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スマホを捨てたい子どもたち

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 山極 寿一 、 出版 ポプラ新書
 ゴリラ研究の第一人者である著者が人間の子どもについて深く考察している本(新書)です。
 初めのところで私と共通するところがあり、驚き、かつ、うれしくなりました。つい、そうだ、そうだと叫んでしまいました。
 ガラパゴスと言われる古いケータイをいつもカバンの中に入れて持ち歩き、かかってきても音が聞こえない。自分勝手で申し訳ないけれど、ケータイをオープンにしたら、とても自分の時間をもてない。現代の情報化社会で、それが自分を守る方法。
 私の場合には、オープンにしたところで、それほど電話がかかってくるとは思いませんが、ともかく縛られたようになる気分が嫌なのです。スマホなんて、持ち歩きたくありません。
 スマホを使えば友だちと交信できるし、世界とも仲間ともつながっている感覚がもてる。でも、本当の意味で、人々は世界とつながっているのだろうか…。
 著者と同じ疑問を私も抱いています。
 世の中で何か事件が起きると、したり顔で素早く論評する人の何と多いことでしょう。でも、論評の対象となった事件の本質はまだ十分に知らされていないことが多いと思います。そんな段階の論評って、いったいどれだけの価値があるのか、私には疑問です。そして、避難・攻撃に走って快感を得ようとする人があまりに多いように思えます。ちょっと異常な社会になっていませんか…。
 人間と動物の出会い、人間同士の関係は、次に何が起きるか100%予測することができないからこそ、面白い。この面白さが生きる意味につながる。今、多くの人間が見失っているのは生きる意味ではないか…。
 人間は情報化することで、逆にバカになった。情報化するというということは、分からないことを無視するということ。だから…。
 人間がほかの動物と異なるのは文化をもっていること。
フィールドワークするときの4つの心得。その1、動物になりきる。人間であることを忘れる。その2、動物の感覚で自然をとらえる。その3、動物と会話して気持ちを通じ合わせる。その4、そこに降ってわいてくる新しい発見をつかむ。
 なるほどなるほど、でも、実際に実践するとなると、大変難しい心得ですよね。
 ゴリラと出会うと、「ウホウ」と呼びかけられる。それに対して、「グックフーム」と返す。これで、「ぼくだよ」と答えたことになり、ゴリラは安心する。「ダメ」と言いたいときは、「コホッコホッ」と咳のような音声を出す。変な返事をすると、ゴリラは「オッオッ」という声を出して怒る。
ゴリラは、何の挨拶もなしに2メートル以内に近づいたら、身体が「えっ、何かおかしいぞ」と反応する。
ゴリラは年齢(とし)の序列で優劣をつけない。
シルバーバック(ゴリラのオスの大人)は自分から子どもを育てにはいかず、子どもが来るのを待っている。白い背中はメスのためでなく、子どものため。白いと暗いジャングルでも目立ち、子どもたちは、白い背蟹を目印にしてついて歩いていける。休憩するときには、白い背中に惹きつけられるように寄っていって、この背中を枕にして寝る。シルバーバックの背中は子どもたちの憧れの場所。シルバーバックの白銀の毛は、背中からお尻、後ろ足のほうへと、年齢(とし)をとるごとに増えていく。こうして、ゴリラのオスは、年齢をとっても群れから追い出されることなく、子どもたちのアイドルであり続ける。
ゴリラは、近くで同じものを食べていて楽しい気分になると、ハミングして同調しあう。
ゴリラが何かしようとするときは目を見ればわかる。何かイタズラしようというときは、目がキラキラ光っている。これって、人間の子どもも同じですよね…。
人間の赤ちゃんは、体の成長を犠牲にして脳を発達させている。
家族をもっているのは人間だけ。ゴリラは単独の家族のようなものはもっていても、それが複数で集まることはない。チンパンジーは、複数のオスやメスが集まる地域共同体のようなものはあるが、家族はもたない。
人間の社会性は、食物を運び、仲間と一緒に安全な場所で食べる「共食」から始まった。ニホンザルは、基本的に食物を分配しない。チンパンジーやゴリラは食物を分配する。
食物の分配は、知性の高さではなく、子育ての負担の大きい社会で起こる現象。
学ぶのはどんな動物もしているが、教えるのが出来るのは人間だけ。 
人間は日本の足で立つことによって上半身と下半身が別々に動くようになり、支点が上がり、身体でいろいろな表現ができるようになった。言葉的な身体を手に入れた。
人間は、成長過程において、生物学的に弱い時期が2回ある。第一は乳離れの時期。もう一つは、思春期スパートと呼ばれる10代半ばから後半にかけて。
さすがに考えさせられる指摘が山ほどありました。
スマホに頼り過ぎてはいけないと、著者は最後に強調しています。まったくそのとおり、と、スマホをもたない私も声を大にして叫びます。そして、本を読むことをすすめています。これまた、同感です。いい本でした。
(2022年10月刊。税込946円)

