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官邸主導

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著者:清水真人、出版社:日本経済新聞社
 自民党をぶっつぶすと叫び、多くの国民の喝采をあびて登場した小泉純一郎は、自民党の支配構造をしっかり温存したうえで、日本社会を根底からぶっつぶしつつあると私は考えています。かつての総中流意識は今は昔の物語になってしまい、今では一部の富める者はますます金持ちになり、多くの貧しい者は日々に貧しくみじめになりつつあって、日本社会が大きく揺らいでいます。このまますすめば、暴力が横行するアメリカと同じで、私たちの生命も健康も危険にさらされ、ゆとりとうるおいのない日本社会に早晩なるのは必至です。マスコミもホリエモン逮捕以来、少しはその点を報道していますが、根本的な問題提起はごくわずかなままです。
 この本は、まず小泉純一郎が登場するまでの激動する政界のあゆみをたどっています。村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三そして森喜朗と、歴代首相は相次いで失政を重ね、国民が離反していきました。そこへ、「変人」首相が割りこんできたわけです。2005年9月の総選挙は、マスコミを抱きこんで、ひどいものでした。
 竹中平蔵は小泉内閣メルマガで諮問会議の舞台まわしを次のように紹介している。
 1回2時間の諮問会議のために、スタッフとの打合せ数時間、提言をする民間メンバーとの打合せ数時間、そして首相・官房長官との打合せが1時間。これに根まわしの時間を加えると、合計して1回あたり20時間をこえることが少なくない。
 要するに、諮問会議というのも、小泉の手のひらのうえに乗っているということを自白しているようなものです。
 小泉なくして竹中なし。竹中なくして小泉なし。それが真実だ。
 内閣総理大臣の権力とは、とことん突きつめると、まず第一に衆院議員全員のクビを一瞬にして切ることができる衆院の解散権。同時に、閣僚や党首脳の人事権は解散権の行使を円滑にするため、表裏一体のものとして欠かせない。結局のところ、この二つをどう有効に活用するかに集約される。
 小泉は、政権担当以来、一貫して党三役や閣僚の人事を派閥の領袖の推薦を受けつけず、相談もせず、断片的な情報もれさえ極度に嫌って、たった一人で決めてきた。
 人事権のもっとも効果的な使い方は、この役職に就くことができたのは、誰のおかげなのかを明白にすること。小泉は、それが総理総裁の専権事項であると徹底して思い知らせる戦略を貫徹し、派閥を完全にカヤの外に置いて、ガタガタになるまで弱体化させた。
 小泉政権下では、どの党三役も閣僚も100%、小泉のおかげでポストに就けたことは明確であり、党執行部と閣内の求心力は抜群に高まった。小泉は、いざ政局有事の造反の可能性を極小化してきた。
 小泉が自民党幹事長を求めたのは、総裁に代わって党内を押さえこむ剛腕ではなかった。解散などの政局有事に裏切るおそれのない総裁への忠誠心こそが第一であり、忠実に小泉の方針を実行する能力に尽きている。
 怖い政治家です。国民が「強い」政治家を待望すると、このようなとんでもない政治家が出現し、日本社会をズダズダに切り刻んで、これまで国民のなかにあった、なんとなく、ほんわかとした連帯心がなくなってしまい、ギスギスして夜道を女も男も安心して歩けない日本社会になってしまうのです。
 400頁をこす、ぎっしりと重たい内容の詰まった本でした。

