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聞く技術、聞いてもらう技術

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 東畑 開人 、 出版 ちくま新書
 いま売れている話題の本だけあって、とても実践的な本です。すぐにでも生かせる「技術」が盛りだくさん紹介されています。
 話を聞くには眉毛が大事、つまり話を聞くためには、反応がオーバーであったほうがいい。
 聞くために必要なのは、沈黙。黙って、間(ま)をつくる。そして、返事は遅く、5秒間待つ。7つの相槌をうつと、話が聞かれている感じを与える。うーん、ふーん、なるほど、そっか、まじか、だね、たしかに。
 ぼくらの社会に今もっとも欠けているのは、「聞く」こと。
 うまくいっているときには存在を忘れられ、うまくいかなかったときだけ存在が思い出される。それが、「環境としての母親」。
 心の中で一人ポツンといるためには、外の現実で手厚く守られている必要がある。それは、電車の中で本を読んでいるみたいな感じ。本当は周囲に人がいるけれど、それでも一人でいられる。孤独の前提は、安定した現実。
 安心というのは、予想外のことが起きないという感覚のこと。日々の生活で予想と同じことが起きる。変なことをしても誰もこない。
 いじめが深刻に心にダメージを与えるのは、この反対。今日、学校に行って、何が起きるか予想もつかない。これはとても恐ろしいこと。この指摘は私にもぴったり、よく分かります。
 信頼とは、時間の経過によってしか形づくられないもの。
 誰にでも、複数の心がある。ぼくらの中には相矛盾した気持ちが両方あって、それらが押したり引いたりしながら、日々の暮らしが営まれている。だから、その人の心を見ることは、同じ人の中で複数の心が綱引きをしているところを見ること。
 完全に理解したわけではありませんが、なんとなく、よく分かる指摘です。
 年齢(とし)をとると、良いこともある。何より、少しだけ他者のことを理解しやすくなること。
 カウンセラーの仕事は、通訳。誰かが話を聞いてくれて、「そりゃあ、ひどい」とか、「よく耐えられるね」という返しがあると、ほっとする。
(2022年12月刊。税込946円)

日本の高山植物

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 工藤 岳 、 出版 光文社新書
 高山植物の背丈が低いのは、高山環境が厳しいから。そりゃあ、そうですよね。
 高山植物に特有な葉の形状は冬の寒さに耐えるだけでなく、夏の強風や強い日射への防御とも関係している。なーるほど、です。アントシアニンをコーティングすることで、葉内細胞を紫外線の影響からガードしている。常線性の高山植物では若葉が緑色をしていないものも多い。赤い色の正体はアントシアニンという色素で、紫外線を吸収する作用がある。
十分に耐寒性を獲得した冬モードの植物では、マイナス196度の超低温にさらされても細胞が壊れずに生存している。
 高山環境で乾燥ストレスは日常的。
葉の表層に花がきれいなのは、花粉を運んでくれる動物を引き寄せるため。その証拠に風媒花には花弁がない。
 高山帯には、1年生植物がほとんどいない。
 多くの高山植物の受粉を支えているのは、ハエ類とハチ類。ハエ類は高山生態系でとても重要なポリネーター。高山植物を訪れる昆虫の6割はハエ類で、3~4割がハチ類。
 ハナアブはハナアブ科とハラハエ目の昆虫。マルハナバチは、ミツバチ科の昆虫。
 ニュージーランドの高山植物が地味で目立たないのは、ハナバチがいないことと関係している。優れた色覚能力をもったハナバチがいないから、カラフルな色の花が進化する必然性がなかった。その代わり、目立たない花たちは、テルペン系化学成分に由来する、かなり強い匂いを出す。それはハエをおびき寄せるため。
 蜜量が花によって違うのは、ポリネーターに長居させないため。
 ウコンウツキという低木の高山植物は、開花期間中に花の色が変わる。オレンジ色はポリネーターに蜜のありかを教えるが、赤色に変わると、ハチには見えなくなる。
 厳しい環境に生きる高山植物は、他家受粉を成功させるためのさまざまな方法を編み出してきた。
 北海道の大雪山では高山植物の生育期間は7月中旬から9月半ばまでの2ヶ月足らず。この間に、芽吹いて、成長し、花を咲かせて、実を結ばなくてはならない。残り10ヵ月間は、雪の下で冬眠している。
 マルハナバチは、ミツバチのようにコロニー(巣)をつくり、そこでは女王バチと働きバチが分業している。卵を産む女王、コロニー内で子育てをする働きバチ。蜜と花粉を集めてくる外勤の働きバチ。夏の短い高山帯では、コロニーが存在するのは、わずか2ヶ月足らずのみ。それ以外の季節は、女王バチだけが孤独に暮らしている。
 日本の高山植物相はベーリンジア起源のものが多い。極地植物は、オホーツク海の両脇の2つのルートをたどって北海道にたどり着いた。日本にいる高山植物は、山域によって移住してきた時期が異なるグループで構成されている。
 高山植物の研究というのは、夏も冬も高山に一人でのぼって、そこにテントを張って観察するということですよね。ヒグマの心配はないのでしょうか。一人でいることの孤独感にどうやって耐えられるのでしょうか…。学者になるって、本当に大変なことですよね。でも、そのおかげで、こうやって美しい高山植物の生態を居ながらに知ることができるわけです。感謝しかありません。
(2022年9月刊。税込1320円)

