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再発見、江戸の数学

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:桐山光弘、出版社:日刊工業新聞社
 ええーっ、日本人って、昔から数学が好きだったんですかー・・・。つい、そんな叫びをあげてしまいました。江戸時代に数学(和算)が流行していて、ゼロまでつかわれていたというんです。ホンマかいな。そんな気すらしてきます。
 数学は暗記するのではなく、考えるのが楽しいもの。しかも、それが日本人に向いている。著者の訴えたいところは、ここにあります。
 江戸時代初期に出版された数学の入門書には、ゼロのところに、0または令という記号、漢字が入れられていた。鎖国中の日本人も必要に迫られてゼロを発見していたのだ。円周率も、3.16と表されている。ただ、増補改訂版は3.1416としている。
 江戸時代の数学書の三大ベストセラーは、塵却記、算法闕疑(けつぎ)抄、改算記である。
 本の中で、読者に出題し、正解ものせている。問題を「好」(このみ)といい、それに対する回答は「員数」と言った。
 徳川吉宗は、享保8年(1723年)、全国の大名に対して、寺子屋設置令を出した。この結果、11代将軍・家斉の時代には日本国民の識字率は70%に達してた。
 江戸時代になっても、キリスト教の宣教師はまだ日本にいたが、彼らは、故国イタリアに出した手紙において、日本人が数学好きであることを強調していた。
 和算で有名な関孝和の師匠は、実は、イエズス会の宣教師だった。こんな話が紹介されています。本当でしょうか。
 江戸初期に数学が盛んになった理由の一つとして、暦がおかしいということもあった。
 この改暦のとき、関孝和の一番弟子である建部賢弘は、太陽の動きは円運動であるとし、その直径(天径)を算出している。うむむ、これはすごーい・・・。
 江戸時代の数学家(算者または算勘者と呼ばれていた)の大切な仕事に測量があった。税金を取るためには、田んぼの広さを決める必要がある。そのためには測量が欠かせない。
 にっちもさっちもい(ゆ)かない、という言葉がある。これは漢字では二進も三進も行かないと書く。その意味は、二でも三でも割れないということ、つまり、どうしようもない状態を表している。
 江戸時代に10年間の複利計算もしていたそうです。すごいですよね。
 私は高校1年の終わりころ、数学の才能がないと悟って、理科系から文科系に乗りかえました。微分・積分については何とか分かったのですが、図形をつかった応用問題にまるで歯がたたなかったのです。
 今では、早いとこ文科系に移ってよかったと本心から思っています。やはり、人間、向かないものは向かないのですよね。

地底の太陽

カテゴリー:朝鮮・韓国

著者:金 石範、出版社:集英社
 済州島4.3蜂起のあと、日本に脱出してきた人々には、前にもまして苛酷な現実が待ちかまえていた・・・。
 済州島は、今や日本からも気軽に行ける観光地となっているようです。残念ながら、私はまだ済州島に行ったことがありません。その済州島は朝鮮戦争の始まる前、苛酷な戦場となっていました。
 済州島は自然も人間も焦土化、廃墟と化する。山にたてこもるゲリラ部隊が、仲間を裏切ったとして処刑し、また、拉致した警部幹部を身内がピストルで射殺した。ゲリラ司令官は討伐隊に殺された。討伐隊によって村民500人が虐殺され、全村が焼却されて廃墟と化した無男村があった。
 ときは、日本で松川事件が起きたころ。今ではアメリカ軍もからむ謀略事件とみなされている松川事件も、当時は多くの国民が共産党のしわざだと思いこまされていた。
 逆コースの政治弾圧の流れのなかで、日本でも朝連組織や民族学校が閉鎖されていった。このころ、日本社会が暗い気分におおわれていた。
 アメリカ支配下に李承晩独裁国家が軍警暴力によって成立した。やがて6月25日に朝鮮戦争が始まる。
 日本と韓国の暗いつながりを実感させる、鬱々とした重い雰囲気の小説です。
 私も「火山島」(文藝春秋、全7巻)を読みました。衝撃の内容です。息つく間もなく手に汗を握って、展開を追っていきました。いえ、決して心躍るという内容ではまったくありません。むしろ逆なのです。ともかく、ぐいぐいと力まかせに引きずりこまされ、目をそむけることもできずに読みすすめていきました。平和な日本にいては、とうてい想像できないような苛酷な現実がそこにはありました。それを日本でも引きずって生きる人々がいたわけです。

