾。そして、1.8トンの投下地雷弾などによって建築物が破壊された。数十万の焼夷弾が、さまざまな装置で点火されて次々に投下され、床板、家具、木造梁(はり)、衣類の只中で、ますます燃え盛る炎に燃料を注いだ。
 第二波の爆撃機は552機。1.8トンの「クッキー」、その他の爆弾と焼夷弾、総計1800トンが炎の届いていない地域に投下された。
 この前、B17爆撃機による精密爆撃は、望まれていたほど精密な結果をもたらさなかった。目標から何キロも離れたところに落下した。
 このドレスデン爆撃について、ナチスのゲッペル宣伝相は「テロ爆撃」と非難した。そして、大量の市民を無差別に死に追いやっていいのかという論理的問題として大いに議論となった。ハリス大将は、イギリス王室からの勲章授与には応じたが、政府からの表彰は回辞した。
 イギリス空軍は、5万の搭乗員が戦死した。30回の作戦飛行から生還できた者は3人に1人もいなかった。ドイツ空軍との空中戦は、まさしく死闘だったのですね。
 イギリス空軍の航空機乗組員12万5千人のうち、5万5千人以上が戦死した。
 アメリカ軍の航空兵2万6千人がヨーロッパ戦線で死亡した。猛烈な対空砲火と、零下の気温にさらされ、また酸素不足と凍傷にも苦しみながら任務を遂行していた。
 この精神的重圧をやわらげるため、基地内に楽しく、くつろいだ雰囲気をつくり出す努力が尽くされた。食事はいつも豊富で、故郷で供される種類のパンが提供された。パブに入り、ダンスホールにも行けた。
 ドレスデンの死者は13万5千人をこえ、20万人に達するともみられている。
 ドレスデン爆撃は犯罪なのか…。1960年代のイギリスでは、とりわけ芸術界で、ドレスデン爆撃は邪悪で、恥ずべき出来事だという見解が定着した。
 東京大空襲だって、広島・長崎の原爆投下と同じように戦争犯罪だと私は考えています、カーチス・ルメイ将軍はやはり犯罪をおかしたのであり、日本政府による勲章授与は大きな間違いだと私は考えています。いかがでしょうか…。
 380頁もの大作を久しぶりの北海道行きの飛行機のなかで必死の思いで読みました。
(2022年8月刊。税込4730円)
 
 庭の一隅にフジバカマを4株植えて、花が咲いています。小ぶりの可愛らしい花です。アサギマダラ(チョウチョ)を招こうとしているのですが、まだ来てくれません。九州を縦断飛行中に立ち寄ってくれることを期待しているのですが…。
 チューリップの球根を植えつけはじめました。毎年500本近く植えています。
 いま、エンゼルストランペットが花盛りです。黄色いトランペットがたくさんぶら下がっています。キンモクセイがようやく咲き出しましたが、今年は匂いがまだ弱い気がします。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.