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したたかな生命

カテゴリー:未分類

著者:北野宏明・竹内 薫、出版社:ダイヤモンド社
 いやあ世の中には知らないことって、ホント、多いんですよね。知れば知るほど、世の中のことが少し分かってきたみたいで、胸がワクワクし、うれしくなってきます。この本も、なるほどなるほど、そうだったのかと、ついついたくさん赤エンピツでアンダーラインを引いて読みすすめました。おおいに知的刺激を受ける良質の本です。
 はじめの書き出しは何やら難しいので、例によって飛ばし読みをしました。ロバストネスが出てくるあたりから、素人の私にもよく分かる話になって、俄然、面白くなります。
 ロバストネス。耳慣れない言葉。頑健性と訳されることが多いが、あまり本質を表してはいない。いろいろな攪乱に対して、その機能を維持するシステムのこと。頑健という言葉から来る堅いイメージとは違い、よりしなやかで、ダイナミックなもの。逆に、ロバストネスがないと、簡単な攪乱で、すぐにシステムが機能不全に陥ってしまう。つまり、そのようなシステムは脆弱性をもつ。システムのノイズとか故障は、システム内部からくる内乱で、乱気流のようなものは外乱です。内乱と外乱をあわせて攪乱と呼ぶ。
 ボーイング777(B777)の設計思想は、徹底した冗長性の導入にある。B777は、すべて電子制御で飛行機を制御するので、二重三重の冗長性という概念を導入している。たとえば、3台あるコンピューターは、別々の設計になっているし、CPUはモトローラ、インテル、デハイスと別々のメーカーのものをつかっている。2台のコンピューターは電子機器関係のスペースに設置されているが、3台目は貨物室の前方に設置されていて、火災や物理的な損害から全部がダメージを受けないようになっている。
 このように同じような要素がたくさんあって、それがお互いにバックアップするというときには、「冗長性」という言葉が使われる。
 ロバストネスとパフォーマンスは、トレードオフの関係にある。それを説明する一つの例が牛丼の吉野家。吉野家は、単品経営をしていた。吉野家はアメリカ産のショートプレートという種類の牛肉だけを輸入していた。だから、価格と味というパフォーマンスの点で、他の店は吉野家にかなわなかった。営業利益は15%だった。単品経営のリスクをとったからこそ可能だった。多角経営とか仕入れルートを分散していたら、価格や味は、吉野家のレベルには達しなかったはずだ。吉野家が他品目メニューでは、望むレベルの収益率には達せない。だから、いま吉野家は、他品目メニューを扱うMM店舗と、牛丼専門店の2系統の店舗展開をしている。ハイリスクでハイリターンの牛丼専門店とローリスクでミドルリターンのMM店舗である。
 うむむ、なるほど、なーるほど、世の中って、そうなっているんですね・・・。よーく分かりました。それにしても、アメリカ産牛肉(ショートプレート)とオーストラリア産牛肉(オージービーフ)とで、同じ牛なのに何が違うんでしょうか。よく分かりません。
 糖尿病のしくみやがんの仕組みについての解説も大変興味深いものがありますが、ここでは割愛します。関心のある方は、ぜひ本を読んでみてください。
 人間の腸内細菌は、体の細胞の10倍あり、その重さは1.5キロもある。脳とほぼ同じ重さ。このバクテリア、フローラが存在しないと、腸管免疫は成立しない。バクテリア・フローラは、それ自体が人間の臓器だとも言われている。人間は、多くのバクテリアと相利共生しているため、多様な食物や病原体に対応できる能力を得ている。
 バクテリア・フローラは、自己なのか自己じゃないのかと問うと、広い意味では自己と考えざるをえない。なぜなら、バクテリア・フローラのまったくいないときには、人間は消化活動がほとんどできないから。
 いくつかのアミノ酸は、人間の体ではつくられないけれど、バクテリア・フローラがつくってくれるものを吸収している。免疫系も、バクテリア・フローラがないと形成されない。
 世の中をまた違った視点で考え、みることができました。著者に対して心よりお礼を申し上げます。ありがとうございます。
(2007年11月刊。600円+税)

