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動物のペニスから学ぶ人生の教訓

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 エミリー・ウィリンガム 、 出版 作品社
 オーストラリアのヤブツカツクリはペニスが非挿入性であるにもかかわらず、複数のパートナーと分け隔てなく交尾する。ペニスを持たないオーストラリアツカツクリは忠実に一夫一婦制を貫く。
 挿入器を持ち、父親が熱心にヒナの世話をするダチョウやエミューは巣内に不義の子のいる割合が高く、育てているヒナの半数以上は、オスと血がつながっていない。
 何が原則で、何が例外なのか、勘違いしないように…。
 陰茎骨は、脊髄動物の歴史上、もっとも謎に包まれた骨のひとつだ。
 マルミミゾウの求愛に関する観察によると、オスはメスを「愛撫」したあと、鼻を交差させ、先端をお互いの口の中に入れる。交尾の前に、オスはメスの協力のもと、メスの検体の化学検査をする。交尾が終わると、群れのほかにメンバーが周りを取り囲み、おのおのオスとメスから「検体採取」をして、幸せなカップルの交尾を祝う。ゾウにとって、情交は集団全体で育(はぐく)むもの。
 ゾウアザラシのメスは、オス同士の闘争をけしかけ、配偶相手の候補者をふるいにかけ、選択している。
 古代ギリシャでは、ペニスは小さく、きゃしゃであるのが良いとされた。大きく太いペニスは野蛮で、奴隷や未開人の特徴であり、ギリシャ人にはふさわしくないとされた。
 著者は学者であると同時に、妻であり、母親でもあります。
 「3人の息子たちと夫は、私のヒーローだ。生殖器づくしのこの本を私が芝居かかった調子で読みあげ、衝動の赴くままにダジャレを連発するのを、品よく我慢してくれた」と、あとがきに記しています。このように女性が男性のシンボルであるペニスについて研究して発表した本なのです。なので、とてもユニークな視点に満ちみちています。
(2022年8月刊。税込2970円)

ボワソナード

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 池田 眞朗 、 出版 山川出版社
 「日本民法の父」だと私は思っていましたが、この本では「日本近代法の父」としています。
 ボワソナード(当時48歳)が日本にやって来たのは1873年(明治6)年11月15日のこと。ボワソナードは、パリ法科大学のアグレジェ(正教授登用を待つ身分)だった。
 日本でのボワソナードの活躍は、「法曹界の団十郎」と呼ばれるほどのものだった。
 ボワソナードは次の三つの分野で日本に大きく貢献した。その一は、民法、刑法、刑事訴訟法(治罪法)の編纂(へんさん)。その二は、法学教育への貢献。その三は、外交交渉や条約改正への貢献。
 ボワソナードは旧民法のうち、財産法の部分を起草したが、家族法は日本人が起草した。
 旧民法典は1890(明治23)年に公布されたものの、施行はされなかった。しかし、日本人起草委員が集成して明治民法典が成立した。
 ボワソナードは東京法学校(今の法政大学)でも講義していて、現在、法政大学にはボワソナード・タワーが建っている。
 ボワソナードは来日してから、日本で拷問が続いているのを知ると、拷問廃止を政府に建白した。やがて拷問は少なくとも表向きは廃止されました。
 ボワソナードは治罪法を起草し、施行されたが、草案では陪審制を提案していた。治罪法では、代言人による刑事弁護制度が確立した。
 ボワソナードは大久保利通から信頼されていた。しかし、大久保利通は1878(明治11)年5月、暗殺された(享年47歳)。
 ボワソナードが起草した民法典において、たとえば時効については援用することを要するとしたり、自然債務の規定を置いたことが注目される。また、売買契約における善意・悪意(ここでは道徳的意味は有しない)という概念も導入した。
 ボワソナードは講義は下手で、社交的でもない。政治力とも無縁で、書斎にこもって研究を続けるタイプの人間。
 旧民法典に対して、「民法出でて、忠孝亡(ほろ)ぶ」などという攻撃が加えられた。しかし、これは、観念論そのものの非難でしかなかった。
 「フランス型のボワソナード旧民法典は葬り去られ、ドイツ型の明治民法典が制定された」という通説は正しくない。個々の民法の条文には、フランス民法系の旧民法典の規定が多数残っている。すなわち、ボワソナードの影響は今に残っている。
 結局、フランス民法典とドイツ民法(草案)の影響は、ほぼ半々という評価が今日では定着している。たとえば、債権譲渡など、フランス民法型の規定の影響が優位である。
 ボワソナードの旧民法典起草作業は、決して無に帰したのではない。
 最近、配偶者居住権が新設されたが、これは130年ぶりのボワソナードの復権といえる。
 ボワソナードは在日22年に及び、死ぬ前年に勲一等旭日大勲章を受けている。
 日本におけるボワソナードの影響力の強さを再認識させられました。
(2022年3月刊。税込880円)

