法律相談センター検索 弁護士検索

証言・人体実験

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 吉林省社会科学院・中央檔案館 、 出版 同文館
 日本軍が中国で行った最大の蛮行の一つが七三一部隊における人体実験と虐殺です。
 この本は七三一部隊の関係者が戦後の中国で自らの犯した戦争犯罪について、取調に応じて自白している調書を抜粋、編集したものです。見方によっては、中国で元日本兵が
洗脳され、あらぬこと、自分がしておらず、するはずもなかった「自白」を心ならずもしたというのかもしれません。でも、この本に書かれていることの表現ぶりからは、あくまで反省心から真実を吐露しているとしか思えません。
 七三一部隊で工作員として、つまりスパイではなく、単に技術者として働いていた人は、一日に10円ないし20円の収入、多い人は30~40円ももらっていた。毎月20円の食費を差し引いて、家に50~60円も送金すると、手元にお金がほとんど残らなかった。やがて、給料があがり暮らしは豊かになり、故郷の家には1000円ほども送金できるようになった。
ハルビン市の監獄から受刑者を連れていく自動車は、幌つきのトラック2台、座席に首、腰、足をしばる鉄の鎖(くさり)が設置された自動車が1台あった。
 七三一部隊はコレラ菌などを培養し、航空班が上空から細菌をばらまいた。そのため、罪なき中国の人々のあいだにチフスが流行した。ところが、「これは、ソ連が細菌を散布したせいだ」と嘘を言って広めた。
 細菌ビラもまいた。墨汁のなかにペスト菌を入れてビラを書いて、空からビラをまくのだ。
 七三一部隊はハルビンの郊外にあり、平房駅から専用鉄道(3キロの長さ)が内部に入っていた。
 「マルタ」と呼ばれた実験に供される人々は、重い足枷(あしかせ)がはめられ、足を動かすたびに「ガチャガチャ」と鉄の刑具がぶつかる鈍い音がした。これらの人々が反抗をくわだて、素直に殺されないようなときには、警備員はその場で殺すことが許されていた。
 彼らは、人間としての一切の権利を奪われ、「マルタ」と呼ばれ、胸に記されたアラビア数字の番号で扱われた。彼らは、中国人、ソ連人、朝鮮人。女性もいた。多くは捕虜で、19歳から40歳くらい。
 七三一部隊に送るのを「特移扱」と呼んだが、そのためにスパイだとむりやり「自供」させた。水責め、殴打、電気ショック、手の指にエンピツをはさむなどの拷問が加えられた。
 ハルビン香坊にあったソ連赤軍捕虜収容所にいた赤軍兵士を七三一部隊に送っていた。
 毎週2回、トラックでハルビンから七三一部隊へネズミが運ばれていた。ハルビンの小学校に命じて小学生を動員して、ネズミを集めて七三一部隊に送った。チャムス市でも全市の生徒にネズミ捕りをさせ、毎日300匹のネズミを七三一部隊に送った。
 七三一部隊で人体実験の対象となり虐殺された人は少なくとも3000人。部隊の日本人も3000人ほどいた。敗戦時には1500人ほどに減っていたが、それは少し前から内に帰していたから。
 七三一部隊員が自らの犯した悪業を割に素直に自白しているという印象を受けました。
中国とソ連は七三一部隊員は裁判にかけましたが、アメリカは石井四郎と取引し、実験成果を受け継ぐことで、全員を免責してしまいました。東京裁判で彼らが被告人席に立たされ、おぞましい蛮行が少しでも明らかになっていれば、「聖戦」論なるものが戦後日本に定着することはなかったと思います。
七三一部隊は忘れてはいけない日本の負の歴史です。
(1991年3月刊。税込2800円)

太平洋の試練(下)

