法律相談センター検索 弁護士検索

「日曜日の読書」(阿刀田高)

カテゴリー:未分類

紅茶を飲みながら、耳障りにならない程度のクラシックをかけて、教養たっぷりハイソサエティな休日の午後・・・なんて感じです。どの講義?も興味深いです。

名主文書にみる江戸時代の農村の暮らし

カテゴリー:未分類

著者:成松佐恵子、出版社:雄山閣
 福島県にあった二本松藩。そこで長く名主だった安斎家に残されていた人別帳をもとにして、江戸時代の中後期の農村の実情を探った本です。日本人は本当に昔から記録を残すのが大好きだったんですよね。モノカキを自称する私は、ついうれしくなってしまいます。
 人別帳には、氏名、年齢、続柄などのほか、出生・死亡・縁組など、ことこまかに記入されています。だから、7割が嫁入婚、残る3割が婿入り婚。4人に1人は最初の結婚を離別で終えていて、3分の2の夫が再婚している。これは女性(妻)についても同様で、離婚率はきわめて高かった。こんな事実が分かります。
 名主(なぬし)は、必ずしも世襲ではなく、一般の百姓からの新規取立も3割をこえていた。不正があればもちろんのこと、状況に的確に対応できない名主も罷免されることがあった。
 当時の平均寿命は、男子が38.8歳、女子が35.7歳で、今とちがって男子が少し高かった。明治20年代になって、ようやく平均寿命は44歳台になった。ところが、江戸時代にも65歳以上の人はかなりいた。この村では、最高時13%だった。2003年度の日本の全国平均が19%だから、決してひけをとらない数字だ。
 人口減をくい止める対策として、二本松藩は、赤子養育手当を取り入れた。第3子に金2分、第4子に金3分、第5子以上には金1両が与えられた。この資金は藩からの拠出金のほか、豪農豪商からの献金による。金融業をしている人物が1人でポンと1000両を拠出するということもあった。ものすごい金額です。
 村ではバクチやケンカが多くて、その取締りに苦労していた。なんてことも分かりました。日本人が競馬やパチンコを好きなのは昔からの習性なんですね、きっと・・・。

