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あなたの小説には、たくらみがない

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 佐藤 誠一郎 、 出版 新潮新書
 著者は30年間も高村薫の担当編集者だったとのこと。最初の10年間は、著者に対して意見したり注文をつけていたそうです。しかし、そのあとは、ひたすら呆然とするばかりだったといいます。それだけ、作家の力量に圧倒されたということなのでしょうね。担当編集者に、こんな告白をさせるなんて、すごいものですね…。
 書きたいものを書くのが一番。これには、まったく文句がありません。
 小説を評価するときの五大要素とは、一に文章、二に主題(テーマ)、三、四がなくて、五に筋(ストーリー)。なーるほどですね。読ませる文章が第一にくるのですね…。
 ①文章、②テーマ、③物語性、④人物造形、⑤同時代性。筋は、今や企画性をふくんだプロットという言葉に置き換えられている。
 テーマの展開に市場価値をつけようと思うなら、「意外性のある演出」が不可欠。意外性とは、著者の言いたい本当のところを読者に納得させるための演出だ。演出の中で、もっとも効果のあるもの、それが意外性だ。人間は常に新しいもの、珍しいもの、意外なものを求めてさまよう生き物だから、新しさと意外性がセットになって読者を攻撃したら、読者は白旗をあげて降参してしまう。
 時代小説のすぐれた書き手だった藤沢周平は質問に対して、「自分はただ現代小説を書くつもりで、時代物を書いている」と答えた。うむむ、そうだったのか、だから現代社会に生きる私たちの胸を打つ小説になっているのかと納得できました。
 小説の作者は主要人物を成長させてやる義務がある。
 普通、作家は編集者から育てられると言いますが、この著者は長く編集者をやっていただけに、逆のこと、つまり編集者は作家によって育てられると「あとがき」に書いています。きっと、両方とも成り立つのでしょうね。
 モノカキ志向の私も小説らしきものを何冊も書いてきましたが、「たくらみがない」とか意外性が大切なんだと言われると、ああ、そうなんですねと言わざるをえません。これからでも遅くないと思って精進するほかありません。
(2022年9月刊。税込858円)

魏志倭人伝と邪馬台国

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者  榊原 英夫 、 出版  海島社
 私は、もちろん邪馬台国は九州にあったと考えています。その後、大和に移っていったのです。それが日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の話につながります。では、九州のどこか・・・。個人的には、瀬高の大和(ヤマト)説です。いえ、吉野ヶ里でもいいのですが・・・。
 ところが、ヤマトの纏向(まきむく)遺跡に大型建物跡が発見されると、大和説をマスコミが強調してしまい、面白くありません。でも、この本の著者は、そのマスコミによる通説に待ったをかけています。頼もしい助っ人です。志賀島で発見された金印にある「漢委奴国王」の「委奴」は何と読むのか・・・。
 古くは、「委奴」を「いど」と読んでいたそうです。その後、「漢の委(わ)の奴(な)」と読む説が登場したとのこと。ただし、後漢では「倭奴(わな)」という国名と認識していたようです。
 金印は、志賀島の南端の傾斜地の土中、大人2人で動かした大石の下から見つかった。とても王墓とも墓とも言えない状況のようです。
 著者は、この金印について「倭奴国」が自力で「倭」地域の盟主になることを期待する後漢から餞別(せんべつ)だったと考えています。
 「倭漢著」倭伝にある「倭国王帥升(すいしょう)」は、「伊都国王」であると推認できる。
 「魏志倭人伝」は特異な存在だ。文字数が極端に多い。「倭国」が文明が文明国であり、魏にとって重要なことを強調している。
 「奴(な)国」は、空見川流域の早良(さわら)に平野にあった。
 「不弥(ふみ)国」は、宇美町にあたる。「伊都国」は、旧怡土(いと)郡志摩郡にあたる。
 「倭の奴(な)国」ではなく、「奴」は「の」と呼ばれていた。
 邪馬台国は、「女王の都(みやこ)する所」である、倭国を代表する国、すると7万戸、人口35万人というからには「須玖遺跡群」や「比恵・那珂遺跡」あたり、つまり春日市から福岡市博多区南部にかけた一帯だというのが著者の説です。
 なるほど、春日市の遺跡と博物館を見学したことがありますが、ここからは博多湾を見渡せる地形でもあり、豊富な遺物の土器から、邪馬台国があったかもしれないと実感しました。
 倭国は「絹の国」だった。自国で絹を生産し、魏から大量の絹製品を下賜(かし)されていた倭国(邪馬台国連合)は北部九州に存在していた。まったくそのとおりです。
(2022年11月刊。1800円+税)

