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東アジアからみた「大化改新」

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者 仁藤 敦史 、 出版 吉川弘文館
 大化改新なるものが本当にあったのか最近まで疑問視されていましたが、今ではやはりあったということになっているようです。
 曽我入鹿(いるか)と父の蝦夷(えみし)が殺害され、また自死して曽我大臣家は滅んだ(645年)。これは乙己(いつし)の変と呼ばれる。大化改新は、その後に続く政治改革のこと。
 公地公民の原則、班田収授法、統一的な税制がその内容。
 この本は、日本の動きを、東アジア諸国における、随・唐帝国の動き、高句麗の泉蓋(せんがい)蘇文(そぶん)へ、新羅(しらぎ)の義慈(ぎじ)王への権力集中といった動きのなかで、位置づけてみようという本です。
 皇極(斉明)と中大兄は、百済との交渉を継続し、国土防衛を重視して飛鳥遷都(653年)や大律遷都を行い、不本意なままの強制退位に抵抗すべく斉明女帝として復位(重祚、ちょうそ)する。ところが、倭国は白村江(はくすきのえ)で大敗し、唐・新羅の侵攻軍に備えて山城や水城を築いて守りをかためた。
 唐は、隋の滅亡が高句麗遠征の失敗を名分に成立した王朝であったから、内政へ波及するのを恐れ、当初は高句麗への軍事行動に慎重だった。それでも644年、ついに唐の太宋は高句麗征討を決意した。
 新羅では、唐依存派と自立派の対立が激化した。このころ、日本(倭国)における大王の即位適齢期は40歳とされていた。
百済からの先進文物の安定的供給と豪族らへの再分配が蘇我氏政権の権威の源泉だった。大化期は、それまでの親百済色が強かった曽我氏政権に比較して、親唐・新羅的政策が強まった。
大化のころは、唐・新羅と結んで国力を強化しようと考え、孝徳擁立を画策した右大臣の蘇我石川麻呂・中臣鎌足らのグループと、皇極(百済)・中大兄と白雉期の左大臣巨勢須太臣らの反新羅・親百済・高句麗路線が対立していたと考えられる。
大化期には、親唐・新羅派が優勢だった。その後、両者の勢力は拮抗していた。新羅との交流再開を前提として、金春秋氏の仲介により唐との断絶状態は解消され、白雉(はくち)4年と5年という、連年の遣唐使派遣につながっていく。これは、大化の新政権の新たな外交立場として新唐・新羅政策が採用されたということ。
その後、親百済派の台頭により政権内の対立が顕在化し、対外的に明確な新百済や新新羅という外交族を示すことができなくなった。
日本における大化改新を考えるうえでも、日本の外にある随・唐の大帝国の存在、朝鮮半島内の政権(統治者)の動向をきちんとみる必要があるようです。考えさせられました。
(2022年9月刊。税込1870円)

ナチ・ドイツの最後の8日間

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 フォルカー・ウルリヒ 、 出版 すばる舎
 1945年4月30日、ヒトラーは結婚したばかりの妻エファ・ブラウンとともに自殺した。ヒトラーは青酸カリを飲むと同時にピストルで頭(こめかみ)を撃った。そして、あらかじめ頼んでいたように部下たちが、ガソリンをかけて二人の遺体を燃やした。ヒトラーは、盟友ムッソリーニのように死体を広場に吊るされ恥ずかしめられないようにしたかった。
 ソ連兵の一団が総統官邸にやってきて、ヒトラーの遺体を捜索した。スメルシュだ。歯科助手がヒトラーの義歯の特徴と一致していることを確認し、エファ・ブラウンのほうは歯科技工士が合成樹脂のブリッジを見て、彼女のものだと確認した。ところが、スターリンはなかなか納得しなかった。7月のポツダム会談のときも、ヒトラーはまだ生きているという考えに固執していた。最後の瞬間にヒトラーはベルリンを飛び立って、スペインに滞在している、あるいはUボートに乗って日本に逃れたのかもしれない…。疑ぐり深いスターリンならでは、ですね。
 ドイツ東部の町デミンでは自殺が大流行した。家族全員が群れをなして自殺した。毒を飲み、頭に銃弾を撃ち込み、首を吊った。大部分の人は溺死(できし)を選んだ。500人から1000人が自殺した。これほどの自殺者を出した都市町はほかにない。
 ドイツ国民の大部分はヒトラーの死の知らせを聞いても、悲しむことはなく、むしろ無関心だった。神格化されていた総統神話は、戦争末期の日々には急速に衰退していた。ナチズムも本質的な魅力を失った。魔法は消え去り、呪縛は解けた。
 ヒトラーの死によって終戦が間近になったことで、少なからぬ人々がほっとしていた。
 100万人が住むハンブルクではナチスのカウフマンがトップとして君臨していたが、ヒトラーの意向に反して無血でイギリス軍に明け渡すことを決意した。そのことによってカウフマンはいわば英雄となり、収監はされたものの、戦犯として法廷で追及されることもなく、戦後も裕福な市民として余生を暮らした。
 ソ連兵によるドイツ女性の強姦はあまりにも目にあまるものがあった。それは、女性たちをものにすることで敗者に屈辱を味あわせたいという欲求でもあった。
 これに対して、アメリカ兵やイギリス兵の場合には、暴力を使う必要がなく、少なからぬドイツ人女性がドルやタバコ・チョコレートとひき換えに進んで彼らに身を任せた。
 ドイツ軍の捕虜となったソ連人兵士は570万人のうち300万人が死亡したが、そのほとんどは意図的に餓死させられた。アメリカ軍の捕虜収容所で死亡したドイツ兵士は8千人から4万人にとどまる。アメリカ軍は、ドイツ軍のような集団虐殺の意図はなかった。
 マレーネ・ディートリッヒはハリウッド女優として有名だったが、その姉はドイツに残り、ナチス兵士向けの映画館を経営するなどしていた。それを知って、マレーネ・ディートリッヒは、自分は一人っ子として、姉の存在を口にすることはなかった。いやあ、そんなこともあったんですね…。
 ドイツ国民は敗戦後、人間の姿をした悪魔であるヒトラーに従っていただけ、自分たちこそが犠牲者だと考えるようになった。誰もが迫害を受けていたユダヤ人たちを助けていたと主張し、その説明書をもらおうとした。
 ヒトラー死亡後のドイツの様子を丹念に追って、人々の動き、目論見を明らかにした460頁もの労作です。とても読みごたえがありました。
(2022年7月刊。税込4950円)

