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対テロリズムの戦略

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著者:佐渡龍己、出版社:かや書房
 2004年から2005年まで、1年2ヶ月、イラクのバグダッドに滞在していた経験にもとづく本です。著者は防衛大学校を卒業して陸上自衛隊に入り、在イラク日本大使館に勤務しました。
 著者は対テロリズムの戦争においては、人を殺さない戦争を考えるべきだと、再三再四、強調していますが、軍事には素人の私も、まったく同感です。
 テロリズムは心の戦争であり、勝敗はつかない。民衆はもちろん、敵を殺しすぎることは、テロリズム戦争を泥沼化する結果となる。報復の悪循環を避けるために、テロリストは殺してはならない。
 アメリカ軍はテロリストとイラクの民衆を殺しすぎた。このため、イラク民衆のアメリカ軍に対する憎しみは日ごとに強くなっている。これが、テロリズムをなおさら苛烈にしていく。アメリカ軍は、イラクにおけるテロリズム戦争をおさめることができない状態に陥っている。
 それより、テロリストを逃がしてやることだ。民衆によってテロ戦争に勝利をおさめる。テロリズムは、民衆によってあぶり出すに限る。民衆の心をつかんだものが勝利をおさめる。
 なるほど、なるほど。私も本当にそう思います。
 日本はテロリストの攻撃目標となる可能性がある。テロリストは、弱いところ、宣伝効果のあるところ、政治的に効果の高いところを攻撃する。日本は、この三点を備えている。日本本国、サマワへの自衛隊、在留邦人は、他国に比較して弱い。宣伝効果も高い。
 バグダッドの日本大使館には、自衛隊を退官し、民間の警備会社に所属している4人が派遣されている。平均年齢56歳。
 これは、いわば戦争請負会社のような警備会社ですよね。
 テロリストは尽きない。テロリストとなる原因が克服されない限り、同じ考えをもつ者が生まれる。テロリズムは再生産される。
 アメリカの真似を日本はしてはならないとされています。まったくそのとおりです。心ある人の考えは一致することを知って、私はうれしくなりました。好戦派の自民・民主の若手国会議員には、ぜひ読んでもらいたい本です。

転落弁護士

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著者:内山哲夫、出版社:講談社
 私と同じ団塊世代。警視庁(事務系)に入ったものの、司法試験を目ざして退職し、一回で司法試験に合格(30期)。東京・銀座に事務所をかまえ、夜の銀座で豪遊をしているうちに筋の悪い事件に手を染めるようになり、ついに5000万円の詐欺罪で逮捕される。温かい先輩・同期の弁護士たちの活躍で執行猶予5年の温情判決を受けたものの、事件屋と組んだ大企業相手の恐喝事件が発覚して懲役2年4ヶ月の実刑判決を受け、甲府刑務所に4年ほど服役。いまは法律事務所の調査員をつとめている(調査員とは一体何をするのだろうか・・・?)。
 金もうけのために弁護士になろうという浅ましい根性こそ、転落する伏線だった。法律を金もうけの道具に使おうという浅ましい心が、結局、身を滅ぼすことになってしまった。
 夜の銀座で消費したお金は、おそらく1億円は下らないだろう。
 弁護士は、やはり銀座に法律事務所を構えている方が断然、受けが違う。「銀座の先生ですか、さすがですね」となり、同じ東京でも池袋とは格段の落差がある。
 裏筋の連中のヤバイ仕事を、イエスと言って悪徳弁護士の道を歩むことも、ノーと言って弁護士の良心を守りつづけることもできず、弁護士の良心の残骸と顧客失うことの恐れを引きずって、優柔不断のままこれを引き受けることが転落弁護士への道を歩むことになる。
 この本を読むと、弁護士が転落して道筋がよく分かります。銀座には縁のない私にも反省させられるところはありました。
 後半は、刑務所生活が生々しく描かれています。刑務所は静かなところだと思っていましたが、どうも違うようです。騒音地獄だということです。収容者がラジオのボリュームを最大にして聴くからです。
 そして、刑務所にも独特のヤクザがいて、収容所を支配しようとします。
 刑務所ヤクザというのは、実におかしな連中で、刑務所ではカタギはヤクザに奉仕するものと思っている。カタギの食い物を取りあげるのが刑務所ヤクザの楽しみの一つで、死守しなければならない特権だという。
 著者はこれにあえて反攻したため、とんだ陰謀に巻きこまれてしまいます。
 刑務所で収容者をいじめたり虐待するのは看守ではなく、同じ収容者である。もし収容者の自治にでもまかせてしまったら、ろくでもない連中の支配する地獄と化するだろう。
 これを読んで、ナチスの強制収容所を思い出しました。ナチスは収容所内の生活はかなり「自治」を認めていました。そのため、囚人頭などの横暴がひどかったというのです。
 著者が仮釈放で刑務所を出てから働きはじめたところで、ひどいタコ部屋的な、奴隷のような扱いを受けたことも明らかにされています。
 出所した人間の再犯率が高いのは、刑務所の処遇に問題があるのではなく、むしろ社会の受け入れ体制にある。刑務所を出所したばかりの者に対して、刑務所以上の酷な仕打ちをする雇用主があまりにも多い。なるほど、と思いました。
 いずれにしても、この本によって、何のために弁護士になろうとしているのか、なったのか、やはりその原点の意義がきわめて大きいことを知りました。転落の道をたどらないための反面教師として、大いに学ぶものがある本です。

