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塀の中のおばあさん

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 猪熊 律子 、 出版 角川 新書
 日本全国に女性刑務所は11。近くは佐賀県鳥栖市に麓(ふもと)刑務所がある。
 2020年の新しい受刑者は1万6620人。男性1万4850人、女性1770人。5年連続で戦後最少を更新。戦後、最多は7万727人(1948年)。平成時代の最多は3万3032人(2006年)。男性は著しく減少したが、女性は高止まりの傾向にある。
 入所受刑者全体の中で女性は10.6%、2020年に初めて10%を超えた。1946年には2.5%、1989年には4.2%。65歳以上の高齢女性は、1989年の1.9%が、今や19%と10倍に増えた。男性は65歳以上は12.2%。女性全体で最多年齢は40代で26.1%。
 女性受刑者の犯罪は、窃盗46.7%、覚せい剤取締法違反が35.7%。
 窃盗は、「万引き」が多い。刑務所は今や福祉施設化している。
 受刑のうち暴力団関係者は、30年前の1990年には4人に1人(24.7%)だったが、今では25人に1人(4.2%)。
 2020年に検察庁が受理した80万人のうち起訴されたのは25万人で、裁判所で有罪判決を受けたのは22万人。そのうち刑務所に入ったのは1万7千人。
刑務所は朝6時半に起床し、午後9時に消灯。刑務作業は、平日のみで、土日は自室で過ごす。部屋にはテレビがある。しかし、24時間、監視され、自由もプライバシーもない。
 管理され続けると、自分の頭で考えるのを、やめてしまう。
 「刑務所にいるほうが気持ちがすごく楽」
 「社会にいたら独りでポツンとしている。刑務所だと刑務官から声をかけてもらえる」
 繰り返し刑務所に来る受刑者が多い。負の回転扉という。刑を終えて社会復帰しようにも戻るべき家がない、出迎えてくれる人もいないという高齢者が多い。
 名古屋にある笠松刑務所は官民協働型の刑務所。370人の入所者が5つの寮に分かれて暮らす。65歳以上の割合は2割、最高齢は87歳。
 炊事係の確保に苦労している。体力を要する仕事に耐えられない収容者が多いからだ。受刑者のなかに認知症の疑いのある人が今や14%にまで増えている。
 刑務所での生活費は被収容者あたり1日2200円、年間80万円、このほか、職員の人件費や施設運営費まで含めると、収容者1人あたり年間450万円になる。
 人口10万人あたりの刑務所収容者は、アメリカの505人に対して、日本は36人。OECDのうち最も少ない。
起訴猶予、執行猶予制度のおかげ。問題解決能力が低く、自分を大切にする自尊感情も低い。一人の人間として尊重された経験が少ないから、自分も他人に対してどう接してよいか分からず、どうされたいかも分からない。高齢者に冷たい日本社会が刑務所に閉じ込めているのですね…。状況は深刻です。
(2023年3月刊。940円+税)

