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中国残留邦人

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 井出 孫六 、 出版 岩波新書
 「中国残留婦人・残留孤児」は、国策で日本から送り出され、日本改戦によって中国に置き去りにされた人々です。ですから、カネやタイコで中国(当時の満州)に送り出しておきながら、そんなのは自己責任だ、騙されて乗せられたほうが悪いというのでは正義はありません。
 しかも、日本に帰国してくるとき、第一番に中国から日本へ送り返されたのは、なんと元日本兵でした。帰還作業に関わった人たちがアメリカ軍に対して、人道的見地から女性・子ども・老人を優先させるよう求めたとき、アメリカ当局は一笑に付して取り合いませんでした。なぜでしょうか…。
 100万人もの元日本兵を中国に残して置いたら危険だとアメリカ当局は考えていたからです。実際、国共内戦に元日本兵が集団で国民党軍の一翼を担って共度党軍と戦ったという事実もあります。
 東京の大本営は、日本敗戦後も、日本人はなるべく現地に定着し、いずれ帝国復活の糸口をつかめと指示していたのです。
 元日本兵の集団が国共内戦のキャスティングギートを握る事態が起きることをアメリカ当局は予測し、恐れていたのでした。そんなこと、私はまったく夢にも思っていませんでした。
 結局、元日本兵のいない、女性・子どもと年寄りばかりが中国(満州)に残り残されたら、悲惨な目にあうことになるのは必至です。そして、現実に、そうなりました。
 ところが、一部の開拓団は、地元民との融和を大切にしていたことから、戦後も周囲から襲撃・略奪されることなく日本に帰還できました。
 しかし現地民に対して、神より選ばれた選民として君臨し、威張るばかりの開拓団は改戦後たちまち襲撃され、それこそ身ぐるみはぎとられてしまったのです。それこそ、男も女もパンツとズロースひとつで、麻袋に穴を開けて貫頭衣のように着て過ごしたのでした。
関東軍は「治本工作」を満州ですすめた。現地農民を土塁の中に囲い込んでしまうもの。
 満州に成立した開拓団の中で、もっとも悲惨な結末をとげたのは、高社郷、更科(さらしな)郷、埴科(はにしな)郷の三開拓団。高社郷は、716人の団員のうち、日本に引き揚げたのはわずか56人。更科郷495人のうち日本に帰国したのは19人のみ。埴科郷は308人のうち日本へは17人だけ帰国できた。
 日本政府から見捨てられた「残留」の人々から国家賠償を求める裁判が全国で提起されたのも当然のことです。しかし、裁判所は救済を拒否し続けました。それでも、ついに、国に法的義務に違反しているとして、損害賠償を命じたのでした。
これは政府の言いなりに行動していると大変な目に合うということです。
 いま、日本を守る、沖縄の島々を守ると称して、島に自衛隊が進出し、ミサイル基地と弾薬庫をつくり、司令部は地下化しつつあります。有事になったら、真っ先に狙われることでしょう。
 島民は避難しようと思っても、船も飛行機もありません。ウクライナと違って、地続きで外国へ逃げ出すなんてことも、ありえません。島民は戦前の満州と同じように、置き去りにされることは必至です。何が「国民を守る」ですか、そんなこと出来っこないし、政府や自衛隊が真剣に考えているハズもありません。
 古いようで新しい、現代に生きる私たちに中国残留邦人話がよみがえってきているのです。怖いです…。
(2008年3月刊。740円+税)

