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国家と祭祀

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著者:子安宣邦、出版社:青土社
 正月に小泉首相が伊勢神宮に参拝するのは、定例化された公式行事となった。小泉首相の靖国神社の公式参拝もまた、近隣諸国の抗議(いや、アメリカも同じく冷ややかだ)をはねのけ、あえて定着させた行事となっている。
 ところが、民主党の菅代表(当時)も伊勢神宮には参拝している。小泉首相の靖国神社には批判的であるのに・・・。
 明治2年(1869年)3月、明治天皇は東京への遷幸に先だち、伊勢神宮に参拝した。
 神宮・神社は、まず神道的に純化されなければならない。そして、神道的に純化された「国家の祭祀」としての位置が与えられていく。「国家の宗祀」とは、神社が国家の重要な構成契機としての祭祀体系だということを意味している。
 靖国神社にある遊就館は、戦前は武器博物館であった。2002年7月に本館を改修し、新館をもうけた。そこは表裏一体の二つの大きな使命があるとされている。一つは英霊の顕彰。二つには近代史の史実を明らかにすること。
 英霊と呼ばれるのは、すべての戦争犠牲者ではない。明治維新から西南戦争に至るまでの内乱においては、一方の側の死者しか対象としない。誰が、どうして、そのように判断したのか、明確ではない。
 遊就館は大東亜戦争を公然と肯定している。しかし、帝国の挫折自体は抹消できない。著者は、靖国神社を特権化しようとする言葉と行動とは、むしろ死者たちを汚す生者がつくり出す騒音と臭気でしかないと断じています。
 われわれが歴史に見てきたのは、また今なお世界に見ているのは、それ自身に宗教性と祭祀性とをもってしまった近代世俗的国家の国家という名による暴力であり、戦争を行使する主権国家という亡霊の跳梁ではないか。非キリスト教世界にあって、キリスト教的世俗国家を範として、暴力行使を正当化し、死を賭しての献身を可能にする神聖国家を比類のない形でいち早く形成した日本が完全な世俗主義的原則を表明したことは、国家と国家連合の名による暴力が宗教の名による対抗暴力を連鎖的に生み出しているいま、あらためて積極的な意味をもつと考えられる。
 かつて日本人は天皇のために自己を犠牲にし、他国民を殺した。それは決して戦後に連続しない。戦う国家とは祀る国家である。日本が戦う国家であり、したがって英霊たちを祀る国家であったことの何よりの証拠が靖国神社の存在である。靖国とともに連続が語られる国家とは戦う国家であり、英霊を祀る国家である。だからこそ、自衛隊のイラク派兵を推進する小泉首相による靖国参拝は執拗に続けられるのである。盆踊りと同じようなものだという子どもだましの言葉によって欺かれてはならない。
 戦う国家とは英霊を作り出す国家であり、英霊を祀る国家であるゆえに、国家の宗教的行為もそれへの関与をも憲法は禁じたのである。戦う国家を連続させない意思の表示であった戦争放棄と完全な政教分離をいう日本国憲法の原則は、いま一層その意義を増している。
 まったく同感です。日本を戦争する国にしてはいけません。

乳母の力

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著者:田端泰子、出版社:吉川弘文館
 昔の日本、たとえば戦国時代は政略結婚の時代であり、女性は政略のために「駒」のように動かされる悲劇的な存在であったという常識はまったく間違ったものです。
 平安時代の乳母の地位は高く、天皇に仕える女房のうちのトップに位置していた。王臣家に仕えた女房のうち、上級女房の筆頭はやはり乳母であった。乳母が子連れで奉仕していたこともある。
 「源氏物語」にも葵上(あおいのうえ)の遺児「夕霧」の乳母「宰相の君」は、乳母の役割と女房一般の役割を同時に果たす左大臣家でも重要な位置を占める女房であった。
 保元の乱が起きたとき、後白河天皇の乳母は藤原朝子(あさこ)で、その夫は藤原通憲(みちのり)である。通憲は後白河天皇の政治的顧問であったが、それは天皇の乳母であった妻の力によるところが大きい。乳母とその子は、主君にとって身内よりも濃い結びつきを形成していた。このことは、主君が不遇になったときに、より鮮明に現れる。妻が天皇の乳母であったことは、その夫にとってどれだけ政治的地位の上昇に有利であるか計り知れない。
 後鳥羽上皇などの院政期に入ると、新興公家輩出の背景は、一族の女性が乳母の地位を獲得することが、まず手始めであった。新興公家は、はじめから中宮の地位に娘をおけるはずもないから、娘を女房にあげ、あるいは男性が時めいている乳母と婚姻をとげることによって娘を天皇に近づけることができた。中下級の公家から上級公家まで、こと結婚の相手に関する限り、年齢には関係なく、公家の男性は天皇家の乳母をもっとも理想の婚姻相手と見ていた。天皇の乳母は三位(さんみ)という高い位をもらった。
 この本では、次いで鎌倉・室町時代の乳母の地位と役割をも紹介していますが、割愛して江戸時代の三代将軍家光の乳母であった有名な春日局(かすがのつぼね)に移ります。
 春日局の父は斎藤利三、母は稲葉通明の娘であった。父利三は本能寺の変を起こした明智光秀の有力な家臣の一人であった。この当時、乳母は女性の仕事の第一位であると考えられていた。教養のある女性が働く職業として一番に目ざしていたわけである。そして稲葉正成と離婚したあと、26歳のときに家光の乳母に抜擢された。
 春日局は江戸城大奥の統率という大役を与えられた。将軍の正室(妻)をさしおいて。それまでも大名の証人(人質)のうちの女性に関する事項を管轄していたのに、大奥の統率の役目が加えられた。それだけの能力を有すると認められたわけである。
 乳母の力がこんなに大きかったとは・・・。なるほど、自分の幼いころに受けた恩は権力者になっても一生忘れないものなんですね。よく分かる気がします。

