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ポーランドのユダヤ人

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著者:フェリクス・ティフ、出版社:みすず書房
 アウシュヴィッツがあったのはドイツではなく、ポーランド。なぜ、ポーランドに強制(絶滅)収容所があったのか。
 ドイツは、占領中のポーランド国内に合計400ヶ所ものユダヤ人ゲットーをつくった。最大のゲットーは、ワルシャワにあり、一時的には46万人のユダヤ人がいた。そこでは、むいたジャガイモの皮も捨てないように呼びかけられていた。
 第一次大戦と第二次大戦のあいだ、ポーランド人の2000万人に対して、ユダヤ人は300万人で、民族としては少数派だった。ユダヤ人にとって、ポーランド人とポーランド国家との関係は死活の重要性をもっていた。しかし、ポーランド人にとっては、ユダヤ人は少数民族の一つ、それも政治的には最重要とは言えない少数派に過ぎなかった。
 ユダヤ人は、ナチスの第三帝国の敗北が不可避と考えていて、何とか戦争が終わるまで生きのびようと考えていた。たとえ我慢の時期に老人・病人そして子どもたちを失っても、残りの人々は救われるのではないか、という考えである。たとえば、ナチスに協力させられたユダヤ長老会議の議長は、次のように考えていた。
 我々の目標は唯一つ。戦争が終わるまで、持ちこたえること。そのための手段はドイツ人に有用であること。2万5000人のユダヤ人を絶滅収容所へ送り出した責任が問われている。しかし、ナチスはユダヤ人5万人の移送を計画していた。全員を失うのに比べれば、2万5000人を失う方がましなのだ。私は勝利を収めたのだ。
 ゲットー内にはユダヤ人警官がいて、取り締まりにあたった。はじめはまともな人も、やがて堕落していく。するとユダヤ人警官は、自分を普通の人よりもましと思うようになり、他人を殴ったり強要するようになった。
 こんな悲惨な境遇に置かれたユダヤ人ですが、ユダヤの教えを捨てる人はほとんどいなかったようです。次のように考えました。
 私たちの前におかれた誘惑は大変重く、苦いもので、私たちの民をしてあなた様を疑い、背くように仕向ける。あなた様を信じなくするために、すべてのことをなさいました。けれども申し上げます。私の父なる神よ、あなたは成功しなかった。私をむち打っても、この世で私にもっとも大切なものを奪っても、私を死の責苦にあわせても、私はそれでもやはりあなたを信じます。
 私には、このところがどうしても納得できません。神が実在するのなら、どうして、こんなひどいことを止めることができなかったのか。あんなヒトラーみたいなちっぽけな人間一人をのさばらせ、天罰を与えることができなかったのか。
 ユダヤ人がゲットーのなかで活動力を欠き、死に直面しても受け身だったという決まり文句があるが、必ずしもそうではない。実際には、ユダヤ社会は戦争の時期には自助、相互援助と社会的敏感さを異常なほど高めていた。ゲットーのユダヤ人はいつにないほどの活発さ、持続性、希望のあかしを残している。ナチス・ドイツのユダヤ人に対する絶滅計画を自覚しはじめたとき、全員に対して死が迫っていることが分かってもなお学び続け、自分よりも飢えた者を養い、音楽を聞き、自己防衛を図っていた。
 うむむ、そうだとしたら、なぜ何百万人ものユダヤ人がむざむざ殺されてしまったのか・・・。なお疑問が残ります。
 ヒトラー・ナチスがポーランドの地をユダヤ人皆殺しの場として選んだ理由のひとつにポーランドには反ユダヤ意識が強かったことがあげられる。ここは、比較的に準備工作が少なくてすみ、ドイツ戦時経済への負担も軽く、前線への兵站業務も妨げない地点だった。この地で勤務するドイツ兵は、はじめから、ここでは何をしても罪に問われる心配はないと安心して鎮圧工作や恐怖政治を実行していた。テロルは、この地ではこれ見よがしに展開され、地下活動に参加したり、いかなる抵抗を示すポーランド人にも、ときにはただ恐怖を与えるためだけに死刑が科されていた。
 ポーランドの地でナチスによって生命を奪われたユダヤ人は、少なくとも300万人に達する。ポーランド人のかなりの多数派は、ユダヤ人の運命を相対的なものとみなし、それを遠ざけて、ユダヤ人に対して無関心にふるまった。
 ユダヤ人の受難に対してポーランド人が距離感をもった理由の一つが、ポーランドを占領したナチス・ドイツがまず第一にポーランド人の精神的・政治的エリート層を抑圧したこともあげられる。アウシュヴィッツ強制収容所が1940年5月から6月にかけて建設されたとき、初期に収容された人間はポーランド人だった。
 ドイツ占領者の手中におちた300万人のポーランド人とユダヤ人のうち、戦後まで生きのびたのは、わずか6〜7万人に過ぎない。そのうち20%が収容所で生きのび、残り80%はポーランドの他の非ユダヤ人やポーランド人に匿われていた。
 847人のポーランド人がユダヤ人を支援したことを理由に死刑に処せられた。殺された人の80%は農村の人々。ユダヤ人の支援活動に加わったポーランド人が少なくとも 20万人はいたと推定されている。ほとんど、人道的な動機からだ。その反面、没収されたユダヤ人の資産を自分のものにしてしまうポーランド人も決して少なくはなかった。
 現在のポーランドには、ユダヤ人の全国組織はなく、ラビ中央組織もない。ユダヤ人の生活は個別に分散されている。
 2002年に実施されたポーランド人の世論調査によると、ユダヤ人嫌いの人が増えている。1967年の第三次中東戦争でイスラエルが圧勝すると、ポーランド政府と党は反イスラエル=反ユダヤのキャンペーンをはじめた。その結果、それまでは27万人いたユダヤ人が1万人以下にまで激減してしまった。
 アウシュヴィッツの根が深いことを、よくよく考えさせられる本でした。

