法律相談センター検索 弁護士検索

読み聞かせのすごい力

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 佐藤 亮子 、 出版 致知出版社
 私自身は親から本の読み聞かせをしてもらったという記憶はありません。私が小学1年生のときから、親は小売酒屋を始めて、年中無休で働いていましたし、なにより5人姉兄の末っ子でしたから、私に本を読んで聞かせるヒマはとれなかったと思います。それでも、私は幼いころから「活字大好き人間」で、小学校も中学校も図書館からよく本を借りて読んでいました。小学生のころは偉人伝を読みふけり、中学生のときは山岡荘八の『徳川家康』に感嘆したことを今でもはっきり記憶しています。高校生になってからは図書室で古典文学体系を読んでいましたので、試験科目としての古文はバッチリでした。やはり、原典にあたっておくと、断片ではなく、全体像がつかめますので、視野が格段に広がり、思いが深まるのです。
 そして、子どもたちには絵本をたくさん読んで聞かせました。この本に全然登場してこなくて残念だったのはかこさとしの絵本です。「カラスのパン屋さん」とか「ドロボー学校」などは、子どもたちに大うけでした。そして、科学的な解説絵本も勉強になりました。
 また、滝平次郎の「八郎」や「花咲き山」も、スケールの大きな絵本で、読んでいる私のほうが毎回、じーんと来ていました。
 AI時代で、弁護士も不要になるのでは…、なんて憶測も流れていますが、そんなことは絶対に考えられません。フェイス・トゥ・フェイス。相手の顔、その目つきや表情を見て心を通わせながら解決策をもっていく。それが弁護士の仕事です。それをAIができるはずがありません。コミュニケーションというのは、習得するのに難しい技術で、一朝一夕(いっちょういっせき)で身につけることはできません。
 若手の弁護士に対して、相談に来た人に対してきちんと挨拶し、帰りには笑顔で帰ってもらうようにする秘訣をなんとかして伝授しようと思ってがんばっているところです。
思考力のもとは、言葉の塊(かたまり)。子どもは、その言葉を操(あやつ)りながら思考力を高めていく。世の中は激変したように思われているが、人間そのものは何も変わらないので、育て方は今までとほとんど変わらない。なので、子どもの身体の中に、たくさんの言葉を入れて育てることから始める。それには難しい言葉からではなく、子どもが楽しいと思う言葉から始めるべき。
 いやあ、私は、この提言にまったく同感です。さすが子育てのプロと称するだけのことはあります。
良い絵本とは、お話が優しくて、終わり方がなんとなくほんわかしている。
 大切なことは、親が自分の声で絵本を読むこと。親の声だから、絵本の内容が子どもの耳の底に染み込む。
 子どもがオモチャで遊び、本棚から絵本を取り出したあと、著者は子どもに「片付けなくていい」と言っていた。いやあ、これには驚きました。片付けるのは親の仕事だと割り切ってしまうというのです。発想の転換ですね。子どもたちが伸びのびと遊ぶこと、本を好きに読むことを最優先とするというのです。それを下手に親は邪魔しないほうがよいというのです。この発想には、まいりました。子どもはオモチャ箱をひっくり返して遊ぶのが楽しい。その楽しみを親は防げないようにすべきだというのです。なーるほど、ですね…。
 小中高の12年間の大変なデスクワークの時間のなかで、しっかりした基礎学力となる読み書き計算をしっかり身につけるためには、その能力の育成に役に立つのは、絵本の読み聞かせだ。
子どもたちには、大好きなものを徹底的に追求するという気持ちを味わわせるのが、人生で大切だ。子どもが楽しいことに過集中することが、あとで、集中力、やる気、モチベーションそして自己肯定感につながっていく。それは、親が望んでいるものである必要はなく、子どもの興味にまかせる。子どもの興味は果てしなく、次々の興味の対象が広がっていくので、少し離れて、温かく見守る余裕をもてばよい。子どもにとって、一つのことに集中した体験は、必ず成長の糧(かて)になるだろう。
 子どもに1万冊の絵本を読んで聞かせたという著者ですが、かといって毎日、いちどに長時間かけていたというのでもありません。一度に読み聞かせするのは30分が上限。子どもは、飽きっぽいからです。この30分のあいだに、5冊か6冊を立て続けに読むのです。本の内容を変えて、スピード感をもたせて次々に読んでいくのです。そして、子どもに感想は訊きません。
 子育ては出たとこ勝負でいく。下手なルールはつくらない。ルールを破るのが子ども。
3人の男の子と末っ子の娘さんの4人全員が、超々難関の東大理Ⅲ(医学部)に現役合格したことで有名な佐藤ママの最新作です。早くも、4人全員が社会人となり、医師として働きはじめたとのこと。自宅に置いてあった絵本がダンボール箱20箱あったのを厳選して4箱にしたそうです。残りはお世話になった幼稚園に寄贈したとのこと。やはり、子育てのプロの言葉には味わい深いものがありますね…。著者の配偶者より今回もいただきました。ありがとうございます。
(2023年7月刊。1600円+税)

