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ピエロの赤い鼻

カテゴリー:未分類

著者:ミシェル・カン、出版社:扶桑社
 この正月に見たフランス映画です。ナチスに支配されていたフランスでのささやかなレジスタンス行為がナチスの報復によって悲劇をもたらすのです。
 父親と子どもの葛藤をも見事に描いています。例によって映画と原作とはストーリーがかなり違います。私は映画の方がむしろ状況描写としてうまくできていると思いました。小学校の教師をしている父親が日曜日ごとにピエロになって人々を笑わせている。息子としては肩身が狭いし、嫌でたまらない。でも、ある日、その理由を聞かされる。それを知って息子は父親を見直す・・・。
 ピエロ役の俳優が実にうまいと感心しました。フランス映画にも、もちろんいろいろありますが、ナチスに支配されていた当時のことがいろんな角度から次々に映画化されていっているところが、日本との違いです。軍国主義日本を反省するという映画は、日本ではめったなことでは見れませんし、いわんやヒットして話題になることはまったくありません。残念なことです。「人間の条件」とか、昔は、いろいろ反戦映画がありました・・・。

塀の中から見た人生

カテゴリー:未分類

著者:安部譲二、山本譲司、出版社:カナリア書房
 著者の2人とも刑務所経験があります。安藤組の元組長による『塀の中の懲りない面々』はミリオンセラーになりましたが、私も面白く読みました。実にさまざまな収容者が登場します。元衆議院議員が政策秘書の給与を不正流用し、一審の実刑判決に控訴せず服役した獄中生活をつづった『獄窓記』は、前者とは違った収容者の実情を知らせるものでした。著者の真摯な服役生活に感じるものがありました。
 舎房で本を読むときの遅読法というのを初めて知りました。時間はたっぷりあるのに官物の本は数が決まっているので、すぐに読み終わってしまったら困るのです。
 だから、単純な言葉でもいちいち広辞苑を開いて意味を確認しながら読む。これで時間をかける。おかげで広辞苑はボロボロになった。読めるけれど書けない漢字を、いちいちノートに書き出しては覚えるまで次の行にすすまない。これをやると、とんでもなく難しい漢字でも苦もなく書けるようになる。
 冬の寒さは辛い。舎房で本を読んでいると、目玉が冷たくなって、痛くなって、どうにも文字が追えなくなる。仕方ないから片目ずつつぶって、温めながら読む。涙も出てくる。
 悪い看守はほとんどが若い奴だ。舎房や工場を高いところから見下ろしている。だんだん歳をとって、定年も近づいて、退職金の計算をするようになると、目線が低くなってくる。
 初犯刑務所は再犯刑務所よりずっと厳しい。矯正可能性があると思うから刑務所側も力がはいっているからだ。刑務所運営でうまいやり方は、最初に受刑者から徹底的に自由を取りあげておいて、少しずつ自由を与えることで受刑者を意のままに従わせるというテクニックをつかうこと。
 初犯刑務所を出所した人間の再犯率は5割。ところが、再犯刑務所を出た人の再犯率は9割。つまり、刑務所に2回入ったら、もう一生刑務所と縁が切れることはないと思ってよい。刑務所というところは、うらやましいっていう気持ちを、すべて憎しみに変えるところ。ひがむ人間がたくさんいて、なんとか足を引っぱろうとする。
 社会でも前科者という偏見はきわめて根強い。前科者が更生するというのは大変なこと。顔からしゃべり方、驚いたときや真剣なときの目つきまで変えなければいけない。懲役顔というのがある。我慢したり、折りあいをつけたりばかりしていると、きっとこんなふうになるだろうなという顔のこと。
 受刑者は7万人。外国人が1割近い6千人もいる。うち中国人が2千人。塀の中の国際かは外よりすすんでいる。
 いま毎週、刑務所に通っています。本当に寒いところにあります。ときどき軍隊式行進のかけ声が聞こえてきます。受刑者に対してもう少し社会の風があたるようにしないと社会復帰は難しいという気がします。厳罰を課して隔離しておけばいいというばかりでは受刑者は増える一方です。しかし、その大半はいずれ出てくるのです。そのとき、本当に更生していなかったら、もっと大変なことになると私は思うのです・・・。

伊藤博文と韓国併合

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著者:海野福寿、出版社:青木書店
 この本で面白く、目新しいところは、死せる伊藤博文を登場させて同時代の人々と対話させているところです。100年後のダイアローグと銘うっています。それが、なるほど今生きているのなら伊藤博文が本当に言いそうなセリフになっていて、感心します。凶弾に倒れた伊藤博文も、若いころは実はテロリストでした。イギリス公使館の焼き打ちに加わり、塙保己一の息子を斬殺もしています。
 この本を読んで驚いたのは、伊藤博文を殺したのは安重根だとばかり思っていましたが、ケネディ暗殺事件と同様に、真の暗殺犯人は別にいるという話があるということです。同行していた貴族院議員(室田義文)は、駅の2階の食堂からカービン銃(フランス製の騎兵銃)で3発の弾丸が上から下へ伊藤の身体にあたった。安重根が下の方から狙って撃った弾丸ではない、と一貫して主張していたというのです。
 では、真犯人は誰なのか。それは、伊藤を邪魔ものと考えていた日本政府内の反対派、対韓侵略積極派の明石元二郎少将ないし後藤新平あたりだ。そんな説があるというのです。うーん、そうだったのか・・・。伊藤博文の遺体から摘出されたはずの弾丸が裁判の証拠になっていないというのは、たしかに不可解です。伊藤博文は韓国併合に反対ではありませんでしたが、国際協調も大切にすべきだと考えていました。そこを不満だと考えた反対派がいたわけです。
 朝鮮人はえらい。この国の歴史を見てもその進歩は日本よりはるか上にあった時代がある。才能においてお互いに劣ることはない。人民が悪いのではなく、政治が悪かった。
 国さえ治まれば、人民は質量ともに不足はない。韓国と合併すべきだという議論があるが、合併の必要はない。
 伊藤博文暗殺の背景について、もっと知りたくなりました。