ジェンダーレスの日本史

カテゴリー:日本史(古代史)

(霧山昴)
著者  大塚 ひかり 、 出版  中公新書ラクレ
 トロイア遺跡の発掘で有名なシュリーマンは明治の初めころに日本に来て、公衆浴場の前を通ると、30人から40人の全裸の男女が出てきて、驚きました。そうなんです。このころの風呂は男女混浴があたり前でした。
 それを見たシュリーマンは、「名前に男性形、女性形、中性形の区別をもたない日本語があたかも日常生活において実践されているかのようだ」と話したのでした。
 そのとおり、日本語には性がありません。私は長くフランス語を勉強していますが、この名刺は女性形なのか男性形なのか、今でも迷うことがしばしばです。これは直観に頼って覚えておくしかありません。
 日本の『古事記』や『日本書紀』という正史には、神々のセックスで国や国土が生まれたと堂々と書かれている。性は良いもの、大事なものという前提がある。子作り以外のセックスを罪悪視するキリスト教とは根本的に違っている。なーるほど、そうですよね。
 平安時代の美形は男女ともに、「きよら」とか「にほふ」というコトバで形容されている。
古墳時代前期における女性首長の割合は全国で5割以下、畿内では3割以下で、つまり3割から5割ほどの女性首長が古墳時代前期に存在した。
 いやあ、これってすごいことですよね。日本古来の現実は、女性が活躍する時代だったのです。そう言えば、天皇の先祖はアマテラスという女神でしたよね。そして、神功(じんぐう)皇后はもとより、推古から称徳まで、6人8代の女帝が立て続けに出ていました。なので、現代日本で女帝は認められない、それは日本古来の伝統なのだから・・・というのは、真っ赤な大嘘なのです。自民党の議員さんたちは少しは古代日本の歴史も勉強して下さい。
 平安時代になって、最高権力者の任命でもめたとき、決定権があるのは国母だった。国母、つまり天皇の母に決定権があったのです。国のトップは関白頼道(よりみち)でも天皇でもなく、80歳の彰子でした。
 鎌倉時代になっても、東は北条政子と義時の姉弟、西は後鳥羽院の乳母(めのと)の郷二位が牛耳っている。このように僧慈円は『愚管抄』に書いている。
 日本は明治後半まで、ずっと夫婦別姓だった。平安時代、藤原道長の妻は源倫子と源明子。鎌倉時代、源頼朝の妻は北条政子。室町時代、足利義政の妻は日野富子。
 夫婦同姓になったのは明治31(1898)年に明治民法が施行されてからのこと。わずか100年あまりのことにすぎないのです。
 古代社会、そして平安時代まで、新婚家庭の経済は妻方が負担し、家・土地は娘が受け継ぐことも多かったことから、子の父が誰かは大した問題ではなかった。
 いやあ、これは現代日本とはかなり異なる観念ですよね・・・。
お歯黒をつけるというのは江戸時代の女性とばかり思っていると、この本では、将軍も武士も上流階級の男はお歯黒していたというのです。そして、それが明治期まで続いていたというのには驚きました。
 知らないこと、思い込んでいることがいかに多いかと改めて思い知らされる本です。
 「日本古来の・・・」と自民党が言うのも、大半は「明治の人達は・・・」ということだということもよく分かる新書です。すらすらと読めますから、ご一読ください。
(2022年11月刊。990円)