石器時代の経済学

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著者:M・サーリンズ、出版社:法政大学出版局
 20年ほど前に出版された本です。図書から借りました。調査自体はもっと古く、今から40年前くらいになります。しかし、その意義は決して薄れていません。というのも、石器時代の人類の生活がどんなものであったか、その名残をとどめている民族を調査したものだからです。
 石器時代の人類は生きるために、耕作民や牧畜民よりも、はるかに激しく働かねばならないという考えは必ずしも正しくはない。このことが調査によって明らかにされた。
 カラハリ砂漠にすむブッシュマンは、食物と水はさておき、日用品については、ある種の物質的な潤沢さを享受している。必要に応じて加工品をつくりかえる材料は、たいてい身近に潤沢にあったので、恒久的な貯蔵手段を開発する必要もなければ、じゃまな剰余物や予備品をかかえこむ必要も欲求ももたなかった。明日を思いわずらって貯える必要がなかったので、物品の蓄積と社会的身分とのあいだにはなんの関連もなかった。
 大部分の狩猟民は、非生活資料部門では、ありあまる富ではないにしても、あふれる豊かさのなかで生きている。狩猟民は、何も持たないから、貧乏だと、我々は考えがちだ。しかし、むしろそのゆえに彼らは自由なものだと考えた方がよい。きわめて限られた物的所有物のおかげで、彼らは、日々の必需品にかんする心配からまったく免れており、生活を享受しているのである。
 すごい指摘ですよね。まったくそのとおりではないでしょうか。現代人は、あれもこれも必要だと思いこまされて、実際に使いもしないものを家じゅうに貯えておき、その支払いに汲々として、心のゆとりを喪っているように思います。
 狩猟民は、食物生産に一日あたり平均3時間から4時間しか費やしていない。狩猟民は、1日働いて、1日休むという間歇性を特色としている。1人あたりの労働量は、文化の進化につれて増大し、その反対に余暇量は減少した。
 ブッシュマンの若い人々は、結婚するまで、定期的な食物の調達を期待されていない。少女たちは15歳から20歳までに結婚し、少年はそれより5歳ほど遅れる。年とった親類たちが若者たちのために食物供給すべく働いているあいだ、健康で活発な十代の若者たちが遊び歩いているのは珍しいことではない。
 ニューギニアのカパウク族は、人生でのバランス感覚をもっているため、労働するのは一日おき。しばしば数日のあいだ激しく働く。仕事を完了すると、また数日ゆっくり休息する。なにごとにも、ほどほどを方針にしている。祭りや休養には、たっぷり時間をとってある。どうでしょう。未開の野蛮な社会だと私たちが思っていた社会は、人々が生き生きと、ゆったり暮らしていたのではないかというのです。
 アリやハチの最近の研究でも、すべてのアリ・ハチが忙しく働いているのではなく、のんびり、ごろごろしている働きアリ、ハチもたくさんいて、忙しく働いていたアリ・ハチがいなくなると、補充兵のようにして自分が欠員を埋め、忙しく働きはじめる。こんな話を聞いた覚えがあります。
 ところが、残念ながら、万物の霊長と自称する人間は、そのような調節ができていません。仕事がなくて困っている若者がいる一方、働きすぎて過労自殺、病気にかかる人があまりにも多い日本です。

雇用破壊、非正社員という生き方

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著者:鹿嶋 敬、出版社:岩波書店
 高校を卒業してすぐに就職し、同じ会社に正社員としてずっと勤務している人の生涯賃金(19歳から60歳までの年間収入の累計)は2億1500万円。高校卒業後、ずっとアルバイトを続けている人(パート労働者)は5200万円。生涯賃金の格差は4.2倍、1億6000万円の差がつく。
 フリーターが正社員になれないことによる経済的損失は、税収面では1.2兆円、消費額は8.8兆円、貯蓄額では3.5兆円になると推測されている。
 フリーターの7割はサービス業に従事している。そして、半数以上が従業員30人未満の小規模な企業・事業所に勤務している。
 フリーターの平均年収は、男性156万円、女性は122万円。フリーターの生活は気楽などころか、先を考えれば考えるほど、不安で押しつぶされそうになる。
 非正社員の親との同居率は高く、結婚している比率は低い。経済的に不安定なフリーターが増えれば増えるほど、非婚・晩婚というライフスタイルの選択に拍車をかけ、少子化はさらに進む。
 中高年フリーターが100万人時代となっている。若いうちからずっとフリーターで流されていく漂流組が100万人となり、近い将来には300万人をこすことになるだろう。
 25〜29歳の未婚男性フリーターの有配偶率は28.2%、男性フリーターの未婚は顕著だ。
 悲劇を増幅しやすい夫婦とは、夫はプライドがあって失業したことを言い出せない、妻は夫の失業を知ったとき、あなたがだらしないから、こんなことになると怒る、というケースだ。経済から疎外された男性のあせり、屈辱感は相当なものだ。
 正社員は多忙すぎ、非正社員は安すぎ。まさに言い得て妙です。うちの娘も朝7時すぎに家を出て、夜10時すぎに帰ってくる生活です。はたでみていても、本当に大変そうです。3月半ばに会社を辞めるというのを、とめる気にはなれません。