カブトムシと進化論

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著者:河野和男、出版社:新思索社
 ダーウィン進化論に異議ありという理論は、正直なところさっぱり分かりませんでした。でも、世界中のカブトムシやクワガタムシのコレクションの写真は実に素晴らしく、何回見ても見飽きることがありません。
 カブトムシが犬くらいの大きさであったとしたら、この世でもっとも迫力のある生きものであることは間違いない。そんなダーウィンの言葉が紹介されています。なるほど体調10センチほどのコーカサスカブトムシのツノの見事さにはほれぼれするばかりです。ツノが5本あるカブトムシ(ゴホンツノカブトムシ)がいることも初めて知りました。カブトムシは温帯よりも熱帯地方にたくさんの種類がいます。それこそ大小さまざまで、ツノも長かったり短かったり、いろいろです。
 個体発生は系統発生を繰り返すという説は定説になっているものと思っていましたが、なんと、今では荒唐無稽な説として否定されているそうです。でも、本当にそうなのかしらん・・・?
 いま地球は第6回目の大絶滅のまっただなかにあるのではないか、という著者の指摘に接して、ドキッとしました。これまでの5回の大絶滅は地球環境の変化や天然災害が原因だったとしても、今回の第6回目は、人間が原因をつくっているのではないのか。しかも、その絶滅のスピードが早すぎる。そう指摘されています。うーん、そうなんですよね・・・。たとえば、熱帯雨林は、地球上の全陸地の1.4%を占めるにすぎないけれど、全植物種の44%、動物種の33%をかかえている。その熱帯雨林が消滅しつつある。そうなったら、これらの動植物種も絶滅してしまうだろう。生物分類群は、一度失われてしまえば、たとえ何千何万年、何億年かけても、それと同じものが再び地球上に進化してくる可能性はない。進化にセカンドチャンスはない。
 いろんなカブトムシを眺めることができるのは、人間がいろいろいてもいいということを意味しています。カブトムシの種類が少なくなったら、人間だって多様性の保障はありません。私たちは目先の利害にばかりにとらわれすぎているとしか思えません。いかがでしょうか・・・。

若杉裁判長

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著者:菊池 寛、出版社:文芸春秋新社
 図書館から菊池寛文学全集を借りて読みました。かなり古い小説です。なぜ今ごろ読んだかというと、先ごろ夏樹静子さんの講演を聴く機会があったのですが、そのなかで紹介されたからです。
 夏樹さんは『量刑』という推理小説を書いています。裁判長の家庭生活にもふれたストーリーです。裁判長の娘が誘拐され、判決について脅迫されるという舞台設定なのです。裁判官や弁護士に取材した苦労話が語られました。そのなかで、大勢のベテラン裁判官の前で、「裁判官の世間知らず」を問題とされました。多くのベテラン裁判官は「世間知らず」という言葉にひどく反撥します。たくさんの事件を扱うなかで、世の中を表も裏からも自分たちほど知っているものはいないという強い自負があります。むしろ、弁護士の方こそ世間知らずじゃないかと口角泡をとばす勢いで反論の弁を滔々と述べたてるのが常です。たしかに、弁護士がどれだけ世間を知っていると言えるのか。いつのまにか弁護士生活30年を過ぎた私も、世間のことは本当にまだまだよく分かっていないな。そう思うことがしばしばです。でも、裁判官は、自分たちが思っているほどには世間を知らないのではないか。私はつくづくそう思います。
 ところで、若杉裁判長は執行猶予をよくつけるというので名裁判長という評判が高い裁判官でした。しかし、ある晩、自宅に泥棒に入られて、すっかり考えが変わりました。法廷に立たされた被告人は、どれもかしこまった、ペコペコ頭を下げ、神妙に縮みあがっている男ばかりだった。ところが、目の前の泥棒は、そんなおとなしい人間ではなく、見つけたからには居直ってやろうという肚をありありと見せている。赤裸々な人間同志の力づくの関係しかそこにはなかった。若杉裁判長は全身を押し詰まされるような名状しがたい不快な圧迫を感じた。若杉裁判長は、それからは世間が当然に執行猶予がつくと思っていた事件でも、実刑判決を下すようになった。
 うーん、なんだか、まさに絵にかいたようなドラスチックな展開です。
 私は、このごろ、若い裁判官に対する不満よりも、高裁レベルのベテラン裁判官に対して強い不満を抱いています。いかにもことなかれ、現状(行政)追従・追認のやる気のない審理態度と判決が多すぎる気がしてなりません。若い裁判官が重箱の隅をつつくような質問をするのは、まだ許せます。やる気が感じられるからです。でも、無気力な現状追認と自己保身しか考えていないような裁判官にはどんどんやめてもらいたいのです。
 このところ年間に6人ほどの裁判官が10年目の再任を拒否されていますが、私はとても良いことだと考えています。裁判官の評価アンケートを弁護士会で実施しています。福岡では会員の4分の1ほどの回答がありますが、C(悪い)評価の裁判官も少なくはありません。そんな人は裁判官に向かないのです。さっさと国民のために辞めてもらいたいものです。

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