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 イアン・トール 、 出版 文芸春秋
 レイテ島の戦いから終戦までをたどっています。
 終戦(日本にとっては敗戦)のとき、天皇とその周辺は、アメリカが天皇制の存続を暗に認めたので、安心して終戦を受け入れることにしたという記述は、やはり新鮮な驚きでした。アメリカ国民の多くは日本の天皇に戦争責任をとらせることを望んでいました。当然です。ドイツのヒトラーは自殺し、イタリアのムッソリーニは処刑されて吊るされたのですから、アメリカ人として、ひとり日本の天皇だけが安泰というのは納得いかなかったでしょう。
 日本の軍部のなかにもクーデターを企画し、行動に移そうとした若手将校たちがいました。そこで、天皇は8月17日、軍に対してもうひとつの勅語を発し、「臣民たるもの、ひとり残らず背くことのないように」と命じた。いやあ、これは知りませんでした。
 マッカーサーとともに上陸したアメリカ軍の将校のなかにも、日本軍の降伏はインチキで、日本軍は裏切り攻撃を意図しているに違いないと疑っている人々がいました。マッカーサーたちが横浜のホテル・ニューグランドで食事をしたとき、副官たちは毒を盛られるのを心配していた。もちろん、このとき何事も起きず、ただステーキが品切れとなって、次の人には魚が供されたとのこと。
 日本に上陸したアメリカ軍の将校たちは、日本軍の将兵が天皇の降伏の詔勅に従うかどうか、心配していたのです。冷静に考えたら、当然の心配ですよね。その寸前までアメリカ軍に勝てると叫んでいたのに、一転して、日本はアメリカに負けました、アメリカ軍に降伏しましょうと言っても、果たして日本人の全員が従うものか、心配になるのは当然ですよね…。
 でも、日本人は、みな、心の底ではもう戦争なんか止めてほしいと考えていたようで、天皇による終戦の呼びかけに、ごく少数の例外を除いて、たちまち受け入れたのです。ここらあたりが日本人の変わり身の早さとして、長所でもあり、非難されるところでもあるのでしょうね。
 日本人は上陸してきたアメリカ兵の生(ナマ)の姿を見て、「鬼蓄米英」、頭に角(ツノ)の生えている人間なんて真っ赤な嘘だと知り、いかに自分たちが騙されてきたのかを知り、これまでの日本軍の指導部を徹底的に軽蔑するようになった。
 アメリカ軍の原爆投下目標は4都市にしぼられた。東京と京都は戦後の交渉相手を確保するために除外された。それで、残ったのは広島、長崎、小倉、新潟だった。広島の次の主目標は小倉だった。ところが、小倉上空はコールタールを燃やして視界を悪くするような民間防衛策がとられていた。小倉上空を1時間もウロウロしたあげく、20分先の長崎に向かった。原爆(ファットマン)を投下したあと、B-29は燃料不足のためテニマン島には帰れないので、沖縄にやっとの思いでたどり着いた。
 沖縄沖の特攻任務で死んだ東京帝大生の佐々木八郎は、24歳だった。
 「日本が資本主義によってどうしようもなく腐敗していて、差し迫った敗戦は革命にとって代わられるだろう、と信じた。
 私は、これを知って、人々の苦悩を自分の金もうけに平気で転じる竹中平蔵をついつい連想してしまいました。
 そして、日本に大空襲をかけて、そのことを前提として日本政府から授勲された例のカーチス・ルメイ将軍について、この本では「生まれつきの自己宣伝屋」だと厳しく評しています。罪なき日本人を一晩で10万人も死に追いやったカーチス・ルメイに対して日本政府は戦後、勲章(勲一等)を授与したのですよね。日本人として、決して忘れてはいけないことです。
 540頁の下巻を何日もかけて重い重い気分で読みすすめました。正直言って、辛(つら)い読書でした。でも、ロシアのウクライナへの侵略戦争が2月末に始まり、もう半年になろうとするのに、今なお、終息の目途はまったくたっていません。日本も核武装したほうがいいなんて、とんでもない意見も飛び出している今日、第二次大戦からの教訓を生かすことは本当に大切だと思わざるをえません。
(2022年3月刊。税込2970円)