イノチのウチガワ

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 ヤン・パウル・スクッテン、アリー・ファン・ト・リート 、 出版 実業之日本社
 通常のX線よりも波長が長く、透過性が弱いため、骨などの硬い物質ではない、ちょっとした薄い皮膚でもうつるものを軟X線という。この軟X線撮影装置で撮った生物の写真。これまでのX線では採れなかった貴重な写真が満載です。
要するに、生物のウチガワをうつし出すのですから、すごいものです。コンピューターで調整せず、歯も骨も、そっくりそのままの姿で撮られています。
X線写真の撮影では、照射するX線量を調整する。照射線量が多いほど、X線は簡単に物を透過する。硬い物質のX線写真を撮りたいときには、照射線量を多くする。柔らかい物質や薄い物質を撮るには少ない量で足りる。
サソリは、クモに近い節足動物。クモの脚は8本だが、サソリも実は同じで8本、前の大きな「はさみ」は、実はあごから伸びた触覚(触肢)。
トンボには超強力な胸筋がある。これを使って、4枚の翅をそれぞれ個別に動かせるので、空中でどんな曲芸も演じることができる。そして、あらゆる飛び方をするあいだ、まっすぐなしっぽでバランスをとっている。一匹の大きなトンボは、1日で数百匹の蚊を食べている。
イモムシがチョウになるとき、羽化のあと、翅脈の管に体液がたくさん送られてチョウの翅をぴんとさせる。
タツノオトシゴは、食べた物を蓄える胃がない。食べたものは、そのまま腸へ向かう。タツノオトシゴは、小さな口で吸いこむだけ。常に食べていないと、十分なエネルギーが得られなくなる。
カメは、新陳代謝がものすごく低い。新しい細胞をつくり出すのに必要なエネルギー消費が少ない。
セキレイ(鳥)の骨はストローに似ていて、重さもほとんどストロー並み。中身はほとんどスカスカの状態。
鳥は腕の筋肉はほとんど使わず、胸筋を使って胸をはって飛んでいる。
コウモリは骨を細くすることで、できるだけ体を軽くしている。コウモリの翼は、手のひらが大きく進化したもの。コウモリの4本の指は非常に長く、親指だけが短い。
ノウサギとアナウサギは似ているが、少し違う。ノウサギは単独で暮らし、アナウサギは群れで暮らす。ノウサギはくぼみで、アナウサギは地中の巣穴で眠る。
モグラの手の指は各5本ずつのあと、6本目がある。
メンフクロウが実はやせた生き物であること、マルハナバチがくたびれた細い腰をもち、コウモリが大きな両手を使って飛ぶこと、シタビラメの全身の骨は、まるで芸術作品のよう。命の内側がこんなに本当は美しいのですね…。貴重な、未知のものへ誘(いざな)ってくれる大判の生物写真集です。
(2022年12月刊。税込2860円)

満蒙開拓、夢はるかなり(上)

