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鉄剣銘115文字の謎に迫る

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著者:高橋一夫、出版社:新泉社
 埼玉(さきたま)古墳群のひとつ稲荷山(いなりやま)古墳より出土した鉄剣から115文字の金錯銘(きんさくめい)が発見されたのは1987年のこと。もう30年近くも前のことになります。えっ、もうあれから30年もたったのか・・・。当時の驚きを思い出してしまいました。
 西暦471年の雄略天皇のときの豪族がもっていた鉄剣です。でも、その豪族が、畿内の豪族で東国に派遣されてきたのか、在地の豪族だったのかについては説が分かれ、今も確定していません。私は、そもそも邪馬台国九州説の熱烈な信奉者ですから、地方豪族説に当然のことながら左担します。
 同じ雄略天皇の銘のある直刀は熊本の江田船山古墳からも出土しています。この江田船山古墳には私も何度か行ったことがありますが、よく整備されていて、なるほど相当の力を持った豪族がかつて君臨していたことをしのばせるに十分な雰囲気です。
 90頁ほどの薄い冊子のような本ですが、カラーの写真と図版もあって、世紀の大発見がどこまで解明されたのか、素人にもよく分かるように解説されています。
 1500年以上たった今も金色に光り輝く鉄剣銘をじっくし眺めて、過去の日本を想像してみるのも心楽しいひとときです。

韓国のデジタル・デモクラシー

カテゴリー:未分類

著者:玄武岩、出版社:集英社新書
 韓国の盧武鉉大統領は、民主的な弁護士団体に所属する弁護士でもあります。日本でいうと自由法曹団とか青法協に相当するのではないかと思います(間違っていたら、ごめんなさい)。いずれにしても、日本では民主的弁護士(人権派弁護士)はおろか、弁護士が首相になるなんて、残念ながら夢のような話です。盧武鉉候補の当選には、世界でも有数のインターネット社会におけるデジタル・デモクラシーの発達があげられています。
 インターネットがなければ、盧武鉉側は主流メディアの攻勢で厳しい選挙戦を強いられていたに違いない。世界一のIT強国と自負する韓国で、20〜30代の若い有権者はインターネットを通じて既存の権力による暴露戦略を看破することができた。
 韓国社会において「朝中東」つまり「朝鮮日報」「中央日報」「東亜日報」の三大新聞は言論権力といわれるまでに権力を振るってきた。韓国の新聞の7割を占める三大新聞の影響は絶対的で、その公正性を欠く報道ぶりは、心ある人からことあるごとに批判されてきた。放送も例外ではない。夜9時のトップニュースはいつも全斗煥大統領の動静だったから、「テン全(チョン)ニュース」とからかわれていたように、公正報道とはほど遠い存在であった。
 韓国の歴代軍事政権は、言論への徹底した弾圧をとおして、新聞や放送を権力の統治手段にしてきた。そして、その見返りに、言論機関には独占的利益を、言論従事者へは高い社会的地位を与えてきた。こうした権力と言論との蜜月関係を、韓国では「権言癒着」と呼んでいる。
 これって、日本でもそっくりそのままあてはまるんじゃないの。思わず、私はそう叫んでしまいました。先の解散・総選挙のときの「小泉劇場」のフィーバーぶりをぜひ思い出してみて下さい。郵政民営化すれば日本の経済は良くなるかのような、とんでもない嘘を小泉首相がくり返すと、マスコミは無批判にオウム返しに叫びたて(もちろん、申し訳程度にチョッピリ批判もするのですが・・・)、刺客だとかマドンナだとか、世間の耳目を集め、改革に賛成か反対か、「改革」の中味を抜きにした選択を国民に迫ったのです。日本の言論界の堕落ぶりは、放送だけでなく新聞も目を覆いたくなるほどひどいものです。
 しかし、韓国はそれをインターネットの活用で乗り切っていったのです。そこが日本とまったく違います。盧武鉉側の「オーマイニュース」は、インターネットを通じて選挙運動の状況を「中継」していきました。1日だけで1910万ページビュー、訪問者数は 150万人(のべ623万人)というのですから、すごいものです。
 そして、市民参加型の新しい政治潮流が主流となりつつあるなかで、韓国では2世、3世議員が世襲していくなどというのは非常識になっています。なるほど、日本は遅れているなと、つくづくそう思いました。
 おもしろ、おかしく、ただそれだけの記事と番組によって国民を思うままに誘導していく日本のマスコミの現状は、なんとかして歯止めをかけたいものです。そのためには、日本でも、もっとインターネットの活用を真剣に考えるべきではないでしょうか。
 もちろん、マスコミのなかにも心ある人は多勢いると思います。でも、いまは、既存マスコミの外から、働きかけというか、立ちあがりが必要な気がします。それも、ホリエモンとか楽天やソフトバンクといった大手メジャーの力を借りないで、私たち自身の力でやり抜かなければいけません。若い彼らは、すでに金力と権力の亡者になりさがっているとしか思えません。強さと自信にみちみちている彼らには弱者の切り捨てしか頭にないようです。とても残念です。
 先日の総選挙で自民党が「圧勝」しましたが、多くの若者が投票所に行ったことが投票率のアップにつながったとみられています。でも、その若者たちはインターネットの世界で情報を知り、ほとんど新聞を読んでいないようです。先ほどの話と一見矛盾するかもしれませんが、私はやはり若者の新聞ばなれを危惧します。新聞も一面と三面以外の世論づくりを除くと、論説などけっこう鋭い指摘もあるのです。私の息子も新聞を読んでいませんでしたので、息子に毎日、新聞を読むよう押しつけました。
 ちなみに、自民党の「大勝」といっても得票率は4割。それなのに議席占有率は7割。小選挙区制がいかに民意を反映していないか、よく分かります。ところが、復活制がおかしいといって比例部分が削除されようとしています。民主党も比例を80議席減らせという政策です。これでは、多様な国民の声がますます国政に反映されなくなります。
 いろんな人間がいて、さまざまな考えの人がいて国は成り立っているのです。少数意見の切り捨ては弱者の切り捨てに直結してしまうのが怖い、そう思うこのごろです。すみわたった秋の好天気の下で庭仕事にいそしみながら、ひとり心配しています。

