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私が決める、私の幸せ

カテゴリー:フランス

(霧山昴)
著者 大畑 典子 、 出版 ワニブックス
 29歳のとき、一級建築士の女性が思いたって単身フランスに渡り、フランスで「結婚」し、2人の子どもを育てている生活を振り返っています。
結論として、「キラキラしたフランス生活ではないけれど、夢見ていた平凡で温かな暮らし」を実現しているとのこと。写真の笑顔でそれを実感できます。なにより、2人の子と一緒に過ごしているパートナーの写真がホッコリさせてくれます。
 肩の力を抜いて、自分の夢に向かって軽やかに生きていくことを著者は大切にしているのです
 東京では建築士として、がむしゃらに働いていて、ふと思ったのでした。こんな生活をし続けていて、本当に幸せな未来が待っているのか。何か大切なことを見失いかけていないか…。まあ、それにしてもフランス語も話せないのに、よくもフランスに行こうという気になったものですね。いえ、フランスに観光に行くというのではないのです。何日、何ヶ月間の観光旅行なら、フランス語が話せなくてもなんとかなりますよね、きっと。著者は英語は話せるのですが、それではフランスでは生活できません。
 日本の建築士の資格はフランスでは通用しません。そこで、著者はナントにある建築大学の大学院に応募して、無事合格したのです。やはり、ただ者ではありませんね。
そして、フランスでパートナーの男性と出会って、2人の子どもをもうけて、現在も子育て中です。
先ほど「結婚」と書きましたが、正確にはPACSというフランス独特の制度を利用していて、結婚したのではありません。今は、フランス国籍の子どもの母親としてフランスに滞在する権利があります。
著者が住んでいるのは、ナントという地方都市。フランス史では「ナントの勅令」が有名です。私も名前は知っていますが、残念ながら行ったことはありません。
 フランス人の食生活は、ともかく日常的に大量の乳製品を摂取する。それにあわせるのは日本人にはきついので、和食中心に切り替え、子どもが生まれてからも週に半分ほど和食の日にしているそうです。
 著者は自分にとって心地よくないという人間関係は手放すことにしたと思います。大賛成です。先日も、この依頼者とはうまくやれそうもないな、いつ、どうやって縁を切ろうかと思っていると、先方から解任の話が出て、心底からほっとしました。これは、お金には代えられません。
フランスでは、婚姻届出が23万7千に対して、PACSの届出も19万2千あります。結婚よりほんの少しだけ少ないのです。連想ゲーム的にいうと、日本でまだ実現できていない選択的夫婦別姓なんて、なんで反対する人がいるのか、まったく理解できません。頑迷固陋な右翼は、戦前(明治)の家族(江戸時代までは日本も夫婦別姓でした)に無理矢理に戻したいというのです。日本の伝統を無視した、愚かな人たちとしか言いようがありません。
 著者は「国際結婚」をしたことになりますが、その難しさを実感しています。わが家にも国際結婚した娘がいますので、よく分かります。その点からも、参院選のとき、「日本人ファースト」なんて叫んだ政党を許すことができませんでした。
 外国在住経験のない人が国際結婚すると、「モラハラ関係」になりやすい。そうなんですよね。はやり、誰だって自分が体験していないことは、なかなか理解できないのです。それを日頃から口に出してはっきり言える関係をつくり出す必要があるのです。でも、これって、案外むずかしいことなんです。
大切なことは、国際カップルは、お互いに経済的自立しておく必要があるということ。依存関係では、破綻したときにたちまち困るのです。
 フランスには離婚保障手当なるものがあるそうです。初めて知りました。離婚したあと、収入の少ない配偶者の生活レベルが下がってしまわないよう、収入の多い側が少ない側に支払うものです。ただし、ずっとではないようです。
 フランスの家庭に客を招いたとき、靴を脱がせるのは失礼にあたる。これは、まったく生活習慣の違いですね。
フランスには家事代行を利用している家庭が多いが、その費用の半分を国が負担してくれる。それは、共働き夫婦を支援する制度。いやあ、これはいいですね。
 フランスでは在宅保育制度についても、国が費用を半分負担する。これまた、国の少子化対策のひとつだと思います。日本でもやったら、どうでしょうか。
 排外主義がはびこっているのはフランスも同じのようですが、この本を読むと、ますます、みんな同じ人間なんだから、どこかで折りあいをつけて共生していこうという気になります。
(2025年3月刊。1760円)

