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始業前に昨日の仕事をすます人が成功する

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著者:高井伸夫、出版社:講談社
 私も年齢をとったせいか、朝早く5時ころに目が覚めることが多くなりました。でも、私はトイレに行ったあと、顔を洗って水を一杯飲んでからまた寝ます。朝7時まで、もう一眠り、朝寝を楽しむ気分です。朝7時に枕元でシャンソンのCDが鳴って目を覚まします。しばらくフランス語を聴きとる練習を兼ねてシャンソンに耳を傾けます。15分たつと自動的に切れますので、そこでやおら起きあがります。これが、この10年来の私の1日の始まりです。
 著者は東京の高名な弁護士です。著書が30冊もありますが、私も何冊か読みました。いつもなるほどと感心しながら読んでいます。毎朝5時に起き、朝7時すぎには都心にある法律事務所に出て仕事をします。お客さんは朝8時からやってくるそうです。打合せは30分以内。アポは20分ごと。福岡にも早朝から事務所に出ている弁護士が私の知る限り4人います。電話がかかってこないので、集中して書面がかけるということです。
 事務局は、朝8時出勤し、夕方5時20分には帰宅。残業はありません。基本給20万円で、定期昇給なし。ただし、そのうえで、働きと能力にあわせて給料が支払われます。
 著者は火木の夜は自宅で夕食をとり、月水金は外で夕食をとっても二次会は断り、夜10時までに帰宅します。腕時計はもたず、目覚まし時計も使いません。朝食は私と同じで、野菜食か断食です。1年のうち30日は断食療法をしているという点が私と違います。偉いものです。
 仕事に優先順位をつけ、結論を急ぐなら今すぐする。明日まで待てるものは今日中にやる。来週にまわせるなら、週末にやる。これは私のモットーでもあります。仕事に追われるのではなく、仕事を追いかけるようにします。その方が精神衛生上、断然いいのです。
 いろいろヒントになる文章がたくさんある本です。

サルの社会とヒトの社会

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著者:島泰三、出版社:大修館書店
 サルは子殺しをするけど、ヒトはわが子殺しをする。本のオビにそう書かれていますが、まさにそのとおりです。
 弁護士になって、ヒトが自分の子どもを殺したという事件を身近に何件も体験しました。もちろん、親殺しもありました。
 では、ヒトより「下等な」サルやチンバンジー、ゴリラではもっとひんぱんに子ども殺しや親殺しがあるのでしょうか。いえ、そんなことはありません。サルやチンパンジーに子殺しはたしかにあります。しかし、著者は、それも人間がエサを与えていることと関係があるのではないかと指摘しています。いろいろ考えさせられる本でした。やはり、対比させて違いを考えることで、物事の本質をつかむことができます。私は学生時代のセツルメント活動でそのことをしっかり体験しました。

古代エジプトうんちく図鑑

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著者:芝崎みゆき、出版社:バジリコ
 オビに、全編イラストづくしの300頁。1日10頁、30日間楽しく読めば古代エジプト文明のすべてが身につく、とあります。読んでみて、それが決してウソではないと思いました。うんちく図鑑と銘うっているだけの内容はたしかにあります。
 古代エジプトのたくさんの王朝についても詳しく解説されています。それこそ、へえー、という感じです。ヒエログリフを解読したシャンポリオンって、本当に偉いと思います。ピラミッドがなぜつくられたのか、あれは一体何なのか、今も不明のままというのも大変気になります。一度は行きたいエジプト。でも、遠くて怖いエジプトという気がしています。うーん、行くべきか、行かざるべきか・・・、それが問題だ。

友情について

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著者:キケロ、出版社:岩波文庫
 紀元2世紀のローマ時代の哲学者です。
 友人同士の好意のなかに安らいを見いださない人生が、どうして生きるに値する人生たりえようか。まるで自分に語るように、安んじてすべてを語りうる人をもつことほどうれしいことがあろうか。
 友情は数限りない大きな美点をもっているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにするということだ。
 昔も今も、良き友だちこそ人生最大の財産です。

江戸という幻景

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著者:渡辺京二、出版社:弦書房
 江戸時代に関わる本はかなり読んできたため、すっかり雰囲気もつかんでいた気になっていましたが、この本を読んで、まだとんでもない、まだまだ、ちっとも分かっていないことを知ってがく然としました。江戸時代の人々がどのように考え、どのように生きていたのか、とてつもなく奥の深いものがあることを思い知らされる本です。すごく知的重樹を受けました。
 江戸時代の末期に日本にやって来た欧米人は、当時の日本人の陽気さ、無邪気さ、人なつこさ、こだわりのなさに深い印象を受けた。礼儀正しさと親切はもちろん感動的だったが、社会全体にみなぎる親和感と、何より人びとの心の垣根の低いことに彼らは魅せられた。人々は好奇心にみちあふれ、貴重な知識を求めるにきわめて真剣だった。
 江戸の人びとは、ことに触れて赤児のような純真きわまりない感情を流露する人々であった。旅先で病人を見かけると、決してそのままにしておかなかった。道中で事情のありそうな者を見かけると、決まって声をかけ、わが家に連れ帰ったりもした。
 幕末に来日した外国人は一様に日本人の宗教心の薄さ、とくに武士階級の無神論に注目している。ところが、彼らは相当な迷信家でもあった。
 仕事は決して労役ではなく、生命活動そのものだった。家業は近代でいう職業ではなく、運命が与えたその人の存在形態であって、家業に精を出すのは生命活動そのものにほかならなかった。うまくゆかなければ直ちに離婚して、何度でも結婚をやり直せばよいというのが江戸時代の婚姻常識だった。女にしても、貞女二夫にまみえずなとということはなかった。
 江戸時代の人びとは、何かにつけて、月、雲、花、鳥の声、虫の音を楽しむ心の持ち主だった。町人は武士という身分に対して、あまり恐れいっていなかった。武士とは町人にとって、一定の限界内で挑戦可能な存在であり、また、挑戦し甲斐のある存在でもあった。
 文政年間にオランダ出島の商館にいたフィッセルは、日本の裁判の厳しさについて、次のように述べている。「その厳しさは、社会のあらゆる階級に対して平等である。裁判は、もっとも厳格なる清潔さと公平さをもって行われると推量されるだけの理由はあると言える」
 安永年間に同じくオランダ出島にあったツェンベリも、「日本のように法が身分によって左右されず、一方的な意図や権力によることなく、確実に遂行されている国は他にない」と指摘している。恐らく彼らは、法を犯した大名や役人が確実に処罰される点を平等とか、身分に左右されないと表現した。
 裁判手続は、いかにも面倒なものだった。しかし、それでも人びとは  続として出訴した。公事(くじ、裁判のこと)のため滞在する人のための公事宿は安永年間に198軒あった。公事はやり甲斐があった。大人数が朝早くから評定所に詰めかけて、居る場所もないほどだった。裁判官は調停(和解)で事件を落着させようと必死で努力し、落着後は、心を開いて心境を述べていた。
 ウッソー、ホントなの・・・。世の中は、まさに知らないことだらけです。

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