ワインの女王、ボルドー

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著者:山本 博、出版社:早川書房
 この夏、ボルドー地方に行き、サンテミリオンで3泊してきました。広々としたぶどう畑の真っ直中にある別館に泊まり、ゆったりとした日々を過ごすことができました。日本に帰ってきて一番に読んだのがこの本です。
 今回、私がボルドー地区を選んだのは、ブルゴーニュ地方へは18年前に行ったことがあるからです。それほどワインの味がわかるわけでは決してありませんが、赤ワインの色の良さ、舌になじむ味わいには魅せられます(私は日本酒と同じく、白ワインは飲みません。以前はどちらも飲んでいましたが、今は卒業した気分です)。
 したがって、この本も私の行ったサンテミリオン地区だけを取りあげて紹介するのをお許しください。著者は大先輩の弁護士ですが、本格的なワイン専門家です。
 ボルドー・ワインを少し飲みこんだ人なら、サンテミリオンと聞けば、なんとなく人なつっこくて、いやみやはったりがなく、いつも安心できる赤ワインを連想するだろう。事実、サンテミリオンのワインは安心して手を出せる気安い仲間なのだ。メドックのシャトー・ワインが格式高く品のいい山の手の令嬢だとすれば、サンテミリオンのワインは下町娘の気だての良さが現われたようなワインである。
 そうなんだー・・・。気安く安心して飲めるワインの里に出かけたのか・・・。道理で下町風の街並みだったな、そう私は思いました。
 サンテミリオンへ行く道が分からず、ボルドー駅からタクシーで行きました。小一時間かかりました(70ユーロ)。ところが、実は、TGVにはギルドーの手前にリブルヌという駅があり、そこからはタクシーでも10分で着くのでした(20ユーロ)。サンテミリオン駅もあるけれど、なにしろ本数が少ないのです。
 サンテミリオンはドルドーニュ河の右岸に迫る小高い丘と、それに続く高台および後背部のゆるやかな起伏をもった丘陵地帯なのである。畑も傾斜地のものが少なくない。
 サンテミリオンの中心部は、こぢんまりとしていて、5分も歩くと町はずれに出てしまうようなところ。ヨーロッパの古い中世の街が、時間の流れを止めたようにたたずんでいる。びっしりと建てこんだ古い家並みの狭い石畳の急坂を登ると丘の上の中心に古い寺院がある。寺の裏へ回ると、古くてぽつんと立った鐘楼の塔があり、そのまわりが石畳のテラスになっている。ここからのぞくと、目の下に赤瓦の屋根がかたまっているが、瓦は苔むしているし、建物の壁も古くさい。その先には、あちらこちらに段々畑のぶどう畑とはるか先の遠景の山々が望める。
 ここは中世のヨーロッパ中で巡礼が流行った時代、大切な宿場町だった。鐘楼のテラスのところにレストラン・プレザンスがある。
 行った人でないと描けない街並みの描写です。まったくそのとおりの情緒あふれた小じんまりとした古い町です。ともかく、周囲に延々と広がるぶどう畑には圧倒されてしまいます。遊園地型のバスに乗って、街の周囲を35分で巡ってみました。両側は、ずっとぶどう畑です。それも中心地に近いほど高級ワインを製造しているというのですから不思議なものです。ぶどう畑にはたくさんの小鳥がいて、たまにウサギも見かけました。
 なぜ、ここがワイン産地として有名かというと、やはり土壌のようです。丘は畑の基層が固い石灰岩の岩盤になっています。道に落ちている白い石は白墨です。子どものころ、路面によく絵を描いたのとまるで同じです。
 基層の下には暑い砂利層となっている。氷河時代に中央山岳地帯から運ばれてきた石がこのあたりに砂利になって残ったという。
 サンテミリオンのぶどうは、メルローが中心。カベルネ・ソーヴィニョンも少し混ぜてはある。だから、メドックに比べてサンテミリオンを飲んだらいい。
 うーん、なるほど、そうなのかー・・・。そう思いました。レストラン・プレザンスでは3種の赤ワインを少しずつ飲ませてくれました(デキュスタシオン)。そのときには、サンテミリオンの隣り町のポムロールのワインが一番のみやすい気がしましたが・・・。
 町なかのワイン販売所でカーブ入場無料という看板につられて入ってみました。地下の洞窟にワインが樽と瓶と両方びっしり寝かせてありました。すごいものです。堅い岩盤を何年かかって、どうやって掘ったのでしょうか・・・。
 ツーリスト・ビューロー(素敵で親切な日本人女性が働いていました)で、シャトーワイン見学ツァーに申し込みました。フォンロックというワイン・メーカーです。ちょっと渋みの強いワインでした。空きっ腹ではワインはとても飲めません。
 パリのシャルル・ドゴール空港でトロットヴィエーユのワインを見つけて買いました。黒ラベルに金色の枠と文字が輝くデザインです。口当たりのいい、こくのあるワインでした。
 3日間、ぶどう畑のなかをさまよい歩きました。快晴でしたので、真っ黒に日焼けしました。あわてて野球帽を買ってかぶりました。爽やかな風に吹かれて、とても心地よいひとときでした。うーん、良かった・・・。
 サンテミリオンの写真をたくさんとってきました。ここでお見せできないのが残念です。どなたかトラックバックで一面のぶどう畑が広がる風景をのせていただければ・・・。

