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渥美清

カテゴリー:社会

著者:堀切直人、出版社:晶文社
 私が『男はつらいよ』を初めて見たのは、東大闘争(世界からは大学紛争と言われていますが、それに積極的に関わったものとしては、紛争と言いたくはありません)が終わった年(1969年、昭和44年)の5月祭のとき、法文25番大教室だと思います。窓まで学生が鈴なりでした。みんなで大笑いしました。でも、人間の記憶って、あてにはなりません。これも私の思いちがいかもしれません。私の脳裏にあるところではそうだ、としか言いようのない話です。
 『男はつらいよ』を私も全部みたというわけではありませんが、その大半はみています。銀座の封切り館でみたときには、下町の場末の映画館のような観客のどよめきに乏しく、ああ、やっぱりこの映画は銀座じゃなくて、下町でみるものなんだと思ったことを覚えています。福岡に戻ってきて、飯塚の、それこそ場末の映画館で、弁護士仲間と一緒にみたこともあります。同じようなボロっちい旅館(ごめんなさい。老舗の高級旅館ではないという意味だと理解してください)が画面に登場して、それだけでワハハと大笑いしたこともありました。お正月は、実家に顔を出したあと、子どもたちと一緒に映画を楽しんでいました。だから、一家で夏にヨーロッパへ出かけようとしたときに渥美清が亡くなったことを知って、一家をあげて哀悼の意を表しました。これは本当のことです。
 この本の著者は私と同じ生年です。私はテレビ版の『男はつらいよ』をみた覚えがありません。テレビの『男はつらいよ』が終了したのが1969年3月といいますから、そのときには私は大学2年生でした。学生寮に入っていて、東大闘争のさなかにテレビで放映されていたようですので、私が一度もみたことがないのも、ある意味では当然です。学生寮(駒場寮)では、どこかにテレビはあったと思いますが、6人部屋で友人たちとダベリングに忙しくて、また、それが楽しくてテレビなんか全然みていませんでした。その体験があるので、今もテレビなしの生活で何ひとつ不自由も不満も感じないのだと思います。
 渥美清は1969年3月、41歳のとき25歳の女性と結婚したそうです。しかし、渥美清は、私生活を完全に隠し通しました。自分が死んだときにも、奥さんに雲隠れさせ、長男に対応させたというのですから、徹底しています。碑文谷に自宅があり、代官山のマンションを自分の部屋としていたそうです。日常生活から役者になりきるためには、いったん、その部屋に行って自分の身体に染みついた家庭人の匂いを消し去り、役者としての自分を取り戻し、車寅次郎になりきろうとしたというのです。すごいことです。68歳で死ぬまで、役者人生をまっとうした渥美清を心より尊敬します。というか、何度も何度も楽しませてくれたことに感謝したいと思います。
 この本によって渥美清の実生活をいくつか知ることができました。
 渥美清は昭和3年3月10日に東京の上野駅近くで生まれた。父親は若いころは地方新聞の政治記者をしていた。母親は高等女学校を出て、小学校の代用教員もしたことがある。宇都宮藩士の娘であることに誇りをもっていた。兄は秀才で、文学者を志望して小説やエッセイを書いていたが、25歳の若さで肺結核のため病死した。要するに、渥美清の家は東京の下町にあったが、地方出身者の夫婦を中心とするインテリ一家であった。
 渥美清は小学校ではまったくの落ちこぼれ生徒だった。小児腎炎、関節炎で、それぞれ1年休学している。学業成績はいつもビリから2番目。しかし、そんな彼にもたったひとつ才能があった。人を笑わせることだった。渥美清の面白おかしい話の最初の聞き手は母である。母は内職の手を休めず息子の話を熱心に聞き、その話を心底楽しんだ。
 やはり偉大なるもの。その名は母、ということです。
 渥美清は中学にも大学にも行っていない。尋常小学校を卒業したあと、14歳で町工場に就職し、それから、古着屋、洋品店、本屋の店員、石けん工場・セルロイド工場の工員、倉庫番、行商などの職についたが、どれも長続きしなかった。一時期ぐれて、上野の地下道あたりをうろつき、酒と博打とケンカに明け暮れた。ヤクザ組織にも関わったことがある。テキ屋仲間に加わり、正式な盃こそもらっていないが、霊岸島枡屋一家に身を寄せ、その配下の者にくっつき、上野のアメヤ横丁の一角でタンカ売の手伝い、サクラをした。浅草で芸人になってからもタンカ売を実際にしたこともある。
 ひゃあ、そうだったんですか。道理で、真に迫った口上だと思いました。下積み生活のときにはM・K子と同棲生活を続けていました。でも、渥美清が有名人になったとき、M・K子のほうが身を退いたという話です。
 渥美清は、舞台に出る前に、強い焼酎を一気にあおった。酒が回ればまわるほど舞台での口調はメリハリがきいて、一般と歯切れがよくなり、アドリブが次々と飛び出してきた。
 映画の『男はつらいよ』シリーズは、山田洋次と渥美清の共同作業によってつくり上げられたものである。山田洋次は、このシリーズのなかに、落語的な描写のセリフとテキ屋的な言葉のアクロバットを両方巧みに盛りこんだ。渥美清は、その両方を見事に語り分けた。うむむ、なーるほど、鋭い分析です。感心しました。
(2007年9月刊。1900円+税)