ドイツ・イデオロギー

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著者:マルクス、エンゲルス、出版社:新日本新書
 哲学者たちは、世界をさまざまに解釈しただけである。肝要なのは、世界を変えることである。
 有名なセリフです。これがマルクスの言葉だったのか、エンゲルスの言ったことだったか分からなくなっていましたが、この本を読んで、マルクスの言葉だったことが分かりました。学生時代にこのフレーズに出会ったとき、新鮮な衝撃を受けたことを、今も鮮明に思い出すことができます。
 この本は、マルクスとエンゲルスの草稿写真によって完訳を試みたもので、新訳となっています。大変読みやすい内容です。
 人間の思考に対象的真理が得られるかどうかという問題は、理論の問題ではなくて、実践の問題である。実践において、人間は真理を、すなわち、彼の思考の現実性と力、此岸性を証明しなければならない。思考が現実的であるか、それとも非現実的であるか、にかんする論争は、それが実践から遊離されると、純粋にスコラ的な問題である。
 私の大学生時代、学園内ではスコラと称する「理論闘争」が流行っていました。要するに論争です。並木路のあちこちで、セクトの論客たちが口角泡を飛ばして論じあっていました。
 意識が生活を規定するのではなくて、生活が意識を規定する。なるほど、そのとおりだと、つくづく思います。しかし、もう一方では次のような指摘もあります。
 支配階級の諸思想は、どの時代でも、支配的諸思想である。すなわち、社会の支配的な物質的力である階級は、同時にその社会の支配的な精神力である。物質的生産のための諸手段を自由にできる階級は、それとともに精神的生産のための諸手段をを意のままにするのであるから、それとともに、精神的生産のための諸手段を欠いている人びとの諸思想は、概してこの階級の支配下にある。支配的階級を形成する諸個人は、とりわけ意識をももち、それゆえに思考する。思考する者として、諸思想の生産者としても支配し、彼らの時代の諸思想の生産と分配を規制する。
 先日発足した安倍内閣の支持率は、なんと7割もあるということです。今、テレビを毎日3時間以上みている人の7割が小泉を支持しているという世論調査の結果があったなんていう恐ろしい話を親しい友人がしていました。マスコミを握る支配階級が貧しい人々の心をつかんでいるのですね。恐ろしいことです。幻想にとらわれた人々をうまく操っているのが小泉でしたし、今の安倍だと思います。
 国家は、支配階級の諸個人が彼らの共通の諸利害を貫徹し、ある時代の市民社会全体が総括される形態であるから、その帰結として、あらゆる共通の制度が国家によって媒介されて、政治的な形態をとることになる。そこから、法律は、意志に、しかも、それの現実的土台から引き離された意志である自由な意志にもとづくかのような幻想が生ずる。同様に、権利は、その場合にこれまた法律に還元される。
 マルクス主義は古いとかいいますが、こういう指摘を読むと、うむむ鋭いぞ、これは、と思わずうなってしまいます。私は孔子の本も道元や空海の本も読みますが、マルクス・エンゲルスの本も、まさに古典として大いに読み直したいと考えています。どんなに古くても、やはり、いいものはいいのです。

