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テレビと権力

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著者:田原総一朗、出版社:講談社
 活字メディアとは醒めたメディアで、読者は冷静に読む。テレビは、声、怒鳴り方、目の光り方、表情、身ぶり、手ぶりと、あらゆる表現手段を総動員して、視聴者に訴えるメディアで、言葉は表現のワン・オブ・ゼムに過ぎない。テレビでは、山崎拓、小泉純一郎が、顔を晒し、怒りを満面に込めて、唾を飛ばさんばかりの口調で、海部首相の傀儡ぶり、その無惨なまでの軽さ、経世会の傲慢さを、これでもか、これでもかと糾弾する。
 活字メディアでは、論理がすべてだが、テレビでは論理でさえ、ワン・オブ・ゼムなのだ。ここに新聞とテレビの大きな差異がある。
 活字メディアでは、言葉としてつじつまがあっていればよいのだが、テレビでは言葉としてつじつまがあっていても、全身の反応が矛盾を露呈させてしまう。
 著者は、60年の安保改定反対運動を次のように批判します。
 実は、岸安保は吉田安保を、よりアメリカと対等の条約に近づけようと図っての改正、つまり改善だったのである。
 私は、これに大きな違和感を覚えました。これは、要するに、あくまで安保条約を是としたものです。それを前提として、ベターかベストか選べというものだと思います。まさしく悪魔の選択です。そこには、安保条約をなくせ、という視点は、そもそも欠落しているのです。「よりアメリカと対等となる」という論理は、アメリカの従属を前提としています。私は、こんな奴隷根性を拒否します。
 著者は、テレビの世界で生き続けていくための条件は三つある、と言います。一つは、一定程度の視聴率をとること、二つは視聴者から一定程度の評価を受けること、三つは、スポンサーに降りられないことです。そのためには、企画力と実現力がすべて、です。
 ところで、私は久しぶりに「一定程度」という言葉にぶつかりました。これは、私が大学生になった、今から30年以上前の学生運動家の口癖のような用語です。私には、ものすごく違和感がありました。著者が今も、その学生運動用語を引きずってつかっていることに驚いてしまいました。
 著者が松下幸之助に取材した話が面白いので少し紹介します。
 部下を抜擢するとき、頭のよし悪しは関係ない。むしろ、頭のいい人物はダメ。小ざかしいよりは鈍な人物の方がいい。健康も関係ない。健康に自信のある人は社長が先に立って走るから、よくない。誠実も関係ない。人間は誠実にもなるし、不誠実にもなる。それは経営者の問題だ。その人間に期待して、もっている能力をどんどん使ってやると、その人間はいやでも誠実になる。会社から評価されたら、会社への忠誠心が湧き、誠実にもなる。では、何なのか?
 松下は、運です、運のない人はあきまへん、これが第一です、と答えた。そして、それは顔を見たら分かるという。
 愛嬌のない人間はあきまへんわ。明るい魅力、それがないと人間あきまへん。社長が暗い、愛嬌のない顔をしていると、その下で働く社員がみな暗くなる。みんな評論家みたいに、後ろ向きの批判ばかりするようになる。ところが上司に愛嬌があって前向きだと、みんな前向きの提案をするようになる。
 なーるほど、そうなんですね・・・。いい話を聞きました。みなさん、いかがですか。
 最近、日本経団連の会長になったキャノンの御手洗冨士夫は23年間もアメリカに住んでいた。ところが、御手洗はアメリカ的経営はダメで、日本式がいいと主張する。御手洗は、一番が従業員の生活の安定、二番目が株主への利益の還元、三番目が社会貢献、四番目が持続的発展をするための自己資本をうみ出すこと。今も、これをちゃんと実行してくれているのでしょうか・・・。
 どうして日本は宴会・接待が多いのか。その理由は二つある。
 会社のなかで、あるいは取引先とトラブルが起きたとき、日本では、まあ一杯ということで、料理屋や飲み屋で酒をくみかわしながら話をつける。アメリカでは、すぐに弁護士を呼んで訴訟にもちこむ。料理屋をもうけさせるか、弁護士をもうけさせるのかの違いである。アメリカのビジネスは、徹底して質つまり付加価値の勝負だ。日本では、義理と人情と浪花節が生きている。
 私の娘は田原総一郎なんて大嫌いだと言います。いつも偉そうに威張りくさっていて、しかも、自民党を陰に陽に応援するから、とても好きになれないというのです。私も同感と言いたいところですが、テレビをまったく見ない私は、幸いにも田原総一郎のいやな面も見なくてすむのです。

