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陰謀論の罠

カテゴリー:アメリカ

著者:奥菜秀次、出版社:光文社
 9.11テロはアメリカの自作自演だというビデオは私も見ました。全面的に信用したわけでは決してありませんでした(アポロが月世界には実はおりていないという説については、一時、まんまと信じこまされてしまったのですが・・・)が、どうもおかしいところがあるとは思っていました。でも、この本を読んで、なーんだ、そういうことだったのかと、納得できました。9.11がアメリカの自作自演でないこと、そして、この陰謀論は反ユダヤ団体がかきたてているものだということを知りました。実に説得力ある本です。
 著者は日本で最強のオタクを自称しています。いったい本業は何なのでしょうか。9.11に関する報告書全文を読んだというのですから、それだけでもすごいものです。
 WTC(世界貿易センター)の残骸はスクラップとして外国に輸出された。しかし、それは証拠隠滅工作ではない。大事な部分は保管されている。そして、瓦礫のなかから、ボーイング機の残骸、乗客の遺体や持ち物が見つかっている。
 陰謀論はWTCに衝突したのは軍用機だというけれど、ボーイング機だということです。この点は、私も信用していませんでした。
 WTCをつくった設計者はボーイング707を想定して、707が衝突したくらいでは大丈夫だと考えていた。しかし、767は707よりも、タテも横も1割長く、重さで2割も重い。だから、767の満タンのガソリンが燃え上がったこともあってWTCが崩壊したのは合理的な説明が可能なのだ。
 ペンタゴンに突っこんだボーイングの残骸がなく、開いた穴と機の形状があわないという指摘がある。実は、この点を私も疑ったのです。しかし、実は、ペンタゴンに開いた穴はボーイングの形どおりだったし、機の残骸はそこらじゅうに散らばっていた。機長を殺めたカッター、自分証明書、お金、宝石、遺体の一部も見つかっている。子どもの靴、小さなスーツケース、動物のぬいぐるみ、制服を着た搭乗員の遺体の一部も見つかった。そして、ボーイングの機体にみあう穴があいていたのです。
 ユナイテッド93便については、回収された遺体のうち、10数人は身元が判明した。これは遺体の指紋や歯科治療記録にもとづく。単に穴があいているだけではない。
 乗客は携帯電話ではなく、機内電話をつかって地上へ電話をかけて話した。
 テロリストたちが飛行機を操縦できた理由については、通常のハイジャックと違って、着陸とか離陸という高度のテクニックを必要としなかったことがあげられています。
 目を開かせる本でした。うかうか騙されないようにしないといけませんね。

一所懸命

カテゴリー:日本史(中世)

著者: 岩井三四二、出版社:講談社
 この本を読んでいるうちに映画「七人の侍」をついつい思い出してしまいました。なんだか、とても似たシチューエーションなのです。
 ときは戦乱に明け暮れる戦国時代。織田勢が大軍を仕立てて美濃の国へ攻め入ってくるという。地侍は領主の命令で小者を従えて出仕しなければならない。たとえば騎馬侍二騎、槍足軽二人、指物持ち一人、弓持ち一人、徒歩立ち二人の合計八人を出す必要がある。大変なことだ。
 他国の軍勢が侵入してくれば、どのようなひどいことになるか。
 米や麦を盗む、女を犯すぐらいは当たり前のことだ。盗むものがなければ、刈り入れ前の稲を刈ったり、麦や野菜を踏みつけてめちゃくちゃにするなどの嫌がらせをする。負けて捕らえられて者は、奴として売り飛ばされるし、軍勢が去る前には家を焼いたり、井戸に糞を撒いたりする。それは、自分自身も合戦に参加すればやってきたことだ。
 この本は合戦に否応なく参加させられた雑兵の眼で描いています。なるほど、戦国時代の合戦というのはこんなものだったんだろうなと思いました。
 織田信長や秀吉など、トップに君臨する英雄だけに目を向けるのではなく、それを底辺で支えていた人々の気持ちを考えてみることに目が向きました。読みものとしても大変面白く出来ていますが、歴史の見方に目が開かされた思いがしたという点で、私はこの本を高く評価したいと思います。