だれが源氏物語絵巻を描いたのか

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著者:皆本二三江、出版社:草思社
 源氏物語をカラー写真で写しとったような絵巻物があります。いったい誰が描いたのか、実証的に追求していった本です。なーるほど、そうだったのか、うん、そうなんだよなー・・・と納得できる本です。一読をおすすめします。
 結論を先に明かしてしまうと、著者は紀の局、長門の局などを中心とする女房たちが集団で描きあげたものとしています。絵巻は1120年代の前半ころに完成しました。
 源氏絵巻の製作の主力となったのは、古今の絵や書に造詣の深い女房たちだった。実際の製作は、専門絵師に近い技量をもつ者をふくむ多くの女房たちの協同作業だった。
 なぜ、そのように言えるのか、著者は絵のスタイルをこまかく検討していきます。
 指示書きまでされた下図が、彩色の段階で変更されている箇所がある。どう見ても専門絵師の手になるとは思えない描写が散見され、それがそのままにされている。これらは指揮系統が明確であったであろう工房では考えられない。しかも女性の手になると思われる箇所がある。
 当時、女絵と男絵と呼ばれるものがありました。
 女絵は静的で理想化を追求し、男絵は動的でリアルを追求する。男絵では人物の身体プロポーションは5頭身から6頭身で、そのころの人々の正しいプロポーションをあらわしているものだと思われる。ところが、源氏絵巻の方は、多くが8頭身、ときに10頭身にもなっている。そして、男性絵師が描いた女性の鼻は、なぜか大型化する傾向がある。女性の鼻としては大きすぎる。
 源氏絵巻には、素人画と思える表現が混じっている。高い技量をもつ専門絵師が、故意につたなく描くとは考えにくい。むしろ、製作に携わった集団に素人がいたと考えた方が自然だ。うーん、そうなのかー・・・。
 このあと、著者は、現代の男の子と女の子の絵には本質的な違いがあることを立証していきます。女の子は絵空事を描くのに対して、男の子は現実のどこかにある風景のような、根底にリアリズムへの希求がある。なるほど、そう言われたら、そうかもしれません。
 色をつかい、色を組み合わせることに喜びを覚えるのは女性の性質。これは昔も今も変わらない。男には色の話はつまらないもの。男の子の描いた絵には、人物の鼻が省略された顔はない。むしろ、写実的で大きな鼻があらわれる。ところが、女の子は3人の1人は鉤鼻を描き、鼻自体が省略されることもある。
 男の子の絵は動きをともなっていて、女の子の絵の方は静的である。
 これらをふまえて源氏物語絵巻を見ると、男性の登場人物より女性の方が自然に描けている。男性はすべて女性的な風貌であり、真に男性的な男は1人も見あたらない。このように、人物表現には、描き手の性が色濃く投影される。だから、源氏物語絵巻を描いていたのは、先に述べたとおり、女性集団だというわけです。