ハルビンからの手紙

カテゴリー:中国

(霧山昴)
著者 早乙女 勝元 、 出版 草の根出版会
 「マンシュウ国って、どこにあったんですか?」
これは、著者が30年も前に高校生から出た疑問だそうですが、今もきっと同じでしょうね。日本が、かつて13年間も、中国の東北部を占領して、勝手に「政府」を作って植民地支配していたという事実は、今やすっかり忘れ去られているような歴史です。
 その忘却を前提として、アベやサクライなどは「自虐史観はやめよう」、「いつまでも謝罪する必要なんてない」とウソぶいているのです。でも、過去の歴史にきちんと向きあわない人は、将来も再び過ちを繰り返してしまうでしょう。
 戦前の中国東北部を日本は満州と呼んでいました。日本の3倍ほどの面積に、人口は3千万人。豊富な資源を内蔵していました(お金になるアヘンの生産地でもありました)。
 そこに、日本は強引に進出し、日本企業を展開させ、農地を取り上げて開拓団を置いて行ったのです。しかし、そんな悪事が長続きするはずもありません。「満州国」は13年ばかりで消滅しました。その結果、日本人の開拓団そして青少年義勇軍は、関東軍という「精強な軍隊」が「張り子の虎」となっている現実の下、ソ連赤軍の猛攻の下に瓦解し、避難民として逃げ惑う中、何万人もの日本人が死んでいったのです。
 この本の舞台となったハルビンには関東軍が全面的に協力していた「七三一部隊」がありました。悪魔の細菌戦をすすめるために中国人など3000人も人体(生体)実験し、全員を殺害してしまったという悪魔そのものの部隊です。
 関東軍はハルビン郊外に、この一大細菌生産・人体実験工場をつくるため、80平方キロの土地を特別軍事地域として指定した。そのため、1600戸もの現地農民を強制退去させた。七三一部隊からは逃亡者こそ出ていませんが、ペストなどの病原菌がもれ出ていって、周辺の中国人農民や日本人開拓団に病気までもたらしました。
 日本が中国で悪いことをしたこと、それを今なお謝罪するのは当然だということを改めて思い知らされる本でした。
(1990年7月刊。1300円+税)

日の丸は紅い泪に

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 越 定男 、 出版 教育資料出版会
 戦前の満州(中国の東北部)にあった七三一部隊で技術員(石井部隊長の専属運転手など)として働いていた人の体験・告白記です。本当におぞましい内容です。
著者の話を聞いた女子高校生が言い放ちました。
 「あなた方は、そんなひどいことをして…。中国へ行って謝ってください」
 いやあ、ズバリ正論ですね。女子高校生の言うとおりです。でも、何回謝っても、すむものではないことも真実です。ところが、いまや、七三一部隊の蛮行が日本社会で忘れられつつあるというのが、悲しい現実です。
 七三一部隊で犠牲になった人は3千人と言われています。どこの誰が犠牲になったのか、すべて資料が焼却されていてもはや判明しません。「マルタ」と呼ばれ、番号で管理され、医学文献上は「猿」と表現されました。
 施設に入ると、足錠をつけられ、リベット(ピン)の頭が丸くつぶされ、絶対に外されないようにされました。施設からの逃亡は絶対に不可能でしたが、野外の実験場から集団で逃走しようとした事件は起きたようです。そのときは自動車で全員(40人)がひき殺されました。
 細菌を扱うので、七三一部隊の隊員が感染して死ぬこともあったようです。著者は年に20人ほど隊員が死んだといいます。著者の子ども(幼児)も感染死しました。隊員は死んだら解剖されます。入所時に一札書かされているのです。
 七三一部隊には皇族が何人も視察に来ていますし、関東軍の要職にあった東條英機も何回か訪問したようです。また、ハルビンの日本領事館の地下に「マルタ」を収容する施設もありました。
つまり、七三一部隊は関東軍の暴走によるものではなく、日本の政府、軍の直轄事業だったのです。
 ところが、日本攻戦後、石井部隊長たちはアメリカと取引し、実験材料を高く買い上げてもらったうえ、身分保障され、戦犯となることもなく、戦後日本の医学界・医療業界で重きをなし、君臨していたのです。ひどい、ひどすぎます。
 1983年に出版された本をネットで購入しました。
(1983年9月刊。1200円+税)