魔王

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著者:伊坂幸太郎、出版社:講談社
 不思議な印象を受けた小説です。いままさに進行中の小泉・自民党政治を正面から扱っている。そんな気にさせるストーリーです。
 日本の国民は規律を守る教育を十分に受けていたため、大規模な暴動を起こすことはついになかった。やはり俺たちは飼い慣らされているのだと、ひとり納得した。
 こんな記述が出てきます。たしかに今の私たちは街頭でデモをすることも少なく、ましてストライキなんて、今の日本では完全な死語になっています。でも、ほんと30年前に、スト権ストがあって1週間ぶち抜きましたし、その前は順法ストライキをふくめてストは頻発していて、むしろ、そちらに慣らされていました。もっと前にさかのぼると米騒動、さらに前には百姓一揆もありました。いつも日本人がおとなしいとは限らないのです。いえ、私たち団塊の世代に限っていうと、半年以上も授業をまったく受けなかったのです(無期限ストに学生の半分が賛成したのです)。
 今、この国の国民はどういう人生を送っているか、知っているのか。テレビとパソコンの前に座り、そこに流れてくる情報や娯楽を次々と眺めているだけだ。死ぬまでの間、そうやってただ漫然と生きている。食事も入浴も、仕事も恋愛も、すべて、こなすだけだ。無自覚に、無為に時間を費やし、そのくせ、人生は短いと嘆く。いかに楽をして、益を得るか、そればかりだ。
 憲法と現実は合わせるべきだというのは、おかしいよ。だって、憲法には、人は誰でも平等に扱われるって書いてあるけど、現実には男女差別はある。そのときに現実にあわないから、男女差別はありって憲法を改正するなんてことにはならないだろう。
 国民投票は、一括方式。環境権とか聞こえのいいのを混ぜあわせておいて、抱き合わせ的に憲法9条の改正を飲ませようっていうコンタンなのさ。えー、そうなの・・・?
 小説に憲法9条の全文が引用されています。これも小説としては珍しいことでしょう。
 いま、若者に一目置かれる、手っとり早い方法は、より新しくて、より信頼できる情報をたくさん手に入れること。情報量だ。情報が尊敬につながっている。首相のブレーンはものすごいらしい。情報の質や量が圧倒的だから、議論も負けない。若者が揶揄する隙を与えない。それがだんだん憧憬とか信頼に変わってきて、支持される。
 小泉首相のやり方がこのようにきちんと分析されていて、うなずけます。それでいて、ちゃんとしたストーリーもあるのですから、世の中って、ホントに面白いですよね。

