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米軍再編

カテゴリー:アメリカ

著者:梅林宏道、出版社:岩波ブックレット676
 米軍再編とは、ペンタゴン(アメリカ国防総省)の世界的国防態勢の見直しによる再編のこと。その目的は、機敏で柔軟な世界的展開を可能にするための能力を高めることにある。
 ペンタゴンは、西ヨーロッパと東北アジアにアメリカ軍が過剰に配置されているという現状認識を強調した。
 米軍再編前の2002年、アメリカは海外に19万7000人の軍隊を配備し、70万エーカーの基地をもっていた。海外配備アメリカ軍の95%、海外の基地面積の51%が西ヨーロッパと東北アジアに集中している。つまり、ドイツと日本と韓国の3ヶ国だけで、海外配備アメリカ軍の81%を占めていた。このような現状をペンタゴンは適切でないとした。それは冷戦後の世界情勢を考えたら当然と言える。
 再配置されたアメリカ軍は、同じアメリカ軍であっても、これまでとは一変した存在である。アメリカ軍は、同盟国の承認のもとに、世界のどこにでも跳躍できる部隊として世界各地に配置されることになる。アメリカ軍は、どの地域にいても、いわば「地球軍」なのである。
 ペンタゴンのとっている「蓮の葉戦略」とは、地球上のさまざまな場所に大小さまざまのアメリカ軍基地が配置されるということ。カエルが蓮の葉を跳びながら移動するように、それらの基地を跳躍台として、世界中のどこにでも短期間に兵を送り、そこで持久力のある戦争を行えるようなシステムの構築をめざすのである。
 ペンタゴンは、基地機能に、従来にないメリハリをつけ、大型で費用のかかる「主要作戦基地」の数を減らし、機動性のある基地ネットワークを再構築しようとしている。
 基地(ベース)と名の付くものは主要作戦基地だけで、あとは、場所(サイト)や地点(ロケーション)と呼ばれる。
 グアムは、本格的な海兵隊の基地となる。アメリカ海兵隊は、「蓮の葉戦略」上、沖縄にいるよりも、好位置につくことができる。そして、アメリカは、それを日本人の払う税金で実現しようとしている。
 うむむ、こんなことって、絶対に許せませんよ。怒りが噴き出します。
 アメリカのイージス艦の日本海配備は、あくまでもアメリカ本土の防衛用である。
 そうなんですよ。アメリカは日本人を守るなんて考えたこともないでしょう。黄色いサルなんか原爆でみな死ねばよかった、今でもそう考えているアメリカ軍人は多いのではありませんか。
 イラク国内に、アメリカは4ヶ所の巨大基地を建設中だ。ここは、1万人をこえるアメリカ兵の住む町の様相を呈している。うへーっ、ちっとも知りませんでした。知らないって、恐ろしいことですね。先日、日弁連会館で著者の話を聞いたときに買って読んだ本です。
(2006年5月刊。480円+税)