ピエールの司法修習ロワイヤル

カテゴリー:未分類

著者:石本伸晃、出版社:ダイヤモンド社
 私のころの司法修習は2年間。のんびり、伸びのびと充実した2年間でした。今は短縮されて1年半です。この本を読むと、いかにもあたふたした修習生活で、慌ただしさすら感じます。もっとゆっくり、じっくり見習い期間を保障すべきだとつくづく思いました。私のときも、小さな声で、2年間も国家公務員並の給料を国からもらって勉強できるなんて、すごい。どうしてこんなに優遇されるのか。そんな疑問がささやかれていました。医師だって自己負担、自己責任でやっているのに、なぜ法曹養成だけ特別扱いするのか。弁護士なんて金持ちのために弁護するような存在じゃないか。そんなものを養成するのに税金をつかうなんて、実にけしからん。こんな意見は以前からありました。今は、それが表面に浮上して強く叫ばれるだけでなく、実行されてしまったところが昔とは大違いです。
 いいえ。私は、医師養成だって、キューバのように学生に負担させずに国家で養成した方がいいと考えています。そして、医師は基本的に準公務員扱いにするのです。医術で金もうけするというのは、なんだか割り切れないからです。もちろん、弁護士だって、税金で養成された以上、社会奉仕活動するのは当然の責務です。だから、いま現に、多くの弁護士が費用的には割のあわない国選弁護を担い、また当番弁護士に出動しているのです。法曹養成の世界に税金を出し惜しみすると、金もうけ以外はまったく考えもしない弁護士が爆発的に増えるのではないかと私は心配しています。やっぱり、社会正義の実現そして国民の基本的権利を擁護するのに使命感を燃やす弁護士がたくさんいてほしいものです。
 この本は司法修習生としての生活をホームページにリアルに紹介していたのを本にまとめたものです。私たちのころには考えられもしないメディアがあることを実感します。
 デパートのスリ見学の話が出てきます。私も修習生のとき、川崎競馬場にスリ見学に行きました。ビギナーズ・ラックで500円買って2000円ほどもうけました。1万円くらい買っておけばよかった。そのとき思いました。馬券売り場で万札の束が馬券に変わり、何分か後に紙クズと化して空に舞ってしまう現場を見て、ああ、世の中ってこんな(馬鹿げた)ことにお金をつかう人もいるのか。驚いたことを昨日のように思い出します。
 また、裁判所での修習のとき、検察官は裁判官室に足しげく通って裁判の打合せをしているのに、弁護人はちっとも姿を見せず不思議がる話が出てきます。私も同じような体験をしました。裁判官は弁護人が来るとなると身構えますが、検察官だと同僚が立ち寄って世間話をする。そんな感覚で応対している。そのような気がします。
 私たちのころは、青法協(青年法律家協会)が活発に活動していました。50人のクラスに20人ほどの会員がいて、自主的な研究会や連続講座などをしていました。銀座の映画館にサッコとバンゼッティの冤罪事件を描いた映画(ジョーン・バエズが主題歌をうたっています)を見に行ったことも思い出しました。
 クラスの自治会のような活動も盛んで、私も司法研修所当局との交渉の場に出たことがあります。のちに最高裁長官となった草葉良八氏が司法研修所の事務局長として応対しました。いかにも官僚的で横柄な態度だったので、みんなで憤慨しました。といっても、対する私も当時24歳、生意気盛りではありました。
 ホームページはありませんでしたが、代わりに私は後期修習のとき、しばらく日刊クラス通信を発行していました。昔も今もモノカキなのです。あまりうまくはありませんが、ガリ切りをしたのです。ガリ切りって、分かりますか? ガリ版印刷です。学生のころセツルメント活動にうちこんでいたので、ニュースをつくるのは苦にもなりませんでした。研修所での即日起案は、できる人たちのを寄せ集めましたから、簡単なものです。青法協会員とシンパ層には、できる修習生がたくさんいました。そうそう、青法協活動を探るスパイのような修習生もいましたよ。堂々と活動してたんですけどね・・・。
 いろんな経歴の人と出会い、本当に人生に役立った2年間の修習生活でした。たくさん税金のムダづかいをしている日本が、こんな大切なものを削ってしまうのが私には許せません。人材を育てるって、やっぱり国家の大切な事業ではないのでしょうか・・・。

近代日本の徴兵制と社会

カテゴリー:未分類

著者:一ノ瀬俊也、出版社:吉川弘文館
 日本人は、世界に類例のないほど、日記をつけるのが好きな民族だと言われています。私自身は小学校のとき、夏休みに絵日記をつけていたほかは、小学4年生の一時期つけていたくらいです(その代わり、読書ノートは大学生以来ずっとつけています)。
 多くの日本兵が日記をつけてことを知ったアメリカ軍は、捕虜だけでなく戦死者の日記も収集し、日本軍の戦略だけでなく日本兵の心理状態まで解読・分析につとめていました。なぜ、多くの日本兵が戦場で日記をつけていたのか?
 実は軍部の方針として兵士に日記をつけさせていたのです。
 日記は兵士を文通どおり型にはめる有効な手段として機能していた。自らの手で教育訓練内容を書きつけ、記憶させるという狙いだった。出世競争にかられていた兵士にとっても、日記の内容は軍隊的価値を自分がいかによく体得しているか、上官に対してアピールしてみせる場でもあった。
 戦前、徴兵忌避・逃亡者はいたが、年々減少の一途をたどっていった。圧倒的多数の成年男子が順々と兵営に向かい、戦争で命を落としていった。そうはいっても、戦前の軍は自己の存在意義、兵役義務を国民が履行することの必然性を、繰り返し社会に対して語らねばならなかった。徴兵制度の正当性は決して所与の前提ではなかったからである。
 この本には戦死者の妻が親からの不当な要求に屈せず、役所に対して扶助料の全額支給を求めてたたかい続けたケースが紹介されています。やはり生活していかなければならないという現実は「軍国の母」を強くしたのです。
 いろんなことを考えさせられる本でした。

福岡県弁護士会 〒810-0044 福岡市中央区六本松4丁目2番5号 TEL:092-741-6416

Copyright©2011-2025 FukuokakenBengoshikai. All rights reserved.