黒い雪玉

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 加藤 三由紀 、 出版 中国文庫
 日本との戦争を描く中国語圏作品集です。読むと、戦前の中国で、日本人は本当にひどいことをしたことがよく分かります。
 加害者だった日本人は、帰国してから、加害の事実をほとんど語ることがありませんでした。日本では、ほとんどの人が良き夫・良き父そして良き隣人でしたから、まさか中国で悪虐非道をし尽くしたなんて、誰も思わなかったのです。こんなに善良な日本人が、非道いことをするはずがない…。でも、被害者のほうは忘れることができません。当然のことです。日本の憲兵に連れていかれて唐辛子水を流しこまれるよりは…。
 しょっちゅう遊撃隊が列車を急襲し、日本人の奴らを殺していた。線路から1メートルほどのところに、たくさんの日本軍将校の殉職記念碑があった。日本軍の将校が死んだ仲間の記念碑を見たとたん、乗客に恨みをぶつけ、口実を設けて中国人をやっつけ、傷つけた。日本軍将校は違法な商品を検出したとの理由で列車を強制的に停車させた。
 日本人と傀儡(カイライ)軍が村に来て、名指しで村人を捕まえ、本人がいなければ、その家を焼き払った。村人には、とうに知らせてあったので、損失は小さかった。
 ひっきりなしに変装しては県城へ行き、そのたびに情報を持ち帰り、村人は、そのたびに災難を逃れた。八路軍も情報を速やかに得て、的確に伏撃した。
 「ねえ、日本人はどうして中国へ来るのかな。来なければいいのに。来るからやっつけなければいけない。来なければ、手間がかからないのにね」
 これは10歳の中国人の男の子のコトバです。そうなんです。日本兵は中国では災厄をもたらす悪の権化でしかありませんでした。
 編者(日本人女性)が1986年5月に山西省の山中の村に行くと、たちまち村の男に囲まれ、必死の表情で訴えられた。きつい方言のため編者は聞きとれず、案内の人が囲みから外へ出してくれた。残って村人の話を聞いた人によると、村人たちは日本兵に父や兄と斬殺されたことを訴えたのに加えて、その後の苦難な日々を訴えたとのこと。日本兵による略奪と虐殺によって飢餓に襲われ、村の人口が回復するのに15年かかったというのです。なにしろ、3日間のうちに300人もの村人が日本兵によって殺されたのでした…。
 この本の編者あとがきに紹介されている話です。日本人は、過去に先人がした事実にきちんと向きあう必要があることを改めて痛切に感じました。
(2022年8月刊。税込4180円)

