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動物たちは何をしゃべっているのか?

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 山極 寿一 、 鈴木 俊貴 、 出版 集英社
 ゴリラ研究の第一人者と鳥(シジュウカラ)の若き研究者が対談している本です。ゴリラと鳥で、いったいどんな共通項があるのでしょうか…。そう言えば、鳥は現代に生きる恐竜の片割れでしたよね、それと関係があるのかしらん。
 ゴリラ学の権威は、ゴリラに「グッ、グフーム」とゴリラ語で挨拶が出来ます。山極さんを、26年ぶりに再会したオスのゴリラが覚えてくれていて、子どもゴリラ時代のように、あお向けに寝ころんで腹を見せてくれたそうです。親愛の情を示し、一緒に遊ぼうという意思表示です。すごいですよね、ゴリラが26年ぶりに会った人間をしっかり覚えていたのですから…。人間だって覚えているかどうかでしょう。
 鈴木さんは、長いときには8カ月ものあいだ長野県の山にこもって、日の出から日没までシジュウカラを観察しました。そして、ついにシジュウカラの鳴き声には意味があり、そこには文法まであることを発見したのです。
 いやはや、学者の苦労って、底知れませんよね。でも、いったい、どうやって…。
 シジュウカラは森の中の見通しの悪いところに暮らしているので、見つけた天敵の種類によって鳴き声を変えている。ヘビなら、「ジャージャー」、タカなら「ヒヒヒ」といったように。これは、天敵によって対処法が違うから。でも、これは野生の小鳥のことで、飼育下だと、いつだってエサがもらえて安全なので、鳴き声は少なくなる。
 シジュウカラが「ピーッピ・ヂヂヂヂ」と鳴いているのは「警戒して、集まれ」という意味。では、それをパソコン上で操作して「ヂヂヂヂ・ピーッピ」と逆にしたら、シジュウカラはいったいどう反応するか…。
 入れ換えたらシジュウカラは、特段の反応を示しません。ということは、音の並び方には意味がある。したがって、これは文法があるということを意味する。なーるほど、ですね。
 さらに、「ピーッピ」と「ヂヂヂヂ」を別のスタジオで録音して再現してみると、シジュウカラは特段の反応も示さない。つまり、あくまでも「ピーッピ、ヂヂヂヂ」という並び声だけが「警戒して集まれ」という呼びかけだと判明した。いやはや、推理力も必要なんですよね。
 動物には、ストーリー化する力がほぼ「ない」。
 ところが、シジュウカラは人間のように、文法を頼りとしていることが判明した。チンパンジーは、鏡を見て、うつっているものが自分だとは判別できないようです。それでも、鏡のうしろにうつっているものはつかもうとするというのですから、これまた不思議です。
 恐竜のなれの果ての小鳥のさえずりにきちんとした文法があることを発見するなんて、信じられません。
 この本には出てきませんが、小鳥のさえずりにも地方色、つまり方言があるそうです。
 道を究めた2人の学者の対話は、とても興味深いものでした。
(2023年9月刊。1700円+税)

無人島、研究と冒険、半分半分

カテゴリー:生物

(霧山昴)
著者 川上 和人 、 出版 東京書籍
 日本にも無人島がたくさんあるようです。本書の舞台となった南硫黄島は、第二次大戦のときの激戦地、硫黄島ではありません。本州から南に1200キロのところにある絶海の孤島。東京都小笠原村に属しているが、過去に人間が定住したことはない。
 この島は、半径1キロ、標高も同じく1キロで、傾斜角度45度の急勾配の島。島の周囲は数百メートルの高さがある崖で囲まれた天然の要塞。
 なので、この島は人間による人為的な撹乱(かくらん)を受けていない、原生の生態系がそのまま維持されている。だから、研究のために島に上陸した人は、自然排泄は許されず、尿はそのままで許されるけれど、固形物のほうは携帯トイレで持ち帰ることが義務づけられている。うひゃあ、そ、そうなんですね…。
 この島の調査は、1936年と1982年、2007年、2017年に4回あっただけ。今回の2023年の調査は5回目。18人による2週間の調査のため、水は1日1日4リットル、予備をふくめて1104リットルを用意。食事は630食分。個人の持ち込みは1人15キロ以内。それでも総計1.6トンの物資を運び込んだ。
 南硫黄島には平地もなければ川もない。もちろん地下洞窟なんてない。崖の上からは、ボロボロと落石が降り注ぐ。
 この島には、タカやハヤブサなどの猛禽(もうきん)類がいない。なので、オナガミズナギドリが繁殖している。これまでのところ、この島にはネズミも侵入していない。ミズナギドリの仲間は、地下にトンネルを掘って、巣をつくる。控え目な鳥だ。
 島の生態系は、海鳥による八面六臂(ろっぴ)の活躍によって形づくられている。
 南硫黄島のウグイスもメジロも、この島だけでしか生きられない。
絶海の孤島で生活するなんて、私には考えられもしませんが、こんな冒険をしてみたい気持ちは、ほんのちょっぴりだけはあるのです。探検隊の一員にでもなったかのような気分で読みすすめました。面白い本です。
(2023年9月刊。1760円)

