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いなかのせんきょ

カテゴリー:未分類

著者:藤谷 治、出版社:祥伝社
 談合、根回し、饗応、買収。無理が通って道理が引っ込む。キレイゴトではすまんぞ、田舎ってとこは・・・。
 珍しい選挙小説です。日本のドロドロとした選挙戦の一端がにじみ出ていると思いました。それにつけても、戸別訪問が公職選挙法で禁止されているのは天下の悪法です。先進国では、どこでも戸別訪問こそが選挙運動の中心柱となっています。アメリカのようにテレビ宣伝が柱となると、お金はいくらあっても足りません。まさに金権選挙です。日本でも、小泉流のマスメディア露出度のみをねらった派手な金権選挙が、アメリカにならって年々ひどくなっています。嘆かわしいことです。
 ひょんなことから村長選にうって出ることになった清春は、地道に街頭でマイクを握って訴えてまわります。お金なし、看板なし、後援組織なしの孤独な闘いです。敵は村内の有力企業をひとまとめにしています。それでもへこたれず、あきらめずに清春は、明日が投票日という最終盤にマイクを握ってトツトツと訴えます。方言まる出しです。
 「平山さん(対立候補)は、しきりに公共事業の導入と映画館の招致を訴えている。雇用の拡充と観光収入が見込めるから、それは一つの見識かもしれない。でも、俺はそんな経済政策には反対だ。山を切り崩して平地にして、村中を排気ガスだらけにして工事して、国道だの映画館だの作ってどうする。公共事業は収入が安定するかもしれないが、それだって長い目で見ればしょせん臨時収入さ。それで村には借金が残る。俺らの生きてるうちにはとても返せないような借金が、・・・。
 たしかに、この村にはマクドナルドもセブンイレブンもない。でも、山には鹿や狸があって、ちょっとは山桜もある。鮎は全国有数だといって日本中から川釣りの客が来る。都会の人には、そんなところが村の魅力なんだ。俺は都会風に発展するより、村らしい発展のあり方を工夫した方がいい。たとえば、山道を歩きやすいようにするとか年寄りに古い知恵を借りるとか、介護を役人まかせにしないで、みんなで助けあってやるとか、そんな地道な、手づくりが俺ららしい発展ではないか。都会風の発展がいいか、村らしい発展がいいか、どっちか決めてくれ。俺の考えに賛成してくれるなら、俺は一生けん命働くよ」
 うーん。心にしみるいい話です。思わず目頭がじーんと熱くなってしまいました。私の住む町にも大型スーパーが出来て、近くの商店街は壊滅状態となり、デパートは2つともつぶれてしまいました。いま新幹線工事と湾岸道路の建設がどんどんすすんでいます。本当に住みやすい町をつくるというより、相変わらず大型公共優先です。その裏で福祉予算がどんどん切り捨てられています。
 村の人々の心をつかんで、見事に清春は村長に当選しました。でも、問題は、これから、村長になってからのことでしょうね。
 大分にビラを配っただけで逮捕され起訴された市会議員がいます。今どき、なんということでしょうか。日本では選挙が始まると、憲法で保障された表現の自由が警察によっていとも簡単に踏みにじられてしまうのです。恐ろしいことですよね。
 日本の選挙のあり方を考えさせる良質の選挙小説だと思いました。

中国農民調査

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著者:陳 桂棣 、出版社:文芸春秋
 先に紹介しました「十面埋伏」(新風舎)のタネ本のようだと思わず口走ってしまいました。中国農村部の悲惨な実情があますところなくレポートされています。それがいいという意味では決してありませんが、中国当局が発刊2ヶ月で発禁処分にしたのも十分理解できます。なにしろすさまじいのです。
 でも、暴力団が想像以上にはびこっている現代日本の暗部を直視したとき、単に中国は遅れていると冷笑できるとは思えなくなるのです・・・。
 漢王朝では8000人が1人の役人を養っていた。唐王朝では3000人が1人の役人を、清朝では1000人が1人の役人を養っていた。今は40人が1人の公務員を養っている。
 私は、単純に公務員を減らしたら社会は住みやすくなるなどという考えは完全な間違いだと考えています。公務員は高給優遇していいのです。そうでないと、ソデの下ばかりが横行して、社会は滅茶苦茶になってしまいます。とくに福祉関係には、もっと惜しみなく公務員を投入すべきです。
 1979年に中国の党政府機関の幹部は279万人だったのが、1989年には543万人に増えた。そして1997年には、800万人となった、このとき増加した幹部の人数は、同じ時期に国有企業で解雇された127万人とほぼ同じである。