ムラブリ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 伊藤 悠馬 、 出版 集英社
 ムラブリとは、タイやラオスの山岳地帯に住む少数民族のこと。山間の傾斜地で、焼畑農耕をしている、裸足(はだし)で森と共に生きる狩猟採集民。畑仕事はしないし、定住もしない。
 ムラは人、ブリは森。だから、ムラブリとは、森の人。
 ムラブリは、今や500人ほど。ムラブリ語は文字がなく、いずれ今世紀中には消滅するだろう。著者は世界で唯一のムラブリ語研究者。
 ムラブリは文字をもたず、暦もない。スケジュールとか時間割にしばられず、日々を森の中で過ごす。明日のことは明日の自分が決める。言い争いもしない。お互いに意見を言い合うこともない。
 ムラブリ語研究者の著者は、リュックにおさまるだけの日用品しか持たない。爪切りと歯ブラシと手拭いがあれば生活できる。
ムラブリの調査をするにはタイの公用語であるタイ語が話せることが必須、森へ猟に出かけ、サル、リス、モグラ、ネズミそして竹の中にいる竹虫をとって炒めて食べる。芋やタケノコも食べるが、キノコにはあまり興味がない。
ムラブリ語には、「おはよう」「こんにちは」などの挨拶コトバがない。その代わりに、「ごはん食べた?」「どこ行くの?」などの質問が挨拶の代わりになる。挨拶に意味を求めてはいけない。意味のないことが挨拶にとっては何より大切なこと。
 言語の消滅は、ひとつの宇宙が消えるのに等しい。
 「心が下がる」は、うれしいとか楽しいとの意味。「心が上がる」は、悲しいとか怒りを表す。ムラブリは、自分の感情をあらわすことがほとんどない。ムラブリ語には、感情も興奮もない。
 ムラブリは他の民族との接触をできるだけ避け、森の中に息をひそめて生きてきた。
 ムラブリは歴がないし、曜日もない。月はあるが、1ヶ月が何日かは人によって異なる。つまり、気にしていない。年もあるけど、自分が何歳か知らない。
 ムラブリ語には数字が1から10までしかない。「4」はたくさん。なので、大人は、みんな「4歳」。
 ムラブリの男性は時計を身につけるのが好きだが、まともに動いている時計は少ない。
 ムラブリは暴力を嫌う。人間関係でトラブルがあったら、争うよりも距離を置くことを好む。
ムラブリは年歳(とし)をとって夫や妻を亡くすと一人で暮らすようになる。息子や孫が高齢の身内の老人を介護することもしない。まずは自分で生きていくのが前提の社会だ。
 狩猟採集民は獲物をシェアすることで、富が集中することを避け、権力が発生しないような仕組みをもっているからこそ、森の中で生き残り、今日に至ったのだろう。
 ムラブリには、いかなる専門家もいない。分業はしない。
 ムラブリは製鉄技術をもっている。地面に穴を掘り、竹によってふいごを用意し、玉鋼(たまはがね)をつくる。
 著者は、ムラブリについて、農耕民の生活になじめなかった人々の集まりだと考えています。農耕の定住生活が嫌で、森に住むことを選んだ人々だろう。
 ムラブリは結婚するのに儀式もなければ、婚姻届けもない(だって文字がないのだから…)。別れたいと思えば別れる。ただそれだけ。
 ムラブリは遊動民であり、森の中を10~20人単位で移動しながら暮らしている。
 ムラブリは、10代になればほとんど寝床を自分の手でつくれるし、資源がある限りは、食料や薪を森から調達する術を身につけている。ムラブリは体調が悪くても、病院には行きたがらない。
ムラブリの物質文化は乏しい。民族衣装もなく、ふんどし一丁。
ムラブリは自由が好き。強制されることが嫌いだ。いやあ、なんとなんと、こんな人たちがいるのですね…。そして、日本の若者がそこに飛び込んで、ついにムラブリ語を自由に話せるようになったなんて、すごいことですよね。あまりに面白くて、車中で一気読みしてしまいました。ご一読をおすすめします。
(2023年4月刊。1800円+税)

ここにいます

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 伊藤 隆 、 出版 鳥影社
 小鳥たちの見事な写真集です。信州・諏訪地域、霧ヶ峰高原、八ヶ岳山麗そして諏訪湖周辺で野鳥を撮っています。すごい執念です。霧ヶ峰高原は、著者宅から車で20分ほど。野鳥撮影のため、年に40~50回は足を運ぶとのこと。まさしく、ホームグラウンドですね。
 それでも野鳥撮影を始めて、まだ15年とのこと。本職は公認心理士で、スクールカウンセラーや心理カウンセラーの仕事に従事しています。
 脚立のついた超大型のカメラを抱えた著者の写真もあります。早朝や休日を利用しての野鳥撮影です。それこそ好きでなければ絶対にやれないことですよね。
 カメラは一眼レフからミラーレスへと大きな転換点を迎えているとのこと。私もフィルムカメラのときはペンタックスを海外旅行先にまで持参し、フィルムを30個以上もスーツケースに入れていました。帰路は現象していないフィルムがX線検査で露出させられないか心配して、特別の袋に入れて日本へ持ち帰っていました。
 派手な冠羽と大きなくちばしが印象的なヤマセミは実に生き生きしています。
白一色の冬景色の中に浮かび上がるピンク色のオオマシコは派手というより躍動感にあふれています。
 もっと原色の赤に近い身体の色をしているのが、文字どおりアカショウビン。3時間も待ってとらえた貴重な写真が紹介されています。
 鮮やかなブルーの尾羽が特徴的なカワセミは、私の自宅近くの小川に見かけることもあります。
 わが家の庭に来てくれるのはメジロ、そしてジョウビタキです。秋から冬にかけて、私が庭仕事をしていると、ジョウビタキがほんの1メートル先の小枝に止まって、私を見つめ、「何してんの?」と声をかけてくれます。独特の鳴き声で存在を知らせてくれるのです。人間のやってることにすごく関心があるようなんです。その愛らしい仕草に心が惹かれます。
 こんな立派な野鳥の写真集(130頁)なのに、1800円という安さです。思わず頭が下がりました。
(2023年3月刊。1800円+税)

四郎乱物語

カテゴリー:日本史(江戸)