宮中賢所物語

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著者:?谷朝子、出版社:ビジネス社 
 賢所は「かしこどころ」と読むのが正しい。しかし、著者たちは「けんしょ」と呼んでいた。皇居にある宮中三殿の全体を賢所(けんしょ)と呼ぶ。ここは神様が来るところで、年に20数回のお祭りがあり、月に3回の旬祭(しゅんさい)がある。平安時代から途切れることなくお祭りしてきた。ここで57年間も内掌典(ないしょうてん)としてつとめてきた人の聞き語りによる本です。
 戦前、滋賀県大津にあった高等女学校を卒業し、19歳のときにつとめはじめたのです。賢所の儀式は書き残すことが許されず、すべて口伝によるといいます。
 内掌典は、公務員に準ずる内廷の職員という身分である。宮中三殿は、明治になって京都から東京へ移ってきてから建てられたもの。明治22年建築。戦災にもあわず、そのまま残っている。アメリカ軍は政策的検地から皇居は爆撃しなかったのです。
 賢所では、動物の肉を食べることが禁じられている。牛乳やバター、肉のエキスの入った加工品もダメ。しかし、二本足のニワトリ、カモなどの鳥肉は良しとされている。ラーメンも、鶏肉だけでスープをつくるしかない。調理するのは雑仕という大学を出たばかりの若い女性がつくるもの。宮中と違って専用のコックがいるわけではない。ただし、内掌典も、皇居の外に出たら肉を食べることは許されている。なお、お酒の方は飲むことが認められている。
 賢所の生活で重要かつ基本となるのは、「次清(つぎきよ)」のしきたり。内掌典は常に身を清め、衣服を清くして、居住まいをただし、手を清くしてつとめる。その清浄でないことを「次」(つぎ)という。
 財布(お金)に触れたら「次」、外部から来た郵便物に手が触れたら「次」といった具合。このときは、手を水や塩(おしろもの、という)で清められる。水で洗うときにも、「次」となった手で直接触れることはできず、手の甲で栓をひねって水を出す。
 生理のとき、またトイレ(よそよそ、という)をつかうときも、同じように大変です。
 生理(まけ)の1週間は、着物や化粧品は専用のものをつかう。トイレ(よそよそ)のなかでは、手を着物の表に決して触れないようにする。
 手をケガして血(あせ、という)が出たら、御殿の水で手を清めることはできない。
 この本には、賢所の1年がことこまかに紹介されています。驚くのは、12月29日に、賢所は、もうお正月になるというのです。1月1日には、午前0時に起床して、おつとめがあります。大変ですね。
 著者が内掌典になったときには、いったんつとめはじめたら10年が期限だったそうです。それを聞いて父親は反対しました。3年間は、外出もできなかったといいます。
 内掌典は、著者をいれて6人。今では、4年です。魚と繊維質の多い野菜が中心の食生活。結局、結婚しないまま57年ものあいだ内掌典をつとめたのです。賢所のあいさつは、芸能界は夜でも「おはようございます」といいますが、「ご機嫌よう」というのだそうです。
 御所言葉が最後に紹介されています。お金は、おぞろ、そうめんおたから。食事は、おばん。寿司は、おすもじ。お魚は、おまな。
 神殿につかえる巫女さんの一生が紹介されたということでしょうか。
 私には、なぜ、この本がベストセラーになるのか、不思議でなりません。実をいうと、私は皇居に住む天皇一家の私生活が紹介されているのかと誤解して読んだのです。