平泉への道

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著者:工藤雅樹、出版社:雄山閣
 「みちのく」とは道奥(みちのおく)国からきた言葉。陸奥国は、もと道奥国だった。
 平泉の中尊寺には2回行ったことがあります。平泉藤原氏が栄えていた地であることを実感しました。
 平泉の栄華は砂金によって支えられていた。もう一つの特産は馬。
 平泉三代の繁栄も、源義経が逃げこみ、源頼朝が追討の大軍で迫ったときに終わりました。
 ところで、この本で坂上田村麻呂の東北攻略に対して勇敢に戦った蝦夷陣営を描いた高橋克彦「火怨」(講談社)の史実を知ることができました。「火怨」は手に汗にぎる面白さでしたので、その歴史的な背景を知りたいと思っていましたところ、この本によって詳細を知ることができました。
 朝廷は東北攻略のために大軍を4回派遣した。1回目は、征討軍は数万の兵士を動員したものの蝦夷側と対決できず、征討軍の最高責任者は更迭されてしまった。
 2回目は朝廷側も周到な準備を重ね、5万の軍勢が多賀城に終結して賊地に分け入ったが、衣川の戦いで大敗した。政府軍の精鋭4000が川を渡り、蝦夷軍の指導者である阿弖流為(あてるい)の居に至ると、蝦夷の軍300が迎えうった。はじめは政府軍の勢いがやや強いように見えたので、政府軍は戦いながら巣伏村にいたり別働隊と合流しようとしたところ、別働隊は蝦夷側にはばまれて進み渡ることができなくなった。そこへ、さらに蝦夷軍8000がやってきて防ぎ戦った。その力がはなはだ強かったため、ついに政府軍は退却し、蝦夷軍は攻勢にうつった。その後、さらに蝦夷軍が東山からあらわれて政府軍の後を絶ったため、政府軍は前後に敵を受けてしまった。この戦いで、政府軍は首脳陣で戦死した者25人、矢にあたった者245人、川に投じて溺死した者1036人、裸身で泳ぎ帰った者1257人という大敗を喫した。他方、政府軍が蝦夷側に与えた損害は焼亡14村、800戸ばかり。征東将軍は軍を解散するほかなかった。
 3回目の延暦13年(794年)には10万の大軍が動員された。4回目は、延暦20年(801年)で、朝廷は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、翌年、阿弖流為は兵500人を率いて降った。阿弖流為は同年8月、京都貴族の処刑すべきだという強硬意見によって処刑された。
 胆沢の蝦夷社会は度重なる数万規模の政府軍を相手に、その攻撃から一歩も退くことがなく戦う実力をそなえていた。阿弖流為や母礼の指導力は、単一の、あるいはごく少数の集落をこえた広い範囲に及んでいた。
 このような実情が小説とはいえ、「火怨」に生き生きと描かれています。決して損はしないと思いますので、どちらも読んでみて下さい。

