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逃亡、くそたわけ

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著者:絲山秋子、出版社:中央公論新社
 精神病院から若い患者2人が逃亡します。別に恋愛関係にあるわけではない男女のカップルです。開放病棟に入院中でしたから、逃亡するのは簡単でした。
 女性は躁鬱病の患者で、躁状態にあります。2人は男性の車に乗って逃避行の旅に出ます。もちろん、行くあてなんかありません。ただ何となく、九州をぐるっとまわる旅です。
 秋月〜甘木〜大分〜国東半島〜阿蘇。そのうち、どうにも薬が欲しくなり、途中で見つけた精神科にかけこみます。薬をもらって一息つくと、再び旅に出かけるのです。鹿児島の長崎鼻にたどり着きました。九州を縦貫したわけです。九州各地の名所案内を読んでいる気分にさせてくれます。
 2人の若者の微妙な心のゆれを描いている不思議な小説です。福岡の岩本洋一弁護士が、とても面白いから読んでみたらと教えてくれて読みました。
 九州弁をつかっても、実は名古屋弁も少し顔を出しますが、小説はできるんだなと思い知らされました。

藤沢周平 父の周辺

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著者:遠藤展子、出版社:文藝春秋
 藤沢周平の一人娘である著者が父のことを語っています。ほのぼのとした味わいの語りなので、ゆっくり舌に文章をころがしながら味わいました。
 藤沢周平を私が読みはじめたのは、比較的最近のことです。山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」「隠し剣・鬼の爪」を見たころからでしょう。今度の「武士の一分」もぜひ見たいと思っています。封建社会のしがらみのなかで、必死に生きている人間の姿が、胸にぐっときます。そして、見終わったあと(本の方は、読み終えたとき)、なんとなく爽やかなのです。といっても、テーマは、案外、重たいものばかりなのですが・・・。
 今から30年前、弁護士になるころは山本周五郎を愛読していました。いま石巻で開業している庄司捷彦弁護士から勧められて読みはじめて、止まらなくなってしまったのです。周五郎の江戸下町人情話は実にいいですよね。なんか、こう、しっとりとした情緒があります。胸にじわっと沁みてきます。
 藤沢周平の本名は小菅留治(こすげとめじ)。山形県鶴岡市の生まれです。周平は省内方言でいうカタムチョ(頑固)でした。若いころ結核で療養生活を余儀なくされました。
 周平はギターもピアノも上手に弾けたそうです。教員時代に身につけたのです。
 著者の生みの母親は病死して、周平は後妻を迎えます。幸い娘とはうまくいったようです。周平の妻は秘書その他もろもろの用をこなしました。
 妻は仕事の進み具合を体重で分かるというのです。締め切り間際になると、体重が2キロから3キロは減ってしまうのです。妻は夫・周平の仕事をきちんとしているかどうか訊くため、「体重はいま何キロ?」と訊いたのだそうです。体重が減っていたら仕事をきちんとした証拠で、変わっていなければ仕事をしていないことになるというのです。まさに作家の仕事というのは、心身をすり減らすものなのですね。
 周平は自律神経失調症であり、閉所恐怖症でした。やっぱりそうなんですね。あんなにこまやかな性格描写ができるということは、自分の心身の状態にどこか不安がなければ無理だと私は思います。健康そのものの人に人間のゆれ動く心理描写がどれだけ出来るのか、私には疑問があります。
 著者の母、すなわち周平の妻の趣味は周平でした。冗談ではなく、本人が言っていたそうです。他に何の趣味も持たず、ひたすら周平のために尽くしてきました。たとえば、周平が原稿を書き上げると、誤字脱字のチェックをします。それも、周平の原稿用紙に直接書き込むのではなく、別の紙に何頁の何行目などと書いて編集の担当者に渡していたそうです。周平の原稿は直しの手が入ってない完成版だったそうです。よほど推敲していたのでしょう。
 周平の一日はとても規則正しかった。朝7時に起床。7時半に朝食。白いご飯と味噌汁。納豆、のり、チーズは毎日欠かさない。朝食のあと2階へ周平は上がり、妻が周平の仕事場に入ることはない。周平は2階に上がると、横になって新聞を読む。肝炎のため必要なことだった。
 午前10時、散歩に出かける。途中で喫茶店に立ち寄りコーヒーを飲む。
 午前11時に帰宅して、自分あての郵便物を受けとり2階へ上がる。1時間ほど仕事する。昼食は12時ちょうど。そのあと、また2時間は横になり、CDを聴きながら昼寝する。その後、夕方6時まで、みっちり仕事をする。夕食はきっちり6時にとる。7時半に風呂に入り、夜9時から10まで仕事をする。11時に寝る。
 作家は自由気ままな生活をしているより、規則正しい生活をしている方が偉大な仕事が出来ると誰か有名な人が言っていました。藤沢周平も同じだったんですね。私も、毎日、同じように過ごしています。大作家を夢見て・・・。
 土曜日(18日)から一泊で鹿児島に行ってきました。桜島が雨に煙っていました。