面白くて眠れなくなる進化論

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 長谷川 英祐 、 出版 PHP文庫
 お昼に食事しながらの雑談のとき、突然、私はこの本で得た知識をその場にいた人たちに披攊しました。言わずば腹ふくるる心地だったからです。
 コオロギのメスは、オスの価値をその鳴き声で判断している。オスは「リリリリ」と鳴く。そのとき、1秒間あたり、たくさん「リ」のパルスがある、つまり、テンポの速いオスの声を好む。
 そこで、まず、それを確認するため、メスを真ん中に置いて、両側に細長い通路をつくって、その奥にテンポの違うオスを置いて鳴かせ、メスがどちらのオスを選ぶかを実験する。その結果は、案の定、テンポの速い鳴き方をするオスをメスは選ぶ。
 そこで、次に、メスからのオスの位置を変えてみる。テンポの速いオスを遅いオスよりメスから遠くに置く。すると、その遠さが一定以上になると、メスは近くにいるテンポの遅い、つまり質の悪いオスを選ぶようになる。
 これは「時間割引」という現象。常に死の危険があるため、次の瞬間にも生きている確率は「1」ではない。遠くの質のいいオスを求めて行く途中で天敵に襲われてしまったら、元も子もない。いやはや、こんな実験を思いついて、実際にやってみるんですね…。学者ってホント偉いです。
 いったい、こんな実験が人間の生存に何か関係があるのか、これって人の役に立つ学問なのか…。そんな疑問は無用だと私は思います。疑問がわいたら、それを究明することこそ、人間の、人間たる所以(ゆえん)なのではないでしょうか。
 アリは、全体の3割くらいしか働いていなくて、あとの7割はぼおっとしているだけ…。そして、その働いている3割を強制的に取り除くと、残った「7割」のうちから、またもやその3割だけが働きはじめ、その比率は変わらない。
 なんで、そうなのか…。それは、アリも疲労するから…。たとえば、シロアリは卵を放置しておくとカビが生えて死滅してしまう。そうならないよう、抗生物質をふくむ唾液を卵に塗りつけてカビを防ぐ。これも疲れる作業ではあるので、全員が働いて疲れてしまったら、そのコロニーは全滅してしまうことになる。なので、そうならないように予備軍を確保しておく必要がある。働いていないアリは、まさしくこの予備軍だ。いざとなったら、みんなのために働き続ける。そのときまでエネルギーは無駄使いせず、残してためておく。なーるほど、とてもとても合理的な発想ですよね。
 生物の世界も奥がとても深いことが実感できる、200頁ほどの薄い文庫本です。眠れなくはなりませんでしたが、たしかに面白い本です。
(2022年4月刊。税込836円)

ザ・ナイン

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 グウェン・ストラウス 、 出版 河出書房新社
 フランスでナチス・ドイツに対するレジスタンス活動をしていた女性が次々にナチスに捕まり、強制収容所に入れられました。この本のメインは、強制収容所に入れられた9人の女性たちが共に脱出して、生きてフランスに帰りついたという奇跡的な実話を紹介しているところです。
 彼女たちは20歳から29歳。ユダヤ人ではありません。若さと団結の力で死を乗りこえて生還したのです。彼女らはとても幸運だったと言えますが、その幸運を勝ちとる涙ぐましい努力もあり、単に運が良かったというだけではありません。
フランスでレジスタンス活動に身を投じているうちに逮捕され、収容所で囚われの身になっていた女性9人が、ソ連軍の侵攻によってナチス敗戦間近の1945年4月15日、強制収容所からの移動中に脱出を決行。連合軍との前線を求めてさまよう逃亡の旅は、いかにも危険にみちています。そこを知恵と工夫、そして、それを支える固い友情の絆、苦境さえ笑い飛ばすユーモア、そして時に歌声。何より生きのびようとする強い意思があったのでした。まったく知らない話です。
 リーダー役をつとめるエレーヌは、ソルボンヌ大学出身の技術者。5ヶ国語を話した。最年少のジョゼは20歳で、養護施設の出身。美しい歌声で聴く人をうっとりさせた。
 偵察役をつとめる人、勇敢さで優る人、グループの調停役の人。いろんな個性の若い9人の女性が助けあいながら脱出行を遂げていく様子が見事に紹介され、心を打たれます。しかも、それが悲愴感があまりなく、むしろ読んでほっこりしてくるのです。
 収容されたのは、女性専用のラーフェンスブリュック強制収容所。アウシュヴィッツほどではありませんが、ここでも大勢の人々が「焼却処分」されています。少なくとも4万人が犠牲になったとのこと。
 この本に紹介されるソ連兵(女性)のエピソードはすごいです。
 ナチスから「散弾銃女」と呼ばれた彼女らには英雄のオーラがあった。自分たちの兄弟を殺すための銃弾はつくれないと、軍需工場での労働を拒否した。自分たち捕虜は、ジュネーブ条約の下、軍需品の製造を強制されないはずだと主張したのだ。収容所当局は、その罰として、また抵抗手段として、彼女らを何日も屋外に立たせて、水も食糧も与えてなかった。それでもソ連兵たちは挫(くじ)けない。ナチス親衛隊は怒り、そして驚嘆した。結局、ナチス親衛隊のほうが折れて、ソ連兵たちは、厨房での仕事を与えられた。うひゃあ、すごいですね。そんなことがあったなんて、ちっとも知りませんでした。『戦争は女の顔をしていない』に通じる話です。
 ある日曜日の午後、点呼広場で点呼されているとき、赤軍兵士たちが、ぱりっとした服装で、一糸乱れぬ行進で広場に入ってきた。そして広場の中央までくると、兵士たちは赤軍の軍歌をうたいはじめた。大きく澄んだ声で、次々と、何曲も歌った。
いやあ、すごい、すごすぎますね。人間の尊厳を感じさせられます…。
ソ連兵たちは、クールで、排他的で、寡黙なエリート集団だった。
そして、もう一つ。強制収容所にいる女性たちのあいだで大人気だったのは、料理レシピとその口頭での解説。強制収容所のなかでは、誰もが空腹であり、飢えていた。しかし、また、だからこそレシピを聞くと、つかのまの慰めを見出した。話は材料のリストに始まる。順を追って料理の作り方を説明していく。規則的で体系的なレシピは、たとえ一時的であっても、安心をもたらした。つらい話はならない。食べ物に関する思い出話なら、それほど辛い気持ちにならず、人間らしさを取り戻すことができた。
強制収容所がアメリカ軍やソ連軍によって解放された直後の数日で、多くの被収容者が死亡した。ベルゲン・ベルゼン収容所だけで1万5千人も亡くなった。なんとか生きながらえてきた人が、解放されたとたん、安堵のうちに死んでいった。
収容所でナチスの将校の前で裸にさせられたことが、いつまでもトラウマになったという女性がいます。
「私は、自分の体が好きではない。男に、それもナチスの男に、初めて見られたときの視線の跡がいまだに残っているような気がするから。私は、それまで一度も他人の前で裸になったことはなかった。乳房がふくらみ、体が変わり始めたばかりの少女だったのに…。以来、私にとって、服を脱ぐことは、死や憎しみを連想させるものになった」
とてつもない勇気と必死に生きる意思を、そして人間らしいとは何かを感じさせる、元気に出る本でした。
(2022年8月刊。税込3135円)