憲法改正

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著者:渡辺 治、出版社:旬報社
 自衛隊がイラク(サマワ)に派遣されている今日、日本国憲法は現実にあわせて変えた方がいい。もう憲法は死んでしまっている。憲法9条は解釈改憲でズタズタになってしまい、何の役にも立っていない。
 本当でしょうか・・・。著者は、もしそうなら憲法をわざわざ「改正」する必要はないはずだと指摘しています。
 改憲派は、ひとつの根拠に、解釈改憲で憲法9条は現実とあまりにも違ってしまっているから、9条を「改正」して、もう少し現実に近づけ、現実を規制できるものにしようと言っている。では、たとえば憲法14条で男女平等がうたわれているが、現代日本の社会で男女平等が実現していると考えるのか。依然として女性差別が根強く存在しているのが現実だ。でも、だからといって、憲法14条を「改正」して現実に近づけようという議論があるだろうか。
 著者は、このように指摘しています。なるほど、ですよね。
 憲法というのは、現実とまったく一致しているということはない。そもそも、憲法と現実がぴったり一致していたら、憲法にわざわざ規定することはない。憲法の規定というのは、その理想の実現に向けて政治や社会を変えていくよう、国家や大企業などの社会的権力を義務づけている規範なのである。このように、憲法は現実とつねに緊張関係をもち、一定の距離があるものなのだ。
 なるほど、なるほど、まったくそのとおりだと私も思います。
 イラク国民に多国籍軍のなかで残ってもらいたい国を世論調査すると、日本がトップだった。これは、日本の自衛隊がイラクの人をまだ1人も殺していないから。なぜ、そうなっているかというと、自衛隊が憲法9条によって手足をしばられているから。
 9条改憲の狙いは、自衛隊を武力行使目的で派兵することを認めることにある。現在の改憲の目的は、国連決議のあるなしにかかわらず、自衛隊が武力行使目的で海外に行けるようにする点にある。
 しかし、9条改憲だけを突出させると、国民の強い反発を買うので、改憲派は甘いオブラートに包もうとしている。なぜなら、一般的な改憲賛成は56%にのぼるが、9条改憲については反対51%、賛成36%だから。改憲賛成と9条改憲賛成との間にはギャップがある。オブラートになるのは、「知る権利」「プライバシー」「環境権」など・・・。
 9条改憲に反対する人は51%なので、3000万人となる。ところが、政党でいうと9条改憲に反対している共産党400万人、社民党300万人の合計700万人でしかない。残る2300万人は、9条改憲に反対しつつ、自民党か民主党に投票していることになる。だから、この2300万人の人に改憲反対の声をあげてもらうことに成功すれば、改憲は阻止できる状況が生まれるのである。
 なるほど、そうなんですね。まだ、あきらめるのは早すぎます。
 今度、「敗北した」民主党の代表となった前原誠司代議士は43歳の若さですが、典型的なタカ派です。憲法9条2項を削除(廃止)して、日本を強い国にすると言っています。恐ろしいことです。
 私たちは、憲法9条がまだ決して死んではいないこと、9条があるため日本は軍事大国化できていないこと、9条は依然として守るに値することをまず確認する必要がある。
 そうなんだ、そうだよね。私は思わず手をうってしまいました。
 憲法9条があるからこそ、朝鮮戦争のときも、ベトナム戦争のときにも、アメリカの要請にもかかわらず、日本は海外派兵しなくてすんだ。自衛隊は結成50年になるが、いまだ1人の外国人も日本の市民も殺していない。こんな軍隊は世界上どこにもない。まさに軍隊らしからぬ軍隊なのである。政府は、9条をなくして、アメリカ軍と組んで自衛隊が海外に侵攻することを考えている。
 いま日本の自衛隊の実力は「殴る側の大国」になっている。しかし、戦前の日本の教訓を学ぶ必要がある。殴る側は、容易に殴ったことを忘れるが、殴られた側は、いつまでもその痛みを忘れることができない。
 二大政党制というのは、保守二大政党制であり、中・下層の市民を切り捨てて、市民上層の意思だけが政治に反映する政治的仕組みをつくることだ。アメリカの二大政党は、どちらもイラク攻撃賛成、新自由主義改革賛成。イラク攻撃に反対する人にとっては投票する相手がいないのだ。
 うーん、そうなんですよね。日本もそうなってしまいそうで、困ってしまいます。
 小泉・自民党のすすめている構造改革は、多国籍大企業の競争力を強化するために、既存の政治が大企業に課してきた負担や規制を取り払って大企業の自由を回復させる改革のこと。そして、それは2つの柱からなっている。それは、大企業の負担を取り除くための改革と規制緩和からなっている。
 なかなか鋭い指摘に、たびたびうなずいて、赤エンピツをたくさん引きながら読みすすめていきました。わずか140頁ほどの小冊子ですが、ズシリと重たい内容があります。憲法改正論議の背景を知ることのできる絶好の冊子として強く一読をおすすめします。
 ちなみに、著者は私の1年先輩ですが、その語り口は本当にさわやかです。「九条の会」の事務局を担当し、がんばっています。