構造改革政治の時代

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著者:渡辺 治、出版社:花伝社
 小泉首相が2005年9月の総選挙でとった戦術には2つの特徴があった。
 刺客・落下傘候補の勝利の意味するものは、自民党公認と資金の力がきわめて強く、場合によっては自民党が戦後営々と築いてきた伝統的支持基盤をも上回るものだったことにある。彼らは、まったく地元に支持基盤をもたず、中央の公認・資金とマスコミの宣伝のみによって大量の票を獲得した。逆に、郵政民営化に反対票を投じた議員たちは、小選挙区制度の定着によって選挙のあり方や支持基盤がもはや変わりつつあること、しかも、小泉政権に入って加速化した構造改革によって、伝統的支持基盤を支える農民層や都市中小零細企業層、自営業層が縮小・解体を促進されてきたことを決定的に過小評価するという誤りを犯した。
 もう一つ。小泉は選挙で獲得すべきターゲットを自民党の伝統的支持基盤から、大企業のホワイトカラー層を中核とする上層にシフトしたことである。この層こそ、小泉改革政治の受益層であった。その結果、切り捨てられた層については公明党の集票に依拠することになった。このような分業体制をとったため、自民党はますます公明党の候補を必要とし、公明党を切れなくなっている。
 こうした小泉自民党への票は、大都市部の上層の票を総取りした結果であって、決して階層横断的にまんべんなく票を集めた結果ではない。小泉構造改革は、既存政治では疎外されていると感じている青年層や女性、都市自営業層、地方都市の労働者や農村部にまで支持を広げた。これまでの構造改革の最大の障害物が今や構造改革の推進力に転化したのである。小泉政権の強さは、ここにある。
 小選挙区制の最大の害悪は、それが導入の狙いでもあるが、当選の見込みのない少数政党を切り捨て、保守二大政党制が確立することにある。その結果、共産党や社民党には固定票は入るものの、大都市部での中下層や農村部での自民党への不満層の流入は阻止されている。
 私は成人して投票権をもって以来、一度として自民党に入れたことはありません。それを私のひそかな誇りにしています。強い者本位で弱者切り捨ての政治を、弱者があこがれるという政治構造は古今東西、人間社会に不偏なものですが、私は絶対に認めません。自分は浮動票だと自慢げに言う人は世の中に本当に多く、私の身のまわりにもたくさんいます。でも、私は、もっと弱者のことを考えてよ、みんないずれ年齢(とし)をとったら弱者になるんだよ、そう言いたいと考えています。年金切り下げなんか、私は絶対反対です。ついついコーフンしてしまいました。ゴメンナサイ。
 小泉は政治家三世であり、講演会の維持・培養に腐心する必要はなかった。だから、従来の支持基盤の利益を切り捨てることに痛痒を感じなかった。大胆に、断固として、冷酷に切り捨てることができる。これが小泉のもっとも得がたい特質である。靖国参拝のように、支配層の外交政策にとって不都合な頑固さはあるが、そんな欠陥は構造改革を強行する利益にとってみれば比べものにならない。財界はこのように考えている。
 小泉は、支配層の課題を無邪気に、断固として実行する決意と頑固さをもった人物として、財界の期待にぴったりあてはまる人物だった。
 小泉をポピュリストと評価するのは間違いだ。小泉は上層の獲得を通じた階層型政治への志向をもち、福祉切り捨ての断固たる姿勢をもつのだから、福祉バラマキを特徴とするポピュリストとは対極に立つ政治家である。
 結果として生まれる社会の階層化、貧困層の増加、社会統合の解体に対して、小泉政権は本格的な対策や新たな統合政策をうみだしていない。小泉は、このような統合問題に対していたって冷淡であり、増大する格差化への対処策を講じていない。むしろ、これを切り捨てて構造改革に専念するのが小泉流のやり方となっている。
 このまま、小泉構造改革が進展すれば、社会の分裂・中間層下層の生活悪化にともなう不満の増大が自民党政権を揺るがすことは間違いない。
 現代日本政治の諸悪の根源は、変身した自民党政治が追及している「構造改革」政治にこそある。小泉構造改革は、既存政治システムの急進的改悪なのである。小泉構造改革は、ほかでもなく、政権党としての基盤を掘り崩さざるをえない。
 小泉首相と自民党内抵抗派の対立は、構造改革の是非ではなく、改革の漸進か急進路線かの対立でしかない。それは決して妥協不可能なものではない。したがって、改革は、両派の対抗と妥協を通じてすすめられていくだろう。
 たとえば、同じ特殊法人でも、自民党政治の支持基盤維持に不可欠でないものは、たとえ国民にとって切実なものであっても、容赦なく切り捨てられ、廃止・民営化が決まった。住宅金融公庫、日本育英会などである。これは、低所得層に対して、銀行から高い金利の借金までして子弟を学校に行かせなくてもいいという考えにもとづいている。
 小泉構造改革は、社会保障制度の再編を強行し、失業や倒産への統合装置を破壊した。その結果、無類の安定を誇った日本社会は、その土台から大きく揺らぎはじめている。
 そもそも、構造改革とは、巨大企業の競争力を回復強化することをめざした改革である。起業の税金を安くするためには財政削減が必要なわけである。5兆円削って、2兆円増やす、という小泉予算というのは、福祉を5兆円削り、大企業へ2兆円まわすということ。
 著者は私の一つ先輩にあたります。何度も話を聞いたことがありますが、その明快さと分析の鋭さにはいつも関心させられます。今度のこの本も、なるほど、なるほど、そうなんだよなー、などとうなずきながら読みましたが、すごく勉強になりました。みなさんにも一読をおすすめします。2500円は決して高くありません。

