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エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー

カテゴリー:アメリカ

著者:前田詢子、出版社:角川選書
 前に『エルヴィスが社会を動かした』(青土社)を紹介しました。その本の訳者だった著者による本です。エルヴィスプレスリーは、私より少し上の世代ですが、メンフィスにあるプレスリー邸を訪問したことがありますので、興味深く読みました。
 あらかじめマテリアルが用意されることはなく、音を出しあって、あれこれやってみる。そして、これというサウンドが得られるまで試行錯誤を繰り返す。だから、どんなものが生まれてくるかは、誰にも予想がつかなかった。何もうまれてこないことがあったが、そんなときは、翌日か翌々日にまた同じことをやり直した。もしも、楽譜だけの、紙の上の作業であれば、このような思いがけないサウンドが生まれることは決してなかっただろう。
 それは、黒人のブルースの上に白人のカントリーをのせたもの、逆に白人のカントリーの上に黒人のブルースを乗せた音の重ね方の問題ではなかった。それは、ブルースでもカントリーでもない、カラー・ラインが溶け落ちた危険な音だった。そして、それは何よりも、農村の音楽と都会の強烈なビートの融合だった。
 なーるほど、だから、白人青年も黒人青年も、ひとしくエルヴィスに熱狂したのですね。まさしく危険な音楽をエルヴィスは広めたのでした。
 1950年代のアメリカ人の生活にもっとも大きな変化をもたらしたのはテレビだった。1950年にテレビをもつ家庭は390万世帯。そのとき、ラジオ聴取者4000万人。1950年代前半にはアメリカ全世界の88%がテレビをもっていた。劇的な普及ぶりだった。
 若者たちから絶賛され、大人たちから罵倒されたエルヴィスの独特のパフォーミング・スタイルは、ステージ用の振り付けとして学んだものではなかった。それは、エルヴィスが幼いころからなじんだ教会の牧師や、ゴスペル・シンガーたち、黒人ブルース歌手などを見て、自然に身につけてきたものだった。
 エルヴィスは意識的な社会活動家ではなかったが、黒人を対等の人間として受容する勇気を持っていた。エルヴィスは尊敬する黒人に敬語をつかい、若い黒人ミュージシャンとは肩を組み、友人として平気でつきあった。
 南部社会は、極貧の者に極貧の者の生き方があることを教えていた。エルヴィスは絶望的な貧困から彼ら一家を救い出してくれた神に心から感謝し、初めて手にする贅沢なモノに感動した。親孝行だったエルヴィスは、1956年9月、運転免許さえ持たない母親にピンクのキャデラックを贈った。キャデラックこそ、貧しい者にとって最高の富の象徴だった。
 エルヴィスは、この世における自分の役割は何かという長年の自問に対して、ついに答えを見出した。エルヴィスのコンサートは、音楽の不思議な力を通して、人々の心に直接メッセージを送る場であり、アメリカの本源的な自由と希望、未来への可能性と期待を呼び覚ます場であった。
 エルヴィスは1973年10月、妻と離婚した。そのことでエルヴィスは悲しみに打ちひしがれ、怒りで荒れ狂い、絶望あまり健康を害した。もともと過労がもとで内臓に複合障害があった。妻の行為は、エルヴィスにとって、夫である自分に対する重大な裏切りであり、男の威信を打ち砕く破滅的な一撃だった。
 油断のならない取り巻きに囲まれて、エルヴィスは一人でいるよりもさらに孤独だった。強い照明とカメラのフラッシュで痛めつけられていた眼は緑内障を起こしていた。肝臓や腸、腎臓、心臓にも障害が見られ、慢性の低血糖症や高血圧、肥満があった。精神面でも極度のうつ状態に陥ることが多かった。
 エルヴィスは、多量の処方薬を摂取することで症状を抑えて、コンサートを続行した。
 1977年8月16日、エルヴィス・プレスリーは突然、この世を去った。バスルームに入って本を読んでいるところを心臓発作に襲われ、そのまま倒れた。救急車で運ばれ、蘇生処置がほどこされたが、その甲斐なく死亡した。解剖の結果、死因は不整脈による心不全と判定された。心臓は肥大し、肝臓や腸にも障害が見られた。遺体からは14種類の処方薬が検出され、鎮痛剤に関しては処方規定の10倍の量が測定された。薬物によるショック死も疑われた。
 あまりに過重なコンサート・スケジュールをこなすため、体調の悪化を処方薬の大量摂取で切り抜けてきたことが遠因であることは明らかだった。
 偉大な歌手も、コンサートの重圧には耐えられなかったというわけです。痛ましい事実ですよね。それにしても、まだ42歳の若さでした。同じように、フランスのエディット・ピアフは 47歳で薬づけの状態で亡くなりました。
 札幌のススキノでシャンソニエに行きました。昔からお世話になっている藤本明弁護士の行きつけの「プチ・テアトル」というお店です。申し訳ないことに、お客はなんと、私たち2人だけでした。若い女性の伸びやかなデュエット、いぶし銀のようなママさんの歌を堪能して、夜のススキノの雑踏をホテルまで歩いて帰りました。ありがとうございます。
(2007年7月刊。1600円+税)