ジェーン・フォンダ

カテゴリー:未分類

著者:ジェーン・フォンダ、出版社:ソニー・マガジン
 ジェーン・フォンダというと、わたしにとってはアメリカの勇敢な反戦女優というイメージです。ただし、彼女の出た映画を見た覚えはありません。この本は驚きの連続でした。まさに衝撃の書です。
 私の人生の大きな特徴は、変化が多く、しかもその変化に連続性がないことである。私は社会、家庭、職業という人生の大切な部分で人の目を気にせず、いつも成功よりまず努力することを念頭において生きてきた。なるほど、この本を読むと、それが実感として伝わってきます。
 子どもの私は父(ヘンリー・フォンダ)の関心を勝ちとるために本心を隠す習慣を身につけてしまっていた。完璧に、もっと完璧に。私には、それができた。私は悲しみの隠し方を父から教わった。
 性的虐待が子どもに及ぼす影響を調べてわかったことは、悪いのは性的虐待をした大人のほうであることをまだ理解できない年齢の子どもたちは、トラウマとなるその経験を自分が悪いからだと思いこんでしまう現実がある。この罪悪感を背負いこむことで、少女はことあるごとに自分を責め、自分の体を憎み、その埋め合わせに自分の体を完璧なものにしなくてはと思いこむ。そして、この感情は母から娘へ受け継がれることがある。
 性的虐待を受けてきた子どもは、自分には性的な価値しかないと思いこむ。そして、この思いこみは、よく青春期の派手な性的関係となって表われる。ときとして、性的に虐待されてきた子どもたちは奇妙な輝きを放っているように見えることがある。それは性的なエネルギーがあまりに早い時期から彼らの人生に押し入ってくるからだ。男性は、明かりに引き寄せられる蛾のように性的虐待や近親相姦の犠牲者である女性たちに引きつけられていく。
 父親のヘンリー・フォンダは14歳のとき父親と一緒に黒人レイプ犯が民衆からリンチを受けて殺されるところを目撃した。その黒人の男は留置場から引きずる出され、市長と保守官の立ち会いのもと街灯の柱に吊された。もちろん、何の手続もなしに。そして、群衆の銃弾男の体を蜂の巣にした。一部始終を黙って見ていたヘンリー・フォンダは家に帰ってからも何も言わなかった。これが「十二人の怒れる男たち」などに反映した。
 ヘンリー・フォンダは、人種差別と不公正は悪であり、決して許されるべきではないという固い信念を抱いていた。
 ジェーン・フォンダは父から愛され、母からは愛されていないと思ったそうです。
 私は母の虚ろな眼差しに凍りついた。この人は私を愛していない。本当の愛とは心を込めて相手を見返すことであって、何かのついでに偶然ぼんやり視線を向けることではない。うむむ、すごい。感受性が鋭いんですね。
 ヘンリー・フォンダは、アメリカにマッカーシー旋風が吹き荒れていたとき、これを共産主義の名を借りた魔女狩りとみなし、テレビを蹴飛ばしたこともあった。
 ジェーン・フォンダはずっと過食症でした。14歳のとき、決して太っていなかったのに、女としての完璧な肉体をパワーや成功と同一視するようになった。友人から大食いして吐くという方法を教えられた。
 呼吸はセックスの最中のように速く、恐怖に駆られたときのように浅くなった。食べる前にミルクを飲む。それは、まず胃にミルクを入れておくと、後で吐くのが楽になるからだ。太るということは死にも等しいことだ。食べること自体が気分を高揚させ、心が鼓動する。食べ尽くすと、食べたものが体に定着してしまう前に出してしまわなければという強迫観念に襲われる。
 アルコール依存症と同じで、拒食も過食も現実を拒絶する病気だ。ただ、アルコール依存症と違い、過食を隠すのは難しいことではない。一日せいぜいリンゴを少し、かたゆで卵をひとつ食べるのが精一杯だった。ジェーン・フォンダが摂食障害から解放されたのは、40代になってからのこと。
 ジェーン・フォンダは18歳のとき、1年間も処女を捨てようとがんばったのですが、結局うまくいきませんでした。3人のボーイフレンドと喪失の一歩手前まで行ったものの、どうしても最後まで行き着けなかったのです。リラックスできなかったからです。
 ジェーン・フォンダは、役者になるための演技指導を受けました。単に親の七光りではいやだったからです。マリリン・モンローも一緒で、彼女は熱心な受講生でした。
 手にもっているコーヒーカップの熱さや重さといった実際の感覚を数分の演技であらわすセンスメモリーというものを受けました。これは、感覚を研ぎすまし、集中力を高めるものでした。
 冷たいオレンジジュースの入っているはずのグラスに指をあて、目を閉じた。感覚が研ぎすまされ、すべての雑念が消えていくのをじっと待つ。指先に冷たさが感じられるようになると、目を開け、ゆっくりグラスを持ち上げる。グラスの重さが手に感じられるようになるのを待ってグラスを口に持っていくと、舌の味蕾がその甘酸っぱい液体に目覚めた。初めて役者にしか分からない感覚を経験していた。観客が見ているステージで演技しているのに、その瞬間、たった一人だった。
 キミには才能がある。指導していた演劇専門家からこう評価され、ジェーン・フォンダに自信をつけたのです。
 人間はリラックスしていなければ実力を出せない。俳優にとって、肉体は楽器なのである。俳優にとってもうひとつ重要な課題は、いかにしてインスピレーションを得るか、だ。
 ジェーン・フォンダは乳房を大きくしようと思って整形外科医に胸を見せて、もっと大きくしたいと言った。すると、その医者は、キミはどうかしてるね。バカなことは忘れて家に帰りなさいと彼女を叱った。えらい医者ですね。
 ジェーン・フォンダが反戦活動をするようになったのは、彼女がフランスに何年間か生活して共産党への偏見が少なかったこともあるようです。一般のアメリカ人とちがって、共産主義に対する恐怖感を持っていなかった、としています。そして、彼女のフランス語はスウェーデン人と間違われるほどきれいだということ。うらやましい限りです。
 マーロン・ブランドはブラック・パンサー党を支持していたとのこと。ジェーン・フォンダも保釈金を集める活動に短期間かかわっていた。それで、FBIのファイルに彼女はのったのです。常に尾行されるようになりました。政府の諜報活動の標的とされ、電話はずっと盗聴されていました。ジェーン・フォンダの盗聴記録はブレジネフの発言と同じウエイトをもってニクソンやキッシンジャーが読んでいました。
 ここまで自分の気持ち、身体のこと、セックスのことが書けるのか、読んでいて、うむむと、つい唸ってしまいました。さっと感情移入して、頁をめくる手がもどかしいほどでした。これは上巻です。下巻が待ち遠しい・・・。