少年裁判官ノオト

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著者:井垣康弘、出版社:日本評論社
 少年Aの事件が起きたのは1997年3月から5月にかけてのこと。もう9年も前のことになりました。鑑定主文を少しだけ紹介します。
 非行時、現在ともに顕在性の精神病状態にはなく、意識清明であり、年齢相応の知的判断能力が存在している。未分化な性衝動と攻撃性との結合により、持続的かつ強固なサディズムがかねて成立しており、本件非行の重要な要因となった。
 直観像素質者であって、この顕著な特質は本件非行の成立に寄与した一因子を構成している。低い自己価値感情と乏しい共感能力の合理化・知性化としての「他我の否定」すなわち虚無的独我論も本件非行の遂行を容易にする一因子を構成している。
 家庭における親密体験の乏しさを背景に、弟いじめと体罰との悪循環のもとで、虐待者にして被虐待者としての幼時を送り、攻撃性を中心にすえた、未熟、硬直的にして歪んだ社会的自己を発達させ、学童期において、狭隘で孤立した世界に閉じこもり、なまなましい空想に耽るようになった。
 思春期発達前後のある時点で、動物の嗜虐的殺害が性的興奮と結合し、これに続く一時期、殺人幻想の白昼夢にふけり、食人幻想によって自慰しつつ、現実の殺人の遂行を宿命的に不可避であると思いこむようになった。
 Aの場合、男性器は正常に発達して射精もするようになっていたが、脳の暴力中枢から分化して発達する性中枢の発育が遅れているため、暴力中枢が興奮すると射精するというメカニズムになっていた。
 著者は死刑必至の事件で、人を殺すためだけの手続の主宰という違和感を感じたといいます。それが、刑事裁判官を一生の仕事にしたいと思っていた生き甲斐、誇りをこっぱみじんに打ち砕いたそうです。ところが、いま私の担当している死刑必至事件では、裁判長は、まさに人を殺すためだけの手続でよいという態度で、まったく「余計なこと」に耳を貸そうとしません。いったいこの人の良心はどうなっているのかと疑うばかりです。
 著者は裁判官として少年審判を担当していたころ、記録を3回は読みこなし、自らの言葉で少年と親に説明できるように準備して審判にのぞんでいたそうです。その真剣なとりくみには頭が下がります。
 少年Aは、今や23歳。中学・高校の教育を受けさせ、大学教育まで受けさせたら、自分の言葉で、自分のことを説明できるようになるのではないか。本人が自分の経験を言葉に紡ぐことができるほど、自分の力を高めることのできる教養を身につけさせたい。事件の前の経過から、今後どうしたいのかまで、あらゆることを本人の口、あるいは文章でいいから語ってほしい。
 著者の願いに私もまったく同感です。とかく切り捨ての論理がまかりとおっている現在の日本ですが、そんなに切り捨てていっていいとはとても思えません。逆に、切り捨てたらどうなるのか、体験者の話をしっかり聞いて、みんなでじっくり考えてみようではありませんか。
 ところで、著者は福岡家裁にもつとめたことのある裁判官です。今は定年退官して弁護士です。45年もタバコを吸って喉頭ガンとなり、声帯もろとも咽頭を切除し、食道ガンで食道の3分の2を切り捨てたそうです。タバコの害の恐ろしさです。私は、いつもタバコを吸っている人に止めるよう忠告するのですが、なかなか聞きいれてもらえないのが残念です。
 著者の近況写真ものっています。声帯を摘出したということは声を失ったということです。しかし、笛式人工声帯で発声し、外に積極的に出るようにしていますと紹介されています。たいしたものです。これからも、引き続き元気に活躍されますよう、はるか福岡からエールを送ります。

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