かけ出し裁判官の事件簿

カテゴリー:司法

著者:八橋一樹、出版社:ビジネス社
 ヤフーブログに現役の若い裁判官が書いているのだそうですね。私は読んだことがありませんが・・・。
 この本は、その裁判官が一つの刑事裁判に関わった裁判官の物語を書いてみた、というものです。ですから、まったく架空の創作です。
 でも、身近にいる裁判官の日常をそれなりに知る者としては、ああ、そうそう、こんなんだよね、と思いながら、ほとんど違和感なく読みすすめることができました。フツーの市民の参加する裁判員裁判が始まろうとするいま、こんな読み物がもっと広く市民に読まれたらいいな、そう思って、この本を紹介します。
 裁判所のなか、3人の裁判官が合議(議論することをこう言います)する状況が詳細に描かれています。要するに、会議室で、「さあ、今から合議しましょう」と始まるのが合議ではなく、立ち話の片言隻句も合議のうち、なのです。
 事件は、恐喝そして強盗致傷事件が成立するかどうか、というものです。オヤジ狩りをした青年たち、コンビニ付近でたむろしている青年たちの行動が問題とされています。とったお金が分配され、それが共犯行為にあたるものなのか、ということも問題になっています。
 先日、司法研修所の教官だった人から聞いた話によると、証言を表面的にしか理解できない修習生が増えているということでした。分析力が身についていないというのです。悲しいことです。人間の言葉は、ただ文字面だけをもってそのとおりだと理解すると、とんでもない間違いを犯すことがあります。その点は訓練が必要なように思います。
 軽く、さっと読め、そして裁判官の世界を身近なものに思わせてくれる、いい本です。
(2007年8月刊。1300円+税)

全記録・炭鉱

カテゴリー:社会

著者:鎌田 慧、出版社:創森社
 かつて日本には至るところに炭鉱があった。炭鉱で働く労働者は1948年に46万人、1957年にも30万人いた。2007年の今では釧路炭田(釧路コールマイン社)に  500人ほどしかいない。
 私は一度だけ、閉山前の三井三池炭鉱の坑内に入ったことがあります。有明海の海底よりさらに何百メートルも下、地底深くの切羽(きりは。石炭掘り出しの最前線です)にたどり着くまで、坑口から1時間以上もかかりました。周囲はすべて真っ暗闇のなかです。厚いゴム製のマンベルトに乗って、石炭のひと塊になった感じで昇ったり降りたりしてすすんでいくのです。暗黒の地底に吸いこまれそうな恐怖心を覚えました。
 炭鉱夫が生き抜くのは、ひとえに運と勘である。そうなんです。運が悪ければ死、なのです。いつ落盤にあってボタ(石炭ではない岩石)に圧しつぶされるか、いつガス爆発で殺されるか分からない、まさに死と隣りあわせの危険な職場です。
 北海道にあった北炭夕張炭鉱では、7年ごとに死者数百人という大事故が発生しており、死者20人未満の事故など、数えきれないほど。もちろん、天災というのではなく、安全無視、生産優先による人災です。
 そして北炭夕張炭鉱が閉山になって、人口10万人いた夕張市は、今では人口3万の都市になってしまいました。
 北海道の炭鉱の労務管理は三つの型に分類できる。三菱系は警察型労務管理。三井系は物欲的労務管理。北炭系は精神的労務管理。
 うーん、そうなんですか・・・。三井系も、けっこう警察に頼った労務管理をしていたように私などは思うんですが・・・。
 夕張には3人の市長がいると言われてきた。鉱山の所長、炭労出身の地区労議長、そしてホンモノの市長は、いわば三番目の市長。初代市長は北炭の労務課長出身だった。
 大牟田にあった三池炭鉱が閉山して、既に10年がたちました。いま、大牟田に炭鉱があったことを思い出させるのは、海辺にある石炭科学技術館くらいのものです。映画『フラガール』で見事に再現されていた2階建ての炭鉱長屋もまったく保存されていません。そういうものは、きちんと歴史的遺産として残すべきだと私は思うのですが・・・。
(2007年7月刊。1800円+税)

