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憲法は政府に対する命令である

カテゴリー:社会

著者:ダグラス・ラミス、出版社:平凡社
 日弁連会館で著者の講演を初めて聞きました。まさに目が洗われる思いがしました。著者は日本語ペラペラのアメリカ人です。津田塾大学で20年間、政治学を教えていました。退職後の現在は、沖縄に住んでいます。1960年にも海兵隊員として沖縄に駐留していました。1936年の生まれです。
 著者は、日本国憲法が押しつけ憲法であることを否定するべきではないと主張します。
 憲法とは、そもそも押しつけるものである。なぜなら、憲法は政府の権力・権限を制限するものだから。民衆が立ち上がって、政府の絶対権力を奪取し、それを制度化するために憲法を制定するというのが世界各地で起きたこと。
 だから、問題は押しつけ憲法かどうか、なのではない。誰が、誰に、何を押しつけたのか、ということである。なーるほど、そういうことなんですよね・・・。
 日本を占領・支配したGHQが憲法草案をつくって日本政府に渡したとき、ホイットニーは、日本政府がすぐに案を日本の民衆に公開しなければ、GHQが公開するぞ、と脅した。GHQは、日本の民衆が必ず憲法草案を支持するという自信があった。そして、その予測は当たった。日本の民衆は日本政府への新憲法の押しつけに参加したのである。
 ところが、半年もたたずして、GHQのほうは日本の民衆を共産主義勢力ないし、そうなりやすい人々として敵意と恐怖心をもって見はじめた。そして、憲法施行してまもなくから後悔していた。
 いま、憲法9条、とりわけ9条2項が問題となっている。交戦権とは、兵士が人を殺す権利である。侵略権なるものは、現在の国際法のもとでは、そもそも存在しない。
 交戦権とは、侵略戦争をする権利ではなく、戦争自体をする根本的な権利である。交戦権は、兵士が戦場で人を殺しても殺人犯にはならないという特権だ。それは兵士個人の権利ではなく、国家の権利である。
 国家とは、正当暴力を独占(しようと)する社会組織である。
 自然権としての自衛権は、生きものに限って当てはまる。国家は生物でもなく、自然には存在しない人為的な組織である。したがって、国家が自然権の持ち主であるわけではない。自然権としての自衛権は国ではなく民衆が持っている。
 日米安保条約によって、アメリカ政府が日本国の主権の一部をアメリカへ持って帰った。日本の外交政策の基本を決める権利はアメリカ政府が握っている。
 著者は講演のなかで、日本の平和運動が安保条約反対を唱えることが少なく(小さく)なったことを不思議がっていました。なるほど、そう言われたら、たしかにそうですね。
 日本の首都にたくさんの米軍基地があり、沖縄は基地の中に点々と町があって、日本人が住んでいるといった感じです。世界で何か紛争が起きるたびに、日本政府はアメリカ政府の指令のままに動く意志なきロボットの存在でしかありません。
 世界中の笑われ者が日本という国です。そんな国が国連の安保常任理事国をめざすというのですから、ちゃんちゃらおかしいですよ。お金があれば、国連のポストだって買えると日本の支配層は錯覚しているのでしょうね。馬鹿げた話です。
 日本の自衛隊は、軍隊の組織を持ち、軍服を着て、軍事訓練を受け、戦争のための武器をもっている。しかし、肝心の軍事行動はまったく出来ない。わけのわからない組織だ。これは歴史の産物である。これは、日本政府と日本民衆の平和勢力との矛盾なのである。しかし、このような矛盾した状況ではあるが、憲法ができてから現在までの60年間、日本の交戦権の下で、一人の人間も殺されたことはない、という事実がある。すなわち、一見すると死んだように見える憲法9条は、すっとこどっこい生きているということだ。
 大変わかりやすく、日本国憲法がいかに今の世の中に必要なものか、アメリカ人が日本語で語った本です。一読を強くおすすめします。