実録「取り立て屋」稼業

カテゴリー:社会

著者:杉本哲之、出版社:小学館文庫
 元大手サラ金会社の従業員が懺悔(ざんげ)の告白をした本です。サラ金は人の不幸を助長する存在であり、その汚さや醜さを多くの人に知ってほしいという思いから書かれています。
 著者が大手サラ金会社に勤めていたのは、2001年10月から2006年3月までのこと。一般企業を辞めて転職してサラ金会社に入社した。サラ金会社は、毎年100人以上を採用するが、ほとんどの人は1年以内に辞めてしまう。
 同じ事は商品先物取引会社についても言えます。やはり、まともな人はやっていけない「あこぎな商売」なのです。
 サラ金の店舗は1階にあるともうからない。1階にある店には、お客が入りたがらない。
 サラ金業界では横領事件がつきもの。そのほとんどが男性社員による。女性のほうが保証人になっている両親に迷惑はかけられないという心理が働くから。
 サラ金にとって、客は生かさず、殺さず、これが金科玉条である。社員は借金を完済しようとする客をなんとかくい止めなければならない。ほとんどの回収業務は電話によってなされている。
 多重債務者の家には、ある一定の共通した特徴がある。家の周りは散らかり放題で、庭には草が茫々と茂っている。日中なのに雨戸やカーテンの閉まっている家も多い。郵便ポストにはあふれんばかりの郵便物が詰まっている。居留守をつかう債務者もいる。電話に出ても、「留守番の者です」と答える。他人を装う。また、サラ金からの電話だと分かると、「ただいま留守にしています。御用のある方はピーッという発信音のあとに、お名前と電話番号、メッセージをお残しください。ピーッ」と自分の生声で繰り返す者もいる。
 架電回収業務は、債務者を上手に追い込みながら回収率というスコアを獲得していく楽しいゲームになった。ゲームだと思えば、相手の痛みなど、まったく伝わってこない。会社のマニュアルでは、ケータイへは1日3回、自宅へは2回、勤務先へは1回までと決められていたが、守らなかった。とくにプレッシャーとなる勤務先への架電は、1日に何度も繰り返した。家族のいる自宅に架電することも、プレッシャーをかけるための有効手段だった。
 ところが、次第に自分のしていることに嫌気がさすようになっていった。精神状態が少しずつ変調をきたし、ときどきひどい疑心暗鬼と人間不信に陥っている自分に気がついた。
 そうでしょうね。まともな人間のする仕事ではないと思います。人間の弱点を毎日毎日ついていくのですからね。
 ホタルが飛びはじめたというニュースを地元紙で読んで、近くにあるホタルの里へ歩いて出かけました。ホタルは暗くなってまもないころが一番よく飛びますので、夕食をすませたあと暗くなってから出かけました。ホタルの里は歩いて5分くらいのところにあります。途中にバイパス道路が工事中です。残念なことにホタルの出る小川が3面張りコンクリートに変わっていました。もちろん、そこにはホタルの姿は見えません。その先にあるホタルの里に着くと、ようやくホタルが何匹かチラホラ飛んでいました。ホタルの明滅するテンポは、あくまでゆっくりです。まあ、なんでそんなに人間はせわしいの。もう少しゆっくりやったらいいのよ。そんな感じです。ゆっくり、フワフワと漂うホタルを眺めていると、心が洗われ、せかせかした気分がうすらいできます。今年はじめてのホタルでした。梅雨の大雨までの1ヶ月間の楽しみです。
(2008年1月刊。476円+税)