心はこうして創られる

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 ニック・チェイター 、 出版 講談社選書メチエ
 速読とは、単なる飛ばし読みである。一行とか一段落とかの文章を脳が丸ごと取り込むことはありえない。人が見ることのできるのは、大まかに言って、一度に一単語だ。
 視線は1秒間に平均して3回か4回、ジャンプしている。視覚入力とは、途切れのない流れではなく、周囲の後継や本のページを操った「スナップ写真」の連なりなのだ。眼球は決して滑らかには動かない。
 私は、今年は単行本の読書が12月初めに400冊を超えました(この読書記は1日1冊ですから年に365冊です)。年末までに430冊までは到達できないでしょう。ともかく、コロナ禍のせいで、電車に乗る機会が減りました。裁判もインターネット画面上になって、味気なくなりました。
 心そのものが不可能物体である。心が確固たる存在に感じられるのは、表面的な見せかけでしかない。浮かんでは消えていく意識の流れの内容以外、心には何もない。自分の農に騙されているのが、私たちだ。
 人間には、物体としての整然とした形をもたないバラバラなものをひとまとめにする能力がある。
 人間が素晴らしく賢いのは、単純な計算を猛烈にこなすからではない。それはシリコンの行う計算法だ。脳がする計算は、ニューロンという処理単位が数多く結合した協働の結果なのだ。1個1個のニューロンは遅いけれど、脳のなかの各ネットワークや各主要領域が、多数のニューロンの協調的な活動のパターンを産み出す。
 従来型コンピューターと脳とを同類のものであるかのように比較するのは、大きな誤解。
 ニューロンという、のろまな計算ユニットは、問題を無数の小さな欠片へと分割し、高密度に相互接続されたネットワークの全体で暫定的な解答の数々を同時並行的に共有する。脳が用いているのは、多数のニューロンから成る広大なネットワークの協働的な計算だ。
 作業を休みなく続ける人に比べて、休憩後に再開した人は急に成績が向上する。休憩すると、心機一転、すっきりとした頭でのぞむ。このほうが成功の見込みがある。
 ハンズフリー電話で会話しながら、両手で運転したとしても、同じくらい危険だ。会話の流れと、運転の流れは、思った以上に深刻に邪魔しあう。実は、同乗者との会話にも、多くの危険がある。
 無意識とは、ヒトの緩慢で意識的な経験を創り出し、支えているところの神経活動のきわめて複雑なパターンなのだ。
 チェスの名人たちは、長い経験を通じて、駒の配置の意味をすらすらと見てとらえられる。それをできるのは目の前の盤面を、過去数千時間に及ぶ試合経験から得た駒配置の記憶の痕跡とを結びつけるから。
 知覚と記憶とは、複雑にからみあっている。
 想像の飛躍という驚くべき能力は、大きな飛躍も小さな飛躍も、やみくもな反復から自由にしてくれる。
 誰もが過去を手引きとし、過去に形づくられた一つの伝統なのだ。
 私たちは、改善、調整、再解釈そして大規模な改革をする能力がある。
 現在を意図的に変えることができる限り、そこには未来を変える希望がある。人間の脳は、すばらしく敏感に顔に反応する。
 脳は、倦(う)むことなき迫真の即興家であり、一瞬また一瞬と心を創り出している。新たな即興は、過去の即興の断片から組み立てられる。
 人間と、脳と、心について考え直すヒントが満載の本でした。
(2022年10月刊。税込2145円)

『男はつらいよ』、もう一つのルーツ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 吉村 英夫 、 出版 大月書店
 50本もの映画シリーズ『男はつらいよ』のルーツに、実はフランス映画のマルセル・パニョルの戯曲『ファニー』があったという本です。著者は、山田洋次監督の映画すべてを研究している人です。私にとって、マルセル・パニョルは、映画『愛と宿命の泉』とか、南フランスを舞台とする映画(名前をド忘れしました)の原作者という存在なのですが…。
 山田洋次監督の次の言葉には共感を覚えます。
 「楽観主義が物事を動かしていくこともある。絶望するのは簡単。むしろ楽観するのは大変なこと。でも、楽観しなければ人間は生きていけない。なんとかなるさという思いがなければ困難な状況を変えていく努力もできない」
 映画『男はつらいよ』は、笑って泣いて楽しさを堪能する映画。
 私にとって、『男はつらいよ』は、大学生のときからずっと見続けてきた身近な映画です。ところが、若い人たちと話すと、実はみたことがないという人も少なくないのです。唖然とします。どうして、こんないい映画をみないのかな・・・と、寂しい思いがします。
 今や世界の映画史にも残る大監督というべき山田洋次監督にも、実は、気持ちが折れそうになる若い修行時代があったというのです。まあ、そういう時期もあったのでしょうね、とても想像できませんが…。
 山田洋次は、民衆の生活を誠実に暖かく描く、民衆派でありたいとする心情(信条)だ。
 『男はつらいよ』で描かれる放浪と定着とは、盾の裏表であり、合わせて一つの関係。定着することを基本とすることと、何かを求めて放浪することという相反する力、あるいは両者をともに求める気持ちは、人間の中に内在する本能なのだろう。両者には互いに自分にはないものがあって、それぞれに優位的、同時に劣位的側面をもつがゆえに、両者は憧れあう関係にあることができるのではないか。
 山田洋次は次のようにも言っている。
 「悲しいことを笑いながら語るのは、とても困難なこと。でも、この住み辛い世の中にあっては、笑い話の形を借りてしか伝えられない真実というものがある」
 いやあ、世の中の真実、そして社会の奥深くにうごめいている生きようとする人々の力、そんな気持ちを引き出して映像にするなんて、実にすばらしいことだと私は思います。
 最後に、フランス人のクロード・ルブランという人が、フランス語で「山田洋次から見た日本」という本を刊行したそうです。フランス語を長く勉強している私ですが、原書ではなく、日本語で読みたいです。また、現在、パリにある「日本文化会館」では『男はつらいよ』全50作が来年(2023年)まで1年半かけ上映中とのこと。いやあ、これまた、すごいことですよね…。
(2022年10月刊。税込2860円)

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