真相、イラク報道とBBC

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著者:グレッグ・ダイク、出版社:NHK出版
 イギリスはアメリカのイラク戦争に加担し、今も続けています。そのイギリスのBBCは大量破壊兵器の有無をめぐってブレア政府と対立し、ついにBBCのダイク会長は辞任させられてしまいました。そのダイク前会長が、その内幕を暴露した本です。日本でも、NHKがこれほどの気骨を示してくれたら、私も受信料を払うのですが・・・。
 ダイクは1947年、ロンドン近郊の庶民の町で、保険外交員の子として生まれました。私と同じ団塊世代です。
 仕事以外のことはすべて放り出し、編集室の床の上で寝ないと一人前のプロデューサーとはみなされないという時代が、かつでのテレビの世界にあった。しかし、今や、その考え方はまったく意味がない。ダイクは、休暇をしっかり取るべきだと言い続けた。休暇は家族の問題だから。
 資本が労働を商品のように売ったり買ったりするやり方は、ますます通用しなくなっていた。企業の経営を成功させたいのであれば、企業で働く人々をまともに使わなければならない。現代の資本主義の下では、企業が成功したいと願うなら、そこで必要なのは、熱心な労働者であり、満ち足りた労働者である。もっとも効率的に人間が働くのは、恐怖心によってではなく、物事を決めるプロセスに参加させ、組織が目ざす目標の設定に参加させ、達成をともに祝うことによってである。
 ダイクは2000年1月にBBCの第13代会長に就任した。ダイクはパブリックスクールにもオックスフォードもケンブリッジも通ったことのない初めてのBBC会長だった。しかも、BBC勤務の経験もなかった。
 放送メディアが中心にもつ役割のひとつが、時の政府に対して疑問を投げかけ、いかなる圧力に対しても抵抗に立ちあがるというもの。ダイクは政府がBBCに圧力をかけてこようとすれば、抵抗してたたかうという姿勢を明快にうち出した。
 官庁街で働く人間の多くはイラクに大量破壊兵器があるかのような新聞報道が間違っていることを知っていた。しかし、危機を強調する報道内容を正しいものにしようとはしなかった。ブレア首相の官邸が、そのような新聞の見出しを求めていたから、イラクに大量破壊兵器があることを前提として、「攻撃(終末)まで45分」という大見出しをうっていた。しかし、本当にそれでよいのか。
 ダイクは結局、追放されてしまいました。逆に、大きなウソをついてイギリス国民をだましたブレアは、今もなおイギリス首相であり続けています。本当に不思議な世の中です。
 イラクで日本の航空自衛隊がいま何をしているのか、NHKは60分の特集番組を組んで放映して国民に知らせるべきではないでしょうか。イラク戦争に日本はアメリカ軍と一緒になって加担しているという現実を・・・。日本人はイラク戦争の傍観者ではありえないのです。
 日曜日に仏検(一級)を受けてきました。手元に残してある答案用紙を見ると、なんと一回目に受けたのは1996年でした。それから毎年あきもせず受けてきたのです。我ながら感心します。というのも、一級に合格できるような実力はまるでないことを認めざるをえないからです。1問目の動詞を名詞に換えて文章を書きかえるのは全滅、2問目の最適の動詞を入れるのも全滅。3問目あたりからようやくヒットするのがあり、長文読解になるとまあまあ、書き取りはぐっとよくなる。そんな感じです。やっと6割とれたかなという成績です。でも、さすがにフランス語の文章に怖さはなくなりました。これが長くやってきた取り柄です。