腐蝕生保

カテゴリー:社会

著者:高杉 良、出版社:新潮社
 生命保険会社のドロドロした内実が、これでもか、これでもかと暴き出され、本当にいやになるほどです。でも、この先いったい主人公はどうなるんだろう、どうするのかという思いに負けて、ついつい読みすすめてしまいます。さすがは企業小説の大家だけあります。たいした筆力です。上下2巻あり、1巻が400頁という大部の本をあっという間に読み終えてしまいました。
 生保の社長がアメリカ視察に行く。ゴマスリ幹部が、社長の愛人も現地で同行するように手配します。まるで、会社の私物化です。それでも、そんなゴマスリ幹部は社長の覚えが目出たくて、どんどん出世していくのです。
 そんなー・・・と思いつつ、これが企業の現実のようです。苦言を呈する輩は、どんどん閑職へ飛ばされていき、ワンマン社長の周囲にはイエスマン重役しか残りません。やる気のある若手はそんな上部の腐敗ぶりに嫌や気がさし、さっさと他の会社へ転職していきます。そんな勇気も自信もない人は、うつ病になったりします。ノルマに追われるのです。 生保レディは、契約とってなんぼの苛酷な世界に生きています。そこでは、やる気のあるレディーを確保し、成績をあげることのみが数字で追求されています。生保レディーは、また入れ替わりが極端に激しい世界でもあります。
 苛酷な競争が強いられるなか、架空契約、色仕掛け、なんでもありの世界が生まれます。
 自爆とは、業績をあげるため、あるいはノルマを達成するために、架空契約をつくって保険料を自腹を切って支払うこと。
 イラクではありませんが、自爆は日本の生保業界では昔から横行しているのです。
 ノルマを達成しきれない営業所の責任者はついに夜逃げし、自殺に走ってしまいます。まさしく悲劇です。でも、その悲劇を踏み台にしてのし上がっていく幹部もいます。企業犯罪とまではいきませんが、こんな企業の実態をそのまま是認していいとはとても思えません。鳥肌が立ってしまうほどの迫真の経済小説です。

十七歳の硫黄島

カテゴリー:日本史(戦後)

著者:秋草鶴次、出版社:文春新書
 硫黄島の戦闘が体験者によって刻明に再現されています。地獄のような地底で凄惨な逃避行を続けていく執念を読んで、腹の底から唸り声がわきあがってきました。感嘆、驚嘆、なんと言うべきでしょうか。よくぞここまで思い出して書きとめたものだと感心するばかりです。なかでも、地底の臭いの描写が私にはもっとも印象的でした。
 出征の前の晩。祖母はこう言った。
 死ぬでないぞ。死んで花実が咲くものか。咲くなら墓場はいつでも花盛りだ。
 著者は17歳の通信員。薄暗い壕内に寝起きする。通信科の隅にはバケツの水が用意されている。水番がいつも見張っている。一度に小さな茶碗に一杯だけ飲める。これは雨水。しかし、硫黄ガスの臭気と室温を溶かしこみ、ゴミや微生物も見え隠れしている。そんな水を一度でいいから思い切り飲みたいと願っていた。
 壕内の衛生状態は日一日と悪化した。微生物や虫の繁殖はものすごい。蚊とハエ、蛾は昼夜なくとび回り、のみとしらみもどんどん増えている。排泄物の累積に厠もたちまち満杯となる。
 アメリカ軍は上陸本番の前、2月18日に海岸線に緑、赤、黄、碧(あお)の小旗を立てた。部隊ごとの上陸地点を示す目印だ。
 アメリカ軍が本格的に上陸したのは2月19日。午前10時までに1万人が上陸した。それまで日本軍は一切反撃しなかった。突如として日本軍のラッパが鳴って反撃が始まった。著者は、この様子をずっと見ていたのです。
 彼我の距離は1キロ足らずの地に、双方あわせて5万をこす人間の殺戮戦がくり広げられた。10時間に及ぶ膠着戦だった。1分経過するごとに3人が死に、1メートルすすむたびに1人が死んだ。
 2月24日、早朝摺鉢山の山頂に再び日章旗が翻っていた。
 そして翌25日早朝、またもや摺鉢山に日の丸が朝日を浴びて泳いでいた。
 ええーっ、本当でしょうかー・・・。
 硫黄島攻防戦におけるアメリカ軍の総被害の7割は2月27日までのもの。あとは局地戦に移った。
 日本軍は、この1週間、飲まず喰わずで、兵器以外に手にしたものはない。
 壕内に霊安所がある。眼前に青紫色のあやしげな炎のようなものが立ち昇った。そしてすぐに消えた。ローソクのような燃え方に似て、ボボーッと燃えては消え、ボボーッと燃えては滅している。自分のまわりで消えては燃え、灯っては消えている。まるで蛍の一群のようだ。燐に取り巻かれてしまった。
 死が近い者はうわ言をいった。
 「今日は休みだよな。面会人が来ることになっているんだ。もう駅に着いているかなあ」
 「まだ戦争、やってんのかい?もうやめようって、みんなが言ってるよ」
 そうなんですよね。私は、このセリフを紹介するだけでも、この本の書評をのせる価値があると思いました。
 著者は、短かく見ても一週間、長くみたら半月は水一杯も口に入れていませんでした。それでも運よく、缶詰をあけて食べ、サイダーを飲むことができました。
 自分の傷口に丸々と太った真っ白い蛆(うじ)がいた。口中に入れると、ブチーッと汁を出して潰れた。すかさず汁を吸いこんだ。皮は意外に強い。一夜干しでもあるまいに。しばらくその感触を味わった。
 うえーっ、そ、そんなー・・・。これって正気の沙汰ではありませんよね。まさしく地獄のような地底での話です。
 木炭も食べました。軟らかそうで、うまそうだ。急に甘味を思い出し、思わずかじりついた。・・・。すごーい。
 5月17日まで島内を逃げまわり、気を失っているところをアメリカ軍の犬に見つけられ、捕虜収容所のベッドに寝ているところで目がさめたのです。まさしく九死に一生、奇跡的に助かったわけです。
 あの戦争からこちら60年、この国は戦争をしないですんだのだから、おめえの死は無駄じゃねえ、と言ってやりたい。
 著者の言葉です。本当にそのとおりです。この60年の日本の平和を守ってきた日本国憲法(とりわけ9条2項)を変えるわけにはいきません。