(霧山昴)
著者  不詳 、 出版  天草キリシタン館
 原本は天草キリシタン館が個人から委託された分7冊から成る資料(冊子)。今では虫喰いや摩耗、欠損が著しく、保存状態はとても悪い。でも幸いなことに写真と活字版で全文が読める。といっても、昔の文体だし、漢文調でもあり、容易に理解はできない。
「四郎乱」というタイトルは、島原天草一揆を退治する藩政の例からみた本であることを意味する。天草の福連木材で庄屋をつとめた尾上家に伝わった冊子。作者も作成年も明らかではない。江戸時代の中期には成立していたと考えられている。
 「四郎乱」は、基本的に一揆を「悪」とした体制側の正当性を強調する軍記物語。歴史記録というより文学作品として読まれるべきもの。
 熊本藩が藩校「時習館」に収蔵していた、すなわち公的に保管していた。
 このころ(寛永14年、1637年)は、島原・天草とも大干ばつで住民は飢饉に直面した。何かにすがって救いを求めようという心情からキリシタンは増え、ついには島原の大乱にならって、天草でも百姓たちが一揆を始めた。
 唐津や熊本からの援軍が到着するまで、キリシタン軍1万人に対して藩軍は500騎。唐津からの援軍6千人が到着し、それまで城内にたて籠もっていた藩軍はなんとか生きのびることができた。
 島原の原城に籠城した絵師の山田右衛門は城外の藩軍と連絡をとりあっていて、藩軍に救出されて大住生することができた。
原文は独特の流麗な崩し字なので、さっぱり分かりません。それでも、とても詳細に一揆の流れをたどっていますので、原文とあわせながら読んでいるうちに、少しずつ分かってきます。貴重な復刻版です。
(2016年3月刊。2000円+税)

「負けへんで!」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 山岸 忍 、 出版 文芸春秋
 東証一部上場企業(プレサンス)の社長が横領罪で逮捕され、長い苦難のたたかいの末に無罪判決を勝ち取った。検察は控訴することなく、一審で無罪が確定した事件を当の本人が逮捕されてから保釈されるまでの心の葛藤をリアルに明らかにしています。それは「負けへんで!」というタイトルに反して、もう負けそう、どないかして、という悲鳴の叫び声に充ち満ちています。なるほど、8ヶ月も勾留生活が続いたら、誰だって心が折れそうになるよね、そう思わせる手記になっています。
著者は大企業の社長でしたから、弁護団を次々に拡充していくことができ、まさしく最強の弁護団チームを確保できました。国選弁護人では、とても無理なことです。国選弁護人は原則として1人ですし、特別チームをつくることが認められても、オウム事件のときでも5人も6人もついていたとは思えません…。
 否認事件なので、弁護人は黙秘をすすめる。しかし、著者は「何にも悪いことしていない」「そんな卑怯なことはしたくない」「潔白だから、黙秘なんて卑怯なことをする必要はない」と、断乎として主張し、弁護人と衝突した。ここは、やはり弁護人の言うとおりに黙秘すべきなのです。黙秘は卑怯どころか、勇気あるたたかいなのです。
ちゃんと説明したら、検察官も本当のことを分かってもらえる。これは、まったくの幻想、つまり誤解なのです。
検察官は一体となって被疑者・被告人を有罪としようとがんばります。検察の威信をかけるのです。
著者は警察の留置場ではなく、拘置所に入れられ、そこの取調室で検事の取り調べを受けた。
 突然、世間から隔離され、毎日ひとりの人間だけに問い詰められる。恐怖と絶望にさいなまれる状況で、狭い空間のなか膨大な時間をともにする検察官は「神」のような存在に肥大化していくのです。
著者は山口智子検事だけが頼りに思えた。山口検事と話をしている間だけ、ホッとできた。心にしみ入る孤独から救ってくれたのは山口検事だけだった。いやはや、なんという間違いでしょう。
否認事件で保釈が認められるのは難しい。ゴーン事件では保釈中に逃亡してしまったことから、裁判所も容易には保釈を認めない。そこで、弁護団は6度目の請求のとき保釈の許可条件を工夫した。ケータイの使用期限、自宅に監視カメラ、弁護人の事務所への出頭、そして銀行預金の支払い停止。
 最後の条件は、大金を持って外国へ逃亡することのないようにするためのもの。さすが大企業の社長となると、違うものです。結果として、ついに7億円の保証金で保釈が認められました。
 この事件では検察官による取調状況が録音・録画されています。そして、ついに法廷の一部で、その録画部分が再現されたのでした。録画の画面では、取調官の顔は見れない。私は、まだ体験したことがありません。
 閉じ込められた状態で長時間の取調べが続くので、そのなかで検事の言うことに「違います」と反論し続けるには、すさまじい気力と根気がいる。
 刑事弁護人として名高い秋田真仁弁護士は、反対尋問というのは「寸止めして逃げる」が鉄則だと強調している。まったく、そのとおりです。攻めすぎると、相手に言い訳させてしまう。弁解の言葉を引き出させることになってしまう。
でも、刑事弁護では、攻めるものではない。論破することが目的ではない。お客さまを論破しようとするのは、間違い。刑事裁判は、あくまで減点主義。相手をやっつけてやろうなどと考えないこと。
大阪地検特捜部が無理な見込み捜査をして起訴したというのが、この本を読んだ感想です。村木事件もそうでしたよね。映画『ウィニー』もそうでした。この事件で少しは改められたのでしょうか…。実際のところ、検察が反省したとは、とても期待できません。
(2023年5月刊。1700円+税)

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