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上がれ、空き缶衛星

カテゴリー:未分類

著者:川島レイ、出版社:新潮社
 350ミリリットルのジュース缶が人工衛星になるなんて・・・。しかも、それを大学(院)生が打ち上げるとは、信じがたい話です。世の中もすすんだものですね。さらにそのあと、1辺が10センチのサイコロ型の、人間の手のひらにのってしまうほど極小の衛星を同じく大学(院)生がつくって宇宙へ打ちあげ、今も立派に実用衛星として通用しているというのです。たいしたものです。
 この本は、そんな空き缶衛星を大学(院)生たちが打ちあげに至るまでをドキュメントタッチで追いかけています。ブレインストーミングという、枠にとらわれない自由な発想の議論、助走期間中にしぼまないようなアドバイスが必要なことなどの教訓も紹介され、はじめは荒唐無稽であっても、工夫次第でモノになることがあることが示されています。いつまでも夢をもち続けることの大切さが伝わってくる本です。

金正日の私生活

カテゴリー:未分類

著者:藤本健二、出版社:扶桑社
 金正日氏のお抱え料理人として13年間仕えていたという日本人調理士が金正日氏の私生活を暴いた本です。これを読んだら北朝鮮の政治の動向が分かるというものではありません。それより、金正日氏一家などの支配階級の日常生活について、調理人の眼を通して、その一端が図や写真つきで開設されているところに、この本の面白さがあります。招待所の内部の配置図がきわめて詳細です。やはり現場を見た人だからこそ、と私は思いました。
 著者は金正日氏に個人的に可愛がられたため、人間としては今も大変な愛着をもっているようです。
 北朝鮮の招待所って、どんなところなのかな、と思う人には参考になります。

孝明天皇と一会桑

カテゴリー:未分類

著者:家近良樹、出版社:文芸新書
 「一会桑」(いっかいそう)という言葉を私は知りませんでした。一橋慶喜、会津藩、桑名藩の頭文字をとった言葉です。幕末の孝明天皇と一会桑は、お互いを必要不可欠の存在として認めあい、深く依存する関係にあった。
 明治以降の日本人が想像してきたほど、薩長両藩の「倒幕芝居」における役割は圧倒的なものではなかった。それより、今までの政治体制ではダメだという多くの人々の思いが政治を変えた。「一会桑」などが中心になった長州再征がうまくいかなかったのも、日本全国に内輪もめはやめろという意見が強かったからだ。
 幕末の政治情勢と天皇の果たした役割について考えるうえで、大変勉強になりました。

戦場の精神史

カテゴリー:未分類

著者:佐伯真一、出版社:NHKブックス
 実に面白い本でした。知らないって恐ろしいと思いました。武士道について、根本的に考え直させられました。
 新渡戸稲造の『武士道』が有名ですが、これは1899年(明治32年)にアメリカで刊行された本です。新渡戸は『武士道』という言葉は自分のつくった言葉(造語)だと思っていたそうです。それほど、日本の武士道の先例を知らなかったのです。いや、日本の歴史や文化についてほとんど知らないまま、アメリカで病気療養中に、いわば自分の思いこみで書いた本なのです。
 そもそも武士道という言葉は中世の文献にはほとんど出てこない。ようやく戦国時代から使われるようになったが、それほど多用されていたわけでもない。爆発的に流行するのは、明治30年代以降のこと。武士道というのは歴史の浅い言葉。江戸時代までの日本の武道は、ひずかしくすすどくあらねばならないと教えてきたと貝原益軒は批判している。「ひずかし」とは、心がねじけ、ひねくれているさま、「すすどし」とは、機敏で油断がならないさま。人のとった敵の首をも奪って自分の手柄にするようなのが日本の武道なのだ、というわけです。要するに、切り取り強盗は武士の習い、というのです。
 武士は戦いにおいては、もっぱら虚言を用いるのだ。それを嘘をついたといって非難するのは、何も分かっていない女のような奴である(『甲陽軍艦』)。
 戦場において一騎打ちの闘いがルール化されていたというのは誤った幻想でしかない。 ひたすら勝つことが大事であって、敵を騙すことは非難されるべきことではない。
 このことが「平家物語」やら「将門記」「吾妻鏡」「太平記」など、いくつもの文献をひいて実例があげられています。そこまでやるか、と驚くほどのえげつない騙し方がいくつもあります。しかし、それは騙し方、つまり勝った方がいかに賢かったかという賞賛の手柄話であって、決して非難されてはいないのです。
 「武士道」の実体を知った思いです。

火天の城

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著者:山本兼一、出版社:文芸春秋
 信長の築いた安土城をつくった大工の棟梁の父と子を描いた本です。安土城の跡地に足を運んで、天守閣のあったその場に立ったことがあるだけに、また、近くの博物館に原寸で想像復元したものを見たものですから、大工たちの苦労をビンビンと身体で感じることができました。
 天守閣に信長が居住し、そのすぐ近くで、しかも低いところに本丸があり、その御殿に天皇を迎える構えでした。信長は自分こそ天下人であることを誰の目にも明らかにしようとしたのです。
 全山すべてがお城だった安土城が焼失し、それを描いた絵もほとんどないというのは残念です。南蛮風というより、ヨーロッパの教会やお城の様式も取り入れてつくったという八角形の天守閣を色つきのまま拝んでみたかったものだと思いました。

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