シチリアの奇跡

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 島村 菜津 、 出版 新潮新書
 シチリアの産業界でマフィアに支払うみかじめ料について公然と語るのは完全なタブーだった。
 私は、これは現代日本でも同じだと考えています。大型公共工事で、暴力団に「寄付金」、「地元対策費」「周辺調整金」など、様々な名目で今なおゼネコンはみかじめ料を支払っているのではありませんか…。そして、建設業者の談合はなくなっていないのではありませんか…。
イタリアのマフィアが最初に管理したがるのは選挙。これはマフィアの武器でもある。これまた日本でも似たような状況ではないでしょうか。暴力団と合わせて統一協会の動き(策動)もありますし…。
シチリア島のマフィアは、3200人から6800人と推定されている。人数に2倍もの開きのあるのに驚きますが…。
シチリア島のパレルモ県には1540人のマフィアがいて、15の縄張りに82の組織がある。といっても、組織は3人から10人ほどで、最大でも30人という。シチリア島の人口は480万人なので、5000人のマフィアがいたとしても、1000人に1人でしかない。なのに、シチリア島といったらすぐにマフィアを連想してしまうのは、島民にとっては心外なこと。
この本は、マフィアから取り上げた土地をオーガニックの畑に変え、ワインやオリーブオイルを作るという意欲的な試みを紹介しています。
マフィアはシチリア島でも、キリスト教民主党とともに成長した。シチリア島では、戦後、共産党と社会党が共闘した人民ブロックが90議席のうち29議席を獲得し、農民運動も盛り上がったので、島はほとんど共産化した。これにブレーキをかけたのが、1947年5月1日のメーデー集会を山賊が襲って、11人が亡くなった事件だった。
マフィアはただの殺人集団ではない。表面的には平和な時期にこそ、マフィアは活動している。マフィアは、暴力を行使することで、経済活動を行う組織だ。恐喝、みかじめ料、誘拐の身代金、公共事業の不正入札、違法薬物の密輸、選挙活動への介入など、その活動は多方面に及ぶ。そして、巨万の富を手に入れると、それを資金洗浄することで、金融業界に介入する。純然たる経済組織でもある。
マフィアが人を殺すのは、組織の掟を裏切った者や組織の利益を阻止する者への罰であり、暴力は、その経済活動を動かす燃料だ。
現在のシチリアでは、あからさまな暴力は、すっかり影を潜(ひそ)めた。しかし、マフィアによる闇(ヤミ)の経済規模は1380億ユーロ。国家予算の7%に相当する。その収益の中でみかじめ料が占める割合は16%(2011)。個人商店は月に2万8千円から7万円(200~500ユーロ)、スーパーは月70万円(5千ユーロ)、建設業界で140万円(1万ユーロ)。
そんなマフィアから押収した土地でワインやオーガニックのオリーブオイルをつくって販売しているというのです。
さらに驚いたことに、マフィア大裁判の裁判官の1人であるサグートという女性判事が、なんと、反マフィア法を悪用したとして詐欺の疑いで捕まり裁判中だというのです。いやはや…。そして、この摘発には、盗聴大国イタリアがあるのです。警察の盗聴によって、個人のプライバシーまで、すっかり暴かれてしまうようです。これも、日本も同じ状況なのでしょうか。
シチリア島の現実の一断面を知った思いがする本でした。
(2022年12月刊。820円+税)

流れる星は生きている

カテゴリー:日本史(戦後)