丁家の人びと

カテゴリー:中国

著者:和多田 進、出版社:バジリコ
 いま日本に住む中国人女性実業家である丁 如霞(ティンルーシア)さんの一生を聞き書きした本です。1946年生まれということですので、私より2歳年長ですが、ほぼ同世代といえます。今は家族ともども日本で活躍していますが、中国大陸で生まれて激動の人生を歩いてきたのです。500頁もの大部な本ですが、ぎっしり人生の濃密なものが詰まった本として一心不乱に読みふけりました。
 丁家の本拠地は杭州です。残念ながら私は、まだ杭州に行ったことがありません。丁家は銀行まで有する資産家でした。太平天国軍が杭州を占領した1860年に丁家の先祖は四庫全書が荒らされているのを見て、ひそかに保存につとめました。丁家は、篆刻を始め、その会社を始めました。
 1937年に日中戦争が始まり、日本軍が杭州を爆撃し、丁家の屋敷は焼け落ちてしまった。その後、丁家の父親は南京政府で働くようになった。日中戦争が終わるまで、上海の刑務所で看守長として働いた。日本の敗戦後、南京政府の下で働いていたことから、今度は囚人として刑務所に入った。
 中国の全土が毛沢東の率いる人民解放軍によってやがて支配されます。丁家は中国共産党にその邸宅を提供します。そして、父は香港へ脱出してしまうのです。
 やがて、毛沢東の呼びかけで大躍進時代が始まり、人々は熱に浮かされたように高炉づくりに熱中します。つかいものにならない鉄がつくられます。そして、その失敗が毛沢東の権威を地に墜ちさせ、その失地回復を狙って毛沢東は文化大革命を始め、若者たちを紅衛兵に駆り立て、挽回していきます。
 このあたりが一家族の状況だけでなく、他の資料もあわせて複合的に語られていきます。
 著者も紅衛兵として活動するようになります。文化大革命のさなかの1967年12月に上海教育学院を卒業して中学校の教師になります。
 やがて文化大革命は終わり、毛沢東が死んで改革・解放路線がとられます。これで著者の夫は日本に留学することができました。著者は自費留学です。お金がありませんから、日本でアルバイトして働きます。横浜の日本料理店での皿洗いです。時給560円。そこで働いているうちに日本語を勉強しました。すごいですね。
 そのうちに上海にいる娘を呼び寄せ、一家で東京に住むようになります。天安門広場事件のころのことです。1989年6月です。一家3人で住むアパートは風呂がついていないので、近くのコインシャワーに行ったのです。3人で300円ですましたそうです。
 日本に住む中国人女性の生い立ちを聞くと、現代中国史を知ることができるという見本のような本でした。聞き書きもいいものですね。
 先週の日曜日、いつもより早く起きて仏検準一級の口頭試問を受けてきました。4回目になりますが、いつも緊張します。一回は合格しましたが、二回失敗しています。フランス語が口からスラスラ出るように(出ないのです)、この2週間ほどは車を運転中もNHKラジオ講座のCDを流してシャドーイングをしていました。それを見た人から、何してたのですかと訊かれたこともあります。
 3分前に問題文を渡され、1問を選んで3分間スピーチをします。これが難しいのです。インターネットで活字媒体が脅かされていることをどう思うか、というテーマを選びました。なんとか話したあと、4分間の質疑応答があります。
 全部で10分足らずの試験なのですが、終わったときには、まだ午前11時にもならないのに、今日一日分の仕事を早々としてしまったと思ったほど疲れてしまいました。
(2007年9月刊。2800円+税)

旅順と南京

カテゴリー:日本史(明治)

著者:一ノ瀬俊也、出版社:文春新書
 日清戦争(1894年、明治27年)に従軍した軍夫の絵日記と上等兵の日記をもとに日清戦争の実際を再現した本です。第二次大戦がなぜ起きたのか、日本人が戦争で何をしたのか、改めて考えさせられる本でした。
 朝鮮半島を制圧すべく日本から送られた第2軍(司令官は大山巌大将)は、3万5000人。うち1万人以上が軍夫だった。絵日記をかいた軍夫は東京出身で、1894年10月に遼東半島に上陸し、ずっと後方輸送に従事した。軍夫の賃金は日給50銭。当時、日本の日雇い賃金は21銭だったので、かなりの高給だ。
 もう一人、日記をつけていた上等兵は千葉県柏市の出身であり、漢文調の日記だった。
 朝鮮半島へ渡る出征軍の歓送はすさまじいものがあった。夜間にもかかわらず、大勢の住民が沿線にまで出ていて、励ました。
 兵士には蒸した米を干した保存食である糒(ほしい)が支給された。定量は1人1日3合。
 日清戦争で、日本軍は旅順で人々を虐殺しました。加害者は歩兵第一旅団(旅団長は、あの乃木希典少将です)をふくむ日本軍です。陸軍は、基本的に捕虜をとらず、無差別に殺害したのです。従軍していた英米の記者がこの事実を世界に向けて発信したため発覚しました。
 ご承知のとおり、乃木希典は、10年後の日露戦争のときにも旅順攻略戦にも参加している。日清戦争のときには、清軍(中国軍)が半日であっけなく抵抗を止めた。もう少し苦戦を余儀なくされていたら、日露戦争で日本軍は強襲したら一挙に陥落できるとは思わなかったのではないかという説もあります。
 日清戦争のときの旅順虐殺事件の実態をみてみると、日本人の道義が日露戦争のときまでは良くて、その後、低下した、ということは決して言えないことがよく分かります。やはり、戦争は人間を鬼に変えてしまうのですね。
(2007年11月刊。870円+税)