犯罪の証明なき有罪判決

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者  吉弘 光男・宗岡 嗣郎 、 出版  九州大学出版舎
 この本のタイトルって変ですよね。有罪判決というのは、犯罪が証明されたから宣告されるもののはずです。なんで犯罪の証明がされないのに有罪判決が出せるんですか、おかしいでしょ。いったい、誰が書いたの、この本は・・・。どうせ、ネットで注目を集めたいというだけの人騒がせな連中でしょう。
 いやいや、ところがところが、予想に反して、実は九大の刑法学の先生たちが集まって問題ある判決を集め、研究して世に送り出した警世の書なんです。
 サブタイトルに「23件の暗黒裁判」とあります。犯罪の証明がないのに有罪判決が出た23件を徹底分析しています。読んでいると、背筋が氷ってきます。寒気がして気分まで悪くなります。
 日本の最高裁判所について、実は「最高」ではなく、「最低裁判所」というほかないと残念ながら私は確信し、断言します。その根拠は、本書でも紹介されている砂川事件判決です。このとき、最高裁は全員一致で、日米安保条約が違憲であると認めて被告人7人を無罪とした一審判決(伊達和雄裁判長)を棄却し、有罪の方向へ引っ張りました。問題は、その論理ではありません。長官の田中耕太郎(軽蔑するしかない男ですので、敬称なんかつけません)は、なんと最高裁の評議内容をアメリカ大使を通じて実質的な裁判の当事者であるアメリカ政府に伝え、しかも、その指示を受けて行動していたのです。私が勝手に言っているのではありません。アメリカ政府の正式文書に記載されていることなのです。最高裁長官が自ら司法権の独立を踏みにじっていたわけです。これが明らかになっているのに、今まで日本の最高裁はコメントすらしていません。同類だというわけです。
 この田中耕太郎は戦後最大のクレームアップ(冤罪事件)と言われる松川事件のとき、「木を見て森を見失しなわないこと」が必要だと言いました。被告人のアリバイを立証する諏訪メモが発見されたので、当然に無罪とすべきなのに、捜査官が作成した大量の「調書」に書かれた事実を「森」として、有罪にしていいと主張するのです。
 捜査官の調書なんて、実のところ作文でしかありません。客観的な裏付けがあって初めて意味があるのです。
 「ことばだけが、どんなに相互に補強しあったところで、それが事実を証明するものだとはいえない」つまり「ことばとことば」ではなく「ことばと事実」の一致だけが「事実の真相を明らかにする」(岡村辰雄弁護士)。まったくそのとおりです。
 事実を直視しないで、どうして事実の認識(事実認定)ができるものかと著者は強調しています。まったく同感です。
 田中耕太郎は、戦前に思想係検事(共産党弾圧の先兵)だった池田克が戦後、公職追放されたのに、最高裁判事に任命しました。これまた、ひどいものです。いえ、ひどすきます。
 戦前の特高警察は、容疑(証拠)があって逮捕するのではなく、逮捕してから容疑をつくった。池田克は典型的な冤罪事件である横浜事件について、自ら「でっち上げ」をしながら、検察官が犯罪を「でっち上げ」ることはないと厚顔にもインタビューを受けて答えたのでした。
裁判官は、検察官に対してあたかも同僚のような信頼感をもち、「判検一体」となった訴訟指揮をすることが多い。そして、被告人に対しては法廷では嘘をついて罪を免れようとしているという偏見をもち、「おれは騙されないぞ」と、捜査官のような予断をもっている。
「裁判官は証拠で認定するのが本来ですが、なかには証拠が薄くても本当に被告人が犯人だと確信してしまえば、多少判決の説明が苦しくても有罪判決する裁判官がいる」(木谷明元判事)。しかし、たとえ裁判官がどれほど強く有罪への確信をもって心証を形成しても、証拠の薄さに由来する「疑わしさ」が残るかぎり、「犯罪の証明があった」とは言えず、有罪判決は書けないはず。有罪の「心証」ではなく、有罪の「証明」が必要なのである。
 ところが、裁判官は有罪の証明ができないときに「事実を創作」してしまう。もちろん、こんなことはあってはならないことですが、ときどき起きているのが現実です。
「そこに・あった・事実」を直視(直観)することなく、内容が現実と一致しない自白であっても、「論理的な可能性」すなわち「思考上の可能性」の観点に立脚したり、事実を抽象化して自白内容と現実との矛盾を解消したり、事実の有無を記憶の問題にすりかえる。
 50年近く弁護士をしていると、ときどき、すばらしい裁判官に出会うことがあり、いやいやまだ日本の裁判官も捨てたもんじゃないなと思い直すことがあります。でも、そんなことはめったになく、ホント、たまに・・・です。残念ながら、それでもルーティンとして流れていくのは、ふだんは、それほどの対決点がない事件が多いからです。
 300頁の本ですが、大変勉強になりました。一生懸命、大事な指摘だと思ったところは赤えんぴつでアンダーラインを引きながら久しぶりに精読しました。一読を強くおすすめします。こんな硬派の本って、いったい、どれくらい売れているのでしょうか。心配にもなりました。
(2023年1月刊。3200円+税)