那須与一の謎を解く

カテゴリー:日本史(鎌倉)

(霧山昴)
著者 野中 哲照 、 出版 武蔵野書院
 どうやら著者は大学で学生に「那須与一」を教えているらしいのです。いやあ、それはさぞ面白い授業でしょうね。そんな授業なら、ぜひ聴講してみたいと私は思いました。
 著者は、那須与一ほど謎の多い人物はいないし、「那須与一」ほど謎の多い物語はないとこの本の冒頭でキッパリ断言しています。ということは、『平家物語』の那須与一の話は、少しはモデルのいる話かと思っていたのが、実はまったくの架空の話なのではないか…、そう思えるようになりました。そして、早くもネタバレをすると、本当にそうだというのです(すみません、早々のネタバレをお許しください)。
 那須与一については、その生誕地(栃木県大田原市)に資料館(伝承館)があるのに、何も分かっていないというのです、まるで不思議な話ではありませんか…。
 この本の第一部は、まずは「読解編」として始まります。少しずつ「那須与一」が解明されていきます。
 那須与一が船の上の扇の的(まと)を射るのに使った鏑矢(かぶらや)は、先端に雁股(かりまた)という矢尻と鏑がついている。この鏑は、鹿の角(つの)をくりぬいて中を空洞にしたもの。鏑矢が空中を飛ぶと、鏑が笛のように鳴る。鳴らす音によって魔物を退散させる。扇の的(まと)を射るのは、厳粛な儀式で、神事だ。このとき、那須与一に矢を射ることを命じた義経は27歳だった。那須与一が弓を持ち直す表現は、緊張感が徐々に増してきて、集中力が高まっていることを示している。
 「与一」は、正しくは「余一」で、これは「十余り一」で、十一男のこと。
 大学での授業のあと、「この語は本当にあったことなのか?」と質問しにくる学生がいる。これに対する著者の対応は、さすがに大学で教えているだけのことはあります。
 小さな事実としては事実でないかもしれない。しかし、大局的にみて、頼朝直属の武士だけではなく、辺縁部で、かつ底辺の小さな武士団が頼朝を支えていたという点では否定しようのない事実だった。
 著者は、そもそも那須与一は実在の人物なのかと問いかけ、その答えとしては否定しています。そして、結論として、嘘(ウソ)であることが見抜かれないように本物らしさを偽装するところにこそ、嘘であることが露呈している、とするのです。なるほど、そんな言い方もできるのですね。
 そして、那須与一には、那須光助というモデルがいたとしています。
光助は、那須野の狩りで活躍している。光助は、源頼朝に認められた、鎌倉幕府寄りの御家人だった。なので、義経の部下ということはありえない。要するに、那須与一は物語世界でつくられた人物なのだ。
 物語を研究するというのは、こんなことなのかということが推察できる本でした。私には、とても面白かったです。
(2022年5月刊。税込2420円)