警官の血

カテゴリー:未分類

著者:佐々木 譲、出版社:新潮社
 うむむ、すごい、すごい。この著者の小説にはいつも感嘆してしまいます。警察ものでは『嗤う警官』『制服捜査』『警察庁から来た男』どれも素晴らしい出来具合いでした。今回も期待を裏切りません。じわじわ、じっくり読ませます。電車のなかで時間を忘れるほど読みふけりました。
 今回は警官一家の歴史を静かにたどっていきます。私は、警察官2代目が私と同世代であることに途中で気がつきました。
 ときは学園闘争はなやかなりし頃のことです。高校の成績はいいのに、父親のいない民雄は大学に入らず警察学校に入る。ところが、警察学校に入ったら、警察が費用を出すから国立大学を受験しろというのです。それから猛勉強して北大に入学。北大でも学生運動は活発だった。民雄はビラを集め警察へひそかに流します。やがて、民雄は活動家にオルグされます。共産主義同盟(ブント)からです。京大の塩見孝也を中心とするグループがブント主流派を軟弱だと批判して赤軍派を結成。その赤軍派からオルグされたのでした。民雄は、情報収集を命じられた対象である新左翼の活動家に対して拒否感はなく、むしろその真面目さに敬服していました。
 ところが、オルグされた民雄は、活動家と一緒に上京することを命ぜられます。でも、民雄は、もうボロボロでした。2年間、仮面をかぶって生きてきた。どっちが本当の自分なのか、どっちが仮面なのか、分からなくなってきている。これって結構きついことだ。
 そうでしょう、そうでしょう。私にも、なんとなく、よく分かります。それでも民雄は赤軍派と一緒に同行します。私服刑事と列車内で連絡をとりあいながらの上京です。
 ところが、行き着く先は都内ではなく、大菩薩峠、赤軍派の武闘訓練の場でした。50人ほども集まり、ピース缶爆弾などもつかって訓練します。
 やがて民雄の秘密通信も功を奏して、機動隊が山小屋を包囲して一網打尽にしてしまいます。民雄もうまく逮捕されます。しかし、そのあと民雄は、不安神経症と診断されます。神経がボロボロになりかけていました。感情の鈍麻、ものごとに対する関心の減退、幸福感の喪失という症状があらわれていました。
 実は、私も司法試験の苛酷な勉強のせいで、合格したあと不安神経症と診断されたことがあります。自律神経失調症の一歩手前だということでした。
 学生運動のセクトのなかに警察がスパイを送りこんだり、活動家を抱きこんでスパイに仕立てあげるということは多かったようです。スパイ役をさせられた人たちの多くは、この民雄と同じように不安神経症になったのではないでしょうか。
 警察官であって二部(夜間)大学生だという人は当時、少なくありませんでしたから、彼らのなかにはスパイ役をさせられた人もいることでしょう。
 九州(大分)で起きた菅生事件のときのスパイ役であった戸徳公徳(警察官)は、自ら事件を起こしたあと、警察にかくまわれていましたが、新聞記者が摘発したのちは、むしろ警察官の世界で異例の大出世していき、最後まで高給・優遇されて余生を過ごしました。
 人生を考える素材が、また一つ提供されました。
(2007年9月刊。1600円+税)

