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維新政治の内幕

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 小西 禎一 、 出版 花伝社
 なんで「ホラ吹き」連中の政党がこんなに受けているのか、不思議でなりません。コロナ禍「対策」と称して高言した「イソジン・吉村」そして「雨合羽・松井」が真面目に謝罪したとは聞いていません。大阪府と市を一体化させるという「都構想」だって、「二重行政の解消」と称して、現実にはコロナ禍のなかでの保健所の縮小・廃止でした。しかも2回も住民投票で否決されたというのに、まだあきらめていないなんて、往生際が悪すぎます。
 諸悪の根源は橋下徹にあります。最近、「憲法の壁」とか言って憲法を敵視する発言をして、顰蹙を買いましたが、橋下の眼というか、頭の中には基本的人権の擁護とか弱者保護という政治家がもつべき理念はカケラもないようです。こんな人物をマスコミが関西方面にかぎらずいつまでももてはやすなんて、日本のマスコミも堕落してしまったと嘆くばかりです。
 この本の著者は長く大阪府の副知事をつとめた人です。6代もの府知事の下で働き、ついには維新候補と対決して府知事選挙にも出馬したのでした。惜しくも当選には至りませんでしたが…。
 いま、維新は大阪では自民党と対抗して張りあっていますが、維新のルーツは自民党そのもの。なので、維新の馬場代表が「第2自民党」と自称したのはホンネを言ってしまっただけのこと。
 維新が大阪で選挙に強いのは、政党幼成金などの資金を大阪に集中させ、「どぶ板」やビッグデータを駆使した選挙戦術、府知事・市長として圧倒的なメディア露出量、そして芸能界との強いつながりによる。
 維新のポピュリズムは、行政改革の名の下に、市場原理にそって公的事業の民営化や規制緩和を進める新自由主義的なポピュリズムだ。
 維新の「都構想」挫折後のビッグ目玉は、大阪万博と夢州のIR(カジノ)です。ところが、今ではこの二つとも赤信号が灯っています。大阪万博では大阪府民の負担はない(少ない)はずでしたが、今やそれどころではありません。国にすがって国の税金を大量に投入して失敗の現実化を回避しようと必死です。でも、結局は失敗し、大々的な借金を残すこと必至です。もうひとつのカジノだって、もしオープンしても中国の金持ちが呼び込めるのか大いに疑問ですし、結局、日本の零細な年寄りがスロットマシーンにすがる程度のものでしょう。
 橋下徹は、テレビ界出身のタレントとして、拍手喝采(かっさい)がいつまでも続かないことを身に沁みて感じている人間。
 橋下徹は民間企業と地方自治体を単純に比べる発想に終始するけれど、そもそも行政は民間の営利企業と違って利益を上げることを目的とはしていない。
 橋下徹の政治手法の本質は、次々に「大騒動」をつくり出し、世間の注目を集め、自己の賞味期限を維持していくことにある。
 橋下徹は、「特別顧問」「特別参与」という制度をフル活用した。特別顧問12人、特別参与は12人。この特別顧問たちが、あたかも職員の上司であるかのように職員に命令したり「知事に言うぞ」と恐喝まがいのことをやった。そして、これらの特別顧問参与に支払われた給与は何回も引き上げられてきた。維新は身内には甘い。
 維新の言う「成長」は、万博そしてIR(カジノ)であり、カンフル注射的に大阪を元気にするだけのことで、市民生活の向上を意味するものではなかった。
 最後まで、大変興味深い本でした。
(2023年6月刊。1800円+税)

ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 小池 伸介 、 出版 辰巳出版
 ツキノワグマは九州では絶滅したとされていますが、四国にはまだいるようです。もちろん関東周辺にはクマがたくさんいます。
 いま日本の山には野生の鹿が大繁殖して、森林の草を食べ尽くしています。そのあおりを食ってクマが食料を求めて人里(ひとざと)に出現しているのです。困ったことです。
 ツキノワグマの研究者である著者は、これまでの25年間に3000個以上のクマのウンコを集めて研究室に持ち帰り、さばいて分析し研究してきた。そのおかげで、博士号をとり、定職(教授)にありつけている。
 クマのウンコは臭くない。むしろ、芳香がある。食べたもののにおいがする。桜の花や実を食べたクマのウンコは桜餅のようなにおいがするし、植物の葉を食べたらお茶の葉のようなにおい。サルナシを食べると、キウイフルーツのにおいがする。岩手県のリンゴ園のリンゴを食べたクマのウンコは、見た目も香りもリンゴジャムそのもの。なめてみると、見かけ倒しで、ほとんど味はしなかった。うへーっ、クマのウンコをなめるんですか・・・。
 クマの体毛を調べたら、何を食べたかが判明する。毛を質量分析計にかけると、毛に含まれる窒素や炭素の割合がわかる。たとえば、植物を中心に食べていると窒素の値が低くなり、肉食気味になっていくと窒素の割合が上がっていく。
 クマは、冬眠する。この冬眠に備えて、9月から11月までの3ヶ月間に1年の8割分のカロリー摂取量を食い溜めしている。この時期は好物のハチミツには見向きもせず、せっせとドングリを食べる。
 クマは大きな岩をゴロゴロところがし、その下にあるアリの巣をべろべろなめて大量のアリを食べる。
 クマは果実の旬(しゅん)を知っていて、鳥によって果実が食べられる直前のタイミングで木に登り、果実をむさぼり食べる。
 クマの食事の9割は植物であり、一つの巨大なウンコに何百、何千という植物のタネが入っている。
 著者は、山中で見つけたクマのウンコをビニール袋に入れて、その全部を持ち帰り、研究室で水洗いして内容物を分類・分析するのです。植物のタネを同定するのに苦労しました。
 冬眠中のクマの生態を研究することによって、長時間を要する宇宙旅行で乗組員(人間)の代謝を抑えられないかという研究も進んでいるとのこと。クマを知ることは、こんなメリットもあるのですね。とても興味深い本でした。
(2023年7月刊。1650円)
田の稲刈りも間近になりました。畔に赤い彼岸花が咲き誇っています。
 わが家の庭にはリコリスのクリームの花が一斉に咲いて、それは見事なものです。
 リコリスは彼岸花の仲間です。いつ植えたのか、もう記憶がありませんが、どんどん勝手に増えていきました。ある時期に一斉に花を咲かせるという自然の摂理には毎度のことながら驚かされます。
 そばにはピンクの芙蓉の花が咲き、地面にはサツマイモが生い茂っています。まだ収穫するのは先のことです。ついに秋本番が到来しました。

ロンドン・デイズ

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 鴻上 尚史 、 出版 小学館
 大学生のころから演劇界に入り、俳優そして演出家として活躍していた著者が40歳になる前、イギリスはロンドンにある演劇学校に入り、勉強しようと一念発起してからの1年間の、涙ながらの苦労話です。
 文化庁の「芸術家在外研究員派遣制度」の適用を受け、1日1万円、350万円がもらえる。ただし、1年間、仕事をして収入を得てはいけない。授業料は1年間で170万円。ロンドンは家賃が高くて、週に1回、芝居なんか見てたら、アシが出る。
 ロンドンでは、まずは英語学校に入る。英語は読めるし、英作文もそこそこ出来る。でも、肝心な聞き取りがまるでできない。
 ところが、1ヶ月したら演劇学校の授業に参加する。周囲の生徒はみな若い。20歳くらい。そして、聞き取れない。演劇の稽古場で、いくら見学しても、肝心なことは分からない。
人は、見学している人間に心を開かない。一緒に汗を流し、苦しみ、喜んだ人間にだけ、本当のことを語る。
 難しいことや複雑なことを話すときは、みなゆっくり話す。しかし、簡単なこと、慣用的な言葉を話すときのスピードは上がる。だから、聞き取れない。
演出家を長く続けると、その中に没入するのでなく、常に全体を見る視点を持ってしまう。こういう男と付き合った女性は、不幸だ。
やがて辞書を教室に持ち込むことをあきらめた。辞書を引いていたら、話についていけない。
俳優を志望する人には必ず新聞を読むようすすめる。新聞も読まないような人間とは一緒に仕事したくない。
「英語の戦場」にいた。戦場では、心底、気を抜くことができない。つまり、いつ襲われるかもしれないと緊張している。
欧米社会では、人間の名前を覚えることを大切にしている。
英語の勉強は、7割が聞くこと。あとの2割がしゃべることで、残る1割は読むこと。書くことは無視していい。
 私は長くフランス語を勉強していますが、やはり聞くことは大切だと思います。相手が何と言っているのか聞き取れなかったら、会話は成り立ちません。それで、聞き取り、書き取りを毎朝しています。
 自分の体と声を使って、自分を表現する楽しみを知ることができるのが、演劇の時間なのだ。
ロンドンの演劇は、中流から上流階級に向けてのもの。
 イギリスでは、労働者階級に生まれたら、一生、労働者階級。上流階級に生まれたら、何もしなくても一生、上流階級だ。
 イギリスは、徹底した階級社会。話す言葉を少し聞いただけで、その人がどの階級に属しているかが分かる。映画「マイ・フェア・レディ」の世界が今も生きているのですね…。
 イギリスで標準英語(RP)を話すのは全人口の1割以下。日本のように標準語が全国あまねく話されているのとは勝手が違うようです。
今から20年以上も前に刊行された本ですが、ずっとずっとフランス語を勉強している割には、今なおまともにフランス語が話せない私ですので、「そうそう、分かる…」と思いながら読み進めました。ひとつでも外国語ができると、世界が広がるのです…。
(2000年3月刊。1600円+税)

