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赤ちゃんの値段

カテゴリー:未分類

著者:高倉正樹、出版社:講談社
 厚労省の統計によると、2000年度から2003年度までの4年間で106人の養子が日本から海外の養親に斡旋されている。しかし、これは、指定8業者の報告をまとめた数字。106人の養子が海外に渡ったあと、どうなったのかの確認はされていない。
 斡旋業者のなかには1人550万円の寄付を強要するところもある。
 日本人養子は、健康で、薬物汚染されていないため、海外で人気がある。養子輸出国は、かつては韓国。今は、一人っ子政策の陰で女児の捨て子が横行する中国である。
 1955年の日本の中絶件数は117万件。未成年は1万4000件で全体の1%。2003年は31万件で、4分の1に減ったが、未成年は4万件、13%と増えた。しかし、統計上の数字の3倍ほど実数はあるとみられている。
 日本人の赤ちゃんを養子にするには、総額で200〜300万円の費用がかかる。
 日本の家庭裁判所を通さない海外養子縁組が非常に多い。日本人の赤ちゃんは、アメリカの移民法にもとづき、養子縁組を前提とした孤児としてビザを取得し、移民として入国する。アメリカ人の養親は、本国に戻ったあと、地元の家庭裁判所に必要書類を出し、養子縁組の手続を完了させる。アメリカ国務省の移民ビザの統計によると、1996〜2003年度の8年間で、334人の日本人が養子として入国している。
 アメリカ国務省の統計によると、アメリカが海外から受け入れた養子の総数は2004年度は2万2884人。ここ15年間で3倍となった。トップは中国からで7,044人。ロシア5,865人。グアテマラ(3246人)、韓国1716人。
 韓国は、かつては孤児輸出国を自称する海外養子の一大供給国だった。韓国保険福祉部の統計によると、1986年度に8680人。1980年代は、6000〜8000人の養子を海外に出していた。うち6割以上がアメリカ向けだったが、フランス、スウェーデン、デンマークも多かった。しかし、政府が抑制策をとり、1990年以降は2000人前後で推移している。
 インターネットの競売サイトに赤ちゃんが競売にかけられたことがある。1200万人の値がついた。
 養子は、養親が自分をありのまま受けいれるかどうかを確かめるため、わざと嫌がることをする時期がある。これを試しの時期という。通常は半年ほどで落ち着きを取り戻す。そこではじめて親子としての信頼関係が確立する。
 養子たちはルーツ探しを始める。フランスでは200年以上前から、母の名前を開かさないままの出生届を出して出産する権利が認められている。世間体を気にして中絶するのを防ぐためだ。

明治天皇の一日

カテゴリー:未分類

著者:米窪明美、出版社:新潮新書
 天皇の一日を朝から晩まで刻明に紹介した本です。万能の独裁者というものが、実はいかに窮屈なカゴの鳥のような生活をしているか、よく分かり、大変面白い本です。これでは自由気ままに動きまわっている庶民に独裁者があこがれるのも無理ないと思えてきます。
 明治天皇の起床時間は午前8時。おひーる、という甲高い一声で関係者の活動が始まる。朝8時の起床をゆっくりしていていいな、と思う人もいるでしょうが、それは若い人のセリフです。年をとると早起きになるものです。私は毎朝7時に起床していますが、実は、朝6時前に目が覚めることがしばしばです。30代のころには絶対になかった現象です。ところが、天皇は目が覚めても勝手に床を離れることはできません。なぜなら、朝6時に天皇が「おひーる」になってしまったら、宮殿につとめる関係者全員の出金が朝6時を前提とした体系に変わるから。天皇の時間に対する几帳面さは、性格によるものではなく、周囲に対する配慮から。身分社会は上に位置するものが一方的に恩恵をこうむる社会ではない。
 天皇の寝室は朝陽の届くところにはない。奥まった一室にあり、窓もついてない。だから起きても、今朝は晴れているのか、曇っているのか、雨が降っているのかだって見当もつかない。なんだか可哀想ですね。
 天皇が目を覚ますと、侍医が健康チェックする。脈を計り、舌を見る。それはいいけど、検便が毎回されるというのが驚き(どうも、これは今も続いているようです・・・)。
 朝食は一人でとる。「おなかいれ」という。食事は、すべて当番侍医が「おしつけ」、つまり毒味をすませたもの。熱々の料理に舌鼓を打つというわけにはいかない。
 天皇は食事中以外、椅子にすわらず、一日中ずっと立ちっぱなし。
 明治天皇は下働きの者が自分の前に顔を出せないような旧来の制度を改めなかった。その一方、臣下に迷惑をかけたままで平気な人物でもなかった。そこで、天皇は自分が下働きの者の側へ行かない引きこもりの道を選択する。
 明治天皇が空箱を再利用したり、軍服に何度もツギをあてて古びたまま着ていたというのも驚きです。ところが、ダイヤモンドも大好きだったのです。うーん、人間って、やっぱり複雑な存在なんですね。
 天皇は、お風呂にも自由にははいれません。天皇の体を洗うのは女官です。いいなあと、ついうらやましくなります。でも、上半身と、下半身とを担当する女官が違うのです。ケガレの問題があるというのです。なんだか、信じられません。
 便器は、黒の塗箱で、モミガラを底に敷いて、その上に美濃紙を重ねて置く。これを検便する。検便が終わったら、皇居の堀に捨てる。なんということを・・・。
 明治天皇は刺身が嫌いで、鶏肉を軽くあぶって、熱燗のお酒をそそいだ鶏酒を飲んでいた。ヒレ酒のヒレを鶏にかえたもの。
 夜は皇后と寝るのではない。アンマとハリを好んでいた。それが終わると、女官(権典侍)は、日ごとに交代していた。一人の女性が天皇を独占することはできないというシステムだった。うーん、ここまで来ると、好き放題にやっていたというより、なんだか哀れな独裁者という気すらしてきます。

