法律相談センター検索 弁護士検索

天路の旅人

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 沢木 耕太郎 、 出版 新潮社
 第二次大戦も終りかけていたころ、中国大陸の奥深く まで単独潜入した日本人「密偵」がいました。その行程をたどった本です。もっと古く、チベットへの潜入に成功し、無事に日本に帰還した日本人(川口慧海(えかい)を思い出しながら読みすすめました。
 なにしろ、日本人だとわかれば、密偵だということまでバレなくても生還は難しい状況でした。それを、日本人であることもバレないようにして隊商や僧侶たちにまぎれこんで旅行するのです。その勇敢さには驚嘆するばかりでした。
著者は 『秘境西域8年の潜行』(中公文庫)を本人への取材で裏付けながら、詳細に明らかにしています。
 密偵を志願した西川一三は修猷館中学を卒業したあと、進学せず、満鉄に入社。この満鉄も入社して内部を知ると、学歴・学閥がモノを言う世界だったので、入社して5年後に退社。そして、興亜義塾に入った。
 西川は、中国奥地へ旅立つとき、6千円のお金とアヘンをもらった。
 そして、まずはゴビ砂漠へ向かう。同行するのは、3人の蒙古人ラマ僧だけ。
 中国の奥地を長期にわたって移動するのは、遊牧民か、商人か、巡礼者の三種類しか存在しない。 そこで西川は、蒙古人のロブサン・サンポーという名の人間になった。
夕食は、まず羊肉を煮て食べ、その汁に小麦粉の団子状のものを入れてスイトンをつくる。味付けは薄い塩味だけ。食事が終わると、すぐ眠る。蒙古人の旅の寝具は、着ている毛皮の服。
 蒙古で死者は風葬。死体を谷間に捨てると、二日後には、すっかり白骨化している。犬とカラスとハゲタカによってきれいに食べられてしまう。
 蒙古人でも高貴な人については、火葬しても空気を汚すことはないとされ、火葬されている
 蒙古人のラマ僧は、経文に使われているチベット語は、いくらか読めるけれど、自分たちの言葉である蒙古語は、書かれた文字に接する機会がないため、読めない者が多い。
 ラマ廟における唯一の性である男色においては性器の挿入が行われない。なので、男色では性病が伝染しにくい。だから、ラマ僧で性病にかかっているとうことは女性との性交渉をしていることを告白しているようなもの。
 蒙古人は、どんなに多くのラクダがいても、自分のラクダは簡単に見つけることができる。
 ラマ僧の食事は、つつましい。朝は、茶とツァンパかボボを食べる。ツァンパとは、麦焦(こ)がしのようなもの。大麦の一種である青祼(せいか)を挽(ひ)き、粉状にして炒(い)ったもの。
 蒙古人は立ち小便をしない。しゃがんで小便する。
 西川が戦後の日本に帰り着いたのは1950(昭和25)年6月のこと。
 西川は日本に戻ってからも、寝るときは、敷物を敷いて毛皮の服をぬぎ、それを掛け布団がわりにして、猫のように丸まって寝ていた。
 すごい日本人がいたんだなあ、とても真似するなんてできません。冒険そのものの旅だったことを否応なしに確信させられる本です。
(2023年1月刊。税込2640円)

古典モノ語り

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 山本 淳子 、 出版 笠間書院
 たまには平安時代の貴族社会の雰囲気を味わってみようと思って読んでみました。
 京都の平安京跡地の発掘調査において、盃(さかずき)の皿(さら)部分に墨(すみ)で文字を書きつけたものが大量に発見されているそうです。文字は和歌なのです。
 絵やマンガ(絵)もあって、大変読みやすい本です。
 牛車に乗るのは平安京だけの風景。牛車に乗ることのできる人間は限られていて、庶民は乗れなかった。天皇もまた牛車には乗れなかった。天皇の乗り物は輿(こし)と定められていたから。なので、天皇を退位すると、牛車に乗ることができた。
 貴族の乗った牛車が石つぶての攻撃を受けることはあった。
 文化勲章は、文化の発展に大きく寄与したものが資格がある。この勲章のデザインは橘(たちばな)。皇族の一員だった葛城王らが天皇に願い出て、「橘」なる姓をもらった。葛城王は橘諸兄(もろえ)と改名した。
 庶民は排泄するとき、高下駄をはいていた。この高下駄は恐らく共同使用していた。
 平安京に犬は多く生息していた。ペットや猟犬としてではなく、汚物処理係だった。猫のほうは舶来の貴重な動物であった。なので、高貴な邸宅の中で、文字どおり「猫可愛がり」されていた。猫は貴重なので、幼少時に、「犬」の名で呼ばれた人は決して少なくなかった。「犬宮」は男性にも姫君にもいた。「犬」のつく幼名は、「長い歳月を重ねての成長」を意味するようだ。
 泔(ゆ)するとは、米のとぎ汁のこと。中国では、米のとぎ汁は、料理に使うものだった。
 髪の長い貴族女性にとって、洗髪は大変だった。
 清少納言や紫式部も登場する貴族社会の内実は、とても大変な競争社会だったようです。平安貴族の十二単衣からくるイ華やかな、そして気楽なイメージに騙されてはいけませんね…。
(2021年1月刊。税込2090円)

