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うたいおどる言葉、黄金のベンガルで

カテゴリー:アジア

(霧山昴)
著者 佐々木 美佳 、 出版 左右社
 インドではなく、ベンガルと言われても、そんな国(バングラディシュ)、どこにあったかな…、それくらいの知識しかありません。ところが、なんとなんと、ベンガル語を話す人は3億人もいて、日本語を話す人よりはるかに多いのです。
 そして、そのなかには、私も名前くらいは知っている、グラミン銀行の創始者ムハンマド・ユヌス、文学界ではタゴール、そして映画監督のサタジット・レイ。新宿・中村屋のカレーは、ボーズというベンガル人が考案した。いやあ、こう言われると、ベンガル語・バングラデシュって、日本人にも意外に身近なものなんですね…。
 さて、著者は東京外語大学でヒンディー語学科を卒業しています。ヒンディー語とベンガル語は、どれほど違うのでしょうか…。
ベンガル語は、日本語ネイティブにとって、世界で一番簡単な言語。日本語の五十音は、サンスクリット語の音韻体系をもとにつくられているので、サンスクリットが起源のベンガル語と日本語の五十音は大変よく似ている。
ベンガル語は、言語のもつリズムが大変心地良い。
 「オ.オネク.モジャ!」(すごく美味しい)
「アロ.カーオ」(もっと食べろ)
「バス.バス.バス!」(もういい、もういい)
食事のあとは、砂糖たっぷりの甘いチャ(チャイ)。
バングラディシュでは、今も人力の「リクシャ」が大活躍している。明治期に日本からアジア諸国に輸出された人力車をもとにした乗り物。
バングラディシュを生き抜くには黙っていてはいけない。主張することが必要。リクシャに乗る前に、きちんと価格交渉することが不可欠。
「ホエ.ジャエ」(まあ、そのうちなるようになるよ)
「チンタ.ナイ」(心配しないで)
空には 星と太陽
世界には 命が満ち
住みかを見つけた私の
歓喜の歌があふれ出す
(タゴール・ソング)
東京の新大久保にあるイスラム横丁には、ネパール人の店、インド人の店、バングラディシュの店、パキスタン人の店といった具合に国ごとに分かれた店が並んでいる。まだ行ったことがありません。ぜひ一度、行ってみましょう。
ベンガルには、6つの季節がある、春、夏、雨季、秋、晩秋、そして冬だ。
悲しみがある 死がある 離別がある
それでも 平穏や喜びでは 繰り返し蘇る
絶え間ない生命の流れは 太陽・月・星を輝かせる
森には春が訪れ、さまざまな色を放つ
(タゴール・ソング)
行ってみたいとは思いますが、ベンガルってとても遠い気がしてなりません。
(2023年2月刊。1800円+税)

アフリカではゾウが小さい

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 岩合 光昭 、 出版 毎日新聞出版
 私とほぼ同じ団塊世代の著者は、最近ではネコ写真のほうが有名な気がします。
 でも、本業はあくまでネコに限定されない動物写真家です。末尾にカメラを抱えた著者の写真がありますが、そのカメラは、なんとバズーカ砲なみのデカさです。
カメラは、今ではミラーレス。機動性の良さと、驚くほどシャープに撮れるのに感動したとのこと。私もシャープさには憧れがありますので、今度はミラーレスのカメラを持つことにしようと思います。
 著者はアフリカには何度も取材に出かけていて、今回の写真も、ボツワナ、ナミビア、タンザニア、マダガスカルの各地の動物たちの生き生きとした姿が実にシャープにとらえられています。
 アフリカでは取材するにもルールがあります。宿泊ロッジを夜明け前に勝手に出ることは許されていません。そして、日没前に戻らないと閉め出されてしまう。ええっ、閉め出されたときは、いったい、どうするんでしょうか。まさかテント張って野営するのでしょうか…。
 朝、出かけるときは、順番に並ばなければいけません。そして、走ることのできる道は厳しく制限されていて、道を外れることは許されない。
 著者の乗った自動車のすぐそばでライオンのメスが昼寝を始めた。著者は車のドアを開けてカメラを向けて同じ高さで撮ろうとする。距離はわずか1メートルしか離れていない。それに気がついた運転手が大声で「戻れ」と叫ぶので、あわててドアを閉める。いやはや、野生のライオンの1メートルしか離れていないところでカメラを構えるだなんて、勇気があり過ぎます。
 著者はアフリカの大草原で双眼鏡なしでクロサイを肉眼で見つけたとのこと。緑したたるアフリカの大草原にずっといるときっと視力が良くなるのでしょうね。
ほとんどのゾウは、その牙が右と左で長さが違う、どうやら右利き牙と左利き牙があるらしい。
 アフリカで撮影をしていると、身体の感覚が研ぎ澄まされていく。目が良くなる。勘も相まって10キロ先まで見える。遠くの茂みに隠れている動物を見つけ出せる。
 風が運んでくるさまざまな情報や気配にも敏感になる。五感だけでなく、意識にも変化が表れる。待つという概念が消えていく、何時間もじっとカメラをかまえていなくてはいけなくても一切苦にならなくなる。
たしかに、これだけシャープで生きのいい動物たちの素顔を切り取っていけば疲れも吹っ飛んでしまうと思いました。手にとってじっくり味わいたい素晴らしい、感動と躍動感あふれる動物写真集です。
(2023年2月刊。2500円+税)