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 牧 久 、 出版 ウエッジ
 茨城県水戸市に「日本農業実践学園」があるそうです。全寮制で、学生数は全体で100人ほど。戦前の満州に満蒙開拓青少年義勇軍を送り出すのに大きく貢献した加藤完治の孫が学園長(六代目)をつとめている。
 戦前、加藤完治は「満州開拓の父」と崇(あが)められていたのが、戦後になると一転して、「中国侵略のお先棒を担(かつ)ぎ、侵略の先兵を育てて満州に送り込んだ」と厳しく糾弾された。しかし、本当に侵略軍だったのかと、反論したいようです。
 でも、青少年義勇軍の実態についてのレポートを読むと、そこに参加した青少年たちが、いろんな意味で虐待されたこと、内部ではリンチがひどく、外部に向かっては乱暴・狼藉がひどく、あげくの果てにソ連軍進攻のなかで多くの犠牲者を出しているという現実から目をそらすわけにはいきません。「侵略の先兵」となった青少年は哀れな犠牲者でもあったというのは事実でしょう。すると、それをあおって推進した加藤完治の責任はきわめて重要であることは明らかでしょう。決して美化できるはずはありません。
 この本を読んで、昭和14(1939)年6月7日、明治神宮外苑競技場で2万人を集めて満蒙開拓青少年義勇軍の壮行会が盛大に開かれたことを知りました。主催したのは、なんと朝日新聞社です。朝日新聞社は戦前、戦争賛美のキャンペーンを張っていました(他の新聞もみな同じですが…)。この点も朝日新聞社は戦後、反省しているのでしょうか…。これは、学徒出陣式よりも前のことです。
 満蒙開拓青少年義勇軍を加藤完治とともに強力に推進していた東宮(とうみや)鉄男(かねお)は、張作霖爆殺事件の実行犯のリーダーでもあった。そして、1937年11月に第二次上海事変後の杭州上陸作戦のなかで戦死した(中佐から死後、大佐に昇進)。
 この本は、青少年義勇軍に参加した青少年たちが、貧農出身なので、大きな夢と希望を抱いて満州に渡ったことから、「彼らの思いや志まで、すべて一括(くく)りにして日本帝国主義の侵略行為として非難できるのだろうか」と問いかけています。
 そこには、明らかに論理のすりかえがあります。貧しい青少年の「思いや志」をうまく利用して過酷きわまりない農場へ送り込み、何らフォローすることもなく、ソ連軍進攻の矢面(やおもて)に立たせてしまった軍部や当局を免罪することが許されるはずはありません。
 満蒙開拓移民がもてはやされたのは、1930(昭和5)年ころ、日本には失業者が150万人もいて、悲惨な状況にあったからです。
 日本全国の都市や農場に失業者があふれ、その日の食事にも事欠く国民の不安や不満が頂点に達しようとしている中で、満州事変は勃発した。多くの国民が、そんな状況で、戦争を待ち望んでいた。
 満州国が建国された1932(昭和7)年は、日本経済が悪化の一途をたどり、貧困問題が拡大し、地方や農村の荒廃はひどく、出口の見えないくらい雰囲気が社会全体を覆っていた。
 下巻では、加藤完治らの責任が明らかにされることを願います。
(2015年7月刊。税込1760円)

平安貴族サバイバル

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 木村 朗子 、 出版 笠間書院
 摂関政治とは、藤原氏が権力の中枢を牛耳る体制のこと。この体制は2百数十年も続いた。
 『枕草子』や『源氏物語』が書かれたころは、藤原摂関家が政界を席巻し、同母腹の兄弟間での権力争いがくりひろげられていた。
 平安宮廷社会は、権力奪取をめぐる熾烈(しれつ)な闘争の場だった。ただし、権力者は天皇の位をめぐって争っていたのではない。天皇は権力者ではなかった。天皇の後ろ盾となる摂政・関白の座をめぐって争っていた。
 天皇の後見である摂政・関白は、天皇の外祖父であることを根拠とした。
 天皇の寵愛(ちょうあい)を受け、妊娠し、しかも男子を産むというのは、賭博に等しい。
 天皇の愛情を勝ちとるためにサロンには、教養才気あふれる女房たちを集めた。
 大学寮は男だけのものだったので、女たちの才芸は家庭の教育によって形成される。
 「女にて見たてまつらまほし」
 これは、あまりに素敵な男性に対する褒(ほ)め言葉。女にしてみてみたいほど美しいということ。『源氏物語』のなかに何度も出てくるとのこと。知りませんでした…。
 髭(ひげ)づら、日焼け肌は醜男(ぶおとこ)。
 上流貴族は、昼日中に出かけることはめったにないから、日焼けしようもない。日焼けしているというのは、身分の低さを示している。
 美の基準は女性性にあった。風流人たる帝の遊びに機知をもって応えられる必要があった。宮廷サロンの女房たちは、少なくとも漢詩と漢文で書かれた歴史を学んでいた。
 紫式部は漢学者の娘。清少納言も紫式部も、学問の力で自立する女性だった。貴族の女性は、結婚していても、子が生まれても働いていた。天皇家に入内(じゅだい)するというのは、実際には宮中で働く一員になること。
 天皇の母は女院と呼ばれた。この地位の創出は、藤原摂関家を確立するための、とんでもない戦略だった。
 藤原氏は、一介の臣下の階級にありながら、天皇の妻の座、母の座を獲得したことで、いわば天皇そのものになってしまう方法だった。そして、この位は、もっぱら藤原氏の娘によって支配されていた。
 平安時代、女たちは、夫以外の別の男と会うことができた。一夫多妻は一妻多夫でもあった。
 貴族の女性たちの実態に改めて目が大きく開かされる本でした。
(2022年9月刊。税込1650円)

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