老いて賢くなる脳

カテゴリー:人間

著者:エルコノン・ゴールドバーグ、出版社:NHK出版
 私と同じ団塊世代のソ連生まれで現在はアメリカで活躍している認知神経科学者です。名前から分かるとおりユダヤ人です。
 知恵は不思議に思うところから始まる。これはソクラテスの言葉だそうです。この本を読むと「定年」が間近に迫り、日頃、モノ忘れがひどくなったと嘆いている私ですが、年齢(トシ)をとっても脳は立派に活動できることを知って元気が出ました。
 著者は今、58歳。私と同じです。昔なら思いもしなかったような、面白い発想が出てくるようになった。年齢が上がるにつれて、頭をふりしぼるような作業はできなくなったが、洞察力は格段に伸びた。これでいいのかと思うくらい、楽々とものごとが見通せるようになった。
 神経の発生は大人になったらまったくなくなり、一路、減るばかりだと考えられてきた。しかし、これは間違いで、当初の勢いこそなくなるものの、神経の発生は生涯にわたって続くものである。
 ゲーテが「ファウスト」の第一部を刊行したのは59歳のとき、第二部はなんと83歳のときだった。
 ロナルド・レーガンは、二期目の大統領の途中から認知症を発症していた。レーガンの母も兄も認知症だった。
 ヒトラー、スターリン、毛沢東、そしてルーズベルトもチャーチルも晩年は認知症だった。しかし、死ぬまで政治力を発揮できた。それは、若いころに鍛えた認識能があったから。
 一度覚えてしまったことを忘れない人がいる。しかし、当の本人は不便きわまりないことに困惑している。どうでもいいこともすべて記憶しているので、重なりあう記憶やイメージがいつも洪水のように押し寄せて耐えがたくなるのです。だから、忘れるのは良いことなんです。
 脳のなかで揺るぎない長期記憶が形成されるまでには、かなりの時間がかかるし、多くの助けを必要とする。新皮質にある神経回路を繰り返し活性化させて、化学的・構造的な変化をうながさなければいけない。
 記憶とは、脳のなかで起きる電気的、化学的、構造的なプロセスによる相互作用である。
 記憶が保存されるのは、あくまで新皮質であって、脳幹や海馬ではない。ただし、海馬をはじめとする脳構造も、長期記憶の形成に必要不可欠な役目を果たしている。
 知恵とは、ほかの人が気づかない展開を予測できる能力のことである。
 パターン認識能力は、問題解決のための最強かつ最高のメカニズムである。
 優れた知恵をもつ人は、けたはずれに豊富なパターンを認識できる。これは脳のなかのアトラクタ数がちがうから。年齢とともに高くなるので、直感的にものごとを判断する能力だ。直感は、過去の膨大な分析経験が圧縮され、結晶化したもの。
 パターンの数が増えて一般性が高くなり、幅広い問題に対して瞬間的に解決策が導き出せるようになれば、それは知恵と呼ぶにふさわしいものになる。そして、精神活動のなかで、パターンを頻繁に活性化させていれば、脳の老化や痴呆の悪影響を受けにくくなる。パターンの種類は年齢とともに増えていく。知恵となるパターンを蓄積するには、どうしても年をとらないといけないのだ。
 そうなんです。年をとればとるほど人間は賢くなるというわけなんです。
 人生の早い段階では、右脳が中心的な役割を果たしているが、年齢を重ねるにつれて、右の右脳は少しずつ左脳に主導権を明けわたしていく。そして、左脳はアトラクタの形で、効率的なパターン認識の「在庫」をひたすら増やしていく。
 過去の膨大な経験をもとに新しいことを咀嚼する左脳は、成熟と知恵の年代にとって重要な存在だ。左脳には役に立つ情報、当人にとって良いことがぎっしり詰まっている。右脳は、新しいことに対処するための脳である。
 左脳は、認知活動によって強化されるため、老人の影響を受けにくい。団塊世代のみなさん、ホントに良かったですね。お互い、安心して老後を生き抜きましょうね。

