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フジモリ時代のペルー

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著者:村上勇介、出版社:平凡社
 500頁をこす大作ですが、大変興味深く読みました。日系2世がなぜ南米ペルーで大統領になったのか、日本大使公邸の人質事件はなぜ起きたのか、よく分かりました。
 1996年12月17日、日本大使公邸のレセプションにMRTAが乱入し、参加していた1200人の招待客のうち600人を人質にとった。127日間、日本人を含めた72人が人質にとられ、最後は翌年(1997年)4月22日にペルー軍の特殊部隊が突入して、人質は1人が死亡したものの残る71人は救出された。MRTAは14人全員が死亡した(射殺された)。
 1200人の招待客は多すぎなかったということが、フランスの招待客は1900人でしたし、同じようにアメリカ1798人、イタリア1297人、イギリス1000人という比較で明らかにされています。
 また、強行突入も2面からやむをえなかったとされています。一つは、人質内部にいたペルー人の軍人や警察官が反乱を起こす寸前であったこと、二つには、MRTAの内部で、キューバへ出国する意思がなく、徹底抗戦の幹部がいたことにあります。
 そして、多くのペルー人には、無縁の日本大使公邸で発生した事件ということであまり関心もなく、結局、人質のほとんどが救出されたことで、フジモリ大統領の支持率は一時的に高まったものの、やがて沈静化していった。
 そもそもペルーでは、1821年のスペイン植民地から独立して以来、一定の制度に従い安定的な状態が12年以上にわたって維持されるという経験をしたことがない。
 ペルーにはPC(主人=パトロンと従者=クライアント)関係があり、主人は独占した権力や権益・財を私権ととらえ、政治を私物化する傾向が強く、従者は利害を共通するはずの者たちとの水平的なつながりや連帯を緊密にしない傾向がある。ペルー全体を統合するシンボルもなければ、独立の英雄もいない。ペルーでは結果が重視され、その過程の手段や手段には拘泥しない態度や行動様式が普遍的である。クリオジョ(ペルー生まれの白人支配層)文化では、抜け目なさ、攻撃的態度、慎重さ、へつらいやおべっかなど、ありとあらゆる対処手段を状況に応じて組み合わせ巧みに駆使し、局面ごとに自分にとって最大限に有利となるよう身を処していくことが尊重される。
 政党も、創設者が無謬性と全能性をもって君臨する。
 フジモリは、手続や過程における方法・手段にはこだわらず、まったく民主的な方法をとらず、自らに権力と決定権限を集中させ、ごく少数の側近との間で迅速に意思決定を行い、これを実効に移すという権威主義的な政治スタイルを貫いた。状況にあわせた短期的な対応をするものの、中長期的な方針やビジョンをもつこともなかった。
 この本を読むと、ペルーに私たちの理解するような民主主義が根づくのは、まだ相当の時間を要するとしか思えません。フジモリは、そのような状況のなかで、うまくマスコミに乗って大統領に当選したようです。いわば、一種の仇花みたいな、あぶく(うたかた)ではなかったかという気がしてきました。

わが20世紀、面白い時代

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著者:エリック・ボブズホーム、出版社:三省堂
 イギリスの歴史学者であり、ケンブリッジ大学の学生時代以来、今日なお共産党員である著者が、その一生をふり返った本です。ユダヤ人でもありますが、ユダヤ教の信者ではないようです。
 1932年のドイツでは、現状を急進的に拒否していったのは多数派だった。大学生のなかにはヒットラー支持が強かった。
 1933年の国会放火事件は、オランダ人左翼青年が人々をあっと言わせるような行動に出て労働者を決起させようとしたもので、ナチ党員が仕組んだものではないというのが今日の通説だ。
 スペインでファシズムと戦った国際旅団のうち7000人は、社会党や共産党のユダヤ人だった。ユダヤ人がいつも受け身の犠牲者だったわけではない。
 フランスのジョスパン首相は、かつてはトロツキストだったし、ドイツのフィッシャー外相も街頭の戦士だった。1968年世代は、政治の舞台で今も活躍している。この点は、日本とはまったく違っていると同じ団塊の世代の私は思います。
 フランス共産党は自分からスターリン化し、レジスタンス運動によって大量に引き寄せた知識人に威張りちらし、やがて敵にまわしてしまった。
 2段組みで400頁もある本ですが、なかなか読みごたえがある本でした。

思索紀行

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著者:立花隆、出版社:書籍情報社
 かの立花隆も、今や64歳。その本名が橘隆志であることを初めて知りました。戦前の五・一五事件のとき、民間指導者として逮捕され無期懲役刑を宣告された橘孝三郎は身内だそうです。
 この世界を本当に認識しようと思ったら、必ず生身の旅が必要になる。やはり、この世の中には、行ってみないと分からないもの、自分の肉眼で見ないと分からないもの、自分がその空間に身を置いてみないと分からないものが沢山ある。
 この点は、私もまったく同感です。私とちがって、語学のできる立花隆は、大学生のころから、ずっと外国をまわっています。イスラエルに何ヶ月もいたり、ギリシアを訪れたりと、世界のあちこちに出かけています。外国語のできる人はうらやましい限りです。
 私も、42歳のとき、南フランスに40日間、1人でウロウロしていたことがありました。妻子を日本において無責任にも「独身」気分に浸っていたわけです。今でも、あなたの身勝手さには呆れてしまうと非難されています。でも、でも、やっぱり行ってよかったと本当に思っています。4週間目には、頭の中のフランス語が不思議にスラスラと口から出てくるようになりました。一大変身をとげたのです。残念なことに、それが帰国する前の週のことでした。もっと長く滞在できたら、フランス美人を口説けたのかもしれません。
 やはり、旅は人間の成長にとって大切なものだと、つくづく思います。