文品、藤沢周平への旅

カテゴリー:人間

(霧山昴)
著者 後藤 正治 、 出版 中央公論新社
 私は弁護士になる前の、2年間の司法修習生のころ、山本周五郎にはまっていました。同じ修習生仲間(仙台・石巻市の庄司捷彦氏)から勧められたのですが、たちまち江戸情緒たっぷりの豊かな人情話の虜になってしまいました。
弁護士になってからは、藤沢周平です。山田洋次監督が映画化していますので、視覚的にも没入することが出来るようになりました。ありがたいことです。
藤沢周平の生まれ故郷である山形県鶴岡市には亡き上田誠吉弁護士(自由法曹団の元団長)と一緒に(といっても、私は下っ端で、あまり役に立っていませんが…)。灯油裁判の原告弁護団の一員として何回か行っています。落ち着いた、古い城下町だという印象が強く残っています。
風景や情景の描写における藤沢周平の筆運びの精密さ、巧みさはよく指摘される。それは少年期からの読書量に加え、俳句や短歌や詩に親しんだことも一助になっていようが、細部への観察力、折々に覚えた心象や想念を記憶に留め置き、それらを文章に置き換えていく、やはり天与の技量があった。
藤沢周平は28歳の妻を亡くした。幼い娘は、まだ1歳。鬱屈(うっくつ)した気持ちのはけ口が小説を書くことだった。だから出来あがったものが暗い色彩を帯びるのは当然のこと。物語という革袋の中に、鬱屈した気分をせっせと流し込んだ。そうすることで、少しずつ自分は救済されていった。
藤沢周平は短い教員生活のあと長い結核療養の年月を過ごした。これは大学に行っていない藤沢周平にとって、「私の大学」となった(師範学校は卒業している)。
 そして、東京で業界紙に勤めた。29歳から46歳まで、17年ものあいだのことで、これが「もうひとつの大学」になった。
藤沢周平は、雑誌に寄稿するとき、必ず締切を守った。
 藤沢周平の作品、とりわけ前中期の士道小説には、権力というものに対する冷え冷えとした感触がある。主人公の下級武士たちは、権力に翻弄されてつつもなお、意地と矜持(きょうじ)を失わない。
 藤沢周平の小説には負のロマンがある。主人公は、暗い宿命のようなものに背中を押されて生き、あるいは死ぬ。
小説は、私という兵士が口ずさむ軍歌のようなもの。軍歌の常として、メロディがやや悲惨味を帯びるのは、やむを得ない。歌わない兵士が大部分のなかで、ともかく軍歌を自分なりに歌えるのは、恵まれたこと。たとえ、音痴気味だとしても…。
 藤沢周平は、健康な懐疑主義、なんであれ、絶対的な存在、唯一無二、唯一神的なものを好まなかった。
藤沢周平は作風を転換させたが、それには長い年月を要した。
 娘(展子)によると、藤沢周平は、庄内弁のカタムチョ(頑固)で、便利な流行(はや)りものは好まない。テレビも故障するまで白黒。
2階の和室を仕事部屋にしていたが、クーラーはなく、うちわ片手に原稿を書く。チヂミのシャツ、腹にサラシを巻き、下半身はステテコ姿。
 時代や状況を超えて、人間が人間であるかぎり不変なものが存在する。人間の内部、ホンネということになると、むしろ何も変わっていないのが真相だろう。小説を書くということは、そういう人間の根底にあるものに問いかけ、人間とはこういうものかと仮りに答えを出す作業だろう。作家にとって、人間は善と悪、高貴と下劣、美と醜をあわせもつ小箱だ。作家は魔に憑(つ)かれた人種というしかない。つくられた小説世界の中で、作者もいっときの虚構の楽しみを読者と共有する。
藤沢周平の世界をたっぷり堪能した思いのする本でした。
(2025年3月刊。2640円)