亡命トンネル29

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 ヘレナ・メリマン 、 出版 河出書房新社
 かつて、ドイツは東西、2ヶ国に分かれていた。ベルリンにも東西があり、そびえ立つ壁で遮断されていた。この本は、そんな壁の下にトンネルを掘って、東から西へ脱出するのに成功した人々の苦難の取り組みを改めて掘り起こしています。
 ときは1962年夏のこと。1962年9月14日、トンネルを総勢29人の東ドイツ市民が西ベルリンへの脱出に成功した。
 すごいのは、このトンネルは4ヶ月間、学生を中心とするボランティアのグループが機械ではなく、手で掘りすすめていたこと、トンネルの長さは122メートル(400フィート)あったこと、そして、掘り進む途中からアメリカの報道機関NBCが撮影していて、脱出成功の瞬間も映像として残していること、これだけ大がかりの脱出なのに、東ドイツの秘密警察シュタージに発覚しなかった(別のトンネルは発見され、40人が逮捕)こと、です。
 380頁もある大作なのですが、シュタージへの情報提供者(つまりスパイ)がトンネルを掘るグループに潜入していて、シュタージへ情報を流していたので、そのスパイとの駆け引き、トンネルを掘りすすめる苦労話などがあって、手に汗握るほどの臨場感があり、車中と喫茶店で一気読みしてしまいました。
 東ドイツでは、シュタージへの情報提供者は17万3000人にのぼった。東ドイツの人口の6人に1人は「スパイ」だったというほどの密度だった。たとえば東ドイツの教会指導者の65%がシュタージの協力者だった。
 東西ベルリンを分断する壁がつくられたあと、1961年末までに8000人が西側への脱出に成功した。うち77人は国境警備兵だった。
 NBCはトンネルを撮影したが、トンネルがあまりに狭いため、持ち込めるのは、最小・最軽量のカメラだけで録音できなかった。そして、カメラは150秒分のフィルムしか使えなかった。
 シュタージの前に連れてこられた人間は、それまで誇りと自信にみちていたのが、たちまち自分はとるに足らない人間、人でなしの無価値な人間だと思うようになった。昔からの価値観がガラガラと音をたてて崩れ去っていった。そして、尋問官自体が、別の尋問官から「のぞき見」され、監視されていた。
 東ドイツの政権が倒れていくなかで、市民は自由に東西を往来できるようになり、ついで壁自体が破壊され、ついに撤去されたのです。映画『大脱走』(スティーブン・マックイーン)は捕虜収容所からトンネルを掘って救助されたというストーリーだったように思います。
 それにしても、市民監視の網の目のこまやかさには驚嘆するほかありません。最後まで面白く読み通しました。私もドイツのベルリンに一度だけ行ったことがあります。大きなブランデンブルグ門を見学し、ここらに壁があったと言われましたが、もちろん何もなく、想像できませんでした。
(2022年10月刊。税込3740円)

台湾の少年(1~4)