果断

カテゴリー:司法

著者:今野 敏、出版社:新潮社
 主人公はキャリア組の警察官。20代のとき若殿研修で署長になったが、46歳になって再び第一線の大森警察署長に就任した。その前は警察庁長官官房の総務課長だった。つまり、左遷されたわけだ。なぜか?
 警察署長が一日に決裁する書類は700〜800。800もの書類を決裁するというのは、一日8時間の勤務時間内にはとうてい処理できない。内容の確認などせずに押印することになる。それでいいと言われている。手続き上、署長印がないと物事が完結しないというだけのこと。
 現在の警察組織の実態では、警察署長は、指揮者ではなく管理者に過ぎない。だいたい副所長というのは署長をよく思っていないものだ。事実上、署内を統括しているのは自分であり、マスコミの対応もすべて自分がやっているという自負がある。
 特別捜査本部が大がかりな指揮本部ができると、その年の署の予算を食われてしまう。柔道、剣道、逮捕術などの術科の大会で好成績をおさめても、祝賀会もできない。旅行会もなし。忘年会もひどく質素なものとなるだろう。
 だから、署員は捜査本部や指揮本部を嫌う。公務員だけが公費で飲み食いをするのだ。
 主人公は警察庁時代にはマスコミ対策も担当していた。だから、彼らがどういう連中かよく知っている。結論から言うと、彼らはペンを手にした戦士なんかではない。商業主義に首までどっぷり浸かっている。新聞社もテレビ局も、上に行けば行くほど、他社を抜くことだけを考えている。つまりは新聞を売るためであり、視聴率を稼ぐためだ。
 言論の自由など、彼らにとってはお題目にすぎない。要するに、抜いた抜かれたを他社と競っているにすぎない。それは生き馬の目を抜く世界だと、本人たちは言っているが、何のことはない。彼らは単に楽しんでいるだけではないのか・・・。
 小料理店に拳銃を持った男が押し入り、店主と店員を人質にとって立てこもります。さあ、どうしますか?
 若い元気な人なら、すぐに突入して人質を解放すべきだと考えるかもしれません。
 SITは捜査一課特殊班のローマ字の略だ。刑事部内で、テロや立てこもり、ハイジャック犯などに対処するために組織され、日々訓練を受けている。
 SATは、ほぼ同じ目的で警備部内で組織されている。こちらはドイツの特殊部隊などと手本にした突入部隊であり、自動小銃やスナイパーライフルで武装している。
 この警察小説も推理小説ですから、ここで粗筋を紹介するわけにはいきません。なかなか面白い本だったというに留めておきます。
(2007年4月刊。1500円+税)