旭山動物園・革命

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著者:小菅正夫、出版社:角川ワンテーマ新書
 5月の晴れた日曜日に、はるばる旭山動物園まで出かけて見物してきました。これだけ話題になると、やっぱり見たいものですよね。福岡から東京経由で旭川空港に降りる手もありますが、私は札幌からJRで行きました。朝8時の特急に乗って、バスをつかって午前10時前に着きました。入場料こみのJRセット券です。山の斜面にある広々とした動物園で、観光バスが続々やってきていました。
 予定時間が2時間ほどしかありませんでしたので、園内マップを片手に見落としのないよう、話題の動物たちを急いで見物しました。まあ、そんなに慌てることはありませんでしたけどね。
 残念なことに、ペンギンの散歩は見ることができませんでした。あれは冬だけのイベントなんですね。円柱トンネルを目の前で泳いで通り抜けていくアザラシは、幸い2回も見ることができました。行っても全然見れない人もいるそうです。気まぐれというか、彼らの気のむくままなので、これは仕方ありませんね。ホッキョクグマのダイビングは迫力がありました。先祖はヒグマだそうですね。ヒグマのなかから、海に住んでみようと思った連中が出てきて、ホッキョクグマになったのです。デッカイ身体ですが、水中での身のこなしがあまりに軽々としていたのに目を見開きました。
 オランウータンにも面会できました。オスの顔の大きさは迫力があります。顔の周囲がエラのように広がっていることを知りました。ここでは、残念ながら高いところの綱渡りは見れませんでした。
 子どもたちが小さいときには、私は何回も動物園に連れていってやりました。大人にとっても楽しいところなんですが、さすがに一人で行く気にはなりません。このところ、自然と動物園から足が遠のいていました。でも、旭山動物園ほど有名になると、おじさん、おばさんたちが観光バスで続々やって来るのですね。子どもがいなくても平気です。若いカップルも大勢きていました。
 虎のオリはタテが6ミリ感覚、横は15ミリ感覚。人間の目は、横にたくさん仕切があると、わずらわしく感じる。ところが、タテの間仕切りは少しくらい密であってもいいという。だから、こんな間仕切りになっているそうなんです。
 猛獣たちが人間の都合で狭いオリに閉じこめられているのは可哀想ですが、ゴメンネといいながら、いつも動物園を楽しんでいます。
 著者は私と同じ団塊世代です。動物園をよみがえらせようとがんばっている姿に同世代として励みになります。