関東軍

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 及川 琢英 、 出版 中公新書
 終戦1年前の夏、徴兵検査で丙種合格だった叔父が招集され、中国へ引っぱられていって関東軍の兵士(工兵)となって、満州の山地で地下陣地構築にあたらされました。戦闘らしい戦闘もしないまま、8月9日にソ連軍が大挙侵攻してきて、たちまち武装解除されました。
 関東軍の精鋭部隊は南方へ転出していって、残った兵士は「根こそぎ召集」で人数だけ合わせた、戦えない軍隊でしたので、激戦の独ソ戦を経て最新兵器をもつソ連軍の前に、ひとたまりもなかったのでした。
 そんな叔父の手記をもとに『八路軍(パーロ)とともに』(花伝社)を先日出版したところ、読んだ人からは好評でしたが、残念なことにベストセラーにはほど遠い状況です。
 そんなわけで、関東軍については、同じタイトルの本(島田俊彦と中山隆志。いずれも講談社)があり、本書は格別に目新しいことが書かれているわけではありません。
 関東軍につきものだった謀略は、そもそも陸軍の常套(じょうとう)手段だった。
 謀略は、その隠蔽的な性質上、統制を困難にする要素を含んでいる。しかも、張作霖への兵器供給にみられるように、軍事顧問や特務機関、関東軍ら出先だけではなく、陸軍中央も政府方針に反する謀略に関わっていた。その結果、陸軍中央が出先の謀略を抑えようとしても説得力を持たず、出先が独走していく結果を招いた。
 満州事変での関東軍が特異なのは、独断で緊急的な事態を謀略により自らつくり出して出兵し、攻撃を続けたことである。
 陸軍中央は臨参委命という奉勅命令に準じるもので関東軍を抑え込んだが、スティムソン事件という「幸運」によって臨参委命の権威は崩れ、関東軍は、満州国樹立というそれまでにない大規模の謀略を成功させた。
 この「臨参委命(りんさんいめい)」というのは初耳ですが、参謀総長が天皇から統帥権を一部委任されて軍司令官を指揮命令するというもの。
 そして、スティムソン事件とは、アメリカのスティムソン国務長官が日本との協議を手違いで公表してしまったことから、政府が軍機をもらしたとして大問題になったというものです。
日本が戦前の中国、そして満州で何をしたのかは、もっと明らかにされてよいことだと確信しています。
(2023年6月刊。920円+税)