心って、こんなに動くんだ

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著者:西條昭男、出版社:新日本出版社
 この出版社は子ども心をしっかり呼びさましてくれるいい本を出しています。「歌いたくなる写真集」も素敵でしたが、子どもの詩や作文もいいものですね。読んでると、ほのぼのとした気分になってきます。ありがとうと、お礼を言いたくなる本です。
 友だちができてうれしいな ぼくのこころは遊園地
 これは、暗くとがった目をしていた茶髪の小学校5年生の書いた文章です。友だちのできなかった翔太君でしたが、2学期になって遊び仲間ができたあとに書いたのです。友だちができてどんなに喜んでいるか、よく分かる言葉ですよね。著者は、担任としてそうか、よかったな、うれしいなと翔太君の肩を思わずたたいて喜んだそうです。そんな教師に受けもってもらって翔太君は本当に良かったですね。
 跳び箱の発表です。クラス全員が見守るなかで、一番高いレベルのグループから順にパフォーマンスをします。レベルの低いグループから始めると、なんで、あんな低いのが跳べないんだ、という目が先に働いてしまうからです。
 一番高いレベルのグループには茶髪の子や目立ちたがり屋やエネルギーがあふれて集団からはみ出しそうな子もいる。そして、危険をともなう高さに挑戦してクリアする快感。みんなの前で披露するかっこよさ。花形です。十分にエネルギーをつかい、自己表現ができ、みんなから大きな拍手をもらって満足した茶髪や突っ張り気味の子どもたちは、最後に三段の子どもたちの発表が始まっても、決して冷やかしたり、バカにはしないものです。それほど運動神経がいいとは言えない私は、跳び箱は苦手でした。さかあがりや懸垂もうまくありませんでした。ドッジボールにしても、うまく球をストレートに飛ばせませんでした。それでも、音楽の時間よりはまだましでしたが・・・。音楽は悲惨でした。音痴というか(そうなのですが・・・)、音感が悪く、声域が極端に狭くて、もうどうにもしようがありませんでした。
 まわりに気づかい、牽制しあいながら暮らしがちな子どもたち。すっきりしない友だち関係で悩んでいる子どもたちにとって、そのモヤモヤを書きつづり、新しいステップの糸口を見つけだしていくことは十分に意味のあることなんだが・・・。
 現実は複雑であり、生きることは単純なことではない。語るべき自分を深め、受けとめてくれる他者を自分のなかに取りこみながら人間は成長していく。なるほど、そうなんですよね。でも、なかなかそんな人にめぐりあえないものですが・・・。次に、私の心に残った詩を紹介します。
 いいなあと思っている
       5年 香代
 私は、いいなあと思っている。
 いつも、いつも、
 いいなあと思っている。
 みんなもっているのに。
みんな いいなあと思っている。
私はもっていないのに みんなもっている。
それは お父さん
べつに かなしくない。
べつに イヤじゃない。
でも、
いつも、いつも、
心の中では、
いいなあ と思っている。
 私のお客さんに都市銀行の独身寮の管理人をしている人がいます。単身赴任の人もたくさんいるそうです。毎週欠かさず自分の家に帰る人もいれば、そんなに遠くもないのに、ほとんど自宅に帰らない人もいるそうです。はじめのうちは毎週帰っていたのに、そのうち夜遊びして、彼女をつくり、家に帰らなくなる人は珍しくないとのこと。たまに帰ると高校生の娘が他人行儀に敬語をつかってきたので、びっくりしたよ・・・、なんてこぼす父親もいたそうです。家庭崩壊につながるケースが、やはり多いようです。そして、うつ状態になる人が目立ち、近くの松林は首吊り自殺の名所になっているといいます。単身赴任は、やはり非人間的なものなんですね。
 お盆休みに仏検(準一級)の結果を知らせるハガキが届きました。残念ながら不合格でした。口頭試問で2点足りませんでした。合格基準点22点のところ,20点しかとれなかったのです。まあ実力どおりといえばそのとおりなのですが・・・。また,来年も挑戦するつもりです。
 庭の食用ヒマワリを見慣れない小鳥が一心不乱に食べていました。同じような形をしているのに,なぜか見分けるのですね,不思議な気がします。

