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健康帝国ナチス

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著者:ロバート・N・プロクター、出版社:草思社
 ヒトラーは菜食主義者で、酒もタバコもたしなまず、同席の者にもそれを許さなかった(ただし、ヒトラーは大変な甘党で、1日にチョコレートを1キロも食べた。また、イセエビ、ロブスター、カニを異常なほど好んだ)。ナチス時代、ガン撲滅運動が盛んで、そのプロパガンダの中心は「早期発見」だった。とくに女性のガン検診を促す運動は何倍にも強化された。ガンの精密検査を受けた女性は何十万人にものぼった。ガン患者登録所も設立された。栄養摂取は個人の問題ではない。ドイツ国民の肉体はドイツ国家の資産なのだ。国家はすなわち総統と同一なのだから、当然、国民の身体は総統に属する。「おまえの身体は総統のもの」というのが、ナチスの宣伝ポスターのスローガンだった。ナチスは合成着色料・合成保存料を使わない自然食をすすめた。脂肪が少なく繊維質の多い物を食べ、コーヒー、アルコール、タバコのような刺激物をできるだけ控える。肉類は最低限にし、保存料の入った缶詰より、できるだけ生鮮食料品をとるようにすすめた。1993年のはじめ、ナチスはアルコール撲滅作戦を始めた。「国民労働の日」が設立されたが、アルコール抜きの日とされた。ナチスの反アルコール運動は交通事故防止も目的としていた。1930年代のドイツでは、年間の交通事故が25万件をこえ、死亡事故1万件だった。その大きな原因がアルコールだった。ナチスの意外な側面を識った思いだ。

日本の阿片王

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著者:倉橋正直、出版社:共栄書房
 戦前、ケシの栽培と普及に一生をかけ、日本だけでなく、中国・台湾・朝鮮にまで渡って指導していた1人の日本人がいた。その名を二反長音藏(にたんちょう・おとぞう)という。この本は、日中戦争と阿片の関係を見事に解明している。
 100万の大軍を8年もの間、中国大陸に派遣し続けることは、日本の歴史はじまって以来の未曾有の大事業であった。それに要する費用は、当然、莫大なものとなり、日本にとって予想外の負担であった。日中戦争の本質は、まさに「片手に剣、片手に阿片」による侵略戦争であった。阿片政策がなければ、8年もの長期間、100万の大軍を中国大陸に派遣し続けることなどとうてい不可能であった。すなわち、日中戦争を裏方の財政面で支えていたのは阿片政策であった。阿片を吸うという中国民族の弱点に食らいつき、骨までしゃぶり尽くす。これが日本の阿片政策の真髄だった。1930年代、日本は、モルヒネ・ヘロイン・コカインの生産では、ダントツの世界第一位だった。世の中、本当に知らないことだらけですね・・・。

オランウータンの不思議社会

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著者:鈴木晃、出版社:岩波ジュニア新書
 オランウータンはボルネオとスマトラにしかいない大型類人猿です。オランウータンとは、マレー語で「オラン」がヒヒ、「フタン」が森の意味ですから、「森のヒト」ということです。ですから、オランウータンは決して「一匹」などと呼ぶべきではありません。一頭、いや一人と呼ぶべき存在です。今や、絶滅に瀕していますが、それも人間、とくに日本人のせいなのは残念です。
 オランウータンは密林のなかで単独生活することを基本としていますが、孤立して生活しているわけではありません。オスとメスは森のなかに「デート・スポット」というべき出会いの場があり、交尾し、繁殖します。その交尾は、ほとんどお腹とお腹をつきあわせた前向きの姿勢(いわゆる正常位)、メスの方があお向けに寝ころんですることが多いそうです。チンパンジーの交尾時間が2〜3分、ゴリラが数分から長くて8分間というのに、オランウータンは25〜40分間、長いと1時間に及ぶものもあります。
 オランウータンの子育ては実に愛情たっぷりで、6〜8歳まで母親が子どもの面倒をみます。それまでに、どの樹種から、どうやって食物を手に入れるのか、母親から学ぶのです。ですから、母親と一緒に育っていないオランウータンの孤児を、いきなり森に戻してやっても、その子は森で生きていくことができません。ボルネオ島の熱帯雨林を守るのは、それを破壊し続けてきた日本人の責任だとつくづく思いました。

雑草博士入門

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著者:岩瀬徹、出版社:全国農村教育協会
 花や野菜を育てるときの敵は、日照りとあわせて、雑草です。とくに夏の雑草取りは大変です。でも、この本を読むと、雑草も可愛いらしい花を咲かせていることが分かります。
 たくましさが違います。踏まれても叩かれても、どんなにしても生き延びようとする雑草には感嘆するしかありません。そういえば、大牟田出身の労働者作曲家である荒木栄には「雑草(あらぐさ)の歌」という傑作がありました。
 コニシキソウ、スズメノカタビラ、メヒシバ、ホトケノザ、コハコベ、オオバコ、タンポポ、カヤツリグサ・・・。たくさんの雑草がわが家の庭にもたくましく育っています。

王朝びとの恋

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著者:西村亨、出版社:大修館書店
 源氏物語をベースにして平安朝の貴族の人々の恋愛や結婚などを取りあげた本です。でも、私がこの本を読んでもっとも驚いたのは、実は「おてもやん」でした。
 おてもやん あんたこの頃 嫁入りしたではないかいな 嫁入りしたこたしたばってん 御亭どんが菊石平だるけん まあだ盃やせんだった 村役鳶役肝入りどん あん人たちのおらすけんで あとはどうなときゃあなろたい
 もちろん、よく知ったセリフです。この菊石平(ぐじゃっぺ)とは、「あばた」を意味します。そして、「おてもやん」とは、つくね芋を意味する手芋のことだそうです。「春日南瓜(ぼうふら)どん」とか「げんぱく茄子(なすび)のいがいがどん」というのと同じように、野菜の世界を歌っているのです。なるほど、そうなのか、と手をうってしまいました。ヨバイは、好色な卑猥なものという理解があるが正しくないとも指摘されています。なんのやましさもないヨバイがあり、公然たる社会生活の一端だったのです。たとえば、飛騨の白川村では結婚を認められるのは長男だけ。どこの家でも、家の娘が生んだ子どもはいるが、息子たちの子は他家で育っていました。女ヨバイもあったといいます。
 末摘花は大変な醜女だったので、光源氏は、興ざめして近寄らなくなった。でも、彼女が飢え死にする寸前、光源氏が再会して救ってやった。源氏物語に、そんなストーリーがあったことを改めて認識しました。
 相見ての後の心に比ぶれば 昔はものを思はざりけり  (拾遣集)
 見ずもあらず 見もせぬ人の恋しくは  あやなくけふや ながめ暮らさむ (在原業平)

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