世界裁判放浪記

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 原口 侑子 、 出版 コトニ社
 世界各地の裁判所を観光のかたわら見学した印象をつづった本です。
 著者は日本(東京)で弁護士をしていたのに、なぜか法律事務所を辞めて、世界各国放浪の旅に出かけたのです。その目的の一つが裁判傍聴。といっても、じっくり腰を落ち着けて司法制度を比較し研究するというのではなく、あくまで印象記のレベルにとどまっています。ところが、その印象記レベルでも、制度の違いが分かって面白いのです。
 たとえば、あっと驚くのはブラジルです。ブラジルでは裁判の公開のため、法廷がテレビとネットで中継される。しかも、裁判官室の評議まで中継されているとのこと。そして、弁護士が100万人もいて、裁判は1億件もあるらしく、裁判官は1人で9000件を担当し、月に300件の判決を書いているとのこと。たしかに、ブラジルでは裁判の遅延はかなり深刻だというレポートを読んだ覚えがあります。
 中国は四川省の成都では著者は裁判傍聴が認められなかった。20年以上も前に中国に行ったとき、家庭裁判所の離婚事件の裁判を傍聴することができました。司法部の事前許可があったからでしょうか…。
 法廷でメモをとるのが禁止されている国が、今もいくつかあります。ニュージーランドで禁止されたというのは少し意外でした。日本でもアメリカ人弁護士のレペタさんが裁判を起こして1989年3月に勝訴するまでは禁止されていました。傍聴人による録音は禁止という建て前ですが、音のしないスマホ時代なので、今は実質的にフリーになっていると思います。
 アフリカでは刑事事件で弁護人がつかないまま審理されることが多いようで、それが問題となっているとのこと。悪いことをした奴に、なんで税金をつかってまで国選弁護人をつけてやる必要があるんだ…という疑問は日本でもまだたまに出ますが、やはり世の中には法にのっとった適正な手続というのは絶対に必要なんです。
 著者の同期の弁護士が10年間に10件の無罪判決をとったとのこと。信じられません。私は弁護士生活50年近くで2件のみです。
 著者は10年間に世界124ヶ国をまわり、30ヶ国の裁判所に足を運んだとのこと。これまた、すごーい。
 著者は「新61期」、弁護士になったのは裁判員裁判が始まったころのこと。学生時代にもバックパッカーとして世界を歩いたことがあるようです。こうやって世界をさまよい歩くのから、そろそろ足を洗って、どこかに腰を落ち着けて、何かに取り組んでほしいものだと、他人事(ひとごと)ながら私は思いました。余計なお世話だと言われそうですが…。
(2022年7月刊。税込2420円)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.