元ヤクザ弁護士

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 諸橋 仁智 、 出版 彩図社
 タイトルからして、とても本当のことだとは思えませんが、実際に東京で弁護士として活動している著者は、若いころヤクザの世界に身を置き、覚せい剤中毒そして密売していたので、逮捕され刑事裁判も受けたのです。そのとき、裁判官から、法廷で「きみなら司法試験は受かると思うので、がんばりなさい」と励まされたそうです。いい裁判官にあたりましたね。
表紙に現在の精気あふれる顔写真と、ヤクザ時代の怖い顔を対比させています。本文を読むと、なるほど、同じ人間がこんなに違う、変われるものなのかを実感させてくれます。
元ヤクザといっても、その前は福島県いわき市一番の進学校(高校)で、成績優秀者に入っていたのです。つまり、基礎学力はしっかり身についていたということです。これがないと、いくらがんばっても、司法試験に合格するのは決して容易なことではありません。小学校や中学校の勉強を馬鹿にしてはいけないのです。
 では、なぜ、そんな成績優秀者がグレてヤクザになったのか…。
著者は継続力がなく、他人(ひと)に流されやすいのが欠点。コツコツ努力する継続力が欠けていた。
 私は、自分でもそれほど能力があるとは考えていませんが、このコツコツ、あきもせず継続して努力する根気良さがあるので、幾多の難試験も幸いパスすることができました。
 著者は、上京して覚せい剤、大麻に手を出しました。そして、麻雀が好きで、雀荘に入りびたりの生活を送るようになったのです。
 ギャンブルで時間と体力を浪費したから、当然、大学受験には失敗し、二浪となります。ヤクザのアニキにあこがれ、刺青を背中に入れました。シャブ(覚せい剤)だけでなく、ヤミ金で働くようになります。東京・神田のヤミ金です。
 ここで、しつこさがあれば、たいがいのことはうまくいく。これを身につけた。まあ、ヤミ金で悪いことをしただけでなく、いいことも身につけたということなんでしょうね…。
 著者は38歳で弁護士になり、現在46歳。事件処理はともかくとして、仕事をとってくる能力はひけをとらないと自負している。もちろん、昔のヤクザ稼業の人脈には頼らない。
著者は、大平光代弁護士の本を読んで発奮した。
 まず宅建試験を目ざし、次に司法書士試験に合格した。そして、司法試験も一発合格です。すごいですね…。
そのコツは、朝型の生活リズムを崩さない。ケータイをもたない。東京の仲間に連絡しない。麻雀などギャンブルをしない。これを自分のルールとした。執行猶予の判決をもらって7年間かけて司法試験に合格した。いやはや、すごいことです。
 読んでいて元気の湧いてくる本でした。人間はやはり変わることができるのですね…。
(2023年6月刊。1540円)

小川さゆり、宗教2世

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 小川 さゆり 、 出版 小学館
 今も、たくさんの宗教2世の子どもたち(とっくに大人になっている人も)が苦しみ、泣いているのだろうと、この本を読みながらひしひしと実感しました。著者は統一協会2世です。父は教会長をつとめ、母も熱心な信者です(今でも、二人とも信者のようです)。
 両親は合同結婚式で結婚しています。1988年10月に韓国のメッコールの工場での合同結婚式です。メッコールは統一協会系の企業・一和が製造・販売する炭酸飲料です。私の事務所にも、それを知ってかどうか知りませんが、贈答品として持ってきてくれた人がいました。あまりうまくはないコーラです。
協会長までつとめた父は、大学生のころ原理研究会に誘われ、アメリカに渡って統一神学校に留学したエリートのようですが、教会長の座はおろされたようです。著者が大好きだった母は、家のなかと外の統一協会でのニコニコ顔の落差が激しかったようです。
 家には、祈禱室があり、文鮮明夫婦の写真が飾ってありました。母は6人の子を産み、著者の下の3人の妹は養子に出されています。経済的には楽ではなかったようですが、それは統一協会に献金した結果でもなさそうです。
「神の子」として育てられた著者は統一協会の試験(原理試験)を受け、高校3年生のときには父の指導も受けて原理講義大会に出場し、全国2位に選ばれました。
 大学は、韓国にある統一教会系の鮮文(ソンムン)大学に入ることを希望していました(入学はしていません)。
 父も母も、統一協会に行くと、いつもニコニコしていて、「いい人」であり続ける。しかし、家では、まったく違う顔を見せる。二人の親が言っていることとやっていることが違いすぎるのに、著者はついていけないと思い、ついに脱会します。自分の家族を幸せにしようとしないのに、統一協会では家庭の完成や、世界の幸せと統合を祈る。あまりにかけ離れた姿に、いよいよついていけないと思ったのです。
 あんなに噓つきで、家族に対して逃げてきた父を許せない。
 こんなにボロボロになった娘を気にも留めず、統一協会に行ったらニコニコといい人を演じている母が許せなかった。
 著者は、日本外国特派員協会で記者会見しました。仮名ながら、顔を出してのことです。ところが、記者会見の途中に、統一協会の代理人弁護士から直ちに中止しろというFAXが届きました。そして、そこには著者の両親のサインもあったのです。
宗教2世をこんなに苦しめる宗教って、いったい何なんだろうと、つくづく思いました。自分と家族の幸せを願って入信したはずなのに、それは主観的な満足だけで、客観的には子どもたちを肉体的にも精神的にも苦しめているという現実があるわけです。
この本とあわせて、ノンフィクションコミック「『神様』のいる家で育ちました」(文芸春秋)も読みました。マンガですが、とてもシリアスな内容で、笑える話ではありません。統一協会、エホバの証人、幸福の科学、創価学会、いろいろな「宗教」の2世たちの苦悩がとても分かりやすく描かれています。
 心の迷いを救ってくれるはずの「宗教」が、ますます苦悩を深めてしまう現実があることを知り、空恐しくなりました。
(2023年3月刊。1500円+税)