不便なコンビニ

カテゴリー:韓国

(霧山昴)
著者 キム・ホヨン 、 出版 小学館
 今では、さすがの私もコンビニを日常的に利用しています。まだ辛うじて小さな商店が町のあちこちにあったときは、意地でもコンビニを利用しないようにしていました。でも、町の商店がほとんどなくなってしまった今では、選択する余地なくコンビニを利用せざるをえません。
 日曜日のお昼、いつも行く小さな喫茶店が貸し切りになっていて利用できないときには、隣のコンビニでチヂミやサラダを買って、事務所の電子レンジでチンして食べています。弁当やおにぎりを買うことはありません。それでも、多彩な品ぞろえがあって、目についたものを手にとり、買って帰ります。
 東京や福岡だと、コンビニのレジには外国人が目立ちます。もちろん、日本語でやりとりしますし、できます。といっても、どんどん機械化がすすんでいて、会話する必要がなくなりつつあります。そのうち無人化してしまうのでしょうか、味気ないですよね…。
 この本には韓国のコンビニが登場し、そこが主要な舞台となるのですが、韓国のコンビニは日本のように大手系列下に入らないでもやっていけているのでしょうか。つまり、コンビニのオーナに、いくらかの商品選択権があるのか…という疑問です。
たくさんの商品を仕入れすぎて困っているという話も出てきます。日本でも同じことはきっと起きているのでしょう。そして、期限切れで廃棄する弁当の話も出てきます。これが日本のコンビニでも大問題となっていました。コンビニ本部はその厳守を求めるくせに、そのロスは本部ではなく、オーナー側に責任を押しつけるというのです。これでは「経営者」(オーナー)は、たまったものではありません。
コンビニはどこでも集中出店戦略をとります。つまり、近くにコンビニが次々に乱立して苛酷な競争を強(し)いられるのです。
また、コンビニで深夜に働く店員の確保には韓国でも苦労しているようです。
一律「24時間営業」なんて、やめたらいいと思うのですが、本部は絶対に許しません。まったく現代版の奴隷労働です。
この本は、ソウルの片隅でひっそり息づく不便なコンビニ。そこで働く、元ホームレスの店員とそこに来る客やオーナーたちとのあいだの涙と笑いの物語です。
韓国で150万部の大ベストセラーになったというのは読めばよく分かります。身近な存在のコンビニをめぐって、どこの家庭でも日常的に起きるような話がいくつも同時進行していって、実は、それが全部からまってくるのです。作者の読ませる力には感服しました。
題材にヒラメキがなく、書くことに行き詰っている女性作家がストーリーに登場します。どうやら作者の分身のようです。そんな狂言廻しもいて、記憶を失った元ホームレスの店員の働きかたが、周囲の人の凍った心を溶かし、逆に、周囲の人々の反応によって記憶を少しずつ取り戻していくというストーリー展開です。いったい、この元ホームレスの正体は…。
ぜひ、あなたも手にとって読んでみて下さい。
(2023年月6刊。1600円+税)

飴売り具学永

カテゴリー:日本史(戦前)