思想としての全共闘世代

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著者:小阪修平、出版社:ちくま新書
 私は全共闘世代と呼ばれることに反発を感じます。いつも、全共闘と対峙する側で行動していたからです。といっても、司法試験に受かって司法修習生となり、弁護士になってからは、もと全共闘の活動家だった人と親しくなり、今もつきあっている人が大勢います。だから、今でも全共闘自体を積極的に評価する気にはなれませんが、そのメンバーだった人まで否定する気はありません。
 著者は、私とほとんど同じ団塊世代です。同じ東大駒場寮に生活していたようです。
 この本を紹介しようと思ったのは、実は、次のような文章にぶつかったからです。
 当時の学生運動家の活動の一つにセツルメントというサークルがあった。いまでいうボランティア活動なのだが、貧しい家庭の子弟の勉強をみたりする活動だった。その底には、おおげさにいうと贖罪意識さえあったのだと思う。自分が社会的エリートの道を進んできたことが貧しい人々を踏み台にしてきたかもしれないことへの贖罪感であり、それを生み出したのは戦後民主主義の平等主義であった。
 なぜ、この本にセツルメントのことが突如として登場してくるのか、前後の脈絡からはよく分かりません。でも、「当時の学生運動家の活動の一つ」としてセツルメントがあげられると、私にはかなりの異和感があります。といっても、それが間違っていると断定するわけでもありません。たしかに、セツルメント活動をしているうちに「目覚め」て学生運動の活動家に育っていった人はたくさんいます。セツルメントは、いわば学生運動の活動家を輩出する貯水池のような大きな役割を果たしていました。
 「貧しい家庭の子弟の勉強をみたりする活動だった」というのも、物足りません。これはセツルメント活動の一つの分野でしかありません。私自身は青年労働者と交流する青年部に属していました。法律相談部は戦前からの伝統を誇っていましたし、保健部や栄養部など専門分野と結びついた活動もありました。そして、「自分が社会的エリートの道を進んできた」ことからくる贖罪意識があったと言われると、ええーっ、そんなー・・・と、いう感じです。大学が大衆化していて、一つのセツルメント・サークルだけで100人を軽くこえ、川崎セツルメントや氷川下セツルメントは、それぞれ150人ほどのセツラーをかかえていました。学生セツラーは10以上の大学から来ていました。全国セツルメント連合大会は、年2回、1000人も全国から集まるほどの大衆的なサークルでした。むしろ、学生が根無し草のようで、現実に地についていない、将来どう生きていったらよいか不安だという多くの学生の心をつかんで地域で活動していたのです。そして、セツルメントがボランティア活動だと言われてもピンとこないところがあります。地域のなかでの自己発見の活動でもあったからです。著者の指摘は、セツルメント活動の外にいた人には、そう見えていたんだな、と思いました。
 著者は全共闘世代が体制を批判していたのに、卒業したあと積極的な企業戦士になっていったからくりの秘密を次のように分析しています。
 これまで自分が批判していた現実を肯定するために、自分が「現実的」であることをことさらに正当化せざるをえなかったケースも多かったはずだ。なまじ学生運動の経験があるだけに、声は大きいし、政治的な駆け引きもできる。陰謀をたくらむこともできる。場合によっては、労組つぶしも、お手のものである。
 この分析は、かなりあたっているのではないかと私も思います。
 著者は予備校で教えてきました。子どもたちが変わっていると言います。
 90年代の半ばころから、生徒たちの印象は明らかに変わった。そとづらは「よい子」が増えた。自分が思いついた、ものすごく狭い範囲の「分かり」にとらわれている印象が強い。必要以上に深入りせず、他人と距離をもつ、という態度が目立ってきた。
 うむむ、これでは結婚しない若者が増えても不思議ではありませんよね。結婚って、男女の泥臭い、裸のつきあいをするわけですからね。
 花伝社から1968年の東大闘争とセツルメントを描いた「清冽の炎」第2巻が発刊されました。なかなか売れそうもない本ですが、ぜひみなさん買って読んでやってください。著者が大量の在庫をかかえて泣いています。

栄家の血脈

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著者:王 曙光、出版社:東洋経済新報社
 中国の国家副主席にまでのぼりつめた栄毅仁の一生をたどった本です。今も、栄家は中国大陸と香港で栄華を極めていますが、その繁栄の源(みなもと)を明らかにした440頁もの大作です。
 中国最大の民族系実業家として繁栄し続ける栄家五世代が記録されています。それは、清王朝の末期から、辛亥革命、中華民国期、抗日戦争期、国共内戦・中華人民共和国成立期、新中国建設期、文化大革命期、改革開放期という、激動する中国近現代史の七つの時代と重なっています。
 栄毅仁は国共内戦期に大陸に残ります。新中国建設期に毛沢東に出会い、躍進したものの、文化大革命のときには地獄に落とされてしまいます。そして、改革開放によって、?小平によって支えられ、再び大きく躍進するのです。
 今、栄家を継ぐ栄智健は香港にいながら、中国政府からも守られて自由自在に活動することができる。その富の源泉は、中国政府のトップ情報をいち早く入手できることにあるのです。
 その栄智健は、若いころ、文化大革命のさなかに栄家一族の人間として大きな迫害を受けました。辺地の水力発電所の技師として5年ほど勤務した経験もあります。ところが、父の栄毅仁が?小平の引きたてによって出世すると、息子である智健もたちまち出世していきます。もちろん、才能あってのことではありましょうが・・・。
 この本を読むと、中国ははたして社会主義(共産主義)の国なのか、改めて疑問に思えてなりません。官僚統制の強い国だということは良く分かるのですが・・・。また、毛沢東の文化大革命の負の遺産を今なお中国が引きずっていることも痛感します。なにしろ、日本でいう団塊世代、つまり、私の世代が、中国ではほとんど活躍していないというのです。紅衛兵として華々しく活動していたので、かえって失脚してしまったということのようです。地道に勉強しないと、結局、社会から受けいれられないということのようです。
 それにしても、この栄家という存在は、日本の財閥をはるかに越えた力をもっているようですね。本当に、そんなことでいいのでしょうか・・・。

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