アメリカ人のみた日本の検察制度

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著者:デイビッド・T・ジョンソン、出版社:シュプリンガーフェアラーク東京
 どうせアメリカ人が日本の検察制度をまた賞賛している本だろう・・・、なんて、ちっとも期待せずに読みはじめたのですが、意外に面白くて、あちこちに赤エンピツでアンダーラインを引きまくってしまいました。日本で検察「修習」もしたうえで、アメリカの検察庁に出かけて日米を比較していますので、なかなか興味深いものがあります。
 取調べ過程をビデオテープに全部収録すべきだと提案しています。それは全員にとってプラスになり、時間とお金が節約できるというのです。まったく同感です。アメリカでもビデオ録画をはじめていて、後悔している警察はただの1ヶ所もないとのことです。
 日本の若手検察官が被疑者に取調べのときひどい暴行を加えたことも紹介されています。自白を引き出して自分の手柄にしてエリートコースに乗ろうとしての暴行のようです。マスコミでは実名報道されましたが、この本では仮名になっています。やはり将来ある身だから、単行本にするときには仮名にしてほしいという「圧力」がかかったそうです。それにしても、この事件を報道したマスコミの臆病ぶりが痛烈に批判されています。
 日本の中心的マスコミは番犬だというよりは、いいなりの子犬のような行動をした。日本では批判的な調査記事を書くことは報道関係者の習慣にはない。もし、そこにふみこんだら、情報をもらえなくなり、飯が食えなくるなから、思い切った批判などはしない。我々はお互いにある種の取引をしている。皆この取引を了解している。検察官は立場が上で、我々は彼らにいろいろお願いする立場だ。我々は低姿勢でもって、彼らのルールに従って動かなければならない。
 この点は、検察官がパソコンで作成されている調書を部分的に差し換えることが現になされていることについても同じで、マスコミではほとんど問題にならないのです。
 この本には、刑事法廷において、アメリカでは直ちに「弁護人の支援無効」として「審理無効」となるような、みっともない国選弁護人の行状がいくつも紹介されています。読んでいる方が顔から火が吹き出すような恥ずかしさを感じます。恐らく真実の姿だと思います。日本では、国選弁護人は多くの弁護活動をするものの、その大半は刑事弁護とはいえない。ここまで言われています。元検事の70歳以上の弁護士に多いように書かれていますが、実際には、生粋の弁護士の若手にもありうるのではないでしょうか・・・(私にとっても、決して他人事ではありません)。
 検察には「敵」のリストがあって、1番に弁護士会、2番に社会主義者と共産主義者、3番と4番がなくて、5番が新聞だ。弁護士会の主要委員会は「左派リベラル」に偏っていて、弁護士会全体としての決定は、「平均的な」弁護士の感覚より革新的になっている。
 これもそう言われるとそうかもしれないと思います。
 日本の検察官は、一般に言われるほど多忙ではない。詳細な調書をつくりあげられるのは、制度的に能力の余裕があるからだ。
 原稿は英語ですから横書き本となっていて、400頁もありますが、私はいつものように2時間もかけず、ざあっと読みとばしました。今後の刑事司法のあり方を考えている人には、一読をおすすめします。

運命

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著者:蒲島郁夫、出版社:三笠書房
 東大法学部で政治学を学生に教えている教授が、意外なことに高校生のころは見事な落ちこぼれだった。なんとか農協にもぐりこむようにして就職したものの、まともに仕事もできなかったという・・・。著者は私と同じ団塊の世代。この本を読んで、人間、やればできるものなんだね、改めてそう思った。アメリカに渡り、農業実習そして牧場での農奴のような厳しい生活。それに著者は耐え抜いた。
 不平や不満をいっているうちは、まだ気持ちに余裕がある。まだまだ目一杯働いていない証拠だ。
 いったん日本に戻って、再びアメリカへ。ネブラスカ大学を受験して不合格になったものの、知りあいの教授がかけあい、ようやく仮入学できた。そのチャンスを生かして授業をテープ録音しながら猛勉強する。試験で90点をとるには、120%の準備が必要だ。それを著者はやり切った。その結果、オールAの成績。そして特待生となって、奨学金がもらえるようになった。やがて日本から彼女を呼んで結婚し、子どもも生まれる。そして、ついにハーバード大学の政治学に合格。
 人生には、やるべきときに、やらなければならないことがある。
 著者の必死の努力を読んだあと、この言葉に接すると、すごい重みを感じる。著者は、無事にアメリカの大学を卒業して日本に戻り、「奇妙な」学歴のまま筑波大学に入ることができた。そして17年間つとめたあと、東大法学部に招かれて現在に至っている。熊本の片田舎で農協職員だった人が、今や天下の東大法学部教授とは・・・!
 それぞれの舞台で、人々の期待を裏切らない。運のいい人と出会った人は、その人にも運が向いてくるものだ。読んで、まだ自分にもやらねばならないことがある。まだ大丈夫だ。そんな気にさせる元気の出る本。

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