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 周 見信 ・ 游 珮芸 、 出版 岩波書店
 日本統治下の台湾で少年時代を過ごした蔡(さい)焜霖(こんりん)は、だから日本語ペラペラです。
日本敗戦後、蒋介石の国民党軍が中国本土から台湾に渡ってきます。毛沢東の中国共産党軍に敗北したためです。そして、台湾を反共の砦とすべく、厳しく民衆を弾圧しはじめました。
蔡少年は台北一中のとき自主的な読書会に誘われ、社会と文化に目を開いていきます。そこには何の思想的背景もありませんでした(少なくとも蔡少年には…)。ところが、それが国民党政府からスパイ罪に該当するとして逮捕され、懲役10年の実刑。台湾の南島部にある小さな緑の島に流され思想改造を迫られます。なんとも理不尽な弾圧を受けるのです。「蔡少年」の仲間が、何ら正当な理由もなく本土へ戻され何人も銃殺されてしまいます。
やがて蒋介石も息子の蒋経国も亡くなり、「蔡少年」は台湾に戻ります。ところが、戻ってから父親は「蔡少年」が緑の島へ送られまもなく自死しているのを知らされます。そして、台湾に戻ってからも、緑の島に何年もいた前科者として就職するのは容易なことではありませんでした。
やがて縁あってマンガ本を出す出版社に就職。このころの台湾では、日本のマンガを少し変えただけのマンガ本が流行していました。
「蔡少年」(大人になっています)は、マンガ本ではなく、子ども向けの教育雑誌「王子」を創刊します。目新しく、宣伝上手なこともあって、大いに売れます。ところが、二度の大洪水で被害にあい、うまくいっていた会社は倒産。破産して一からやり直しです。
しばらく浪人していると、拾う神ありで、広告会社をまかされ、やがて実力を発揮して副社長になります。
こんな台湾の少年ストーリーがマンガで描かれます。よく出来たマンガ(絵)なので素直に感情移入ができ、1巻から4巻まで一気に読み上げました。というか、実在の人物の話なので、いったい、このあとはどうなるのだろうと、外の仕事は手につかず、そっちのけで読みふけったのです。
「蔡少年」は仕事をやめたあとは、1950年代の白色のことをボランティアとして若い人たちに語りつぐ仕事に没頭するようになりました。虐殺された被害者の氏名が刻まれた碑の前に立った「蔡少年」は、「許しておくれ。生き残ったくせに、ぼくは努力が足りなかったよな」と謝罪します。いえいえ、決して「蔡少年」は何も悪くない、そして努力が足りなかったわけでもありません。
緑の島にいた10年間について、「蔡少年」は、子どもたちには「日本に10年間も留学していた」と嘘ついていました。でも、ある日、本当のことを告げて、子どもたちと一緒に緑の島へ渡るのです。この本を読んで救いを感じるのは、このところです。
今では台湾は国民党と民進党とが平和的な政権交代ができるようになっています。かつてのような反共主義で軍部独裁のテロが荒れ狂う島ではありません。そんな台湾の痛みを伴う歩みをマンガを通じて学ぶことのできる本です。
ぜひ図書館で借りるなりしてご一読ください。強くおすすめします。
(2023年1月刊。2640円)

