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阿部謹也自伝

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著者:阿部謹也、出版社:新潮社
 私が著者の本を最初に読んだのは、「ハーメルンの笛吹き男」(ちくま文庫)でしょう。中世ドイツの都市に生きる人々の姿が生き生きと描き出されており、一心に読みふけりました。「オイレンシュピーゲル」の話も面白く読みました。「中世の窓から」(朝日選書)など、ヨーロッパ中世の社会を知るにつれ、日本との異同をいろいろ考えさせられました。
 この本では、一橋大学の前学長として、国立大学が独立行政法人化するときの悩みや問題点などについても鋭い指摘がなされています。さすが歴史学者だけあって、それに至る状況が、ことこまかく分析的に語られています。
 ところで、著者が卒業論文のテーマ選択に迷っているとき、相談した恩師は次のように答えました。
 それをやらなければ生きてゆけないテーマを探せ。
 なんとすごい言葉でしょうか・・・。私にそんな研究テーマがあるのか、はたと考えてみました。私にとって、たったひとつ思いあたるものとして、大学一年生のときに出会った学生セツルメントがあります。これについては、私なりに研究し、なんとか成果を本にまとめてみたいと考えています(近く第1巻を出版する予定です)。
 著者がドイツに留学し、ハーメルンの笛吹き男の資料に関わるようになった経緯も明らかにされています。なかなか大変だったようです。
 ちなみに、ドイツには、「先日はありがとうございました」というようにさかのぼってお礼を言う習慣がないそうです。また、ヨーロッパには、「今後ともよろしくお願いします」という日本人の私たちがよくつかう言い方もありません。
 アフリカの人は、ひとたびしてもらったことについては、生涯、感謝し続けるので、一度でもありがとうと言ってしまえば、感謝の行為はそこで終わってしまう。だから、ありがとうと言わない。このようなことも紹介されています。
 一橋大学の学長として著者が取り組んだ問題のひとつに、1969年に結ばれた確認書を破棄することがありました。私たちが大学生としてストライキを含めて闘った成果の確認書ですが、今では実質を喪って単なる過去の証文になっていたうえ、桎梏にまでなっていたのです。残念というか、感慨無量というか・・・。
 私たちは1969年、大学運営に学生の声を反映させるよう求め、当局に大衆団交に応じることを認めさせました。当局との大衆団交というと、学生が何百人どころではなく、それこそ何千人と集まっていた当時の話です。ところが、時代は移り、今では、学生運動という言葉自体がほとんど死語になってしまっています。
 著者は、当時と今は違うんだと、次のように指摘しています。
 現在、大学生は同世代の人口の5割近くを占めている。それほどの数の学生が、大学教師になったエリートたちと同様の価値観をもっているはずがない。彼らは大学で教えられている教科がどのような価値をもっているのかを知らず、少なくとも自分は関係ないと思っている。大学における教養教育は、まずこのような学生を知ることから始めなければならない。彼らの1人1人が自分を発見し、社会のなかにおける自分の地位がわかるまで指導しなければならない。大学の構造が今では戦前とまったくちがっているのに、教師は今も自分が学んだ学問が誰にとっても価値があるものだと思いこみ、それを理解しない学生を馬鹿にしている。大学は、このような状態のなかで、確実に死にかけている。
 いやー、そうなんですねー・・・。そのように考えるべきなんですね。私たち先輩弁護士は、司法修習生に対しても同じように考えるべきだ。最近、そのように思うようになりました。

アフリカ発見

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著者:藤田みどり、出版社:岩波書店
 日本におけるアフリカ像の変遷というサブタイトルがついています。アフリカ「発見」とあり、発見にはカギカッコがついています。私は、この本を織田信長の側近にアフリカ黒人がいたことを紹介しているとの書評を見て買いました。なんと、あの本能寺の変のとき、信長と最後をともにしたらしいというのです・・・。
 黒人という言葉には、白人と違って差別のニュアンスがあります。でも、ここでは、あえて黒人という言葉をつかわせてもらいます。日本の文献にはじめて黒人が登場するのは「信長公記」だそうです。
 きりしたん国より黒坊主(くろぼうず)参り候。年の齢(ころ)26、7と見えたり。全身の黒きこと、牛の如し。この男、健やかに、器量なり。しかも、強力なこと、十人並以上(少し原文を変えてあります)。
 イタリア人巡察師ヴァリニャーノは従者として1人の黒人を連れていた。信長は噂を聞いて自分自身の目で確かめようと、本能寺に呼びつけた。黒人の肌の色が自然であって人工でないことが信じられなかった信長は、黒人に着物を脱がせ、その場で洗わせた。しかし、黒人の皮膚は白くなるどころか一層黒くなった。
 ヴァリニャーノにとって予想外だったのは、信長があまりにも黒人を気に入ったため、献上物に加えて、その黒人を手放さなければならなかったこと。
 この黒人は、モザンビーク生まれのアフリカ黒人であった。もとは喜望峰周辺の住人である。少しではあるが日本語を話し、多少の芸もできた。身長6尺2分。名前を彌助といった。彌助は本能寺で戦い、信長の死後に、信忠のいる二条城へ駆けつけ、最後まで果敢に戦った。光秀は殺さないでよいとした。しかし、その後の消息は不明である。
 豊臣秀吉も、肥前名護屋城でポルトガル人の連れてきたアフリカ黒人に会っている。あちらこちらに飛びはねる踊りで、爆笑の渦につつまれたという。
 安土桃山時代にある程度の人数の黒坊が日本にいたことは、南蛮屏風のなかに数多くの黒人が描かれていることで分かる。
 ところで、このころポルトガル国内に多数の日本人奴隷がいたといいます。ええーっと驚きました。ザビエルが鹿児島に到着した頃(1949年)、多くの日本人が奴隷として海外に売り渡されていたのです。ちっとも知りませんでした。ポルトガル人が、日本人を男は労働者として、女は売春婦として輸出していたのです。
 龍造寺隆信と有馬晴信との戦さでも1人のアフリカ黒人が有馬陣営の大砲の砲手として活躍して有馬側に勝利をもたらしたというのです。これまた大変おどろきました。
 世の中って、本当に知らないことって多いんですね。