「私は魔境に生きた」

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 島田 覚夫 、 出版 ヒューマンドキュメント社
 日本の敗戦も知らず、ニューギニアの山奥で原始的な生活を10年も過ごしていた元日本兵の体験記です。
 原始的な生活といっても、最後のころは、現地の人々と交流もあり、山中で狩りをし、川で魚を釣り、畑で野菜をつくって自給自足生活していましたから、「魔境」から出てきた直後の上半身裸の写真をみると、いかにも健康体です。やせおとろえている姿ではありません。ただ、歯には困っていたようです。歯って大切なんですよね。
 著者たちは1943(昭和18)年11月、第四航空軍の一員として、ニューギニアのブーツに上陸した。1945年8月15日の日本敗戦を知らず、そのまま奥地にじっと潜んでいて、1954(昭和29)年9月、現地の村人からの通報によってオランダ官憲に収容され、翌1955(昭和30)年3月、日本に帰還した。
 ニューギニアへの輸送船団は、1943年3月、アメリカの攻撃によって壊滅的な打撃を受けた。第18軍は、人員7300、輸送船8隻、護衛駆逐艦8隻、護衛機のべ200機だった。そのうち、輸送船全部、駆逐艦3隻が沈没し、3664人が死亡した。
ニューギニアではマラリアが猛威をふるい、食糧不足によって兵隊の体力はおとろえていた。
 1944(昭和19)年6月、密林のなかでの籠城生活が始まった。このとき、総人員は17人。第209飛行場大隊。そのなかには、大牟田市大黒町出身の沼田俊夫兵長もいた。この本の著者は曹長。沼田兵長は籠城生活の初期にアメリカ軍と遭遇して戦死した。その遺骨は後で回収されている。
 日本敗戦時(1945年8月)には、当初17人いたのが、8人にまで減ってしまった。食料は乏しく、水も天水に頼った。散髪、ヒゲそりにも困った。柱時計のバネを砥石で研ぎあげて、刃物として、頭を痛い思いで丸ゾリした。マッチがないので、メガネのレンズ2コのあいだに水を詰め、「レンズ」として、枯葉にあてると煙を出して燃えはじめた。ただし、太陽がいるときだけ、朝や曇り空では役に立たない。
 蛙や蛇も取って食べた。蛇は「山うなぎ」と名付けた。元兵士たちはマラリアにかかって次々と死んでいった。
 甘藷(サツマイモか・・・)とタピオカそしてパパイヤの栽培に取り組んだ。バナナがとれるようになったが、甘いバナナは、それだけでは甘過ぎて、食べられなくなった。
 人間の体重を測るための大きな秤(はかり)をつくった。分銅は石で、20貫まで測定できた。これによって、毎日、4人の体重を測定して、健康を管理した。いやあ、これには感動しましたね・・・。さすが日本人です。
 現地の人々との交流が始まったのは、1951(昭和26)年5月のこと。7年ぶりに、自分たち4人以外の人間だった。どうやって会話したか。お互いにまったくコトバが通じない。そこで、日本人同士で一つの芝居をする。尻上りのコトバで名前を質問している光景をつくって、名前を聞いていることを分からせる。そして、「コレは何か?」という質問ができるようになり、品物の名前が次々に判明していった。なーるほど、こんなやり方で、少しずつ時間をかけて根気よくマレー語を身につけていったのでした。
 現地の人々と交流できるようになると、栽培する野菜がどんどん増えていきます。残った元日本兵4人はきっと性格も良かったのでしょう。現地の人々との交流は秘密保持を前提として続いていきます。でも、何年もすると、その秘密は次第に村から村へと広まっていきました。というのも、元日本兵たちは、現地の人々のもつ蛮刀を修理して、ピカピカのよく切れるものにしていったから、それを知り、うらやましく思った他村の人が、問い詰めるのは当然のことです。そして、ついには日本人の存在はオランダ官憲の知るところになったのです。
 ニューギニアの密林で、元日本兵4人が10年も生きのびた理由、その苛酷な状況がよく分かりました。貴重な手記です。
1986年8月刊。2000円)

