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昆虫学者、奇跡の図鑑を作る

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 丸山 宗利 、 出版 幻冬舎新書
 図鑑の何が好きかと問われたら、まだ見ぬ世界そのものがあること。
 図鑑で憧れた昆虫を追い求め、世界中を旅行している著者たちが、あらゆる憧れの生き物を見るには、人生は短すぎる。
 私にとっては、図鑑ではなく写真集です。世界中のさまざまな情景を切り取った写真集や動植物のいろんな生き様を鋭く暴いた写真集などです。私が実際に現地に行って見ることは、それこそ人生は短すぎるので、無理なのですが、写真集は古今東西、ありとあらゆるものを眼前に見せてくれます。
 著者たちが挑戦したのは、すべての昆虫を生きた姿の写真で掲載すること。それは、昆虫の多様性と進化が分かるものでもある。そのためには、白い背景で昆虫を撮影する。目標を立てたら、それに必要な仲間を見つける必要がある。
 さらなる難問は、撮影期間が1年しかないということ。うひゃあ、こ、これは大変ですよね…。たとえば、チョウの白バック写真は非常に難しい。というのは、チョウの多くは翅(はね)を閉じてとまるので、室内の白い背景で翅をうまく開いてくれる保証はない。
 そして、撮影した人が図鑑の解説の執筆者を兼ねる。こんな人をまず10人確保した。でも、とても足りない。そこでSNSなどで求めた。結局、30人以上の人が加わってくれた。
 白バックの背景で写真をとろうとしても、昆虫の多くはじっとしていたくない。また、立体感と存在感を出すため、適切な影をつけることも大事なこと。うひゃうひゃ、これはいかにも大変そう…。
 白バック撮影で生き虫の動きを止めるため、二酸化炭素を容器に流し込んで動きを止める。そして、しばらくして昆虫が目を覚まして動き出した瞬間を撮影する。いやはや、口に言う以上の大変さがあるでしょうね…。
 結局、7000種の昆虫の3万5000枚もの写真がとれた。そのうちの2800種を図鑑に掲載した。
 ストロボを使って昆虫を撮影するとき、白いプラスチックの板や紙をはさむ。それによって光が拡散する。ところが、光が拡散しすぎると、光沢が消えてしまうので、その加減が難しい。
 トンボは死ぬと身体の色が変わってしまう。トンボは、すぐに弱ってしまう。元気なトンボで困ったと思っていると、その直後に死んでしまう昆虫なのだ。
 九州は関東ほど昆虫は多くない。しかも、明らかに昆虫が減少している。日本だけでなく、世界各地で昆虫の減少が報告されている。
 たとえば、シジュウカラ(鳥)は、1羽あたり、1年に12万匹の昆虫を食べる。
 昆虫図鑑づくりの大変さが、たくさんの写真とともに、よくよく実感できる本でした。
(2022年9月刊。1200円+税)