競争やめたら学力世界一

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著者:福田誠治、出版社:朝日新聞社
 フィンランド教育の成功というサブタイトルがついています。いやー、実に良い教育ですよ。こんなに伸び伸びとした教育を受けることができたら、本当にどの子もすくすくと学力が伸びると思いますね。今の日本では全国どこでも中高一貫の学校がもてはやされていますけれど、私は大いに疑問です。なにより、それがうまくいったとしても、格差を拡大させるばかりで、日本社会は現在のアメリカ社会のように暴力が横行する、すさんだ社会になってしまうでしょう。それも私は心配です。
 世界学力調査でフィンランドはずっと世界一位を誇っています。この本は、人口500万人の小国フィンランドが教育の力によって世界のIT産業の先端にいる秘密を探っています。フィンランドの面積は日本とほとんど同じで、宗教はルター派キリスト教徒が85%。
 フィンランドでは高校間格差はほとんどないので、たいてい地元の学校に進学する。職業学校への進学率が高い。フィンランドの学校は、できない子の底上げはするけれど、できる子は放っておく。できるから。そもそも、学校は生徒の成長を支援するところだ。
 フィンランドの教育の特徴は、ひとことで言うと、いやがる者に強制しないということ。あの手この手で促しはするけれど、要は本人のやる気が起きるまで待つ。というのは、人間というものは、もともと興味・関心をもって、自ら学んでいくものだから。強制すれば、本来の学習がぶち壊しになってしまい、教育にならず、かえってマイナスだ。
 私は、ホントにそうだと思います。思い出すと、私も大学受験のとき、たくさん本を読みたいものだと痛切に願っていました。いま、腹一杯、本が読めて、本当に幸せです。
 フィンランドの教育は、自分で学べ、うまく学べないときには援助する、というもの。
 大学には同年齢の30%が、高等職業専門学校には35%が進学する。このほか、大人も成人学校で学んでいる。だから、フィンランドは、世界有数の高学歴社会だ。普通科高校では、1994年に学年制が廃止され、単位制になった。大学に入学するまで、たいてい2〜3年かけて社会的経験するのが普通なので、それほど卒業を急がない。
 国は教科書の検定をしない。教科書の作成過程には教師組合の代表も、教師も加わり、一部の者が独走することはない。教科書を選択するのは一人ひとりの教師であり、それを校長が承認する。教科書は一つの教材でしかなく、その使い方は教師個人にまかされる。
 一クラスの生徒は24人まで。午後4時になると、生徒も教師もいなくなる。教師は授業が終われば、生徒と一緒に帰宅してよい。夏休みの2ヶ月間も、まるまる学校に来なくてよい。だから、フィンランドの教師は、おそらく世界一じっくり準備して授業にのぞむことができる。
 職員室は、教師がくつろぎ情報交換する場であり、日本のように会議をするところではない。教師は、同じ学校に定年まで勤めることがほとんど。
 フィンランドの子どもたちは、競争やテストがなくても、なぜかよく学んでいる。
 フィンランドは図書館利用率が世界一。一人あたり年21冊を借りている。日本は年に4.1冊。人口56万人のヘルシンキ市に図書館が38もある。同じ規模の日本の都市だと6〜13ほどしかない。私の町では、移動図書館(バス)まで廃止されてしまいました。
 教師と生徒にゆとりがあると、学力が伸びるという見本のような国です。日本も参考にすべきだとつくづく思いました。