1491

カテゴリー:アメリカ

著者:チャールズ・C・マン、出版社:NHK出版
 1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見した。私は、これをコロンブス、石の国(1492)発見というゴロあわせで暗記して今も覚えています。
 我々が今日アメリカと呼んでいる大陸には、人類も、その文明も存在しなかった。
 これは、1987年版のアメリカ史の高校教科書です。それって本当でしょうか?
 15世紀。カナダのオンタリオ地方に当時すんでいたウェンダット(ヒューロン)族は、フランス人を自分たちに比べて頭が悪いと考えていた。ヨーロッパ人は体が弱く、性的にだらしがなく、ぞっとするほど醜くて、とにかく臭くてたまらない。イギリス人やフランス人の多くは、生まれてこのかた風呂に入ったこともなかった。インディアンが身体の清潔を心がけていることに驚いていた。
 インカ帝国は、アンデス史上最大の国家だったが、短命だった。15世紀に誕生し、たった100年続いただけで、スペインに滅ぼされてしまった。
 インカの経済制度の特徴は、金銭をつかうことなく機能したこと。インカには、市場さえなかった。
 インカ人は、恐るべき発明をしていた。たき火で石を熱して真っ赤に焼き、松ヤニをたっぷりつけた綿で包んで、標的に向かって投げるのだ。綿は空中で燃え出す。敵にしてみれば、突然、火を噴くミサイルがばらばらと降ってくるわけだ。
 ピサロの成功には、鉄よりも馬のほうが大きく貢献した。当時、アンデスで最大の動物といえば、平均体重130キログラムのリャマだった。馬は、その4倍もあった。インカの人々にとって馬は、得体の知れない何とも恐ろしいけだものだった。
 天然痘には12日間の潜伏期間がある。そのあいだに感染者は、自分が病気にかかっているとは知らずに、会う人みんなにうつしてしまう。すぐれた道路網を発達させ、大規模な民族移動を敢行してきたインカには、強力な伝染病の広がる下地ができあがっていた。天然痘は、インキの染みがティッシュペーパーに広がるようにして、またたくまに国中に広がった。何百万人もの人々が一斉に同じ症状を出した。住民の9割が伝染病で死んでいった。アメリカ先住民は、獲得免疫をもたなかっただけでなく、もともと免疫システムがヨーロッパ人ほど強くはなかった。感染源は、歩く食肉貯蔵庫、つまり、連れてきた300頭の豚だった。豚は馬と同様、なくてはならないものだった。
 ほかの穀類は放っておいても勝手に繁殖するが、トウモロコシは、粒がじょうぶな苞葉に包まれているため、人の手で種を播いて増やしてやらなければいけない。つまり自生しないのだ。6000年以上も前に、メキシコ南部の高地で、インディオがはじめてトウモロコシの祖先種を栽培した。
 アンデスの高地の主要作物はジャガイモだった。トウモロコシとちがって、これは標高4000メートルでも安定した収穫が見込める。品種は何百種にも及び、一年でも地中に埋めて保存しておくことができる。
 インディアンが主張する個人の自由には必ず社会的な平等がともなっていた。北東部のインディアンは、ヨーロッパ人社会では人が階級によって分類され、下位の者は上位の者に従うべしとされているのを知って仰天した。人は、誰もが自分自身の主人であり、同じ土からできているのだから、差別や優劣があってはならないと固く信じていた。
 男女を問わず、白人の子がインディアンに捕らえられ、しばらく彼らと暮らしたときには、身代金を払って取り返し、手を尽くして温かく迎えて居心地よいように配慮してやっても、ほどなく、イギリス人の暮らしにうんざりし、隙をみてまた森に逃げこんでしまう。そうなれば、もう呼び戻すことはできない。うむむ、なんということでしょう。
 インカの神聖暦は、天文学者が金星の動きを丹念に観測していたことによる。金星は263日間、明けの明星として地球から見ることができ、その後、50日ほど太陽のうしろに隠れてしまう。そして、263日間、今度は宵の明星として見ることができるようになる。インカの暦は、同時代のヨーロッパの暦よりも複雑で正確だった。
 ユーラシア大陸で四大文明が興った時代には、アメリカ大陸でもきわめて高度な文明が誕生していた。また、人口も多かった。さらに、景観に手を加えて、驚くべき知恵をもってたくみに生態を管理していた。
 そうです。コロンブスの「発見」の前に、アメリカ大陸には大きな人口をかかえた国があり、高度に発達した文明があったのです。
(2007年7月刊。3200円+税)

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