名をこそ惜しめ

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著者:津本 陽、出版社:文芸春秋
 硫黄島、魂の記録と銘打った本です。日本軍が玉砕したとされていたとき、実は、まだ日本兵1万人が地底に掘った坑道や洞窟などに生き残っていました。大本営が降伏を呼びかけていたら助かったのではないかという指摘がなされています。本当に胸の痛む思いがしました。
 敵弾で戦死したのは3割で、6割は自殺したとみられています。なぜか。出れば殺されると思ったから。誰からか。アメリカ軍からではない。上官または同僚から殺されるという心配が一番頭にあったのだ。うーん、そうだったのですね・・・。可哀想です。
 硫黄島は、面積20平方キロの火山島。東京北区と同じ広さ。島には自然に湧き出る水はまったくなく、すべて天水でまかなう。地面の温度は50℃。
 日本軍の将兵が体力を消耗するのは、下痢による。1日10回ぐらいなら健常者。寝こんだ患者は1日に30回、40回と下痢する。それでも生きているのは、一日に水筒一杯 の硫黄と塩分のまじった水と、日に三度の重湯のおかげ。風土病であるアメーバ赤痢も流行していた。病人は、2万人いる日本軍全体の2割、絶えず4000名はいた。
 日本軍のトップ栗林中将は、妻へ送った手紙に、こう書いています。
 私はまもなく死ぬ。あなたはその事実を納得しなければならない。遺骨も故郷に戻らないだろう。それは承知のうえだ。私の魂は、あなたと子どもらの中に住むことになる。
 硫黄島に上陸したアメリカ軍は、海兵隊が3個師団、7万5000。そのほか、あわせて11万。飛行機は1000機。大変な物量作戦ですが、それでも日本軍は全滅していなかったのです。地下にもぐらのような生活をして耐えていました。
 栗林中将は、アメリカ軍が来る前、硫黄島に視察に来た大本営陸軍作戦部真田少将に対して次のように言ったそうです。
 サイパン玉砕の戦訓にかんがみ、このうえ、わが国が無駄な損害をかさねないよう、すみやかに和戦の方途を講じられるよう、大本営に対して具申していただきたい。
 もちろん、そのような具申はされず、日本軍は無駄な損害をかさねていったわけです。
 栗林中将は、バンザイ攻撃をいっさいせず、最後の一兵まで戦わせ、一人十殺をなし遂げさせようと思いきわめていた。そうするよりほかに、眼前に迫っている滅亡を甘受する意味を見つけ出すことはできない。自分を抹殺しにくる者を、一人でも多く死出の道連にするのだ。
 有名な摺鉢山の頂上に星条旗が立った写真は1945年2月23日のこと。ところが、翌24日未明、日章旗にかわった。夜があけると、また星条旗が立つ。4日目の26日未明、ついに日章旗は見られなくなった。うーん、そうだったのですか・・・。日本軍も最後まで粘り強くたたかったのですね。アメリカ側の本も読みましたが、3日目まで山頂の旗が入れかわったというのは初耳でした。
 アメリカ兵が日本軍将校の自決する様子を見ていました。次のように紹介されています。
 将校は一枚の写真をポケットから取りだし、見ながらなにかつぶやき、その写真に幾度となく頭を下げては涙を拭っていた。彼は頭を下げたのち、胸のポケットに写真を入れ、大声でフサコ、トシヤスと幾度も絶叫したのち、アメリカの戦車兵が壕内を焼き払っている火焔のなかに飛びこんだ。
 本当にむごく、痛ましい光景です。将校も「天皇陛下バンザイ」を叫んで死んでいったのではないのですね。
 硫黄島には、いまも1万2000体をこえる日本軍将兵の遺体が埋まったままだそうです。なぜなのでしょう。本当に、日本っていう国は冷たい国ですね。靖国神社への公式参拝には熱心でも、遺骨の収集にお金をかけることはしないのですね。それでいて、英霊の顕彰なんていう小泉首相は許せません。もちろん、無謀な戦争に国民をひっぱっていった当時の日本支配層は、もっと許せませんが・・・。

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