腐蝕の王国

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著者:江上 剛、出版 銀行を舞台にした小説をこのところ何冊も読みました。この本も読み手をぐいぐい銀行の内幕に引っぱっていく力をもっています。さすがプロの筆力は違う、と唸りながら(妬みも感じながら)一気に読みすすめていきました。
 銀行内で順調に来た人間に対する嫉妬は並大抵ではない。一人落ちれば、一人上がるという社会だから。銀行は不祥事に備えて、警察官僚の退職者を顧問として雇っています。なにかのときに警察を抑えてもらうのです。警察は典型的なタテ社会だ。だから、元警視総監から依頼されて、断ることのできる地元署の署長など、いるわけがない。こう書かれています。きっと、そのとおりなんでしょう。
 不祥事のときの記者会見に、中途半端な知識でのぞむのは失敗のもと。記者会見はともかく時間が過ぎればいい。記者会見をやって頭を下げたことが重要なのだ。知らない、調査中だ。なんと言われようと、これで逃げ切る。記者会見の冒頭、8秒間、ゆっくり頭を下げる。声を出さずに、ゆっくり数を一、二、三、四・・・、八とかぞえるのだ。
 リーダーとは、人一倍欲のある人間だ。その欲を上手にコントロールできれば権力者になれる。しかし、欲を支配できなければ、滅びる。
 銀行は大蔵官僚の接待のためなら、予算の上限など気にせずにお金をつかう。一銀行で億単位だ。気をつかえばつかうほど、役人は喜び、便宜を図ってくれる。
 銀行の内側の雰囲気がよく出ている小説です。バブル時代に突進し、今では不良債権の処理に汲々としている様子がよく描かれています。そのあまりのおぞましさに、銀行なんかに勤めなくて良かった。そう思いながら、ほっとした思いで最終頁を閉じました。
社:小学館

志ん生長屋ばなし

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著者:古今亭志ん生 30年ほど前、ひところ落語のテープをよく聴いていた。子どものころ、落語全集があったので、それも読んでいた。ラジオでも広沢虎造の浪曲や古今亭志ん生の落語を聴くことがあった。
 私の同期の裁判官に、今もたまに高座に出るほど落語にうちこんでいる人がいる。難しい法律の話をさせても、いつのまにか落語を聴いているような気分になり、頭のなかにすーっと入ってくるから不思議だ。やはり人の心をつかむ話術というのは、すごい力がある。
 志ん生の長屋を舞台とした古典落語を読むと、いつのまにか寄席にすわって落語をじっくり聴いているような気がしてくる。座布団にちょこんとすわって、道具といえばせいぜい扇子と手ぬぐいくらいなのに、この世のものすべてそれらで表現されるという不思議な世界が目の前に現出する。
 江戸時代の長屋に生活していた庶民のたくましい息づかいが伝わってくるところが実にいい。 
、出版社:ちくま文庫

スノーモンキー

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著者:岩合光 有名な動物写真家による長野県の地獄谷のニホンザルの一年と一生をうつした大判の写真集です。眺めているだけで、なんだか心がゆったり、ほのぼのとしてきます。
 白い雪を頭にかぶりながら、温泉につかっているサルの写真は、まるで、タオルを頭の上にのせて雪見酒を飲んで顔が赫くなってしまった人間(ヒト)の写真です。子ザルたちが群れをなして遊んでいる写真には生命の躍動を感じます。母ザルと子ザルとのあいだの親密な関係もうつされています。人間の赤ん坊とそっくりです。
 春になって木々が芽ばえてくると、サルたちも生き生きしてきます。ヤマザクラの花も食べます。サルの赤ん坊は、4月から6月にかけて次々に生まれます。必死で母ザルにしがみつく赤ん坊ザルの可愛いらしさといったら、ありません。そして、姉さん子ザルが赤ん坊の面倒をみたがるのです。
 秋は、サルたちの交尾期。オスもメスも顔や尻を真っ赤にします。秋のオスは、ひたすら交尾に集中するのです。メスもそれを受けいれます。
 サルは母系家族。ほら、似てるでしょ。そう言われても、なんだかみんな同じような顔に見えます。でも、じっくり見ていると、たしかにサルごとに違った顔をしていますし、似てもいる気がしてきます。
 サルの寿命は25年から30年と言われています。ひっそりと死んでいくそうです。
昭、出版社:新潮社

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