ニホンザルの生態

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 河合 雅雄 、 出版 講談社学術文庫
 1964年に刊行された本ですから、まさしく古典的名著です。
 ニホンザルの観察記録なので、60年たったからといって内容が陣腐化して役に立たないなんていうことはまったくありません。ニホンザルの社会が縦横無尽に語られていて、飽きるところがありません。
 ニホンザルには本当の意味の家族はない。オスとメスとは性関係はもつが、オスは子の育児には関係しない。母と子のまとまりはあり、母系集団はできる。しかし、母系家族と呼ぶことはできない。
 サルのオトナは決して遊ばない。遊ぶのはコドモやチュウドモ期までで、彼らの社会関係を保つうえに重要な役割を果たしている。動物の中でオトナが遊ぶのは人間だけ。ええっ、でもカラスは大人になっても遊んでいますよね…。
ニホンザルのメスを観察していると、騒がしさと大げささを感じる。とくに採食中は誰かが必ずいさかいを起こしている。メスは常にごまかそうとしている。順位のルールがしっかりしていないから、ちょっとしたことがすぐトラブルの原因となり、しかもそれが誇張され拡大される。
 ただし、メスはしょっちゅういさかいを起こしているけれど、それは互いを傷つけたり拮抗しあうという性質のものではなく、それによってかえって感情的結合を強める要素もある。メスの中に群れ落ちしてヒトリザルになるようなサルはいない。メスは依存ないし共存なしに存在することはない。抜きさしならない集合性こそ、群れを成立させる母体である。メスを特徴づけるのは依存性、保守性、連帯性、親和性。
メスはアカンボを産むと、母親どうしが寄り集まる。このときには、中心メス、ナミメスの区別や、それまで仲が悪かった仲間という関係は消失する。
 一般にオスは5歳半になると、母親より順位が高くなる。母親より優位に立つことによって、ワカモノは初めて一人前のオスとして独立したことになる。ヒトリザルになるのはそのあとのこと。
 リーダーがメスを支配し統率しているように見えていても、メスはひそかに周辺へ飛び出し、ヒトリザルとこっそり欲求を満たしてきて、やがて知らん顔をして群れに戻ってくる。
ニホンザルのリーダーになるのにはメスの承諾が必要。それがなければ決してリーダーにはなれない。メスに信望があることが絶対に必要。力ずくだけではリーダーにはなれない。
リーダーの安定した地位を築くには、最低で3年、十分には5年間の在任キャリアを要する。群れが危機にあるときには、メスでも立派にリーダーの役割を果たすことができる。
 ニホンザルを個体識別して、1頭1頭に名前をつけて長期間じっくり観察した結果ですので、面白いことこのうえありません。今では、そのうえにDNA分析などもやっているのでしょうね。
 ニホンザル観察記として抜群の面白さを堪能しました。
(2022年1月刊。1410円+税)

夜空の星はなぜ見える

カテゴリー:宇宙

(霧山昴)
著者 田中 一 、 出版 北海道大学図書刊行会
 夜空は暗い。満月の夜が明るいといっても本を読むのは辛いし、星だって見える。
 でも、よーく考え直してみたら、夜の空が暗いって、実はあたり前なんかじゃない。だって、星って、無数にあるはず。だったら、満天は無数の星で埋め尽くされて、暗いはずがない。
 でも、反対に、星って地球からは遠い遠いところにあるものそうすると、そんな遠いところの星が発した光が地球まで届くのに何万年もかかったとき、その光が人間の目に一点の光として感じるって、そんなことが本当にできるの…。
 というわけで、夜空の星を私たちが見ることのできるのは、実は奇跡的な出来事のはず。でも、夜になると、星はフツーに空にあって、またたいて見える。いったい、どういうことなの…。
 この本を初めて私が読んだのは、今からなんと49年も前の4月のこと。つまり私が弁護士としてスタートを切った4月、まだ弁護士バッジも受けとっていないときのことでした。
 この本から受けた衝撃は大きく、そのため本棚の片隅に置かれながらも、決して捨てることはありませんでした。いま「終活」と称して、本棚の整理をすすめているのですが、手に取ったとき、もう一度よく読んでみようと思って、人間ドッグの泊まりで読む本の一冊として選んだのです(いつも一泊ドッグで6冊よみます)。
太陽からの光は、大気で反射し、また大気に吸収されて、地上に達するのは、その半分、つまり1平方センチメートルあたり1分間に1カロリー。太陽から放射された光は、500秒で地球に到着する。
 網膜上に集められた光は、網膜を構成する細胞によって吸収される。夜空の星のなかで一番明るく輝いているのは、真冬の南天にある大犬座のシリウス。このシリウスが見えるためには、「理論」上、0.96光年以内に存在しなければならない。しかし、シリウスは実は8.64光年の距離にある。この最も明るいシリウスを見ることができないのだから、夜空のすべての恒星を人類が眼で見ることはできない。
 こんな「理論」的結論は、もちろん明らかに間違っている。そりゃあ、そうですよね。星は夜空でバッチリ輝いていますからね。
 星野村にある天文台の大型の天体望遠鏡をのぞくと、昼でも星が見えます。これには驚きました。最近久しく行っていませんが、ホテルが併設されていますので、泊まりがけで行って、夜空をのぞいてみたいです。
 人間の網膜は、「理論」よりはるかに遠い光の到着を敏感に感じている。1千光年先の星を人間は見ることができる。なぜか…。
 著者は、そこで、次に光とは何かに挑みます。ここになると、かなり難しくなってきます。要するに、光とは粒子であって波でもあるということ。両立しそうにないのに、両立しているという量子力学の世界です。
 網膜に届く光量子が5個から8個になると、光の到着を網膜は感じる。光の粒子性を仮定すると、夜空に輝く星は、千光年に及ぶ遠方のものまでこの眼でたしかに見ることができる。
 そして、光という単一の物質が、波動であって、かつ粒子だというのはとうてい受け入れがたいところだが、光が粒子性と波動性を同時にもちうるなら、夜空の星を人間の眼が感得できることになる。
 光量子数が多いときには、きわめて良い精度で、全エネルギーが定まっていながら、それと同じように、光の位相がほぼ一定の値をとることが許される。通常の光が波動性を顕著に示すゆえんである。
ここはちょっと理解が難しいですね…。それはともかく、次は、なぜ夜の空は全天満天の星で覆われていないのか、なぜ暗いのか…、です。
 結局、これは宇宙が膨張しているからだと私は思います。すべてが光速で膨張していったとしたら、満天が星で覆い尽くされるはずがありません。
 というわけで、私の宇宙に関する謎は深まるばかりなのでした。いかがでしたか…。
(1973年9月刊。840円)