羊皮紙の世界

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 八木 健治 、 出版 岩波書店
 羊皮紙が誕生したのは紀元前2世紀に現在のトルコ西部。そして、古代世界の中心地ローマに輸出するまでになった。パピルスよりも丈夫で、そのうえ羊はどこにでもいるという手軽さから、羊皮紙はまたたく間に広まった。
 現在でも、世界30ヶ所で羊皮紙は作られている。
 羊皮紙がフツーの紙と違うのは、一枚一枚に、かつて動物の命が宿っていたということ。
 羊は皮膚にラノリンという脂分を多く含んでいるため、その脂分が酸化して、いくらか黄色っぽくなっているのが特徴。
 羊皮紙といっても、3種類ある。一つは羊。二つ目は生後6週間以内の仔牛。三つ目は山羊(ヤギ)。
 羊皮紙をつくる過程では、ツーンとしてすっぱい臭いと、どよーんとした腐敗臭が鼻をつく。1頭の羊から約1ヶ月かかって出来るのは、A4サイズで4枚だけ。この1枚が3000円ほどする。18世紀フランスの記録には、1枚が1リーブル、つまり500円から1000円ほどだった。
 羊皮紙の平均的な厚さは、千円札3枚を重ねたくらい。
 羊皮紙づくりは、部厚い皮をひたすら削っていく作業。薄くするほうが大変。
 羊皮紙には穴空きは仕方のないこと、もとから動物の皮は空いていたもので、作製造上での職人のミスではない。
 羊皮紙には、印刷用の油性インクが染み込みにくいため、紙と比べると、印刷後のインクの乾燥にかなりの時間がかかる。羊皮紙の表面をツルツルにしておくため、メノウなどの表面が滑らかな石で入念に磨かれる。
 羊皮紙という知らない世界を少しだけのぞいてみた気がする本でした。
(2022年8月刊。税込3190円)

脚本力

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 倉本 聰 、 出版 幻冬舎新書
 脚本家としてプロデューサーと会って話をして、創作本能が揺さぶられるようなら受ける。そうでないなら、断る。実に単純明快。
 長所が見えただけでは、その人を理解したってことにはならない。欠点が見えないと、面白くない。欠点をきちんと書いてやれば、必ずそれが個性になって出てくる。本人も気がついてはいるけれど、困りはてている欠点、隠しきれなくて困っている欠点、それがつかめたら、もうしめたもの。
 テーマとモチーフは違う。テーマは主題で、モチーフは創作の基礎になる着想ないし題材。テーマは、作者の伝えたい「核」。自分が本当に書きたいもの。つまりテーマを、相手の持ち出したモチーフの中に忍び込ませる。
ある原作にもとづいて脚本をつくるとき、原作は全部読まず、読むのは最初の3頁くらいで、あとは誰かに読んでもらって、粗筋(アラスジ)を教えてもらう。そうすると、原作にとらわれずに脚本が書ける。
なーるほど、そんな手もあるのですね…。
脚本の中で人物をつくりあげるとき、三つの要素から人物をつくっていく。その一は、モデルとして実在の人物を見る。その二は、それを演じる役者。その三は、自分の創作。この三つを登場人物によって比率を変えていく。
ふむふむ、なるほど、なるほど、です…。
登場人物の名前は大切。まず書きやすいこと。簡単に、どこかでてごろな名前を拾ってきてはいけない。名前は、人物に色を塗ったり、色を足すものだったりするので、大事だ。
ドラマでは、意外性というのも大切。
チャップリンは、こう言った。
「世の中のことは、近くで(アップで)見ると、全部が悲劇だ。しかし、遠く離れて(ロングで)見ると喜劇だ」
まさに、それが世の中なんですよね。
創作というコトバがある。しかし、創と作は違うもの。作は、知識とお金を使って、前例にならって行うこと。創のほうは、前例のないものを、知識ではなくて知恵によって生み出すこと。
創の仕事をしていると、楽しい。創るというのは生きること。だけど、遊んでいないと創れない。同時に、創るというのは狂うこのでもある。遊ぶというのは楽しむこと。つまり、自分が楽しむこと。狂うっていうのは熱中するということ。
私も創作の創のほうに目下、挑戦中です。乞う、ご期待なのですが、どうなりますやら…。
(2022年9月刊。税込1034円)

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