ソ連核開発全史

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 市川 浩 、 出版 ちくま新書
 ロシアがウクライナに侵攻して1年以上たちました。プーチン大統領は核兵器を使うぞとたびたび脅していますが、その前にチェルノブイリとザポロージェ原発(原子力発電所)のほうは、すでに現実的な脅威となっています。
 ウクライナは豊かな穀草地帯ではあるものの、燃料資源には乏しいところから原発の大量導入が期待され、1970年代後半から1980年代にかけて、多くの原発がウクライナに立地した。ウクライナ電力産業の原発依存率は高く、電力の55%が原発によっている。
 チェルノブイリ原発は1986年4月26日、大惨事を引き起こしたが、すぐには閉鎖されなかった。ようやく閉鎖されたのは2000年のこと。ウクライナの電力事情が即時閉鎖を許さなかった。
 ザポロージェ原発はチェルノブイリ原発と同じくロシア軍の支配下にあり、外部電源を喪失したり、ウクライナとの戦火の下で危うい状況が続いている。第三の巨大原発災害、カタストローファにならないか、著者は大いに危惧しています。
 ソ連の核開発は、アメリカのそれとエコーした、時代の狂気なしでは理解できない現象だった。
 チェルノブイリ原発事故に先行して、ソ連市民の原発への疑問・不信は高まり、ソ連政治体制の危機のひとつの要因となった。それにもかかわらず、ソ連の後継国家ロシアの原子力産業は21世紀になって、したたかに息を吹き返し、国際的にビジネス展開するに至った。
 ソ連時代、市民の原発への疑問・不信は高まりを見せ、計39ヶ所で原発の建設・操業を阻止した。
 ソ連時代の核実験場であるセミパラチンスクやカプスチンヤール周辺では、大量の放射性物質が飛散した結果、住民のなかに白血病、種々のガンの罹病率、先天性障害のある子どもの出生率に明らかに有意な増加が認められている。
 ソ連時代、船用の原子炉からの放射性廃棄物は、未処理のまま長く海洋投棄されていた。地下深くに廃棄物を埋没しようとする試みもまったく一部でしかなかった。
 ロシア領内にある採掘可能なウランの埋蔵量は世界の5%にあたる17万トン超。ロシアは低品位ながら毎年3500トンのウランを供給し、カナダ、オーストラリア、カザフスタンに次ぐ、世界第4位のウラン産出国。そして、ロシアは、世界のウラン濃縮能力の40%以上、3.5%濃縮ウランを2万4000トン製造する能力を有している。核燃料の加工は2ヶ所で行われ、年間2600トン可能。ロシアの原子力工業「ロスアトム」は、世界有数の国際原子力企業集団としてよみがえっている。
 日本も原発大国です。日本で戦争なんてはじまったら、たちまち日本は終わりです。敵基地攻撃を反撃能力と言いかえてごまかしていますが、要は戦争しようというのです。でも、日本はウクライナと違って海に囲まれた日本は逃げることもできませんし。1週間も戦争したら、私たちは完全にアウトなんです。ともかく原発再稼働には反対です。戦争にならないよう、外交力を向上させるよう、私たち国民が声をあげるしかありません。
(2022年11月刊。税込964円)

甘粕大尉

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 角田 房子 、 出版 ちくま文庫
 関東大震災のドサクサに無政府主義者(大杉栄)とその愛人、そして幼い子ども三人を虐殺した憲兵大尉が、有罪になったとはいうものの形ばかりの服役をして、パリに渡ったあと、まもなく帰国し、満州で我が物顔にのさぼった。それが甘粕正彦。その一生をたどった文庫本です。
 大震災がおきたのは、大正12(1923)年9月1日の昼前。朝鮮人が暴動を起こしたとのデマが治安当局も加担して広がっていった。
 9月4日、亀戸警察では南葛労組の川合義虎など9人が日本軍の将校に虐殺された。
 甘粕ら憲兵が大杉栄を虐殺したのは9月16日のこと。伊藤野枝、そしてその甥の宗一も殺された。
 甘粕は軍法会議にかけられた。軍隊の中だけでなく、一般大衆にも甘粕支持者は多く、減軽嘆願書は65万人の署名が集まった(法廷に提出されたのは5万)。
 判決はもちろん有罪で懲役10年。ところが、2年もしないうちに出所し、フランスに渡る。
 甘粕が本当に大杉栄たちを殺したのか、今なお真相は明らかにされていませんが、軍当局の全体の意向として大杉栄のような無政府主義者を「邪魔者は消せ」とばかりに虐殺したこと、甘粕がその一味であったことは間違いありません。そうでなければ、甘粕のフランス行き(滞在費用も)を軍部が負担するはずはありません。
 そして、1年5ヶ月ほどフランスにいたあと甘粕は日本に戻り、今度は満州に渡るのです。
 満州では、ハルビンにおいて関東軍による爆弾事件の中心人物に甘粕はなった。
 そして、すぐあとに満州国皇帝になった溥儀が満州に連れてこられたとき、派遣されて出迎えたのも甘粕だった。
 甘粕は満州国が建国されると民政部刑務司長となった。日本の内務省警得局長にあたる高官だ。その後、1937年、甘粕は協和会総務部長に就任した。
 甘粕は陸軍士官学校時代、教練班長の東條英機から教育された。そして、甘粕は東條の「一番のお気に入り」だった。満州時代の東條に対して甘粕は機密費など多額の政治資金を渡していた。
 1939年11月1日、甘粕(48歳)は満映理事長に就任した。酒席の甘粕は、しばしばハメをはずして荒れた。しかし、本業の映画製作には力を入れた。
 日本敗戦の1945年8月20日、甘粕はもっていた青酸カリを飲んで、予告どおり自殺した。3通の遺書のほか、「大ばくち、もとも子もなく、すってんてん」と理事長の黒板に書いていた。
 昭和史の黒い謎の一つですよね。
(2011年10月刊。税込1045円)