小泉官邸秘録

カテゴリー:社会

著者:飯島 勲、出版社:日本経済新聞社
 小泉政治の自慢話が延々と書かれている本です。そこには弱者を冷酷に切り捨てていく政治についての反省がまったくなく、政治とはパワーバランスで動くゲームだというトーンで貫かれています。読んでいくうちに次第に腹が立つ本です。
 腹が立つくらいなら読まなきゃいいだろ。そう思う人もいるかもしれませんが、私は欺す側のテクニックと詐欺師集団の心理と構造に関心がありますので、読まないわけにはいきません。商品先物取引の欺しの手口については、その刑事・民事の証言調書をもとに本を書いたこともあります。
 小泉の劇場型政治に多くの日本人がまんまと欺されたことは明らかな事実です。小泉純一郎が首相になったときの支持率が92%、5年後に辞めたときでも63%という驚くべき高率をたもっていました。なんて日本人はお人好しで、欺されやすいのでしょうか。
 郵政民営化を争点とした総選挙のとき、小泉純一郎は、身近な郵便局がなくなることはありませんと断言していました。ところが民営化された郵政公社は特定郵便局の多くを廃止する方針をうち出しているのです。じいちゃん、ばあちゃんが歩いて通える身近な郵便局が廃止されたら、どんなに困ることでしょう。
 いったい政治は何のためにあるのか。政治家の役割は強い者をますます強くするためにあるのか。この本は、そんな根本的な疑問に真っ向からこたえようとしてはいません。
 小泉のメディア戦略は抜群の効果をあげました。著者は次のように語っています。
 総理の「ぶら下がり取材」というものがある。総理が官邸に戻ってきて、歩きながらマイクを向け総理のコメントを取るというもの。このぶら下がり取材のやり方を変えた。昼は主に新聞を念頭に置いたカメラなしのぶら下がり取材とし、夕方はテレビで映像が流れることを念頭に置いたカメラ入りのぶら下がり取材とした。一言でメディア対応といっても、メディアの特性、役割に応じてやる必要がある。
 小泉は、このテレビ向けのワンフレーズを決め手にしていました。この表面だけを見て、多くの日本人がコロッと欺されてしまったわけです。
 小泉内閣のメルマガには何億円もつぎこんだようです。百数十万人の読者がいたといいますから、怖いですね。いったい私のこのブログは何人に読まれているのでしょうか。
 小泉はマスコミの論説委員や編集委員を招いてじっくり懇談する機会をつくり、また、ラジオで毎月1日10分間、直接、国民に語りかけるという番組ももっていた。
 メディア操作によって小泉の虚像はどんどん大きくなっていったわけです。
 私も、小泉は二つだけはいいことをしたと高く評価しています。一つは、ハンセン病裁判で控訴を断念し、ハンセン病元患者に対して直接、首相とした公式に謝罪したことです。これはやはり英断です。もう一つは、とかくの評価はありますが、北朝鮮に乗りこみ金正日と会談して、拉致されていた人々を日本へ連れ帰ってきたことです。後者のほうはまだまだ拉致被害者が他にいるのは確実なので、解決ずみというわけではありませんが、ともかく大きな一歩(成果)をあげたと私は理解しています。
 小泉政治の5年間で、日本はガタガタにされてしまいました。歴史上の最悪首相ナンバーワンだと私は思います。勝ち組優先、負け組切り捨て、お年寄りや貧乏人に対して早く死ねとばかりに冷たく路上につき離し、トヨタやキャノンのような大企業が世界的に活躍できるようにしていきました。福井俊彦日銀総裁のように嘘つきで自分と身のまわりの大金持ちのことしか考えないような人々を優遇して、日本人の倫理感を地に墜ちさせてしまいました。
 著者には、そんな弱者いじめをしたという心の痛みはカケラもないようです。でも、そのうち足腰が立たなくたったとき、きっと後悔することでしょう。ただ、そのときにはもう手遅れなのですが・・・。
 安倍首相が7月の参院選は憲法改正の是非を争点とすると言っています。そのこと自体は大賛成です。ただ、憲法のどこを、なぜ変えようというのか、変えたらどうなるのか、本質的な点が国民によく分かるようになったうえで国民が選択できるようにすべきです。もっとも、これにはマスコミの責任も重大ですよね。私たち国民も、小泉とその亜流の政治家から何度も欺されないようにしたいものです。