「弁護士をめざす君へ、弁護士になった君たちへ」

カテゴリー:司法

(霧山昴)
著者 草刈 鋭市 、 出版 とりい書房
福岡の出身で今は東京で弁護士をしている著者が、40年間の弁護士生活を踏まえて、弁護士としていかに生きるべきかを問いかけている本です。かなり正直に告白しているところもあり、著者より少しだけ経験の長い私にも共感できるところが多々ありました。
巻頭言で驚いたのは、「私の弁護士生活はまだ終わっていないし、否むしろ、これから弁護士としての生き方を変えていきたいと考えている」とあるところです。もはや私には、今さら「弁護士としての生き方を変え」たいとは思いません。もう、そんな時間的余裕はないと自覚しています。これまでどおりのことをやっていく、むしろ少しずつ扱う仕事の分野を狭め、弁護士としての時間も削っていくつもりです。
著者は、弁護士ほど難しい商売はないと言います。これは、どうでしょうか…。
裁判官、検察官は一部のエリート以外は屈折した人生を送るのに比して、弁護士は成功者か落伍者かの区別は容易ではない。この点は、やや異論があります。私の同期は、すでに最高裁長官も検事総長も輩出していますが、いずれも退官後は、大変な「重圧」を受けていると見聞しています。私のように、自由に事件を選択して受任できませんし、法廷に出ることもありえません。私的な会合には出席しているのでしょうが、公の席への参加も容易ではないでしょう。エリートをきわめるというのも、きっと、とんだ重荷を背負うものなんですよね…。
 若いうちは、多方面の相談、事件を受けて経験と知識を身につけるべき。お金を稼ぐのはそれから(そのあと)でもよい。これは、まったく同感です。初めから分不相応の高給取りだなんて人生を間違う危険があります。初めのうちは「搾取されている」と実感しているくらいで良いと思います。それより何より、仕事の面白さ、そして多くの人に感謝され、喜ばれていることを実感する(できる)ことが大切だと思います。
 弁護士としての活動の幅を広げるのは人脈の多さ、多様さ。それがお金を稼ぐことにつながる。これにも異論はありません。
著者は、人脈づくりには2種類あり、自然にできてくるものと、意図的につくり出すものの二つがあり、バランスよく形成したいとしています。なーるほど、ですね。地方の小都市、つまり「弁護士過疎地」で活動している私は、自然にできてくる人脈だけで、それこそ十分すぎるほどでした。
 弁護士として、まめに記録の整理をすべきだという著者の提案には大賛成です。著者は80冊もの著者があるとのことです(私もハウツーものや旅行記をふくめ、自費出版もあわせて50冊ほど出版しています)が、これは、折にふれて事件などのファイルを整理し、分類しているからできたことです。私は高校生のときから、テストが近づくと机のまわりを整理して、身辺とともに頭をすっきりさせるのを習慣としてきました。
著者の訴訟の勝率が優に5割をこえ、3分の2もこえているとのこと。まあ、私も客観的には、そうかもしれませんが、手痛い敗訴、とうてい納得できない敗訴を何度となく味わいましたので、勝訴5割以上なんて、とても言いたくありません。なかでも、全力を傾けた住民訴訟は連戦連敗でした。これが、私にとって裁判官不信の最大の原因になっています。強いもの(行政)には、とことん弱い、これが裁判官だと身にしみました。
 弁護士は、信頼者・相談者の長話を嫌うというのは、私にもあてはまります。私の短所の一つがそこにあります。なので、私は調停委員にはなりたくありません(幸い、お呼びもかかりませんでした)。
弁護士は、世の中の事象のほんのわずかなことしか知らない。これは、まったくそのとおりです。でも、私はそれを自覚しているからこそ、依頼者の仕事の実際を根ほり葉ほり聞いて、耳学問につとめるようにしています。
私の『弁護士のしごと』(花伝社)とあわせて、広く読まれてほしい本です。
(2023年4月刊。650円)

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