雷鳥が語りかけるもの

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著者:中村浩志、出版社:山と渓谷社
 ライチョウは有名ですが、残念なことに、私はまだ現物を見たことがありません。
 この本を読んで、人を恐れない日本のライチョウは、実は世界で珍しい存在だというのを知りました。アメリカでは、ライチョウは人の姿を見たらすぐに飛んで逃げていくそうです。人間に射たれて食べられるからです。そう言えば、我が家にすむスズメもそうです。家の屋根瓦の下に巣をつくっていますし、しょっちゅう出入りしているくせに、巣を出入りするときだけは物音ひとつ立てません。実に静かにしています。でも、いったん外に出たら例のピーチクパーチクとかまびすしいこと、このうえありません。
 高山にすむライチョウの写真がたくさん紹介されています。日本のライチョウは静かに近づくと1メートルの距離でカメラを構えて写真がとれるそうです。わが家の常連のキジバトは2メートルが限界です。毎朝エサをやっていても、そうなのです。
 ライチョウは飛べないわけではありません。ちゃんと飛べます。日本のライチョウは人間にいじめられてこなかったので、人の姿を見ても逃げないのです。ライチョウは高山にすむ神の鳥として、古来からあがめられてきたのです。
 ライチョウが高山にしかすまないのは、ライチョウが氷河期の遺留動物だから。高山は氷河期の気候に似ているので、雷鳥はそこで生き延びることができた。
 雷鳥は北海道や東北地方にはすんでいない。標高が高くても、高山帯の面積が小さいので生きのびることができなかった。本州には、強い風と冬に多い雪があり、一年中、葉が緑のハイマツがある。そこは雷鳥の営巣場所として、また隠れ場所として雷鳥にとって重要な役割を果たしている。また、ヒツジが日本にいないことが幸いした。ヒツジは白い悪魔だとも言われている。山の草々を食べ尽くしてしまうから。それでは雷鳥は生き残ることができない。
 雷鳥のオスはナワバリをめぐって激烈なたたかいをくり広げる。メスを確保すると、オスはメスを守ってつがいをつくる。ヒナがかえるとメスが子育てをし、オスは単独行動になる。ヒナは天敵のオコジョに補食されたり、危険が高い。だいたい3分の1以下に減ってしまう。
 冬のあいだ、ライチョウは、とにかくじっとしている。動かず、じっとしていると目立たない。それが最良の護身術なのだ。
 中央アルプスにもかつてライチョウがいた。しかし、駒ヶ岳にロープーウェーをかけ、年間に数十万人もの人間が入るようになって、数年のうちにライチョウはいなくなった。
 ライチョウのオスのナワバリは平均して直径300メートルほどの大きさだ。ライチョウはニワトリに近い種類なので、砂浴びが大好き。
 一夫一婦のライチョウだが、まれに一夫二妻のライチョウもいる。
 日本に生息するライチョウは、3000羽ほど。ライチョウの夫婦は、翌年も生き残るのは全体の3分の1ほどにすぎない。ただ、オス・メスともに生きていたら、翌年も同じペアを組む可能性は高い。
 ライチョウが減っているのは、日本に高山気候の地域が少なくなったことにもよると指摘しています。つまり、地球温暖化がここでも原因となっているのです。ライチョウ保存の試みも始まっていますが、なかなか難しいようです。
 実物のライチョウをぜひ山で近くに見たいと思いました。

警察VS警察官

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著者:原田宏二、出版社:講談社
 警察官でありながら、警察の不正・まやかしとたたかっている人々を紹介した本です。世の中にはこんな勇気をもっている人がいるんだなと改めて人間の偉大さに感銘を受けました。
 警察の裏金づくりは昔からあり、きっと今も続いているのでしょう。ところが、マスコミはまったく問題にしていません。残念なことに権力に歯向かう勇気がないからです。
 裏金の使途は、上層部のヤミ手当、官官接待の費用、異動時の餞別、部内の飲食などにあてられる。その金額は300〜400人規模の警察署で年間6000万円は下らない。現場の捜査員などの激励経費にあてられることもあるが、それは例外。裏金システムは幹部が自由につかうためのものであり、現場の警察官のためのものではない。その手口は全国一律。裏金システムがばれないためのつじつまあわせの事前準備が、国の機関である警察庁会計課の指導で入念に事細かに行われている。
 いやあ、ひどい話ですよね。不法を取り締まるべき立場の公務員が、税金を私物化していて、誰も問題にしないというのですからね。
 勇気ある人々を励ますためにも、ぜひ、あなたにもこの本を買って読んでほしいと思います。

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