川の光

カテゴリー:未分類

著者:松浦寿輝、出版社:中央公論新社
 この本を読んでいるうちに、昔、子どもたちが小さかったころに読んだ覚えのある『冒険者たち。ガンバと十五ひきの仲間』(斎藤惇夫、岩波書店)を思い出しました。その本にはドブネズミのガンバを主人公とした勇気あふれる物語が描かれています。奥付を見ると、1982年11月の発刊ですから、今から25年も前の本でした。子どもたちと一緒になって夢中で読んだように記憶しているのですが、実は、読んだらサインをしたはずのサインがありませんでした。もう一度(?)、読んでみることにします。
 この本も、幼い子どものころにかえったような気分でワクワクドキドキしながら読みすすめました。たまに児童文学を読むのも気分がリフレッシュし、気分が若返って、いいものですよ。昔々、司法試験の受験生だったころ、『天使で大地はいっぱいだ』という児童文学の本を読んで頭をスッキリさせたことを再び思い出しました。
 この本は、なんと、読売新聞の夕刊に1年近く連載されたものを本として刊行したことを知って驚きました。私も高校生のころに、新聞の連載小説をよく読んでいました。源氏鶏太や獅子文六のサラリーマン向け小説を読んだ記憶があります。ちょっぴり大人向けの内容でしたので、少し背伸びした気分で読んでいました。
 この本の主人公は、ドブネズミではなく、川辺の土手に穴を掘って生活するクマネズミです。ひとまわり体の大きいドブネズミも登場しますが、ドブネズミのほうは帝国をつくっていてクマネズミの侵入を決して許しません。町のなかを貫いて流れる川が暗渠化される工事が始まって、主人公のクマネズミ一家は出ていかなければなりません。ところが、クマネズミの敵は至るところにたくさんいます。地上にはイタチやネコ、そしてドブネズミがいます。空からはカラスやノスリなどにも狙われます。
 窮地に立ったクマネズミ一家ですが、ゴールデンリトリバーの心優しい飼犬や古い洋館に老婆と住む猫に助けられます。そこらあたりが小説です。ほかにも、スズメの子どもを助けてやったため、それに恩義を感じた親スズメに何回も助けられたり、まさにクマネズミ一家の脱出行は波乱万丈です。
 いやあ、いいですね。こんな話をたまに読むのもいいですよ。
 本のオビに「空前の反響を呼んだ新聞連載」とあります。かなり誇張されているとは思いますが、なるほど読み手の心をうつ連載だったろうと思います。
 日経新聞で連載していた渡辺淳一のセックス満載の小説(『愛の流刑地』。私は読んでいません)よりは、よほど健全だし、明日に生きる元気を与えてくれる本であることは間違いありません。
(2007年7月刊。1700円+税)

せめて一時間だけでも

カテゴリー:ヨーロッパ

著者:ペーター・シュナイダー、出版社:慶應義塾大学出版会
 ナチスの支配するドイツの首都ベルリンで、ユダヤ人音楽家が活動して、無事に戦後まで生き延びたという感動の記録です。ナチス・ドイツのなかでも、ユダヤ人だと知ったうえで、ユダヤ人を生命がけで助けていたドイツ人がいたのです。映画『シンドラーのリスト』に出てくるシンドラーだけではありませんでした。ベルリンで地下潜伏生活をしてユダヤ人   1500人が生きのびたとみられています。相当数のドイツ人がそれを助けました。
 1500人が生きのびたといっても、戦前のベルリンに住んでいたユダヤ人は、実に 16万人いたのです。その半数は外国に逃れました。残る8万人は、強制収容所で生命を奪われました。
 ユダヤ人の夫を持つドイツ人の妻たちは、夫の即時釈放を求めて、数百人の女性が一週間にわたってデモ行進した。収容所の入り口を封鎖し、一歩も退かなかった。ナチの手先はドイツ女性に対して発砲できなかった。とうとう、ゲシュタポは、逮捕したユダヤ人の夫たち全員を釈放した。すごーい。すごいですね。やはり、女性の力は偉大です。
 ユダヤ人のコンラート・ラテは、キリスト教会のオルガン奏者になり、ひっぱりだこだった。天職に向かって自己を完成させたいという意思が、いつ捕まるかもしれない不安感を上まわり、日々、ベルリン中を動きまわる原動力になっていた。
 1人のユダヤ人を救うためには、7人の援助者が必要である。しかし、この推計は控えめすぎる。彼らを行動に駆り立てたものは、危険に対する無謀さなどではなかった。まず追い詰められたユダヤ人の苦境が目に入り、次に支援にともなう自らの危険を察知した。誰も、はじめから生命を失うことを覚悟して行動に出たわけではなかった。しかし、みんなすすんで、同情の念から、自尊心から、危険を引き受け、その後で危険を最小限にとどめようとした。
 ユダヤ人を生命がけで助けた一人のドイツ人の女性が戦後、インタビューを受けて、次のように語りました。
 毎朝、鏡のなかで自分の顔をきちんと正視したいからですね。
 うむむ、なんという崇高な言葉でしょう。
 私はドイツ人です。ヒトラーの時代にドイツで起きたことを、私は心底から恥ずかしく思っていました。それを埋めあわせることはできませんでした。ましてや同調するなんて、考えられないことでした。
 うひゃあ、こんなドイツも少なからずいたのですね。このとき、日本人はどうだったんでしょうか・・・。
 ナチス政府から死刑宣告を受けた政治犯を刑の執行まで拘禁しておくテーゲル刑務所のペルヒャウ牧師は、反ナチの人々をかくまう抵抗グループの一員でもあった。
 うむむ、これもすごいことですね。
 コンラートは、自分がユダヤ人であることを正直に話して救いを求めた。突然のことなのに、それにこたえてくれる人がいたのです。とても危ない日々を過ごしていたわけです。あらためて、人生を考えさせてくれました。
(2007年7月刊。1800円+税)

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