子どもが見ている背中

カテゴリー:社会

著者:野田正彰、出版社:岩波書店
 現代日本、とりわけ日本の教育行政に対する悲痛な叫びとも思える告発の書です。読みながら、思わず背中を伸ばし、居ずまいを正しました。著者の真摯な態度に対して心から敬意を表します。それにしても、日本の教育って、こんなにまで地に墜ちているのですね。
 教育基本法がついに改正(改悪というべきでしょうが・・・)されてしまいました。教育を国家が統制する。個人の伸びやかな個性を殺いでしまう日本の教育を助長する方向です。悲しいことです。
 それにしても、教師をこんなにも統制して、どうしようっていうんでしょうね。広島の民間校長の自殺を追跡した第2章を読んで、さすがの私も大いなるショックを受けてしまいました。
 その小学校では、教頭(51歳)が2002年5月10日、過労のため脳内出血で倒れました。次の後任の教頭(47歳)が2003年2月14日、心筋梗塞で倒れました。夜12時まで仕事をし、パーキングで仮眠をとって夜中の2時に帰宅し、朝5時には家を出るという生活をしていたそうです。
 そして校長です。2003年3月9日に勤務先の小学校で自殺しました。毎晩、夜10時、11時に家に帰る忙しさでした。精神科に通院するようになっていました。教育委員会に何をいっても、甘いと言われる。死ぬまで働けということだね、と家人にこぼしていました。
 民間出身の校長としてマスコミにも報道されていた人です。自らすすんで希望して校長になったとばかり思っていましたが、実はそうではなかったようです。31年間つとめた広島銀行から校長職に推薦されたのです。56歳の副支店長で、リストラの対象者だったのです。自宅から通勤できる、小規模の問題のない学校を希望していました。当然のことでしょう。経験がないわけですから。ところが車で90分かかる、大規模校を押しつけられてしまいました。学校文化がまったく分からないまま苛酷な教育現場に押しこまれたわけです。そして、早く成果を出せと駆り立てられ、必要な急速もとれず、治療も十分に受けられませんでした。これでは、自殺したというより、教育行政に殺されたとしか言いようがありません。
 京都の中学校の通知票が15頁もあり、評価項目が272項目にのぼることを知って、腰が抜けそうなほど驚いてしまいました。教師がそんなに1人1人の生徒を評価することができるのでしょうか。また、そんなに細かく評価する意味があるのでしょうか。
 教師たちが自律した人として考えることを侮蔑され、させられる教師になっているとき、生徒たちも同じ状況にある。まことにそのとおりだろうと私も思います。
 都立高校で「日の丸」への起立強制と「君が代」斉唱強制がなされていることについて、東京地裁は2006年9月21日、違憲判決を下しました。私もこの判決を支持します。愛国心の押しつけが逆効果であると同じです。「日の丸」も「君が代」も押しつけられて尊重する気になんか、とてもなれません。今、学校以外で「日の丸」を見ることはありません。「君が代」斉唱なんて、馬鹿馬鹿しくて、私は何十年もしたことがありません。なんで今どき、天皇の御代がずっと栄えてほしいなんて歌わせるのでしょう。冗談じゃありません。
 何ごとによらず押しつけが効果をあげることはないのです。もっと教師の自由にまかせたらよいのです。前にフィンランドの教育を紹介しましたが、生徒も教師も学校でのびのびと過ごし、落ちこぼれをなくす教育が、国全体のレベルアップにつながっているという現実を日本人も直視すべきです。

テスタメント

カテゴリー:アメリカ

著者:ジョン・グリシャム、出版社:新潮文庫
 出だしからあっと言わせます。
 世界的な大富豪が自分の書いた遺言書を前に3人の精神科医から質問を受け、その様子はビデオで撮影されています。大富豪はまったく正常です。ところが、精神鑑定が終わったところで、その大富豪は別の自筆遺言状を取り出し、署名するのです。そして、そのまま窓の外へ飛びおり自殺します。うーん、なんということ・・・。
 小説は、この最後の遺言書が有効かどうか、有能なアメリカの弁護士たちが何組も登場して、この自筆遺言状を無効のものにするため策略を練るところから展開していきます。
 3人の精神科医を解任し、大富豪は実は精神的に正常ではなかったという召使いの偽証が成功するかのように思えます。何回も何回もリハーサルを重ねて、完璧に嘘を塗り固めようとします。しかし、所詮、嘘は嘘。たちまちバケの皮をはがされてしまうのです。アメリカの有能な弁護士たちは、まさしく顔が真っ青。
 アメリカの民事裁判のすすめ方は日本とはかなり違うようです。正式な事実審理の前に裁判所で証人調べがあるのです。ここで相手方の弁護士の反対尋問にさらされます。そこをパスできなければ、次へ進みようがないわけです。
 アメリカの弁護士にも、もちろん守るべき弁護士倫理があるわけですが、倫理を足蹴にして高額の弁護士報酬を得ようと狂奔する醜い弁護士たちが描かれています。これは、あくまでも小説です。でも、日本でも身につまされる話になってきましたね。

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