幸徳秋水伝

カテゴリー:日本史(明治)

(霧山昴)
著者 栗原 康 、 出版 夜光社
 無政府主義者宣言というサブタイトルがついた本です。幸徳秋水はアナーキストとして活動していて、官憲ににらまれ、ついに大逆事件で捕まり、刑死させられました。
高知県に生まれ育つなかで自由民権運動に触れ、東京に出て中江兆民の書生をし、万朝報(よろずちょうほう)で記者をつとめます。平民社で活動したあと、アメリカに渡って見聞を広め、日本に戻って足尾銅山の鉱毒事件に関わって田中正造翁とも結びつくのでした。
 足尾銅山で従業員が暴動を起こしたのは、1907年2月4日のこと。古河鉱業も経営する足尾銅山には8千人以上の坑夫たちが働いていた。強圧的に働かされていた坑夫たちが怒りを暴発させ、事務所や会社役員宅に放火し、略奪していった。
 ついに軍隊が出動。高崎連隊3個中隊、300人が到着して、600人以上を逮捕。うち182人が起訴された。会社の被害は28万円、今の9億3千万円にあたる。
 このとき、幸徳秋水は35歳で、アメリカから帰国したばかりだった。「平民新聞」を発刊して宣伝していた。
 幸徳秋水は、高知県の四万十市で1871年11月5日に生まれた。本名は伝次郎。父は薬種業、酒業をいとなむ商人。14歳のとき、高知市に出て勉強し、さらに東京へ出た。東京では自由民権運動が再燃していて、それに関わるうちに東京を追放された。伝次郎はまだ16歳。
 いったん郷里に戻り、再び東京に出た。そして中江兆民の書生(学僕)となる。中江兆民は24歳のとき、フランスに渡って、パリ・コミューンに遭遇した。
 19歳の伝次郎は東京で英語を勉強した。
 「万朝報」は、1895年に発行部数6万6千部もあった。そこで、片山潜などの社会主義者と出会った。このころ秋水は教育の「無償化」を呼びかけていた。
 ところが、この「万朝報」が1903年10月、突然日露開戦論を打ち出した。戦争に反対したら、「非国民」のレッテルを貼られてしまう。秋水は、「万朝報」をやめた。このとき31歳。
 平民社をつくって活動するようになった。片山潜や木下尚江、安部磯雄などが同志。
1903年11月、秋水たちは、週刊「平民新聞」を発刊した。平民社の3本柱は、「平民主義」、「社会主義」、「平和主義」だ。
日露戦争が1904年に始まると、ラジオの代わりに新聞が大いに売れるようになった。
「天子、金持ち、大地主。人の血を吸う、ダニがおる」
1909年10月初め、「ぼくと一緒に天皇を殺しませんか」と誘ったら、即答で「賛成」。同年11月3日、爆弾実験が成功した。同年10月26日、ハルビン駅で伊藤博文は安重根よりピストルで暗殺された。
1910年6月1日、秋水は警察隊に捕まった。平沼騏一郎は、大逆事件でアナキストを大量に殺戮(さつりく)した。その功績が認められて、平沼は異例の大出世をとげてゆく。
平沼は、なんとしても大がかりな暗殺計画があったことにしたい。一大事件をフレームアップ(でっちあげ)して、社会主義者の血の雨を降らせる決意だった。
1911年1月18日、大逆事件の判決は、24人を死刑、残る2人は懲役11年と8年。そして、判決からわずか6日後の1月24日の午前7時10分、死刑が執行された。
450頁もの厚さの本に、一風変わった文体で、幸徳秋水の一生が語られていきます。読みやすくもあり、分かりにくいところもある伝記ですが、幸徳秋水の人柄は、よく伝わってくる本でした。
(2024年9月刊。3080円)

