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運命

カテゴリー:未分類

著者:蒲島郁夫、出版社:三笠書房
 東大法学部で政治学を学生に教えている教授が、意外なことに高校生のころは見事な落ちこぼれだった。なんとか農協にもぐりこむようにして就職したものの、まともに仕事もできなかったという・・・。著者は私と同じ団塊の世代。この本を読んで、人間、やればできるものなんだね、改めてそう思った。アメリカに渡り、農業実習そして牧場での農奴のような厳しい生活。それに著者は耐え抜いた。
 不平や不満をいっているうちは、まだ気持ちに余裕がある。まだまだ目一杯働いていない証拠だ。
 いったん日本に戻って、再びアメリカへ。ネブラスカ大学を受験して不合格になったものの、知りあいの教授がかけあい、ようやく仮入学できた。そのチャンスを生かして授業をテープ録音しながら猛勉強する。試験で90点をとるには、120%の準備が必要だ。それを著者はやり切った。その結果、オールAの成績。そして特待生となって、奨学金がもらえるようになった。やがて日本から彼女を呼んで結婚し、子どもも生まれる。そして、ついにハーバード大学の政治学に合格。
 人生には、やるべきときに、やらなければならないことがある。
 著者の必死の努力を読んだあと、この言葉に接すると、すごい重みを感じる。著者は、無事にアメリカの大学を卒業して日本に戻り、「奇妙な」学歴のまま筑波大学に入ることができた。そして17年間つとめたあと、東大法学部に招かれて現在に至っている。熊本の片田舎で農協職員だった人が、今や天下の東大法学部教授とは・・・!
 それぞれの舞台で、人々の期待を裏切らない。運のいい人と出会った人は、その人にも運が向いてくるものだ。読んで、まだ自分にもやらねばならないことがある。まだ大丈夫だ。そんな気にさせる元気の出る本。

戦国鉄砲・傭兵隊

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著者:鈴木眞哉、出版社;平凡社新書
 織田信長と戦った紀州(和歌山)の雑賀(「さいか」と濁らずに読むそうです)衆の話です。早くから大量の鉄砲を使いこなす集団として有名ですが、雑賀衆も内部は決して一枚岩ではなかったということが明らかにされています。
 鉄砲は、一般には攻撃向きの武器と考えられているが、実際には防御に適した武器であった。鉄砲うちの熟達者は蛍、子雀、下針、鶴頭、発中、但中、無二というあだ名をもっていた。雑賀衆が本願寺側に参戦したため、織田信長は石山合戦で容易に勝てず、11年も足をとられてしまった。天下取りのプランがすっかり狂わされた。雑賀衆がいなかったら、信長は、とっくに「日本全国の王」になれただろう。
 著者は雑賀衆の子孫のようです。なにかと常識の誤りを指摘する著者ですが、根拠が十分なので、なるほどそうなのかー・・・、といつも感心させられます。

歌舞伎町シノギの人々

カテゴリー:未分類

著者:家田荘子、出版社:主婦と生活社
 東京・新宿・歌舞伎町。3656軒の飲食店と3950店の風俗店があり、100組以上の暴力団が200以上の事務所を構えている。
 一晩に職務質問されるのは200〜300人、新宿署に留置される人が80〜100人。歌舞伎町関係で逮捕された暴力団員は400人。1年間に新宿で検挙した家出人は270人。一晩に歌舞伎町関係で受ける110番は20件以上。
 暴力団に支払われるみかじめ料(ケツ持ち料)は、カジノ50〜200万円、ゲーム屋20〜30万円、ぼったくりバー10〜20万円、ヘルス10万円、キャバクラ10〜20万円、エステ5〜10万円、クラブ1〜3万円、路上の店は3〜5万円。
 歌舞伎町には「会員制のヤクザ専門喫茶店」まであるという。
 暴力団組長や覚せい剤の密売人をいわば肯定的な存在と思わせるような描き方にはひっかかりますが、新宿歌舞伎町の一断面をレポートする本ではあるように思います。

アフリカの瞳

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著者:帚木逢生、出版社:講談社
 アフリカの国民10人に1人がHIVに感染している。毎年200人の赤ん坊がHIVに感染して生まれてくる。そんなアフリカで、日本人医師ががんばっている。
 欧米の製薬会社は、エイズ治療薬の開発に必死だ。あたれば、大変なもうけが確実だからだ。だから、人体実験をひそかにすすめている。そのカラクリを暴こうとする者には死の脅しが迫る。モデルがいるのか知らないが、最後まで読ませた。
 ウガンダとセネガルでは、セックスするときにはコンドームの使用を当然とするセーフ・セックスの文化を育てあげ、HIV感染率を大幅に下げた。ウガンダは15%を9%に、セネガルでは感染率はわずか2%にすぎない。
 欧米の製薬会社の売るエイズ治療薬は開発費の8倍ももうけるほどのもの。だから、今の薬価を1000分の1に値下げしてもいいはずだ・・・。
 うーん、そうだったのか・・・。もう騙されないぞ!。

小説・島津啓次郎

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著者:榎本朗喬、出版社:鉱脈社
 明治3年9月、佐土原藩主(改め知藩事)島津忠寛の三男・島津啓次郎はアメリカ留学に出かけた。アナポリスの海軍兵学校に学び、中退して明治9年4月に帰国した。
 帰国後は武より文を重視する方針で、故郷に私学校を設立した(明治10年2月)が、西南戦争が勃発したため、鹿児島に兵を率いて参戦した。田原坂の戦いで、敗退するや、いったん故郷に戻るも、西郷軍が宮崎へ退路をとったため、またもや参戦し、ついに、鹿児島で西郷とともに敗死した。明治10年9月24日、享年21歳。
 私がこの本を読んだのは、今秋、宮崎へ行き、帰路に西都原古墳を見物したことによる。佐土原町は宮崎から西都市に行く途中にある。いま西南戦争のことを少し調べているので、西郷軍に宮崎から加わり戦死した島津一族の青年がいるということを知り、読んでみようと思った。アメリカに5年ほどいて、それなりの成績もとって開明的な青年になったはずなのに、西郷軍に身を投じるというのは、いかにも日本的な心情の持ち主だったように思われる。
 西都原古墳の方は、一面のコスモス畑を期待していったところ、コスモスはまだ苗の状態でしかなく、期待はずれ。新装の博物館はそれなりの迫力だったが、古墳を自分の足で歩けなかったのが大いに心残りだった。西都原(さいとばると読む)の高台には300もの古墳がある(まだ発掘されていないものが多いという)から、ここが日本の古代文明発祥の地であることは間違いないところだ。

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