福島第一原発事故中通り訴訟

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 野村 吉太郎 、 出版 作品社
 「中通り訴訟」とは、2011年3月11日の福島第一原発事故のあと、避難せずに福島市等で暮らす市民52人が東電に対して合計1億円の慰謝料を請求した訴訟。代理人は東京の著者一人で、被告は東電のみで国は被告としていない。
 東電は裁判所の和解勧告を蹴り、一審で住民側が勝訴すると控訴し、さらに上告もした。もちろん上告棄却となって高裁判決が確定した。高裁判決は基本的に慰謝料30万円を認め、既払金8万円を差し引き、弁護士費用2万2000円を加算した。
 原告52人のうち、男性は5人のみで、女性が47人と圧倒的に多い。世代としては事故時に60代22人、50代15人と、この二つの世代が多い。
 3.11から3年後の2014年3月に弁護士と原告予定者の第1回目の話し合いがもたれた。その後、弁護士と原告予定者が個別面談を重ねて、陳述書づくりをすすめた。
 2年後の2016年4月に福島地裁に提訴し、8月に第1回口頭弁論。2年後の2018年2月から原告本人尋問がはじまり、7回の本人尋問で、ほぼ原告全員が法廷で陳述した。
 2020年2月に福島地裁で原告側一部勝訴判決。9月に仙台高裁は1回で結審し、2021年1月に判決。2022年3月、最高裁が上告受理申立を認めず確定。
 当初の原告予定者は100人ほどだったが、陳述書がまとまらずに断念した人も多く、結局、原告は52人となった。著者は、それぞれ3200字以上の陳述書を書いて、1人100万円の慰謝料を求めてたたかおうと原告団を励ました。陳述書を完成させるまでに、最低3回、多い人は10回以上も弁護士である著者の指導を受けて書き直した
 著者は原告に「ヌードになれ。せめてセミヌードに」と言い、「自分をさらけ出すこと」を迫った。そして、原告本人尋問の前には2回、そして前日もリハーサルをやった。つまり3回もリハーサルして、原告は本番の法廷にのぞんだ。
 本文470頁の大著である本の中には、52人の原告の陳述書が2段組で紹介されています。その全部に目を通しましたが、本当に大変な状況に追い込まれたことを改めて知りました。
放射線被爆の下で、家族を避難させるのかどうか、家族の分断が生まれ、気まずい状況も生まれます。
子どもたちは福島にいる限り、室内に閉じ込めておくしかありません。東京に出て、子どもたちが地面の上を駆けまわっているのを見て涙が出てきます。そして、甲状腺検査をすると、結果はA2。20ミリ以下ののう胞があることが判明。再検査の必要はないというけれど、本当にそうなのか。
自宅周辺を自ら除染する。行政はすぐには動かないし、業者に頼んだらいつになるか分からないというので、自分たちでやってみる、庭に穴を掘って、汚染土を埋め込む。身体のあちこちにガタが来る。
放射能のせいとは断言できないが、子どもたちが鼻血を出す。大人も病気になる。そうでなくてもストレスから体調不良になる。
小学生の子どもから、「自分の命は40万円なの?」と尋ねられ、何と返事してよいか分からない…。
庭の花、畑の野菜そして柿やシイタケなどの自然の恵みに触れて豊かな老後生活を楽しんでいたのが突然断ち切られ、孫たちとも離ればなれにさせられた。これで慰謝料4万円ですまそうという東電は絶対に許せない。
身につまされる陳述書ばかりでした。いま、岸田政権は12年前の大事故を忘れたかのように原発再稼働をすすめようとしています。信じられません。3.11の原発事故が日本社会にもたらした深刻な打撃の実情をまざまざと認識させられる本です。著者は日弁連で調査室の室長をしていましたので、私も面識があります。大分県竹田市の出身です。
(2022年12月刊。税込4290円)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.