半導体産業のすべて

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 菊地 正典 、 出版 ダイヤモンド社
 世界の半導体市場のなかで、日本は1990年には49%と世界の半数を占めていた。ところが、今では凋落の一途で、2020年には、わずか6%、今後さらに低下していく見込みだ。同じく半導体メーカーの売上高ランキングをみてみると、1992年には世界トップ10(テン)のうち、日本のメーカーが6社いた。ところが2021年にはわずか1社のみ。
 「ジャパン・アス・ナンバーワン」なんて時代は、今やすっかり過去も過去の話なんです。
 なぜ、日本は半導体の世界でこんなに凋落してしまったのか…。
 第一に、アメリカと1986年に結んで「日米半導体協定」によって、日本はアメリカにコストデータ等の報告義務が課され、またアメリカの製品の購買義務まで課された。
 韓国、中国、台湾は政府の手厚い庇護を受けて伸ばしていたのに、日本政府はアメリカの言いなりでしかなかった。
 第二に、日本のメーカーにおいて半導体事業は一部門でしかなく、メーカー内の「新参者」扱いをされていた。要するに、経営陣が育成の目をもっていなかったということ。
 第三に、日本の企業トップは半導体に関わる先端的製造技術が求められていることを理解できず、従来の立場に固執するばかりだった。
 第四に、半導体業界の不振に国が適切な手をうたず、弱者連合になってしまったこと。
この本の著者は書いていませんが、科学・技術の自由な発展のためには、学問そして科学・技術の世界に権力が目先の成果ばかりを求めて介入してくるのは大きな間違いだということです。それはいったい何の役に立つのか、そんな愚問を言わず、投げかけず、学者・科学者に好き勝手にさせておくと、そのなかで、いつか画期的な発見があるのです。目先にとらわれすぎてはいけません。
 この本では、半導体とは何か、どのようにしてつくられるのか、集積回路(IC)とは何か、どうやってつくるのかも図で示しながら解説されています(一見やさしい解説なのですが、基礎が分かっていない私には理解不能でした)。
 日本の半導体装置メーカーの売上高は2013年に100億ドルだったのが、2021年には3倍に増加している。そして世界シェアは最高だった2012年の35%が2021年には28%へ、7ポイントも低下している。これは、世界全体で伸びているなかで、相対的に低下しているということ。
世界最大かつ最強の半導体ファウンドリーであるTSMC(台湾)が、熊本に新しい工場をつくろうとしている。これには、ソニーやデンソーそして日本政府が膨大な補助金をあてている。ところが一方、アメリカでも同じようにTSMCはアリゾナ州に1.3兆円を投じて新工場をつくろうとしている。また、インテルやサムスンもオハイオ州やテキサス州に新工場をつくりつつある。これらに対して、アメリカ政府は6兆円の補助金を支給する。このように、アメリカは国内に半導体産業の生産工場を確保することで、中国との覇権対立を乗り切ろうとしている。
 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という掛け声で酔っ払ってしまった日本政府には反省してもらうしかありません。それにしても、半導体産業も食料自給率の確保と同じように、日本にとって大切なものだということを改めて認識させられました。
 ただ、熊本にTSMCが進出してきて、地下水の枯渇と汚染を私は心配しています。本当に大丈夫なんでしょうか…。
(2023年6月刊。2200円+税)
 山の手(徒歩5分で登山口)の高級住宅街(高台です)に住んでいますので、自然をごく身近に感じる生活です。
 家の中は、大小のクモをあちこちに見かけます。ときに、台所には小さなアリが行列をつくっています。ナメクジが出てくることもあり、ゴキブリやムカデが出てきて驚かされます。風呂場などに小バエが湧いてきます。夜になると、窓にヤモリがぺたっと張りつきます。
 庭にはセミの抜け殻を見つけますが、セミは減りました。トンボはシオカラトンボやアキアカネです。チョウはクロアゲハ、そして、ミツバチやマルハナバチが花の蜜を吸っています。アシナガバチがわが家に巣をつくろうとしている気配がありますので、その予防のため蚊取り線香を軒下のあちこちにぶら下げています。
 台所の生ごみを入れたポリバケツにはウジムシが湧いていますので、満杯になると庭に穴を掘って埋め込みます。おかげで庭の土は黒々、ふかふかです。アスパラガス、そしてサツマイモを楽しみにしています。ブルーベリーは終わりました。ミミズを狙うモグラがいますし、土ガエルも見かけます。気をつけなくてはいけないのがヘビです。40年前に入居した当初から、庭にヘビが住みついていますが、いったいヘビは何を食べているのか不思議です。
 庭の隣の藪からタヌキが朝、出てきて散歩しているのを見かけたときはびっくりしました。夜道をイタチが横断することもあります。
いま、庭にはフジバカマを植えています。秋になったらアサギマダラ(チョウ)がやって来るのを待っているのです。
田舎で生活するというのは、こういうことです。