パンダ

カテゴリー:未分類

著者:岩合光昭、出版社:新潮社
 ウワー、パンダって、ホント、可愛い。世界の不思議のひとつですよね。
 パンダは実によくヒトを見ている。誰もいないところでは、クマのような鋭い顔をしているのにヒトを見るなり、可愛いパンダに変身してしまう。パンダには、ヒトを惹きつける魔力がある。
 現在、パンダは野生で生息しているのは、1000頭から1500頭。いつ絶滅してもおかしくない。いやあ、パンダを絶滅させてはいけません。
 パンダの幼稚園の写真があります。10頭以上もの子どもパンダがブランコ周辺で固まって遊んでいる写真です。ぬいぐるみパンダより、もっともっと可愛いパンダたちです。
 生まれてすぐのパンダの赤ちゃんは体重100グラムほど。丸裸で、ピンクの肌が見えています。
 四川省にあるパンダ保護研究センターでは、パンダの繁殖に成功している。パンダの母と子の会話。子がクッワン、ミューミューと鳴くと、母はクゥーと一声鳴く。
 パンダはヒトの声を鋭く聞き分ける。飼育係の声で全員集合。集合したら、食事の時間。たちまち30本のタケノコをたいらげる。大昔、タケを主に食べるようになって、パンダは生き残れた。
 パンダの今後の生存は、人類の生存にもつながっていると考えるべきだと思います。日本も中国へ自動車を売りこむことばかり考えずに、生物保護のためにどうすべきか、両国は手をとりあって取り組むべきだと思いました。
(2007年7月刊。2200円+税)

花はなぜ咲くのか

カテゴリー:生物

著者:鷲谷いづみ、出版社:山と渓谷社
 花の世界の不思議を解明する楽しい写真集です。ホント、花って不思議ですよね。わが家の庭にトケイソウがあります。その花は、まさしく時計の文字盤そっくりです。小さく折り畳まれていたツボミが、ぐんぐん開いていって、見事な大輪の花に変わっていくさまは、見事なものです。よくも間違って折り畳んでしまわないものです。
 花は、虫たちに紫外線を反射してシグナルとメッセージを送っている。花が虫たちに蜜(みつ)のありかを教える標識をネクターガイド(蜜標)という。
 植物たちが心待ちにしているのは、配偶相手と結びつけてくれる仲人、つまり花粉の運び手となる動物(ポリネータ)である。いかにポリネータを操って、よき配偶者と出会い、健全な子孫を残すのか。花には、そのための知恵が結実している。
 花とその花粉を運ぶ動物との関係は、お互いに利益を得ることで成り立つ相利共生関係である。花は動物に花粉を運んでもらうことでタネを結ぶことができ、動物は蜜や花粉などのエサにありつける。お互いに利益を得ることで、相手を必要としている。
 タンパク質やミネラルの豊富な花粉を報酬とするのは、植物にとっては相当な経済的負担となる。もっと安上がりにしたいと思って選ばれたのが甘い蜜。これは光と水さえ十分にあれば、二酸化炭素と水を材料として、いくらでも光合成でつくり出すことができる。そして、ポリネータに気に入ってもらえるように、蜜には糖以外の滋養分もほどよく混ぜこまれている。たとえば、アミノ酸。
 早春に咲くザゼンソウのお礼は、暖かい部屋。つまり、積極的に発熱し、暖かい部屋を用意して虫たちを招き寄せる。
 マルハナバチは、その個体それぞれに、蜜や花粉を集める植物の種類を決めて、同じ種類の花だけを選んで訪れるという性質がある。これを定花性という。同種の花だけを次々に訪れるため、植物からみれば、同種の花に効率よく花粉を送り届けてもらえるわけだ。だから、定花性をもつマルハナバチ類は、ポリネータとして花に絶大な人気がある。
 ふむむ、なーるほど、そういうことだったんですか・・・。わが家の庭にもマルハナバチはよくやって来ます。丸っこいお尻が特徴の愛らしい姿をしています。
 このほか、性転換する植物も登場します。テンナンショウ属マムシグサは性転換する。環境条件に応じた栄養成長と有性生殖の成功に応じて、オスからメスへ、ときにはメスからオスへと、ダイナミックに起きる。
 大自然の奥行きの深さは尽きぬものがあります。
 いま、わが家の庭には秋明菊の淡いクリーム色の花が咲いています。とても上品で、可憐な雰囲気の花なので、私は大好きです。黄色いリコリスの花も咲いています。ヒガンバナは終わりました。芙蓉の花も次第に咲かなくなりました。今年はキンモクセイの香りがしないと新聞のコラムに書かれていました。なるほど、わが家もそうです。たくさん花は咲いているのですが・・・。でも、そのうち例の甘い香りを漂わせてくれると期待しています。実は鉢植えのシクラメンが小さな花を咲かせています。去年の暮れにもらったものを今回はじめて生きのびさせることができました。
(2007年7月刊。1600円)