鴉(からす)よ、闇へ翔べ

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著者:ケン・フォレット、出版社:小学館文庫
 第二次大戦中、秘密任務を帯びた50人のイギリス女性がイギリス軍(SOE)によってナチス・ドイツ占領下のフランスへ空路送りこまれました。そのうち36人は生き延びましたが、残る14人は命を落としました。この小説は、その実話にもとづいています。 ときはノルマンディー上陸作戦がはじまる寸前のことです。そうです。映画「史上最大の作戦」のことです。ナチス・ドイツの通信施設が有効に機能していると、ことは厄介です。上陸作戦を台無しにしてしまう危険すらあります。フランス現地にいるレジスタンス勢力と力をあわせて、この通信施設を叩きつぶしておきたい。イギリス軍は、そう考えました。この通信施設を外からレジスタンスの武装勢力に襲わせたところ、失敗してしまいました。あとは、清掃作業員に化けて内部に侵入して爆破するしかありません。そこで、女性ばかりの特攻隊が組織されます。そのメンバーの顔ぶれがすごいのです。殺人罪で服役中の女囚を刑務所から連れ出します。太った爆破専門家もいます。きわめつきは、女装したホモの男性です。
 ドイツ側も、ロンメル元帥の腕ききの部下を派遣して通信施設を守ろうとします。もちろん、ゲシュタポもいます。両者は反目しあいながらも共同作戦をすすめていきます。
 ドイツ側に捕まったレジスタンスは簡単に白状させられていきます。そうですよね。私なんか、いの一番にイチコロでしょうね。ちょっとした拷問でも、とても耐える自信なんて、ありません。あることないことペラペラしゃべってしまうでしょうね。でも、白状したところで、どうせ殺されてしまうのが捕虜の悲しい運命です。あー、戦争なんて、嫌いだ・・・。平和が、やっぱり一番です。私が小泉純一郎の、あのノッペラした顔が嫌いなのは、脳天気な顔で私たち日本人を戦争に引きずりこもうとしているからなんです。
 イギリスの女性が次々にフランスへ飛び立っていったのは、彼女らの愛する男性たちがどんどん死んでいっているのに、自分たちだけ安閑としているわけにはいかないということでした。戦争で身近な人が殺されると、きっとそういう気分になるのでしょうね。イラクで毎日のように自爆テロが起きているのを知るにつけ、そう思います。
 文庫本で800頁近い厚さですが、映画を見ているようで、スラスラと読めてしまいました。イギリス映画「シャーロット・グレイ」を思い出させる本でした。

脳のなかの倫理

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著者:マイケル・ガザニガ、出版社:紀伊国屋書店
 普通の性交による場合でも、精子と卵子が合体してできた胚の6割から8割くらいは自然に流産している。ひぇーっ、そうだったんですか・・・。
 加齢とともに脳は「やせる」。20歳から90歳までのあいだに脳の容積は5〜10%も少なくなる。なるほど、そうなんでしょうね・・・。
 脳の回転が鈍くなるのは、ミエリンが失われることによる。ミエリンに覆われたニューロンは、いわば高速イーサネットに接続したコンピューターで、ミエリンのないニューロンは普通の電話回線でインターネットにつないでいるようなもの。
 結婚して家族を持つことには人を社会生活に適合させるという効果がある。その輪からのけ者にされた男性は、欲求不満のはけ口を求めて暴力的な行動に向かう恐れがある。男女比がアンバランスになると、社会が攻撃的になってしまう。うんうん、なるほど。
 リタリンという薬を飲むと、SAT(大学進学適正試験)の点数が100点以上アップする。ふむふむ、そうなのか、知らなかったぞ、これは・・・。
 脳は、本人が気づく前に、いくつもの決断をしている。たしかに、そう思います・・・。
 ポリグラフをつかったウソ発見テストには科学的な妥当性がないに等しい。
 脳指紋というのがあるそうです。これは、人種も年齢も性別も、母国語が何かも関係なく、英語の知識も必要ない。ただ、画像に見覚えがあるかないかに応じて生じる脳の活動の記録のみ。この脳指紋法には、思想の自由の侵害にあたるという批判もあるそうです。
 人間の脳は、過去の記憶が間違うようにできている。私たちは、入ってくる情報をことごとく自分に都合よく解釈している。
 記憶が消えやすいおかげで、脳は些細な情報でパンクせずに、重要な情報だけを残しておける。そうですよね、なんでもかんでも覚えていたら、気が狂ってしまいますよね。
 記憶は私たちをだます。というのも本当は顔の一部しか見ていなくても、脳が残りの部分をひとりでに充填するか、想像力で補うかして、顔全体のイメージを完成してしまうから。そうですか・・・、つくりあげるのですね。
 信念を生み出すのは左脳。左脳は、世界から受けとった情報に何らかの物語を付与する仕事をしている。女性よりも男性の方が自説を頑なに手放さない傾向がある。
 人間の脳が、このように科学的に分析されていくと、なんだか心の奥底まで見透かされてしまうようで、怖い気もしますね。

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