古代マケドニア全史

カテゴリー:ヨーロッパ

(霧山昴)
著者 澤田 典子 、 出版 講談社選書メチエ
 マケドニアと言えば、アレキサンダー大王ですよね。アレクサンドロス大王は1世、2世のあとの3世だったんですね。この本は、その父であるフィリッポス2世に主として焦点を当てています。
 ところが、この本のプロローグにおいて、このフィリッポス2世は、前336年の秋、古都アイガイで、娘のクレオパトラの結婚式において、側近の護衛官(パウサニアス)から短剣で胸を刺殺されてしまうのです。まだ46歳の若さでした。祝典のはずが、大惨事になってしまったわけです。この暗殺劇は王一族の内紛というものではなかったようです。いわゆる痴情のもつれとされています。
 そして、この惨劇の場となった円形劇場の遺跡が1982年にギリシア北部のヴェルギナで発掘されたのでした。この円形劇場にある中央の円形舞台は異例に大きく、直径が28.4メートルもあり、ギリシア世界では最大規模。
父フィリッポスの突然の死によって20歳のアレクサンドロスが即位した。アレクサンドロスの治世は、わずか13年。そのうち、マケドニアにいたのはわずか1年半ほどでしかない。なので、マケドニア王としてはフィリッポスが最後だった。
 前5世紀のマケドニア王たちは、アテネとの関係を重視していた。それは、マケドニア王国の重要な収入源となる木材交易の最大の取引相手はアテネだったから。
 アテネ海軍の船は、マケドニア産の木材からつくられていたのです。
マケドニア王国という強大な力のもとで、ギリシアの諸都市の平和と自由自治が保障されていた。
 フィリッポスには7人の妻がいて、最後の妻はマケドニア人のクレオパトラ。このクレオパトラというのは、当時、よくある女性の名前だったのでしょうか…。だって、娘もクレオパトラですからね。
 逆にアレクサンドロス大王のほうは、結婚したのは28歳です。遠征に出発したあとでした。これは、父フィリッポスの7回の結婚を教訓として、王国に混乱をもたらしかねないことを心配したからと解説されています。
 でも、その結果、アレクサンドロス大王が31歳の若さで亡くなったとき、成人した息子がいなかったので、醜い後継者争いが始まり、ついにマケドニア王国は消滅するに至ったのでした。
アレクサンドロス大王が遠征に出発するとき、歩兵3万2千人、騎兵5千人を引きつれていったとのこと。留守部隊は、歩兵1万2千人、騎兵2500人といいます。
 まあ、それにしても連戦連勝というのもすごいですよね。たいしたものです。
 前323年6月、アレクサンドロスはバビロンで熱病に倒れ、亡くなった。33歳目前という若さだった。後継者戦争のなかでアレクサンドロスの子は殺害されてしまいました。その他のフィリッポスの血筋の人々は全員が殺され、マケドニア王族は誰もいない状態になってしまったのです。
 ところで、アレクサンドロスについて、今のギリシアは、純粋のギリシア人だと主張しています。今、NATOにも加盟している北マケドニア共和国という国があるわけですが、ギリシアはアレクサンドロスもマケドニア王国も、いずれもギリシア人であり、ギリシアの一部だと主張しているのです。私にはどちらが正しいのか、よく分かりません。
 アレクサンドロス大王の前史、古代マケドニア王国の実態を少しばかり理解することができました。
(2025年3月刊。2700円+税)