決別。総連と民団の相克77年

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 竹中 明洋 、 出版 小学館
 総連も民団も、今や日本社会ではあまり目立たない存在になってしまいましたよね。
 私が弁護士になった50年前のころ、総連の役員は肩で風を切る勢いがありました。それは郷里の福岡に戻ってきてからも同じです。小さなパチンコ店が駅前だけでなく、あちこちにあり、繁盛していましたし、焼肉店や材木店にも「在日」の経営者はたくさんいて、私の依頼者にもなってもらいました。職業としては、医師や弁護士そして金融業をしている人も少なくありませんでした。
 大学生のころ、朝鮮大学校の学生との交流会に参加したことがあります。そのころ、のほほんとした学生生活を送っていた私には、朝鮮人として自覚しながら日本でいかに生きていくかを模索しているという話を聞いて、ぶったまげた記憶があります。
 かつて在留外国人の大半が韓国籍や朝鮮籍だった時代、総連と民団は日本において絶大な影響力をもっていた。二つの組織の対立が生み出すダイナミズムは戦後日本社会のひとつの軸をなすほどだった。
 2021年3月、国籍別の在留外国人数において、中国に続いて2位だった韓国はベトナムに抜かれて3位となった。順位の変化は「在日」の地盤沈下を意味している。
 総連とは在日本朝鮮人総連合会で、民団とは在日本大韓民国民団のこと。
 1960年代初期、日本社会には「三そう」というコトバがあった。総評(日本労働組合総評議会。今の「連合」の前身だが、そのイメージはまったく異なる)と創価学会そして総連だ。
 総連は「在日」の人々を北朝鮮へ帰還させる運動を大々的にすすめた。9万3000人もの「在日」の人々が北朝鮮へ渡った。「地上の楽園」のはずが、現実には悲惨な生活を余儀なくされた。
 金正恩と妹の金与正の生母(母親)は高英子(ヨンジャ)、大阪にいた高京澤の次女である。しかし、最高指導者(金正恩)の母親が「在日」だったことは北朝鮮ではタブーになっている。
松本清張に『北の詩人』という小説があります。主人公の詩人・林和(リムファ)は南朝鮮労働党の主要メンバーだったが、1947年に北朝鮮に入り、朝鮮戦争後に朴憲永らとともにアメリカのスパイだったとして処刑された。この本の著者は、松本清張に材料を提供して書かせた勢力がいたのではないかとしています。私が今も尊敬する松本清張にしても、北朝鮮の思惑にからめとられてしまったようなので、残念です。
金大中事件が起きたのは1973(昭和48)年8月のこと。東京のホテルグランドパレス22階の部屋を出たところを拉致され、船で韓国へ連行された。犯人はKCIA。私が弁護士になる前の年のことです。日本中を騒然とさせました。
そして、翌1974(昭和44)年8月、「在日」の文世光による朴正煕大統領襲撃事件が起き、朴夫人が死亡した。文世光が使った拳銃は、大阪の交番から盗まれたものだった。文世光は裁判で有罪となり、1974年12月、死刑が執行された。果たして、北朝鮮そして総連が文世光に朴大統領暗殺を指令したのか、どんなメリットがあるというのか…。むしろ、事件はKCIAのデッチ上げではないのかという疑問があるようです。世の中は疑問だらけですね…。
 日本人青年の拉致事件の大半は、1970年代の後半に集中している。1974年の文世光事件のあと、日本では総連の取り締まりが強化された。そこで、韓国へ潜入するには、より完璧な日本人になりすますしかない。そのため、日本人化教育が必要であり、教師役となる日本人が必要となった。
 また、韓国のKCIA側でも、朝鮮大学校に潜入して学生になった人がいたり、朝鮮総連の幹部になって、北朝鮮に行って対南工作の教育まで受けた人がいたという。
 「在日」のなかでも超有名人はなんといっても力道山(百田光浩、金信洛)と美空ひばりですよね。この本では、力道山の争奪戦の模様が明らかにされています。
 朝鮮大学校の実情、そして朝銀の破綻など、興味深いのオンパレードです。
 たとえ日本の国籍をとっても、自分はあくまで韓国人だ、朝鮮人だという感覚はフツーなのではないでしょうか。アメリカ国籍をもつ日本人はやはり日本人なんです。そこに、まったく違和感はありません。また、納税したら選挙権をもつのは当然だと思います。義務があるのに権利がないなんて、おかしいですよ。大変勉強になる、刺激的な本でした。
(2022年9月刊。1800円+税)

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