天下城

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著者:佐々木 譲、出版社:新潮社
 戦国時代、近江の国に穴太衆(あのうしゅう)と呼ばれる石工集団がいた。親方9人と250人ほどの職人を擁する石積み集団であった。この集団が織田信長の安土城の石積みにあたり、また、大阪城の石積みも担当した。
 この本は、安土城の基礎(土台)をつくった石工集団を主人公としています。安土城の建物をつくった大工集団を主人公とした本が別にあります(「火天の城」、山本兼一、文芸春秋)。石工集団は、大工とはまた一味ちがった専門家集団だったことがよく分かります。
 私は安土城に2度のぼり、天主台跡に立ちました。ここに昔、信長が立っていたのだと思うと、なんとなく感慨深いものがありました。
 天主台は、本丸の地表面から見て高さ45尺、天主台の上の広さは南北の最長部が20間、東西の最長部が17間という四角形。天主の底面は12間四方という広さ。こう書いても、実は尺とか間とかいうのがメートル法に慣れた私にはピンと来ません・・・。
 安土城には追手門(正面にある大手門のことだと思います)から入って、広い追手道が真正面に一直線に上がっていきます。私も現地で確認しました。のぼり切ったところを左折します。その両側には信長の重臣たちの屋敷があり、何かあると左右から攻撃できる配置になっているのです。現地では発掘がすすんでいて、かなり当時の状況が推測できるようになっています。
 この追手道は天皇を安土城に迎えたときのことを考えて、広く一直線の道路に信長はしたとされています。さもありなん、です。
 長篠の合戦で、穴太衆が活躍したとされています。織田・徳川連合軍が鉄砲3000挺を1000挺ずつ三段柵で構えているところを武田軍が無謀な突撃をくり返して惨敗したという有名な話は事実に反するという本があります(「鉄砲隊と騎馬軍団」、鈴木眞哉、洋泉社新書)。この本も、従来の通説どおりではありません。柵と壕と土塁の三点セットで、石積み職人集団が活躍したとしています。また、織田・徳川連合軍がもっていた鉄砲の数は1000挺としています。先ほどの本は1500挺としていますが・・・。
 お城の石垣といえば、熊本城のいかにも整然とした石積みは見事なものですよね。あれを見たら、なるほど高度に専門化した石積み職人の集団がいたことは直ちにうなづけます。

帰国運動とは何だったのか

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著者:高崎宗司、出版社:平凡社
 戦後の日本にいた在日朝鮮人60万人のうち9万人以上が北朝鮮へ「帰国」していきました。それを学術的に冷静に分析・検討しようとした本です。なるほどとうなずけるところが多々ありました。
 北朝鮮を「地上の楽園」と手放しで礼賛した人物は、オレはそんなことは言っていないとして謝罪を拒んでいるようですが、当時の日本は、それこそ朝日も産経も、要するに右も左も、人道的見地からこの帰国運動をすすめていたということがよく分かりました。
 日本政府は、戦後、朝鮮人を厄介払いしたいと考えていました。それは、生活保護を受けている人が多かったこと(8万人をこえ、年間17億円かかっていた)、生活難からの犯罪者が多いこと、共産主義者が多いこと、などからです。
 帰国者を受け入れた北朝鮮にとっては、労働能力のない、また病人が多かったということで頭を痛めたようです。受け入れ先も決まらないうちに、毎週1000人もの帰国者が2年間にわたって押し寄せていったとのことです。
 日本人妻をふくめて、帰国者のその後の生活状況について、今なおよく伝わってきません。大変に不幸なことだと思います。もちろん、いくつか断片的に、いかに悲惨な状況におかれているかは、本やニュースなどで知らされてはいるのですが・・・。
 それにしても、1945年12月に日本共産党が再建されたとき、党員総数180人のうち100人が朝鮮人だったというのには驚いてしまいました。
 帰国者のなかには、北朝鮮が期待どおりでなかったら、またすぐ日本に帰るつもりの人々もいたようです。ところが、不幸なことに、そんな自由な往来は許されず、一方通行のみで今日に至っています。残念なことです。鎖国のような今の事態は改められるべきだと私も思います。いかがでしょうか・・・。

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