中国青銅器入門

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 山元 堯 、 出版 新潮社
 今から3千年ほど前の中国でつくられた殷周(いんしゅう)青銅器を写真とともに解説している本です。
 京都市(左京区鹿ヶ谷)にある泉屋(せんおく)博古館(私は残念ながら、まだ行ったことがありません)には、世界有数の殷周青銅器のコレクションがあるそうです。ぜひ、一度行って鑑賞したいものです。
 殷周青銅器には、ときに過剰なまでの装飾がほどこされている。ところが、実は、かなり細やかな用途が想定されていて、各用途に応じた高い機能性が備わっている。ええっ、でも、そんな「細やかな用途」なるものは後世の私たちの想像にすぎないのではないのか…、そんな疑問が持ちあがります。ところが、器種カタログを眺めると、いや、そうかもしれないという気になっていきます。
さまざまな漢字、日本には入ってこなかった漢字によって、その名と体が表現されています。ここで、紹介できるのは、せいぜい「かなえ」(鼎)くらいのものです。この「かなえ」は、肉入りスープを煮るもの。青銅器祭祀の中心的役割を果たす器として多くつくられた。
 殷周時代の儀式やもてなしで用いられた酒は、香草の煮汁で香りづけをした「においざけ」だった。香りをつけた酒は、次に温める器へ移され、燗(かん)をつけて香りをさらに引き立たせる。温められた酒は、最後に、飲酒器に移され、それを参列者が恭(うやうや)しく口をつけて飲む。
 酒は、甘酒のような粘性の高い酒をスプーンですくって飲んでいた。
 酒を飲むときには、音楽の演奏がともなっていた。
 殷周時代はもとより、青銅製の楽器は釣鐘(つりがね)の類だった。鐘(しょう)や鎛(はく)と呼ばれた。私も、中国への旅行団に参加したとき、この楽器のミニチュアを買い求めました。今も我が家にあります。
 さまざまな動物たちの姿・形に似せてつくった青銅器があります。ニワトリ、ミミズク、象、ラクダ、水牛などです。もちろん、神獣ではありません。
 庭にある池をのんきに泳いでいる蛙(カエル)の姿も彫られています。
 この本には、「金文」を読み尽くす取り組みも紹介されています。
 金文というのは、鋳(い)込まれた文字のこと。学者がちゃんと読めるなんて、すばらしいことです。
 そして、金文の復元にも挑んでいます。
 それにしても、今から3千年も前に、この世のものとは思えないような奇怪な獣をかたどった造形には、ただひたすら圧倒されてしまいます。
 古来、中国には、優れたものを「キメラ」として表現する伝統がある。
 殷周青銅器をつくった工人たちは、自然界のありとあらゆるものを注意深く観察し、ちょっと見ただけでは気がつかない特徴を正確にとらえ、器の上に表現している。たとえば、虎の瞳孔は、縦長ではなく、正しく丸く描かれている。
青銅器に描かれた文様のすばらしさは、3千年という年月を感じさせません。それにしても、青銅器入門というのですから、まずは現物を見てみなくては始まりませんよね…。
(2023年1月刊。税込2200円)

孤高の狩人、熊鷹

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 真木 広造 、 出版 メイツ出版
 圧倒的な迫力です。熊鷹(クマタカ)の目付きの鋭さには、見ているだけでタジタジとさせられます。
 山形県生まれの写真家が山形の朝日連峰に出かけて捉えたクマタカです。どの写真もピントが見事なほどあっていますので、その広げた翼の美しさに思わず息を呑みます。
 冬の時期に、年間50日から60日間も、山中、ブラインドにこもって、ひたすら待ち続けてクマタカを待ちます。深い積雪の中、厳寒との戦いです。それなりの覚悟と強い姿勢がなければ撮れない画像です。それでも、シャッターチャンスは10%以下。ひゃあ、すごいです。こんな寒さに耐えて6年間もがんばったんです。クマタカも写真を構えている人間には気がついていたようです。なにしろ、ときに目線があうのですから…。
 クマタカは、古くから鷹狩りのタカとして利用されてきた。
 オスとメスと目で見て識別するとのこと。メスは次列風切が長く、翼の幅が広く見える。オスは、次列風切と初列風切の長さの差が少ない。なので、メスのクマタカのほうが少しばかり大きい感じです。
 紅葉の秋をバックとしたクマタカの写真もありますけれど、やはり真っ白な雪景色のなかのクマタカのほうが断然、迫力があります。
 カメラを向けると、クマタカもそれに気がついて、じっとにらみつける。その眼光の鋭さ、その迫力に圧倒された。まさしく、そのとおりです。
 ブナの大木の上のほうで子育てしているクマタカ親子の様子もカメラで捉えています。いったい、どうやってこんな写真を撮ったのでしょうか…。
 大空を悠然と舞うクマタカは気品があります。この本では「貴賓」と書かれています。
 クマタカがヘビを捕まえて飛んでいる写真もあります。ヘビたって食べるのですね。ヘビから噛まれてしまいそうですが…。
 ところが、2羽のカラス(ハシブト)に追われて必死に逃げていくこっけいなクマタカの姿もとらえられています。2対1ではクマタカも、うるさくてかなわん、もう相手にせんどこ…という感じで、逃げまどっているのです。
 6年間の血と汗の結晶が見事な写真として結実しています。撮影データもぎっしり。こんなに詳しく記録していくものなんですね、驚きます。
 ぜひ、あなたも手にとって眺めてみてください。一見の価値は大いにあります。
(2022年10月刊。税込2200円)

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