会社とは何か

カテゴリー:社会

著者:日本経済新聞社、出版社:日本経済新聞社
 私は学生時代のちょっとしたアルバイト以外、会社で働いたことがありません。この本を読むと、つくづく会社に入らなくて良かったと思ってしまいました。人員削減、派閥抗争など、営利本位の企業という制約以上の悪弊が多くの会社にはあり過ぎるような気がします。もっと社会のための会社というのがあって良いように思うのですが、そんなことを言うと、現実の厳しさを知らな過ぎると叱られそうです。
 アメリカを中心に、世界のファンドが企業買収に回せる資金の総額は100兆円を上まわる。時価総額トップクラスのゼネラル・エレクトリック(アメリカ)やエクソン・モービル(同)が40兆円ほどだから、買えない会社はないということ。
 マイクロソフトは時価総額30兆円。2004年暮れには、3兆円もの配当を実施した。おかげで、アメリカの国民所得の伸び率がはね上がった。うーん、そうなんですかー。
 2005年(1〜7月)に日本企業が決めたM&Aは1500件をこえた。M&Aは、今や、めったにない非日常の出来事ではなく、あらゆる企業が成長のテコとして使いこなす時代となった。
 ボーダフォンはソフトバンクに買収されたが、このとき、負債の山と引きかえに顧客 1500万人をそっくり手に入れた。
 会社法が改正され、一定の条件をみたす非上場企業なら、取締役は1人でいいことになった。そこで、新日鉄化学は、グループ会社にいた69人の取締役を7人に減らした。ええーっ、そんなことができるのですか。ちっとも知りませんでした。
 法改正で委員会等設置会社というシステムが導入された。しかし、この委員会制を導入した電機大手会社は、みな経営不振となり、導入していない自動車会社は快走している。日本には、経験豊かな社外取締役の層が薄いところに問題がある。そうはいっても、日本の主要企業2000社の半分以上に社外取締役がいる。
 ソニーのトップは外国人(ハワード・ストリンガー)。彼は、自宅がロンドン近郊、そしてニューヨークに常駐する。東京の本社には、月に1〜2回通う程度。ソニーグループの社員の6割は外国人。利益も海外で稼いでいる。
 今や、インターネットによる取引が個人の株式売買の8割を占める。
 世界には創業200年以上という長寿企業がある。しかし、それはアメリカには1社もない。長寿の秘訣は、環境に敏感、強い結束力、寛大さ、保守的な資金調達にある。
 日本全国のコンビニ4万2000店の7割が脱サラなどによる「持たざるオーナー」である。
 日本では、過去30年で、新入社員の入社動機が変わった。1971年では、将来性があるというのが3割でトップ。現在は、個性を生かせる、仕事が面白い、自分らしく仕事ができて手早く結果を出せる職場に人気が集まる。
 三井物産は13年ぶりに独身寮を新設した。今なぜ同じ釜の飯が重視されるのか。寮生活を通じて若いうちに人間関係を存分に培ってもらい、人を育てたいというのだ。今こそ人材だ。
 大卒者の2割が職に就かず、入社して3年間のうちに3割が離職する。
 うむむ、なかなか大変な状況ですよね。

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