戦争法制を許さない北の声

カテゴリー:社会

(霧山昴)
著者 髙崎 暢 、 出版 寿郎社
 安保法制の違憲性を司法の場で明らかにしようとした北海道訴訟の記録集です。本文2段組で、なんと790頁もあります。思わず、昼寝用の枕にちょうど良いと皮肉られた井上ひさしの『吉里吉里人』を調べてみました。それは843頁ですから、さすがに上には上があるものです。それでも、2段組の本書のほうが、勝っているんじゃないかと思い、念のために再度『吉里吉里人』を見てみると、なんとなんと、こちらも2段組だったのです。さすがに井上ひさし大先生にかなうものはいないということです。
 盆休みも終えて、少し暇なところに届きましたので、暇にあわせて、午後から読みはじめました。というのも、同期の岩本勝彦弁護士より、書評を書いて紹介せよという指示が添えられていたのです。この指示に背くわけにはいきません。他の仕事そっちのけで、自宅に持ち帰って、夜までかかって、その日のうちに読了しました。私の取り柄は、なんといっても速読なのです。
この北海道訴訟は一審・二審と敗訴して、上告は断念しています。一審(岡山忠広裁判長)は証人調べも一切やっていません。原告弁護団が忌避申立したのも当然です。でも、控訴審(長谷川恭弘裁判長)も、結局は、一審判決を是認し、控訴棄却としました。
田中健太郎弁護士は、「憲法は多数決民主主義の欠陥を裁判所の違憲立法審査制度で正し、個人の人権を保障したり平和と人権の体系である憲法秩序を維持させようとしているのに、裁判官たちは職責を果たそうとせず逃げ回った」と、厳しく弾劾しています。
一審判決は、「現時点においても、戦争やテロリズムによる原告らの生命・身体及び財産等の侵害の危険が切迫し、現実のものとなったとはいえない」「恐怖や不安を抱いたとしても、それは漠然かつ抽象的な不安感にとどまるものと言わざるを得ず、原告らの人格権ないし法律上保護される利益が侵害されたということはできない」「原告らの抱く不安や恐怖は、同時点においては未だ抽象的な不安の域を出ないというものである」と判示したのです。この裁判官たちは、あのJアラートの切迫感あふれる「警告」をまったく聞いていないようです。
そして、二審判決においても「平和的生存権が憲法によって保護された身体的権利であるとはいえない」として、原告団の主張を排斥するだけでした。
そこで、次に、原告となった人たちの主張を紹介します。
この本で圧巻なのは132人の思いが込められた陳述書です。
戦争体験のない人がほとんどですが、それでも身内に戦死者がいるというのは珍しくありません。しかも、それは戦死というより餓死であったり、輸送船が撃沈されて亡くなったりというものです。むしろ戦場で敵の弾丸によって戦死したというのは少ないのではないでしょうか。さらに、私も記憶がありますが、戦後まもなくは、駅頭に白装束の男性が何人か立っていて通行人にカンパを訴える光景をよく見かけました。傷痍(しょうい)軍人です。戦場で負傷した人たちの生活が守られていなかったのです。
ある人が、こう書いています。「戦争はいったん始まってしまうと、誰も責任を取ることなく、無責任に遂行されることは歴史が証明している」。ロシアのウクライナ侵略戦争がまさに、これを証明しています。戦争にならないように懸命に努力するしかないのです。
北朝鮮がロケットを飛ばすと、日本ではJアラートが発令されて、大々的に警戒発令となりますが、韓国では何事もなくフツーの日常生活です。日本政府は日本国民を恐怖で脅しているのです。
北海道では、毎年500人以上の高校生が卒業後自衛官になります。そのとき、他国の若者と武器を持って殺し合うことなど、考えにありません。せいぜい、災害救助のときの活躍のイメージでしょう。
現職の自衛官を息子にもちながら反戦・平和を叫び続けている平和子さん(仮名)は、ついに自衛官の息子に絶縁状を書き、息子との連絡は絶ってしまいました。息子には妻子がいて、生活を考えると、自衛隊を退職するのは容易なことではないと考えています。
それでも、平和子さんにとって、息子の命が奪われることは、自分の身が引き裂かれるのと同じ。そして、平和子さんは、自分の息子さえ無事であればいいとは考えていません。息子の無事のためだけでなく、それ以降の世代のためにも、まだ見ぬ子どもや孫のためにも、安保法制の違憲を命ある限り訴え続けたいと結んでいます。
かの有名な恵庭(えにわ)事件の元被告だった野崎健美さんも原告の一人です。野崎さんは昭和10(1935)年生まれで、日本敗戦時は国民学校5年生。両親の営む野崎牧場は自衛隊の演習場に隣接していて、ジェット機の轟音、そして大砲の射撃訓練によって、乳牛の育成に多大の困難・支障が生じました。それで、抗議するため、自衛隊の連絡用通信線を切断したのです。被害額は、せいぜい数百円。そして、器物損壊罪で始まった取り調べは、起訴されたときには自衛隊法121条違反となっていたのです。それで、たちまち全国480人の弁護士が応援する大裁判になりました。野崎さんは大いに勉強し、裁判のなかでは、基地公害と自衛隊の反国民性に焦点をあてて主張しました。
自衛隊トップの栗栖統幕議長が、自衛隊とは何を端的に言ったのは、このころのこと。「自衛隊は国民を守るためにあるのではない。天皇を中心とする団体を守るためにある。国民は勘違いしている」
この裁判で、裁判官は、法廷で検察官に対して論告・求刑を禁止したというのです。信じられません。「ただし、自衛隊の合憲性についての論告は許可します」。
この裁判では、自衛隊と自衛隊法が合憲かどうかだけが争点になったのです。ところが、裁判官は肩すかしの「無罪判決」。この無罪判決を聞いた検察官は怒ったり、落胆するどころか、「良かった、良かった」と肩をたたきあって喜んだのでした。もちろん、検察官は控訴せず、確定。被告人も無罪判決ですから、控訴できません。
野崎さんは言います。「平和を生きる権利」を守るためには、不断の努力が必要で、憲法はその武器になる。本当に、そのとおりだと思います。流されてはいけません。そして、小さくても、そこで声を上げる必要があります。
アジア・太平洋戦争に召集され、戦後に駆り出された兵士たちは「お国のために」命を捧げたはずですが、実のところ、日本が仕掛けた大義のない侵略的戦争だったわけですから、「国家に殺された」のです。そんなことを繰り返すわけにはいきません。
原告弁護団の共同代表である藤本明、高崎暢の両弁護士は、私も以前からよく知っていますが、実働の常任弁護士は、10人ほどで、良く言えば「少数精鋭」だったとのこと。大変だったと思います。そう言えば、福岡もほとんど同じです(私は法廷に参加するだけで、実働はしていません)。
一審裁判のとき、岡山忠広裁判長が、まさかの証人申請却下・終審を宣告したとき、高崎暢弁護士は、すぐ「忌避します」と言った。そうなんです。裁判官の不当な訴訟指揮には勇気をもって忌避申立すべきです。私の自慢は、弁護士2年目のとき、一般民事裁判で裁判官に対して忌避申立したことです。代理人は私ひとりで、とっさに申立しました。何の事前準備もありません。事務所に戻って報告すると、先輩弁護士たちから、「勇気あるね」と皮肉なのか、励ましなのか分からないコメントをもらいました。今でも、私は、このとき、「忌避します」と言ったことを、ひそかに誇りに思っています。たとえ弁護士2年目でも、おかしいと思ったらおかしいと言うのは正しいのです。もちろん、忌避申立すると、少しばかり(2~3ヶ月)、裁判が遅くなります。でも、それは明渡を求められる被告事件なので、訴訟遅延は喜ばれるだけということは私にも分かっていました。
本論に戻って、北海道裁判の原告と弁護団は、「断腸の思い」で、上告を断念しました。その残念な思いが、この部厚い記録集に結実したわけです。本当にお疲れさまでした。髙崎暢弁護士より贈呈していただきました。ありがとうございます。
                           (2023年7月刊。4500円+税)