ヒエログリフを解け

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 エドワード・ドルニック 、 出版 東京創元社
 エジプトでロゼッタストーンが発見されたのは1799年。ナポレオンのエジプト遠征のとき。
 そこには、3種類の文字が彫られていた。最下段にギリシャ文字、最上段はヒエログリフで、真ん中部は何か不明。学者はギリシャ文字は解読できたが、上の2種類の文字は、まったく分からなかった。
 この謎は、フランス人とイギリス人という2人の天才によって解明された。どちらも幼いときから神童として呼ばれていた。
 イギリス人のトマス・ヤングは世にまれな多芸多才の天才。フランス人のシャンポリオンは、エジプトを偏愛する一点集中型の天才。クールで洗練されたヤングと、熱血漢で激しやすいシャンポリオン。
 エジプトの文化は驚くほど「死」に執着している。ピラミッド、ミイラ、墓、神々、死者の書など、これらすべては、死を追い払い、ねじ伏せ、死後の世界で迷うことなく生きていくためのもの。祈祷文や呪文は、どれも死は終わりではないと訴えている。
 ファラオは、「あなたは、まだ若返って再び生きていく、また若返って永遠に生きていく」という呪文とともに死後の世界へ送られていった。だから、エジプトでは輪廻転生(りんねてんしょう)は信じられていなかった。もし信じていたら、魂が新しい肉体に宿るわけだから、わざわざ古い肉体をミイラ化して保存する必要はない。人間のミイラをはるかに上まわる数の動物のミイラがつくられた。ネコ、イヌ、ガゼル、ヘビ、サル、トキ、トガリネズミ、ハツカネズミ、はてはフンコロガシまで…。
 麻布でくるまれたネコのミイラが無数に出土している。
 ロゼッタストーンのギリシャ文字はやがて解読された。それによると、次のとおり。
 「この宣言は、神々の文字(ヒエログリフ)、記録用の文字(真ん中の段の文字)、ギリシャの文字をつかって堅牢な石版に刻み、永遠に生き続けるファラオの像とともに、最高位の神殿、二位の神殿、三位の神殿に置くものとする」
 楕円形のカルトゥーシュは、支持標識。この楕円形の中に入っているヒエログリフは、王の 名前をつづったもの。そして、クレオパトラが判明した。
 ガチョウと卵と思われていたのは、アヒルと太陽だった。この二つを合わせると「太陽の息子」。アヒルは息子を意味する。
 ヤングとシャンポリオンはライバル関係にあった。だが、天才の二人が競いあったことで、ヒエログリフは解明されたのだと、この本の著者はまとめています。そうなんでしょうね…。
(2023年1月刊。税込2970円)

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