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日本退屈日記

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著者:サイモン・メイ、麗澤大学出版会
 日本が放棄しなければならないのは、生活のほとんどすべての面にわたる無責任な官僚たちによる秘密主義、もみ消し、統制が占めている比重の大きさである。
 日本の最悪の暗黒面は、秘密主義や嘘をつくことや道徳的責任の回避に対して、極端なまでに寛容なことだ。
 うーん、なるほど、そうかもしれませんね。政府の嘘に対して国民が怒りを示さないからこそ、今も小泉首相がノウノウと政権に居坐り続けているのです。
 日本には三悪がある。和という名の合意や秘密主義、生活のほとんど全局面に及ぶバカげた官僚主義化。これが腐敗、非能率、不誠実、自然環境の破壊、無用な公共事業、お粗末な建築物、不十分な高等教育などを助長させてきた。だが、国民たちの計り知れない弾力性、忍耐、技能、精密さへの愛好心、健全な判断力、そして最後に現実主義と適応力とのおかげで、今よりも強い新日本が出現するだろう。
 日本人は、ひとつの仮想現実をもっとも手際よく製造する業種、すなわち平和産業を創出した。平和産業は過去を想い出すどころか、過去を決して想い出させなくすることに専念している。記憶というより催眠効果だ。
 なるほど、鋭い指摘ですね。小泉首相をはじめとする歴代の日本首相が8月6日の広島の祈念式典に参列しても、平和が遠ざかる一方だという理由がよく分かります。
 忘れるという粗暴な技術を会得した国ありとすれば、それは日本だ。自己検閲こそは日本の特技だ。日本という国は、独裁者のいない独裁政治国家に似ている。
 野心を抱く民衆扇動型の政治家たちは、軍隊のタブーを屈辱とみなし、解放者ぶりもよろしく、嬉々としてタブーを廃棄せよと叫んでいる。いま、自民党と民主党の若い40歳代以下の政治家たちに好戦的な連中が多いというのは、本当に困ったことです。
 ロンドン大学の哲学教授が1年間、東大で哲学を教えました。寿司をこよなく愛するイギリス人ですが、決して象牙の塔に閉じこもっている人ではありません。ベンチャー企業の経営にも関与しているのです。そんな哲学教授が、東大の官僚主義に閉口した話などが具体的に語られ、日本という国を再認識させられます。
 最後に、京都の俵屋旅館に泊まって最高級の懐石料理に舌鼓をうつ場面が登場します。私も、一度は行って味わってみたいと思っています。どなたか行かれましたか・・・。

江戸の養生所

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著者:安藤優一郎、出版社:PHP新書
 私は、20代のころ山本周五郎を夢中になって読みました。しっとりとしたうるおいのある雰囲気に心が洗われる気がしたからです。「赤ひげ診療譚」も好きな本でした。その舞台となった小石川療養所は、いまの東大・小石川植物園内にありました。黒澤明監督によって「赤ひげ」として映画化され、世界的に有名になっています。本書は、その小石川養生所の実像を描き出した本です。
 小石川養生所の収容定員はわずか40人。享保7年(1722年)、4万坪の小石川御薬園の一角(1000坪)に発足しました。養生所に診療・入所を希望する病人があまりに多かったので、定員は40人から100人へと増やされました。7年後には150人定員にまでなりましたが、そのあと少し減って、117人定員で幕末を迎えました。養生所の医師は、幕府の歴とした役職であり、医学館として医師養成の機関でもありました。
 ところが、養生所への入所希望者は次第に減っていきました。というのは、養生所の医師の大半が治療に熱心でなく、いい加減な治療しかしないという定評があったからです。しかも、入所者にとっては、なにかと物入りの生活でもありました。月に最低500文、今でいうと数万円は必要だったのです。つまり、ある程度の金銭的余裕がないと、養生所に入ることはできませんでした。また、管理する人間が物品を横領するのは珍しくなく、入所者への虐待行為もあり、病室では酒盛りや博打の開帳があっていました。衛生状態が最悪のうえに、所内の風気は頽廃していたのです。
 幕末を迎えて、養生所周辺に大名屋敷が建ち並ぶようになり、そこで射撃訓練まで実施されはじめました。これでは小石川養生所はもちません。
 小石川養生所の入所者総数(140年間)は3万2千人。そのうち全快した人は1万6千人。入所患者の平均は200人ほどでした。うーん、そうだったのか・・・。江戸の実情を少し知った思いです。