草花のふしぎ世界探検

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著者:ピッキオ、出版社:岩波ジュニア新書
 このところ、あまりの暑さに閉口して山にのぼっていませんが、月1回は近くの小山にのぼることにしています。わが家から380メートルの頂上まで、およそ1時間かかってのぼります。おにぎり弁当とミニ缶ビールをリュックに入れて、頂上付近にある開けた草原でお弁当を開きます。下界でアリのようにうごめいている人や車を眺めながら、気宇壮大な心境でおにぎりをほおばると、全身が充実感に包まれます。冬は、石のベンチの上で寝ころがってしばし日光浴をします。夏でも、さすがに頂上は涼しい風邪が吹いていますので、上半身裸になって憩いのひとときです。
 四季折々の草花を眺めながら歩くと、自然のなかに身体が溶けこんでいく気がします。おかげで、花や植物の名前も少しずつ覚えられるようになりました。
 この本には、4月上旬に地上へ顔を出したアズマイチゲが白い花を咲かせるまでの3日間の連続写真が紹介されています。なーるほど、ね。そう思っていると、次は、1ヶ月ちょっとしたらやがて枯れていく様子まで連続写真で紹介されているのです。こうやって、野に咲く花の一生を見てみるのも面白いものです。ところが、このアズマイチゲは、花を咲かせるまでになんと10年近くもかかっているというのです。まさに花の生命は短くて・・・、ですね。
 夏の高原の写真があります。私は、大学1年の夏、学生セツルメントサークルの夏合宿で4泊5日、那須の三斗小屋温泉に行ったことがあります。黒磯駅からバスに乗って、終点で降りて2時間ほど山道を歩いたところにある秘境の温泉です。そのころは電気もなく、ランプ生活でした。煙草屋旅館と大黒屋旅館の2つがあり、私たちは煙草屋旅館に泊まりました。50人ほどの男女学生が日頃の地道な実践活動を交流し、生き方を語ったのです。とても刺激的な合宿でした。周囲の野山にハイキングにも出かけました。黄色いニッコウキスゲやキンバイソウそして紫色のマツムシソウ、ヤナギラン、シモツケソウ、ハクサンフウロ、橙色のクルマユリなどが、あっそうそう、湿原地帯もあり、その水辺には水芭蕉の花も咲いていました。決して忘れることのできないなつかしい思い出です。
 ちなみに、翌年夏の合宿は、奥鬼怒の八丁の湯温泉でした。旅館に面した崖の途中に露天風呂があって、夜中にみんなで入って月見を楽しみました。

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