『小右記』と王朝時代

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 倉本 一宏 ・ 加藤 友康 ・ 小倉 慈司 、 出版 吉川弘文館
 『小右(しょうゆう)記』は、平安時代、藤原道長と同じころに生きた貴族・藤原実資(さねすけ)の書いた日記。実資は90歳で亡くなったが、右大臣にまで上りつめていて、21歳から84歳までの63年間、日記を書き続けた。
 この日記には、当時の政務や儀式運営の様子が詳細かつ精確に記録されている。
 『小右記』は、実資個人の日記というだけでなく、小野宮(おののみや)家にとっての共有財産だった。つまり、小野宮家をあげて情報を持ち寄り、それを総合して記事としたもの。
 鎌倉時代の貴族である藤原定家は、夢のなかで実資と会ったことを『明月記』に記載している。それほど、定家は『小右記』を熱心に読み込んでいた。実資は、藤原道綱を罵倒していることで有名だ。
 「先輩の自分が先に大納言(だいなごん)になるべきだろう。ましてや貴族の中でも博識で能力ある自分を差し置いて、名前がやっと書ける程度で、漢籍などの知識のないあいつが何で昇進するのか…」と怒っている。
 道綱について、功労や才能がないのに、いたずらに禄を受けるもの、職責を果たさないのに高位高官にいるものと厳しく批判した。実資は、一条天皇のキサキ藤原彰子を評価していた。この彰子の伝言を実資や小野宮一家に取り次ぐ女房が紫式部だった。
 実資は健康に気を配り、輸入品から作られる貴重な薬をことあるごとに摂取していた。
平安時代の1人の貴族の書いた63年間もの日記の意義をかなり分かりやすく(「かなり」というより、実のところ難しいところが多々ありました)。解説してくれている本です。平安時代の雰囲気を少しばかり味わうことができました。
(2023年5月刊。3800円+税)

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.