八路軍(パーロ)とともに

カテゴリー:日本史(戦前・戦中)

(霧山昴)
著者 永尾 広久 、 出版 花伝社
 叔父の久は大川市(当時は三又村)で百姓をしていたが、1944年8月、25歳のとき召集された。丙種合格だったので安心していたのに、日本軍の敗色が濃くなるなかで丙種まで徴兵された。出征兵士だからといって、旗を立てて万歳三唱で送り出す状況ではなかった。結婚が決まっていた女性と慌てて結婚式をあげ、翌朝には出征した。
 船で釜山に渡るときも夜中に恐る恐るだった。アメリカの潜水艦に狙われたら魚雷一発で、あの世行き。久は、関東軍の一員となり、満州で工兵として山中の地下陣地構築にあたらされた。だから戦闘行為はしていない。
 1945年8月9日、ソ連軍が満州に突如として大挙して進攻してきた。満州中央部にいた久たちの部隊は戦わずしてソ連軍から武装解除され、兵舎にとどめ置かれ、ソ連軍が満州内にある工場の機械や設備などを一切合財、ソ連へ運び出す作業に使われた。幸い、久はシベリア送りにはならなかった。
 久のいた満州中央部には満州各地の開拓団にいた日本人婦女子が命からがら逃げて集まってきた。次々に弱者は死んでいった。そのなかで多くの残留孤児が生まれた。
 モグラ兵舎に閉じ込められ、明日の希望のない生活を強いられていた久たちの前に中国共産党の軍隊である八路軍(パーロと呼ばれ、恐れられていた)があらわれ、6人の工兵の出頭を求めた。久はそれに応じた。
 それから、久たちは八路軍とともに満州各地を転々流浪することになった。というのも、八路軍と蔣介石の国民党軍との戦争(国共内戦)が激しくなったからだ。貧弱な武器しか持たない八路軍に対して、アメリカ仕込みの近代的装備をもつ国民党軍は一見すると優勢だった。しかし、八路軍は、土地改革をし、「三大規律、八項注意」を厳守する規律正しい人民の軍隊なので、民衆から圧倒的に支持され、腐敗・墜落した国民党軍は次第に敗色濃くなっていった。
 ようやく国共内戦が決着すると、久は紡績工場で技師として働くようになった。そのなかで、同僚となった日本人女性と交際をはじめて、結婚し、日本敗戦後の1953年6月、ついに日本に帰国することができた。日本に戻った久は百姓を再開し、大川でイチゴ栽培の先駆者となって大川市誌にも紹介されている。そして、2016年12月、98歳で亡くなった。
 気がついたことを3つだけ紹介したい。
 その一は、シベリアに57万人もの元日本兵が送られて強制労働させられたのは、北海道の半分を占領することをスターリンが求めたのをトルーマンが拒否したから急に決まったことという説がある。しかし、ソ連はその前に元ドイツ兵300万人を強制労働させているので、スターリンが急に思いついたこととは考えられないということ。
 その二は、毛沢東は実は日本軍と手を組んでいて、日本軍は蒋介石の軍隊を攻撃させていたという説をもっともらしく言いたてる本がある。これは蒋介石がデマ宣伝したのを、現代日本の陰謀論者がデマを拡散しているだけのこと。
 その三は、日本敗戦後、アメリカは婦女子より元日本兵を優先して日本へ帰国させた。元日本兵が中国に大量に居すわって、中国軍と手を組むのを恐れたということ。日本人婦女子の送還はアメリカにとって優先課題ではなかった。
久が80歳になってから書き始めた手記をもとにして、当時の満州で日本軍が何をしていたのか、その悪業の数々も明らかにし、国共内戦のなかの八路軍(パーロ)の様子なども紹介している。
 再び戦争前夜とまで言われるようになった現代日本において、「国策」に黙って乗せられたらどんな目に国民はあうのか、まざまざと再現している貴重な記録となっている。ぜひ、多くの若い人に読んでほしい。
(2023年7月刊。1650円)
 

