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ボクが最後に言い残したかったこと

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著者:青木雄三、出版社:小学館
 『ナニワ金融道』は私も全巻読みました。大学を卒業して以来、原則としてマンガ本は読まないようにしたのですが、『ナニワ金融道』は弁護士をするうえで勉強になると思って、参考書のつもりで読みました。私の知らないことがたくさん書かれていて、本当に勉強になりました。著者は、肺ガンにかかって病死されましたが、この本は、病床インタビューをまとめて本にしたものです。たいした精神力だと敬服します。
  資本主義万歳!みたいな日本ですが、本当に今のままでよいのか、著者は血を吐く思いで疑問をぶつけています。いま一度マルクスが見直される時代が必ずやってくるという著者の予言は、私も確実にあたる気がしています。

弁護士の散歩道3

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著者:福山孔市良、出版社:清風堂書店
 大阪の福山弁護士の旅行記・エッセー集です。世界各地へ出かけ、ハイキングもしています。スペイン、フランス、アイルランド、イタリアそしてスリランカ。私も、まだまだ行っていないところばかりです。
  日本国内も、伊豆の天城峠、蔵王、郡上、山形の立石寺、飛騨高山、そして唐津や能古島。私も日本全国、いろいろ行っていますが、はるかに上手です。とてもかないません。
  そして趣味がまたすごいのです。ジャズに茶の湯、さらに、なんと文楽まで・・・。
  人間としての幅の広さを感じさせるエッセーと楽しい旅行記です。弁護士って、定年を気にすることもなく、好きなようにのびのびやれるものなんですよね。でも、その割には、あくせく仕事に追われるばっかりで、いかにも疲れている弁護士が周囲には目立ちます。もったいないですよね。残念ですね・・・。

迷走する帝国

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著者:塩野七生、出版社:新潮社
 「ローマ人の物語」も12冊目となりました。1年に1冊のペースでローマ帝国をたんねんに掘り下げていく著者の執念にはホトホト頭が下がります。
  ローマ帝国も3世紀になると、その栄光を謳歌するどころではありませんでした。カラカラ帝にはじまり、カリヌス帝まで、わずか73年間に皇帝が22人も登場する。しかも、たった3ヶ月で暗殺されたり、わずか半月で自殺ないし戦死した皇帝がいる。最長15年のガリエヌス帝も在位13年のセヴェルス帝も、いずれも暗殺されている。自然死(病死)した皇帝は2人しかいないが、それも在位は8ヶ月であり、2年でしかない。
  暴君として名高いネロ皇帝だって在位は14年だった。アウグストゥス皇帝などは在位44年だった。それに比べると、まさに異常な3世紀だ。この本は、その異常な3世紀の実相を詳しく描いている。
  ちなみに、ローマ皇帝に戴冠式というものがなかったことを初めて知った。ローマ教皇がナポレオンに皇帝冠を授与するなんていうことはありえなかったのだ。そもそも、ローマ帝国では、皇帝冠すら存在していない。樫の葉をリボンに縫いつけてつくった市民冠を皇帝の象徴としたのは、市民の安全を守るのがローマ皇帝の責務の第一とされていたからだという。なるほどと思った。

関ヶ原合戦400年の謎

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著者:笠谷和比古、出版社:新人物往来社
 先日、関ヶ原に行く機会がありました。気持ちよくよく晴れた日でしたので、JR関ヶ原駅で貸し自転車を借りて、それほど広くはない関ヶ原を少し探索しました。
 駅の方から上り坂のところに石田三成が陣を構えた小山があります。家康の本陣であった桃配山は、そこからすると低地の方の小山になります。つまり、負けた西軍は高い方に位置し、勝った東軍は低い方から攻めのぼったわけです。これは現地に行かないと分かりません。やはり、百聞は一見に如かずというのは、そのとおりです。
 西軍に属し、敗戦が決まったころに東軍を中央突破した薩摩の島津軍は、関ヶ原の狭い台地を、高い方から低い方へおりていったことが現場に行くと分かります。それでも、わずか千人ほどの部隊で家康の本陣をかすめて突破して逃げ切ったというのですから、無謀と言えば無謀だと言うしかありません。島津本陣跡という場所が小さな神社の裏にあります。そこに立ってみると、ここから東軍の真只中を抜けて脱出しようとした島津の将兵の勇気には驚かされます。『島津奔る』(池宮彰一郎)は、その状況を活写しています。
 この本は、関ヶ原合戦について、秀忠軍が現場に間に合わなかったことは家康にとって大誤算だったこと、秀忠軍を温存したなんて、とんでもない間違いで、福島正則たち豊臣武将を家康は決して信用してはいなかった。ところが、予想外に勝ちすすんだため家康も進撃を速めたこと、西軍の立花宗茂が大津城の包囲戦に手こずって関ヶ原に間に合わなかったが、もしまにあっていれば、戦いの行方は西軍有利で終わったかもしれない、という。なるほど、家康が絶対の自信をもって関ヶ原の合戦にのぞんだわけではないことを知るいい本です。この際、あなたも機会をつくって現地に行ってみてください。

縄文論争

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著者:藤尾慎一郎、出版社:講談社選書メチエ
 縄文文化は1万年以上も続いたそうです。西暦2000年の5倍ですから、考えてみると気の遠くなるほど長い時間です。それが未開の文明なき時代かというと、さにあらず。縄文式火炎土器の見事さには目を見張るものがあります。青森市にある三内丸山(さんないまるやま)遺跡に私も行ったことがありますが、六本のクリの巨木をつかった高層建物などは、超高層ビルを見慣れている私たちを驚かします。
 縄文人の身長はやや低く、男性で156〜159センチ、女性は148センチ。手足の骨は頑丈。頭でっかち。顔の輪郭は正方形に近く、眉間が突出し、鼻根部がやや陥没しているので、立体的な顔をしている。眉毛はこく、目は大きく二重まぶた。口唇はやや厚め、顎は頑丈で、エラが張っている。
 著者は、在来人と渡来人との協力によって弥生時代へ変わっていくという考えです。渡来人との接触によって変更を可能とした在来人は、それまで蓄積した経験と技術を生かし、新たに手に入れた最先端の道具をつかって次々に水を水田を拓いていく。縄文時代にはコメをつくっていたのです。

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