メディアの支配者

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著者:中川一徳、出版社:講談社
 上下2巻の大部の本ですが、なかなかの読みごたえがありました。
 今をときめくホリエモンが、ニッポン放送の株を50%も手に入れ、その乗っとりが大騒動をひきおこし、日本中を騒がせたことはまだ記憶に新しいところです。あまりに世間を騒がせたことが財界中枢の怒りを買ったせいか、ホリエモンは東京地検特捜部ににらまれ、ついに逮捕されてしまいました。
 それはともかくとして、乗っとられようとしたフジサンケイグループの日枝会長が、実は、自分自身も同グループ議長(鹿内宏明)を追放して乗っ取った張本人であることを知り、因果は巡ると思いました。しかも、日枝会長は若き日に、労組を認めないという右翼的な会社のなかで隠密裡に労働組合を結成したうちのひとりだったのです。変われば変わるものです。
 フジサンケイグループが躍進するきっかけとなったのは、箱根にある彫刻の森美術館だった。これにも驚きました。今では年間200万人もの見学者があり、経営としても安定している美術館です。私も、ずい分前のことですが、一度だけ行ったことがあります。見晴らしのいい高台にヘンリー・ムーアの大きな彫像があったことを覚えています。
 この美術館はグループ各社からの寄付金で成り立っているが、オーナーの鹿内(しかない)一族は自分たちの私有物であるかのようにふるまってきた。
 社内の人事抗争の激しさでは、産経新聞も人後に落ちない。
 1992年7月21日、午後1時から産経新聞の取締役会が開かれた。2つ目の議案に移ろうとしたとき、突然、鹿内宏明の解任を求める緊急動議が提出された。予定の議題にはない。鹿内議長は予定議題に「その他」がないので認められないとして却下しようとする。しかし、議長は特別利害関係人になるから交代して別の人が議長になるべきだという動議が続いて、ついに鹿内議長の不信任が可決された。クーデターが成功したわけだ。
 この本では、このクーデターが成功するまでの根まわしの詳細がことこまかに紹介されています。会社内で子飼いの部下のいない鹿内宏明はまるで裸の王様だったようです。
 産経新聞でクーデターが起きて自民党が心配したことは、その報道姿勢が朝日や毎日のようになったら困るということでした。だから、クーデター派は、そんな心配はいらないと必死でうち消しました。いかにも自民党好みの産経新聞です。
 司馬遼太郎は産経新聞OBだとのこと、私は知りませんでしたが、このクーデターにいちはやく祝辞を寄せ、クーデター派を力づけたそうです。右寄り史観の司馬らしい行動です。
 こんなクーデターがあったフジサンケイグループに、あるべき社史が存在しないのも当たり前のことかもしれません。これまでの日本史教科書を自虐史観として否定して右翼教科書のキャンペーンをはってきた産経新聞は、実は自らの歴史を編むことすらできない。こんな痛罵を著者は投げかけています。ふーむ、そうなんだー・・・、と思いました。
 ニッポン放送は共産党に対抗するためのラジオ放送としてスタートしたということも初耳でした。うまれる前から財界御用達の放送局だったわけです。フジテレビも、面白くて視聴率が高ければいいという軽薄さで若者を引きつけました。
 フジサンケイグループは中央マスコミで唯一、世襲が実現し、成功した。それは組織をあげて利益追求に突進する集団だったからだ。
 テレビ局は政官財有力者の子弟がコネで入社するのが横行するところだ。
 産経新聞は、ほかの新聞に比べて組織購読が多く、個人読者が少ない。その組織というのは、警察そして自衛隊だ。それから宗教団体。なーるほど、ですね。右翼新聞を支える実体が分かりました。
 日頃、面白ければいいと高言していたフジサンケイグループがホリエモン攻勢にあうと、一転して、メディアは公器だと言いはって心ある人の失笑を買いました。右翼テレビ・新聞のお寒い実体をまざまざと知らされる本です。

歓びを歌にのせて

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著者:ケイ・ポラック、出版社:竹書房文庫
 スウェーデン映画史上第3位という大ヒット映画をそのまま本にしたものです。スウェーデンでは2ヶ月間に160万人が見たそうです。国民の6人に1人は見たという計算ですから、すごいものです。
 辛いことも多い世の中ですが、しばし、それを忘れ、心あたたまる思いがしました。
 映画のなかでうわたれる歌のセリフが実に心をうちます。少しだけ耳を貸して下さい。
 私の人生は、今こそ私のもの
 この世に生きるのは束の間だけど、
 希望に向かって ここまで歩んできた
 私に残されたこれからの日々で
 自分の思うままに生きていこう
 生きている歓びを心から感じたい
 私は、それに価すると誇れる人間だから
 そう、私の人生は私のもの
 探し求めていた まぼろしの王国
 それは近くにある どこか近くに
 私はこう感じたい 私は自分の人生を生きた、と。
 ガブリエルが初めてのコンサートでソロを歌いあげたとき、観客席は一瞬、静寂に包まれました。そして、そのあとすさまじい拍手が巻きおこったのです。心にしみわたる天使のような歌声でした。うーん、これがクライマックス。きっと暴力夫も反省したことだろう。そう思ったところ、実は違うのです。やはり、世の中はそう甘いものではありません。
 そして、主人公のダニエルもハッピーエンドのようではありますが、みんなでウィーンに乗りこんだ合唱コンクールに指揮者として壇上に立つことはできませんでした。その直前に心臓発作を起こしたからです。それでも、彼は、子どものころからの夢を実現したのです。歌で、みんなの心を開くこと、自分の心を思いっきり開放することに、ついに成功したのです。
 親富幸通りの映画館はほとんど満員でした。見終わったとき、心満ちた幸せな気分で帰路につくことができました。人生万歳、です。生きていて良かった。そう思うことのできる映画です。
 正月以来、いい映画に何本も出会うことができました。博多駅そばの映画館でみたタイ映画「風の前奏曲」も、とても心うたれるいい映画でした。見ていて力が入り、ついつい手を握りしめてしまいました。ラナートというタイの伝統楽器(木琴のようなものです)の競演は手に汗にぎる熱演で、見事なものです。
 ところが、とても残念なことに、観客はまばらでした。こんないい映画が世の中に知られずに終わるなんて・・・。なんだか、悲しくなってきました。まだやっているようですので、ぜひ映画館で見てください。
 「ハリーポッター」も「あらしの夜に」も見ました。なんだ、おまえはまだ子ども向け映画なんか見てるのか。そう思わないでくださいね。子ども向け映画には本当にいい映画がありますし、だいいち私たちが子どものときの心を忘れてしまって、いいことはひとつもありませんよね。

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