ニコライ・ラッセル

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著者:和田春樹、出版社:中央公論社
 帝政ロシアのナロードニキ時代を生きた人物が、日露戦争で捕虜となったロシア兵を革命側に工作するため日本にやってきて、それなりの成果をあげていたというのです。まったく知りませんでした。その人物が本書の主人公、ニコライ・ラッセルです。
 ヴ・ナロード(人民の中へ)と叫んでいたナロードニキ運動は、学生時代にセツルメント活動に3年あまり没頭していた私にとっては、なんとなく親近感を覚えるものです。でも、ロシア皇帝(ツァーリ)暗殺などの結果、ナロードニキ運動は壊滅させられます。ラッセルはアメリカに亡命し、ハワイで上院議員にまでなります。そこへ、再びロシアから亡命者がやってきて、ラッセルは祖国ロシアの変革を志すのです。たちまち、日露戦争で7万人もいたロシア兵の捕虜への工作を始めます。
 ロシア兵捕虜へ日本が人道的な扱いをしたことは定評があります。第二次大戦のときとは、まるで違うのです。九州にも、福岡と久留米そして熊本に各2000人以上ずつ捕虜収容所がありました。
 世の中に知らないことの多いことを改めて思い知らされました。

清帝国とチベット問題

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著者:平野 聡、出版社:名古屋大学出版会
 儒教も漢字も共有していないモンゴルやチベットなどが、なぜ漢民族を中心とする中華民俗の不可分の一体となりえているのか。この疑問を清時代にさかのぼって解明しようとした本です。よく分からないところが多かったのですが、清王朝について少し理解することができました。
 清王朝はもとは女真族ですが、その信仰する文殊菩薩のマンジュシュリーにちなんだマンジュ(満洲)も改称したのです。初めて知りました。
 賢帝として名高い乾隆帝は、漢の人を満洲族が抑圧した歴史を抹殺しようとして「文字の獄」という禁書(書物を焼却した)をしたということも知りました。
 雍正帝は、モンゴルの活仏が北京に来たとき、自分より上座にすわらせ、敬意を表しました。
 李氏朝鮮は北方の野蛮人「オランケ」にすぎない清帝国への服従を拒絶しようとしました。それでも力にはかないません。そこで、朝鮮は表向きは清帝国に服従しながらも、内面では、女真=胡=オランケが支配する中国は真の中華ではありえず、今や中華の精髄は儒学を高度に発展させた我が国(朝鮮)に承継されている。したがって、我が朝鮮こそ中華である。このような「小中華」思想をうみ出しました。
 少しだけ歴史が分かったような気がしました。

NHK

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著者:松田 浩、出版社:岩波書店
 NHKの放送総局長が安倍官房副長官のもとに出向いて番組の事前説明をした。そして、その直後に番組内容が変更された。NHKはこのことが発覚したあと、それは通常業務の範囲内だと正当化し、逆に内部告発したチーフ・プロデューサーをジャーナリストとして軽率だと非難し、さらに記事にした朝日新聞を虚偽報道と決めつけた。なぜ、こんな権力におもねる偏向が「みなさんのNHK」で起きるのか・・・。
 結論は、NHKの新財源確保という金もうけにあった。海老沢体制のNHKは視聴者と正面から向きあおうとせず、永田町にばかり顔を向けていた。NHKは、デジタル化やハイビジョン普及という国策推進とひきかえに、将来の新財源を確保し、放送・通信融合時代の新サービスを手に入れようと、権力との間でギブ・アンド・テイクの経営戦略をすすめていた。権力とのもちつもたれつの関係は、政治と太いパイプをもつ派閥がNHK内で発言力を増大させることになった。
 かつてのミスターNHKともいうべき礒村尚徳は、日本のメディアはアメリカに完全に洗脳されている、コインランドリー・オブ・ブレイン(自動洗脳機)という評もあるほどだと公然と批判しました。なるほど、NHKは有事法制反対などの政治的な性格をおびた集会やデモをほとんど報道しません。
 NHKの会長は、政治的な意見の対立が国民の間にあるときには、その対立を激化させないのがNHKのモットーだと高言しました。ということは、権力側の言い分のみ報道するということにほかならなりません。たとえば、田中角栄が収賄罪で捕まり、ようやく保釈されて目白台の私邸に戻ったとき、当時のNHK会長がまっ先にお祝いにかけつけました。
 名高い民法学者である我妻栄がNHKの経営委員長になれなかったことを初めて知りました。60年安保のとき、安保反対を表明したからです。また、憲法学者の伊藤正己もNHK会長に内定しながら自民党の反対にあってなれませんでした。この2人がトップになれなかったというNHKが不偏不党であるはずがありません。
 NHKの受信料の支払い拒否・保留件数は75万件にもなっています。わが家もそのひとつです。もともと私はテレビをほとんど見ませんので支払わなくてもいいように思うのですが、視聴者の声を放送に生かす気がないところにお金だけとられるのはまっぴらごめんです。

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