(霧山昴)
著者 キム・ジョンス(文)、ハン・ジョン(絵) 、 出版 展望社
 関東大震災で日本人民衆に虐殺された朝鮮人青年の物語です。このとき数千人の朝鮮人が虐殺されましたが、この具学永(ク・ハギョン)は名前と年齢が判明していて、虐殺されたあとまもなく日本人によって墓も建立されたのでした。
 そんな例は他になく、唯一人のようです。
 事件発生から80年後、今から20年前、2003年、日弁連(日本弁護士連合会)は日本政府に次のとおり勧告した。
 「国は、関東大震災直後の朝鮮人・中国人に対する虐殺事件に関し、軍隊による虐殺の被害者・遺族および虚偽の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者・遺族に対し、その責任を認め、謝罪すべきである」
 残念なことに、日本政府は責任を認めることも謝罪することもありませんでした。それどころか、松野官房長官は確認できる記録がないなどと平然とウソの答弁をして開き直りました。東京都の小池都知事も同じです。自分に都合の悪い事実は認めず、シラを切って通そうとするのが、この国のトップ政治家です。ある意味で、戦前の大本営発表と共通していて、怖いと思います。
 大震災のあと、恐ろしい内容の流言飛語(デマ)を飛ばしたのは、ほかならぬ政府当局でした。9月3日、大震災の2日後のことです。東京の内務省から埼玉県に電報が届きました。
 「東京で不逞(ふてい)鮮人の不穏な動きがある。当局者は非常事態に際して適切な方策を講ぜよ」
 こんな内容です。政府が公文書で指示するのですから、多くの日本人が信じたのは無理がありません。すぐに自警団が組織され、検問が始まります。「15円50銭」と言わせて、発音がおかしいと朝鮮人だとして、警察署に収容されました。
 警察署長が、「不逞鮮人ではない」と言っても、300人近くにふくれあがった日本人の自警団員たちは警察署の中に押し入り、留置場にいたク・ハギョンを竹槍と日本刀で襲いかかって惨殺してしまったのでした。
 ク・ハギョンの体には62ヶ所もの刺傷がありました。ひどいものです。いくら狂気の集団とはいえ、ひどすぎます。何の罪もない、無抵抗の人をよってたかって刺殺してしまうとは…。
 ク・ハギョンと仲の良かった日本人青年(宮沢菊次郎)がお寺に墓碑を建ててくれるように頼んだのです。墓碑には、ク・ハギョンの故郷の住所、殺害された年月日と、28歳という年齢も刻まれ、今も埼玉の正樹院にあります。
 わずか110頁の本です。よく出来た絵によって、視覚的にも分かりやすくなっています。ぜひ、あなたも手にとって読んでみてください。
(2022年4月刊。1650円)

平安貴族の仕事と昇進

カテゴリー:日本史(平安)

(霧山昴)
著者 井上 幸治 、 出版 吉川弘文館
 平安時代の貴族って、仕事もせずに遊び暮らすという優雅な生活を送っているというのが一般的なイメージです。でも、実は、そんなことはなく、それなりに忙しかったようです。
平安時代の京都(平安京)の人口は、12~13万人が暮らしていた(1000年ころ)。これを同じ区域、つまり、現在の上京・中京・下京の3区に住む人口27万6千人と比べ、平安京はこの3区の半分の広さなので、昔も今も変わらない(?)。
 貴族のうち公卿は三位以上の人。諸大夫(しょだいゆう。しょだいぶ)は四位と五位の人。六位以下は「侍」で、その下の「無位」(むい)は庶民のこと。「侍」は武士だけを指してはいない。
 公卿や諸大夫は、現実には、遊び暮らすようなイメージとはほど遠い生活を毎日送っていた。彼らは定められた年中行事を滞りなく、実施していく必要があり、それが政治そのもので、重要だと考えていた。
 従三位(じゅさんみ)以上の位階(いかい)を授けられた人を公卿というが、いきなり従三位に叙(じょ)されることはなく、四位・五位・六位からスタートするのが普通。初めから高い位階を授けられる制度を「蔭位(おんい)」という。
 叙爵されて五位になったものの、官途に就けない人(無官)を「散位(さんに)」と呼ぶ。
 「侍」身分は正六位以下の位階を有する人々のこと。史生(ししょう)、官掌(かじょう)が代表的。無官から登用され、その後もほぼ昇進しない。身分をこえた抜擢(ばってき)は、ほぼない。
 公卿の生活は、一年中、ひたすら勉強(予習)漬け、とても大変だった。経験者である父兄の存在はとても大切で、父兄を早くに失ってしまえば、公事(くじ)の習得や理解を遅らせてしまうことになる。
 公卿の生活は、先人の記録をひたすら読むことにある。平安貴族たちにとって、先人貴族の書いた日記や部類記、編さん物は、貴重な財産だった。
 平安朝で、人事異動を行う儀式を「除目(じもく)」と言う。この除目では「申文(もうしぶみ)」という書類が重要。申文を整理していたのが「蔵人(くろうど)」。
 除目は、清少納言の『枕草子』では、女官たちにとって笑いぐさでしかなかったが、男性官人にとっては、正月の除目は非常に重要なものだった。
 「源氏物語」に平安時代の政務の様子が描かれていないのは、女性は政治に関与できなかったから…。
 貴族たちは、まず第一に先例を学ばなければならなかった。貴族社会では、現実に起きている事実と、記録された公式見解としての事実との間に、さまざまな「差」が存在していた。平安貴族たちは、こうした「差」を巧妙に使いこなし、自らに都合の良いストーリーをつくり出していた。
 公卿・諸大夫・侍といった身分の壁は、とても厚くて頑丈であり、その差はいろいろなところであらわれる。つまり、平安時代には公卿・諸大夫・侍という身分の壁はとても厚くて頑丈であった。
 平安貴族たちは、政務や年中行事の遂行を重要な仕事としていた。決してヒマではなかったのです。この本を読むと、貴族についてのイメージが変わりますよ…。
(2023年9月刊。1700円+税)

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