獣医師、アフリカの水をのむ

カテゴリー:アフリカ

(霧山昴)
著者 竹田津 実 、 出版 集英社文庫
 大分県に生まれ、北海道で獣医師として活動してきた著者がアフリカに出かけて出会った動物たちの話を生き生きと語っています。
サファリとは、「旅」を意味するスワヒリ語だそうです。
 小倉寛太郎(ひろたろう)ともアフリカで出会っています。かの『沈まぬ太陽』(山崎豊子)の主人公のモデルです。
 マサイ族の男性を写真に撮ってはいけないと禁じられたのに、こっそり撮った旅人がいた。それを60キロ先からやってきて「自分を返せ」と叫んだ。マサイの人の視力は、なんと6.0。いやはや…。
 福岡の女性がマサイ族の男性と結婚して、ガイドしていましたよね。今も元気にガイドしておられるのでしょうか…。きっと、コロナ禍で大変だったことでしょうね。
 フラミンゴは、赤くないともてないとのこと。つまり、たっぷり食物を食べた健康体であることが必要十分条件。羽毛の赤は、藻類の中に含まれるカロチノイド系色素によるもの。ミリオン(百万)単位の群れのなかで、集団お見合いの儀式が終日、少し儀式を変えて、パレードよろしく演じられる。
アフリカには、ツェツェバエがいるところがある。ところが、乳牛が放牧されているところは、ツェツェバエのいないところなので、安心できる。
 シロアリが雨季が始まると、アリ塚から飛び立っていく。そのハネアリは捕まえて食用としてマーケットで売られている。酒のつまみに最高。
 サバンナ・モンキーが木にのぼって両手を広げて飛んでいるハネアリをはたき落とし、口の中へ入れてモグモグ、クチャクチャと食べる。シロアリの脂肪は牛肉の2倍、タンパク質は同じくらい。「肉よりうまい」とのこと。本当でしょうか…。
人間の乗れるゾウはアジアゾウで、アフリカゾウには乗れない。これまた、本当でしょうか…。そんなに気性が荒いのですか、人間は飼い慣らせないのですか。
アフリカにもバナナはあるが、バナナの原産地は東南アジアで、アフリカには2千年前に導入された。
 アフリカに50年前はライオンが45万頭いたのが、今では3万頭にまで激減した。今はどうなっているんでしょうか…。ライオンとか虎って、見るからに怖いですよね。でも、ゾウもカバも本当はライオンより怖いんだそうですね…。
アフリカに行く勇気も元気もありませんので、「アフリカの水をのむ」人の話を読むだけにしておきます。といっても、近所の知人の娘さん一家は今もナイロビ在住なんです。案外、アフリカも身近な存在でもあるのが世の中ですよね。
(2022年12月刊。840円+税)

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