世界最凶のスパイウェア・ペガサス

カテゴリー:アメリカ

(霧山昴)
著者 ローラン・リシャール、サンドリーヌ・リゴー 、 出版 早川書房
 イスラエルのNSOが誇るサイバー監視ソフトウェア・ペガサスは、暗号化を含むセキュリティを破って相手のスマートフォンに不正侵入し、スパイウェアの存在を知られることなく、端末をほぼ意のままにできる。スマートフォンを使って送受信したあらゆるテキスト、通話内容、位置情報、写真、動画、メモ、閲覧履歴だけではない。ユーザーに感づかれることなく、カメラとマイクロフォンも起動できる。ボタンを押すだけで、遠隔操作による完璧な個人監視が可能になる。
 これは、顧客にとって危険な魅力を放ち、NSOには莫大な利益、2020年の売上げは2億5千万ドルをもたらした。
 今やスマートフォンは、地図、郵便局、電話、メモ帳、カメラとして、秘密を打ち明けられる親しい友人として機能している。そのすべてが知らないうちに盗みとられているとしたら…。
ペガサスは政府機関としかライセンスを結ばず、相手の運用状況には決して関与しない。
 NSOの最初の大口クライアントは、メキシコの国防省だった。メキシコ国防省は、NSOに1500万ドル以上を支払ったが、ペガサスは高価な欠陥品に終わった。2013年8月、ペガサスは、潤沢なオイルマネーを抱えるアラブ首長国連邦政府と契約した。
 ペガサスのシステムはエンドユーザーを追跡不可能にする。メッセージは世界中のサーバーをいくつも経由して送られる。たとえば、まず中国へ、そして中国からオーストラリア、オーストラリアからアムステルダム、アムステルダムからパナマへ、そしてパナマを経由して、標的に届く。
 2021年当時、世界中で2億人をこえるユーザーがいたトゥルーコーラーは国際的なデジタル電話帳に相当する。人権活動家。反体制派、ジャーナリストが自分のデバイスがスパイウェアに感染していないかどうかをみずから確かめられるツールを2014年にクラウディオが開発し、公開した。
 イスラエルの若者から、17歳か18歳で選出され、イスラエル国防軍のサイバー諜報部隊に送り込まれる。この、精鋭中の精鋭は、ヘブライ語で、ロシュ・ガドル(大きな頭脳)と呼ばれる。彼らは、この部隊で兵役義務を果たす。戦闘の危険はない分野だ。
 毎年1000人のロシュ・ガドルが兵役を終えて、民間部門に就職する。すぐに高額の給与が保証され、ハイテクの仕事につくことになる。イスラエルのサイバー・スペシャリストは、国家の誇りだ。
 イスラエル国防軍は、国家精鋭の頭脳を8200部隊と呼ばれるエリート諜報部隊に投入してきた。この極秘部隊では、メンバーは、その名前を外部に話してはならず、自分の任務を家族にも漏らしてはいけない。8200部隊で、とりわけ重視されるのはイノベーション。アイデアは階級に優先する。
 2013年から2017年に、イスラエル国内のサイバーセキュリティ企業の数は171社から420社に急増し、民間投資は6倍にはね上がり、8億ドルを突破した。
 ペガサス・システムはスマートフォンに不正侵入して乗っ取り、端末の所有者を監視するために設計された。これは軍用グレードの攻撃型兵器である。
イスラエル軍は、テクノロジーを誰とも共有しない。だが、モサドは次善のテクノロジーを提供できた。それがペガサスだ。NSOの経営幹部は非常に秘密主義だ。
世界にはスパイウェアの民間企業が多数存在する。
 サイバー監視業界は、実質的にガードレールなしの運営を続けている。
 アップルは、そのスマートフォンの防衛対策のための研究開発部門の施設をイスラエルに建設した。しかし、イスラエル軍の8200部隊出身のNSOのエンジニアたちはアップルのスマートフォンの脆弱性を研究していた。
 いやはや、スマートフォンの情報がスパイウェアによってつつ抜け、つまり私たちは丸裸の状態で生きているというわけです。怖いですね。ちなみに私はガラケー派です。スマートフォンを持っていませんが、何も不便は感じていません。
(2025年1月刊。3300円)

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