犬と話をつけるには

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著者:多和田 悟、出版社:文春新書
 あの有名な盲導犬クイールの訓練士が犬語の話し方を教えます、とかいてありますので、楽しみにして読みました。
 犬社会では上下関係の位置づけがはっきりしていて、若い犬が成長してボス格の先輩犬を追い落とす政権争いがしばしば起こる。ところが、著者の家で飼っていたボブとバーディーの関係は生涯変わらなかった。うーん、そういうこともあるんですね。
 犬は未来を考えない生き物である。犬が行動を起こすきっかけは、快と不快の感情のみ。
 犬は後悔しない生き物である。人間と違って、ノーと言われても、こうした自分が悪かったなどとは思わない。
 犬はほめられるのが大好きな生き物である。犬をほめるときには即座というより早く。賞罰は、犬が良いこと、悪いことをしたときではなく、しようと考えたときに与えるべき。そうだ、それでいいよ、こうするのはダメだよと、現在進行形のつかい方のほうが、より効果的に犬に伝わる。
 著者は飼い犬のバーディーには生まれてから一度も人間の食べ物を与えていない。だから、食事時にバーディーが人間の食べ物を欲しがることはまったくしない。テーブルの上の物を狙ったりすることもない。人間の食べ物は食べてはいけないと学ぶと同時に、一度も食べた経験がなければ、犬はそれをほしがったりしないものだ。なるほど、そうだったんですか。一貫性をもたせることが大切だと著者は強調しています。大いに反省させられました。
 犬は使命感はもてないが、達成感はもてる生き物である。盲導犬にしても、ゲームの開始にはりきるのであり、ストレスがたまっているわけではない。盲導犬の多くは、14歳まで長生きしている。一般の家庭犬より寿命が短いというのは誤解にすぎない。
 飼い犬の写真日記が紹介されています。いかにも幸福そうな、みち足りたワンちゃんの顔に心がいやされます。

木槿の咲く庭

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著者:リンダ・スー・パーク、出版社:新潮社
 日本統治下の朝鮮で生き抜いていこうとする兄と妹の物語です。1940年から45年までの5年間の彼らの生活が生き生きと描かれ、日本人として切ない思いにかられます。
 そこで理不尽な圧制者として登場するのは、なにより日本人であり、日本軍人なのです。 朝鮮の慣習では、祖父が赤ん坊に命名することになっている。これって、今も続いているのでしょうか。今の日本では、子どもの命名は、若い両親が姓名判断の本をみたり、自然な英語読みになるようにしたものが多いように思いますが、いかがでしょうか。
 兄妹は創始改名を余儀なくされます。強制ではなく、自発的な行為だと今も主張する日本の人々がいますが、民族の誇りを無視するとんでもない思いあがりの主張だと思います。
 食事のときは、食べることに集中する。これもまた、朝鮮の昔からの作法のひとつだ。うーん、食事のときって、にぎやかにおしゃべりしながらの方が美味しくいただけると思うんですが・・・。
 抗日運動にいそしむ人々が出てきます。いわゆる地下にもぐり、それを助ける人々がいます。民族の誇りを奪ったら、それに反発する人々が出てくるのは当然のことです。
 金属や宝石類は根こそぎ供出させられます。燃料の確保、そしてぜいたくは敵だとして、国家があって国民のいない国づくりに邁進していきます。
 日本軍の神風特攻隊に朝鮮人兵士も志願します。勇気がないなんて馬鹿にされないためです。なかには、日本軍を同士討ちにしてやろうと目論んだ特攻隊の兵士もいました。それでも、アメリカ軍の弾幕の前に無駄死にを重ねるばかりでした。
 第二次大戦中を生き抜いた兄と妹は、朝鮮戦争をふくむ戦後の朝鮮・韓国をどう生きのびていったのでしょうか。気になるところです。

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