(霧山昴)
著者 藤原 てい 、 出版 中公文庫
 1945(昭和20)年8月、日本敗戦後の満州から生命からがら日本に逃げ帰ってくる涙ぐましい体験記です。漫画家のちばてつや、ゴジラ俳優の宝田明も同じような体験をしています。著者のこの本は戦後、空前の大ベストセラーとなり、映画化もされたそうですが、残念ながら見ていません。この本の初出は1949年5月で、1971年5月に発刊され、早くも1976年に文庫本になっています。私は改版25刷という2022年7月刊のものを読みました。
ともかくすさまじい内容で筆舌に尽くしがたいとは、このことでしょう。著者の夫は有名な作家の新田次郎で、二男は数学者の藤原正彦。
満州国は日本が植民地支配の道具としてつくっただけの国ですから、日本の敗戦と同時に瓦解し、それまで日本支配下で苦しめられていた現地の中国人、そして朝鮮人が、日本人避難民に一般的に親切なはずがありません(いえ、なかには親切な人もたくさんいました)。
日本人はグループをつくって、リーダーの統率下に行動します。基本的に武器を持たず、お金も少ししかない。食料も着るものも十分でないなかです。しらみと発疹チフスで次々に日本人が死んでいきます。抵抗力のない(弱い)老人と子どもたちがまっ先にやられます。ところが、著者は7歳の長男を頭(かしら)に3人の子どもを連れて、それこそ何度も死にかけて、ついに日本に4人全員が帰り着いたのです。すごいです。
二男(正彦)は4歳。1日2回のお粥(かゆ)ではお腹が満足するはずもない。「お母ちゃん、もっと食べたいよう」と泣く。
日本人会が出来ているが、日本人はみな露骨な利己主義を主張している。誰が何でもよい。ただ自分だけが一刻も早く逃げ出して救われたい。他人(ひと)のものを奪ってでも逃げ出そうとする醜い状況がすぐそこで見られた。
著者の一団とは別なグループが、すぐ近くを歩いていく。ときには牛車に乗っていく。著者は怒りのあまり、その一団のリーダーである「かっぱおやじ」に向かって怒鳴った。
「私をだましたね」
「なにい、生意気いうな。何をしようと勝手だ」
「自分ばかり良ければいいんだろ」
「なにをいう、この乞食(こじき)女め」
「かっぱおやじの馬鹿」
こんな激しい応酬をするのです。そのときの二人の必死の形相が想像できます。そして、別の人に向かって著者はこんな呪いの言葉も投げかけるのです。500円の借金申し込みを断った女性に対して、です。
「子どもたちが死んだら、一生あなたのせいにして、あなたを呪ってやるわ。私が死んだら、きっと幽霊になって、あなたをいじめ殺してやるわ」
その女性は、この脅しに屈して、500円を貸してくれたのでした。
4歳の二男の足はひどく傷ついていた。足の裏に血と砂と泥がこびりついたまま、はれあがっている。この足で山を越させなければいけない。可哀想というより、そうまでして生きている自分が憎らしくなった。「痛い、痛い」と泣く子を、蹴とばし、突きとばし、ひっぱたき、狂気のように山の上を目ざして登っていった。生まれて1年にならない赤ん坊には、大豆のかんだのを口移しで飲み込ませ、生味噌を水に溶かして飲ませた。乳が出ないから仕方がない。どんなに悪いことかは分かりきっていたが、それよりほかに方法がなかった。
38度線をこえ、最後に汽車に乗って釜山に行くまで、一家4人は4日間をリンゴ12個で生きのびた。下の二人は全身おできだらけ。栄養失調の症状の一つだ。大きなかさぶたが出来て、夜になって静かにしていると、たまらなくかゆくなる。子どもが泣くと、周囲の大人が叫ぶ。
「うるさい。なぜ子どもを泣かすんだ。そんな子どもの口は縫ってしまえ」
著者が対抗心をもっていた「かっぱおやじ」は40人の一団を見事まとめて日本に無事に連れ帰っているのを発見し、「完全な敗北」を認めざるをえなかったのです。
いやはや、まことに壮絶な生還体験記でした。植民地支配の末路の悲惨さをよくよく味わうことができました。いままた、軍事大国になって戦争へ近づこうとしている日本です。「戦前」にならないよう、今、ここで声を大にして、いくら軍事を増強しても平和は守れないと叫びたいものです。
(2022年7月刊。686円+税)

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