靖国問題Q&A

カテゴリー:社会

著者:内田雅敏、出版社:スペース伽耶
 この夏、私は知覧にある特攻記念館を久しぶりに訪れました。そこには、第二次大戦の最末期に特攻出撃して亡くなった若者たちの写真や遺書などが展示されています。広い講堂で、彼らの最期の様子を写真で示しながら語り部のおじさんの話も聞きました。見学した人びとが涙するところです。
 でも、ここには、大西海軍中将が「統率の外道(げどう)」と批判した無謀な特攻作戦について、それを命じた軍指導者の責任を問うような展示も説明も見かけません。私はまだ行ったことがありませんが、靖国神社にある遊就館も同じだそうです。
 戦争末期、軍幹部らは撃ち落とされることがわかっていながら、本土防衛のための時間かせぎ、国体護持のための温存という名目で、海軍兵学校、陸軍士官学校出の職業軍人には特攻をさせず、もっぱら学徒・少年兵を次々に特攻出撃させた。
 それも速成で技量も十分でなく、しかも満足に飛べないような整備不良の飛行機で出撃させ、敵艦に近づく前にほとんどが撃墜された。
 日本軍の残虐性を象徴しているのは、特攻だ。みんな志願して特攻にのぞんだと言われているが、上官に命令されたのだ。上官の命令は天皇の命令であり、志願しないとぶん殴られるから出撃する。
 この本は、39の問いに対する答えを示すという問答方式によって靖国神社をめぐる問題点を実に分かりやすく解説しています。著者は日弁連の憲法委員会などで活躍している弁護士です。私も最近、知りあいになりました。
 靖国神社は、国内法的に「戦犯」というものは存在しないという見解に立つ。しかし、このような見解は国際社会において容認されるものではない。
 河野洋平衆議院議長は次のように語った。
 「世代の問題ではなく、事実に目をつぶり、『なかった』と嘘を言うのは恥ずかしいこと。知らないのなら学ばなければならない。知らずに、過去を美化する勇ましい言葉に流されてはいけない」
 まことにもっともな指摘です。
 元軍人の遺族年金の支給については、いまなお「天皇の軍隊」の階級がそのまま生きているという指摘に驚かされました。まさに帝国陸海軍は現代日本に息づいているのです。1994年に、大将だった人の最高額は年間761万円。一般兵の最近は年104万円。7倍もの差がある。2004年に、大佐で年285万円、一般兵で59万円だった。ところが中国「残留」孤児に対しては自立支度金として、わずかな一時金(大人で32万円)。
 後藤田正晴元官房長官は次のように言った。
 「一国の総理(小泉首相のこと)が、今になって国会の答弁の中で、孔子様の言葉だと言って『罪を憎んで人を憎まずということを言ってるじゃないですか』なんて言うようではどうしようもない。それは被害者の立場の人が言うことで、加害者が言う言葉ではない。そういう意見が国会の場で横行するようになっては、日本という国の道義性、倫理性、品格を疑ってしまう」
 そうですよね。小泉前首相に品格なんて全然ありませんでした。
 中国との戦いに敗れたということを認めないまま総括を誤ってきたのが、戦後の日本であり、日本人の戦争観の根本的な問題がそこにある。
 日本はアメリカとの戦いで164万人の兵力を投入した。しかし、同じとき中国にはそれより多い198万人もの兵力が配備されていた。このように中国戦線の比重は非常に大きかった。ところが、あの戦争はアメリカの物量に負けたと総括することで、日本の侵略に抵抗した中国やアジアの人々の存在を忘れることにしたのだ。
 うむむ、これは鋭い指摘だと思います。私も大いに反省させられました。
 中曽根康弘元首相は靖国神社に初めて公式参拝した。しかし、中国や韓国・朝鮮など近隣アジア諸国から厳しい批判を受けて、以後、参拝を取り止めた。
 「やはり日本は近隣諸国との友好協力を増進しないと生きていけない国である。日本人の死生観、国民感情、主権と独立、内政干渉は敢然と守らなければならないが、国際関係において、わが国だけの考え方が通用すると考えるのは危険だ。アジアから日本が孤立したら、果たして英霊が喜ぶだろうか」
 後藤田氏も中曽根氏も、まことにもっとも至極な考えを述べています。同感です。靖国問題について、保革いずれの支持者であるにかかわらず、勉強になる本だと思いました。
(2007年5月刊。1500円+税)

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