私が選んだ後継者

カテゴリー:社会

著者:松崎隆司、出版社:すばる舎
 2005年における社長の平均年齢は58歳9ヶ月。現実には、社長交代は思うほどスムースには進んでいない。社長族の構成年齢は高いにもかかわらず、なぜ社長交代が進んでいないのか。
 日本の企業倒産の5割以上は、会社を清算する破産。その原因の多くは後継者の問題。倒産企業の4社に1社が、地方で30年以上経営を続けている企業。
 事業承継の形態は4つある。第一は親族内承継、第二は外部からの雇い入れ、第三が M&Aによる企業売却、第四が事業承継をあきらめ清算すること。
 一族以外から後継者を選ぶケースが近年は増加傾向にあり、2002年には38%にも達している。
 後継者に必要な資質は三つある。従業員を管理する能力、縁を大切にする能力、危機管理能力。
 事業承継でうまくいっているところというのは、実は、先代が早世したところが多い。親と子が一緒だと、どうしてもケンカになってしまう。
 中継ぎ役員、セットアッパーも、その一手法である。後継者の育成と経営を見るという役割を担う。後継者育成とともに、右腕になる人をつくることも、事業承継の重要な要素。
 いま、弁護士会も、この中小企業の事業承継に取り組もうとしています。
 5月中旬、久しぶりに阿蘇の大観峰に行ってきました。いつ行っても、その雄大さに圧倒されてしまいます。今回はじめて気がつきましたが、仏様の涅槃像でもあるのですね。大自然の巧みさに感嘆します。透きとおる五月の青空でした。雲雀が天高く飛び上がって甲高い鳴き声で鳴き、大草原で肥後牛たちが草をはんでいました。

大人が絵本に涙する時

カテゴリー:社会

著者:柳田邦男、出版社:平凡社
 生きる意味というものは、何かいいだろうと受け身で待っていたのでは見つからない。たとえ絶望的な状況下にあっても、自分は最後までこう生きたと人生の物語の最終章を自分で書いてはじめて、それが人生から期待されたことへの答となるものであり、人生の意味になるのだ。
 うーん、なかなかいい言葉です。かみしめたいものです。
 最近は家族が病気で入院していても、子どもを見舞いに連れていかない家が多い。だが、子どもには、もっともっと生老病死に日常的に接するようにすべきだと思う。
 この世に生まれた乳児は、羊水の中の安心感からすぐに抜け出せるわけではない。母親に抱きしめられることを、いわば羊水に替わるものとして求める。心の発達のためには、そういう愛着関係が少なくとも三歳児までは必要だ。心の分娩には3年かかる。
 絵本は絵と言葉が共鳴しあうことによって、奥行きのある立体的な世界を創り出すメディアである。絵は言葉の単なる説明役でもなければ、添え物でもない。言葉もまた、絵が語り切れないところを補うものでもない。
 絵本とは、簡潔に洗練された言葉と象徴的な絵と音読する肉声とが一体となって物語りの時空を生み出す独特の表現ジャンルである。
 子どもは幼いように見えても、喜びや楽しさや悲しさや辛さや無念といったさまざまな感情が芽生えている。そうした感情がきめ細かく育つのを「感情の分化」という。「感情の分化」は、母親をはじめとする家族との接触のなかで芽生え、発達していく。母親や父親がたくさんの絵本や読み物を感情をこめて読みきかせすると、物語の展開にそっていろいろな感情が動き、「感情の分化」がきめ細やかさを増していく。
 これに対し、親が子どもを放置し、テレビに子育てをまかせるような日常になると、子どもの「感情の分化」はほとんど起こらないで、怒りの感情や抑圧感ばかりが強くなり、他者の気持ちを汲みとったり思いやったりする心がほとんど育たなくなる。
 実は、絵本や読み物による豊かな感情の形成という営みは、子どもだけでなく、大人にも必要なのだ。大人こそ絵本を読もう。絵本は子どもだけのものではない。生涯を通じて心の友となるだけの豊かな内容が語られている。心が渇ききっているとき、絵本は心の潤いを取り戻してくれるオアシスとなり、生きるうえで本当に大事なものは何かをあらためて気づかせてくれる。
 大人も、座右に好きな絵本を置いて、ときどき絵を味わう。そんな心のゆとりを持ちたいものだ。少年時代、少女時代に持っていた豊かな想像力、雲を見ていろいろな動物を想像するファンタジーの能力、そういうものをなくした大人って何と干からびた日常であることか。
 私が司法試験の受験生だったころ、同じ受験生仲間で、セツラー仲間でもあった友人が「息抜きに絵本を読んでみたら」と言ってすすめてくれたことがありました。今でもその本のタイトルを覚えています。『天使で大地は一杯だ』という本です。読むと、なるほど頭の中に爽やかな風が吹き渡っていく気がしました。一杯のコーヒーよりはるかに確かな清涼剤となりました。この友人とは、今、東京で活躍している牛久保秀樹弁護士です。
 子どもが生まれてから、たくさんの絵本を買って次々に読み聞かせをしてやりました。読んでるほうも楽しいのです。斉藤隆介の「八郎」とか「花咲き山」などは、絵も文章もいいですね。かこ・さとしの絵本は「カラスのパン屋さん」などいいものがたくさんあります。絵本は3人の子どもたちに次々に読んでやりましたのでボロボロになったのもありますが、みんな捨てがたいので残してあります。そのうち孫ができたらよんでやろうと思うのですが、いつのことやら、というのが我が家の状況です。残念ですが、こればかりは、どうしようもありません。
 私も一度だけ絵本に挑戦しました。弁護士会の職員で絵の描ける人がいたので、私が文章をかいて、彼女に絵を描いてもらいました。出版社に持ちこみましたが、残念ながら入賞はできませんでした。でも、せっかくなので出版してみたのです。ちっとも売れませんでしたが、いい記念になりました。

シュメル人たちの物語、5000年前の日常

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:小林登志子、出版社:新潮選書
 シュメル人とは、どこからやって来たのか分からない民族系統不詳の人々である。シュメル語は、日本語と同じように、「てにをは」のような接辞をもつ言語だった。
 石碑に書かれたシュメル語の碑文が解読されています。学者ってホント、たいしたものですね。
 碑文は神に読んでもらうためのもの。当時の民衆の識字率は低く、民衆のほとんどが碑文を読めなかった。王自身も文字の読み書きができるとは限らなかった。
 シュメル人の衣服は縫わなかった。シーツのようなたっぷりした布を身体に巻きつけて、ピンでとめていた。
 王や王子たちは文字の読み書きができなくても差し支えなかった。そのかわり、王に仕える書記、つまり役人は文字の読み書きができなくては仕事にならない。書記になろうとする男の子たちは学校へ通わされた。シュメルの父親は教育熱心だった。
 シュメルは文明社会であり、法によって治められる社会だった。殺人は死刑と定められていた。
 シュメル人の庶民の結婚には父親の同意が不可欠だった。婚姻契約を結び、王の名にかけて証人の前で婚姻締結を宣言した。女性の処女性は重視されており、妻は夫に貞操義務があった。契約書なしの内縁関係では、離婚するとき慰謝料を支払う必要はなかった。夫婦は同居の義務があったが、財産は別だった。
 夫の家庭内暴力から逃げ出した妻がいるという話も紹介されます。
 シュメルで女性は、いくつかの重要な法的権利をもっていて、財産を所有できたし、証人として出廷できた。
 シュメル人の死生観には地獄がない一方で、天国や極楽もない。一度だけの生をよく生きると定めざるをえない。あの世よりも、この世を大切に生きた。死者は生前のおこないの善悪にかかわらず、死ねば一律にクルヌギに行き、飲食物に不自由するので、生きている者は死者のために供養する義務があると考えられていた。
 5000年前、古代メソポタミアの人々の生活が案外、今の私たちと同じようなものであることに驚いてしまいました。古代の文字が解読されるって、ホントすごいことです。

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