冤罪弁護士

カテゴリー:司法

著者:今村 核、出版社:旬報社
 弁護士歴16年の中堅弁護士が自分の手がけた冤罪事件を語っています。無実の人に対して裁判所が無罪を宣告するのがいかに大変なことか、いえ、裁判官の目を開かせて勇気をもって無罪判決を出させることがどんなに大変なことなのか、よーく伝わってくる本です。裁判官不信になってしまいそうな本でもあります。でも、先の名古屋高裁判決を出した勇気ある裁判官、そして私も知っている良心的な裁判官は何人もいます。となると、弁護士としては、いかに裁判官のもっている(眠れる)良心を呼び覚まし、事実と向きあわせ、力をふりしぼって無罪判決を書く気にさせる主張と立証、そして弁論の工夫が求められているということになります。
 第1のケースは仮眠者狙いの事件です。まったく無関係の地下鉄乗客が犯人として捕まりました。凶器注目効果という現象がある。これは、目撃者が犯人にナイフやピストルなどの凶器を示されると、その方に注意が行き、人の識別が困難となる。また、あるところで見た人物のイメージをまったく違う出来事と融合させてしまうことを無意識的転移という。
 写真面割台帳のつくり方には工夫がいる。英米では、写真面割ではなくラインアップが行われる。ラインアップの構成については、目撃者があらかじめ言語化していた特徴点(たとえば、やせて、背が高く、金髪の男)をすべて備えた人物だけでラインアップを構成しなければならない。写真面割台帳は、その点に配慮がなければ、公正とはいえない。
 やってもいない者が罪を認めて自白するはずがない。しかも、犯行状況を詳しく自白しているのだから犯人に決まっている。
 これは市民の常識ですよね。でもでも、虚偽自白は昔から数多くあります。なぜ犯人でもない人が虚偽の自白をするのか?
 心理学者は、死刑になるかもしれないというのは、あくまで将来の可能性にすぎず、現在の取り調べの苦しみと比べて、はるかに遠く感じられる。もし罪を犯していれば、死刑というのは生々しい現実感をもって迫ってくるが、無実の者には現実感がもてないものだと解説する。
 うむむ、な、なるほど、ですね・・・。しかし、自白は、自分に不利な嘘などつくはずがないという思い込みや、直観に訴える力などのため、過度に信頼されがちで、誤判の原因となる。
 痴漢冤罪が最近いくつも起きています。そのなかの一つは映画『それでもボクはやっていない』(周防正行監督)になりました。
 その一つに、被害にあった女性が「勃起した陰茎をお尻に押しつけられたことが暖かさで分かった」と供述したケースがありました。このときには、男性が陰茎に薬を注射して強制勃起させて実験し、「暖かさ」が分からないことを立証したといいます。このケースでは、そのため、幸い一審も二審も無罪となりました。それはそうですよね。その「暖かさ」なんて、肉体的なものではなく、単なる心情のレベルに過ぎませんよ。
 ところが、いくつかの無罪判決が出たあと、迷惑防止条例の法定刑は6月以下の懲役、60万円以下の罰金に引き上げられた。強制わいせつ罪による起訴も増え、検察官の求刑は重くなった。2000年夏以降、裁判所の無罪判決はなく、しかも判決が増えた。
 うひゃあ、もし、それが冤罪事件だったら、大変なことですよね。
 著者はいくつも無罪判決を獲得したようですが。私自身はこれまで35年間の弁護士生活のなかで2件しか経験がありません。そのうち1件は、公選法違反(戸別訪問罪)で、戸別訪問を禁止する公選法事態が違憲だから無罪とするというもので、明快な判断でした。残念なことに2審では逆転有罪となり、最高裁でも負けて有罪(罰金刑)が確定しました。
 もう1件は被害者の法廷での供述がくるくる変遷するので信用性がないということで無罪となりました。恐喝罪でしたが、一審で確定しました。
 裁判員裁判が始まったとき、市民をどれだけ説得できるか、弁護士の力量が一段と問われることになります。
 サボテンが一斉に純白の花を咲かせてくれました。数えてみると、11本もあります。細長いトランペット形をしていて、いつも南の空に向かって斜めに突き出して咲きます。サボテンの花が咲くと、身体中のあちこちに子サボテンをかかえるようになり、やがて親サボテンは枯れていきます。花を咲かせたらすぐ終わりではありませんが、やがて世代交代をしていくことを意味しています。今のサボテンたちは、少なくとも3代目です。
 縁側に、もらった鉢植えの朝顔を置いています。背が高くならないようにした朝顔です。毎朝、目のさめるような赤い花を次々に咲かせてくれます。夏の近さを感じます。
(2008年1月刊。1600円+税)

雲の都、第3部・城砦

カテゴリー:社会

著者:加賀乙彦、出版社:新潮社
 私は、毎朝、NHKのラジオ講座でフランス語を聴いています(弁護士になって以来ですから、もう35年になります)が、そのテキストに加賀乙彦が若かりしころのフランス留学記を3月まで連載していました。若さ故の無謀なイタリア単独自動車旅行記にはハラハラさせられたものです。なにしろ生きているのが不思議だと言われるほどの九死に一生を得たという大事故まで起こしていたのですから・・・。
 その著者による自伝的大河小説の第3部は、1968年に始まる東大闘争の渦中に巻きこまれたという展開です。著者は医学部助教授として、しかも反動的な精神科医師として全共闘(そのなかでも精神科の医師は「戦闘的」でした)から糾弾の対象とされ、その貴重な資料を持ち去られて焼かれてしまいます。著者は、当然のことながら、全共闘を厳しく糾弾します。
 全共闘運動のもっていた本質的な誤りの一つが、この本でも明らかになります。といっても、今の私は、全共闘の活動家だった個々のメンバーまで全否定するつもりはありません。今では私の仲のいい友人となった弁護士も実は少なくないからです。もちろん、昔も今も、全共闘がした目茶苦茶な暴力を肯定する気はまったくありません。
 この本には、セツルメント活動という言葉が何回となく登場します。それは著者自身が学生セツルメントにかかわっていたからです。私も1967年4月から4年近くセツルメント活動に打ち込んでいました。東大闘争の無期限ストライキのおかげで、大学2年生の6月から翌69年4月までは授業がまったくありませんでしたので、ますます没頭してしまいました。それこそ、人生に必要なことは川崎セツルメント実践活動ですべて学んだ、という感じです。いえ、ほんとうにたくさんのことを学びました。ただひとつ残念だったのは、そこで出会った素晴らしい女性にふられてしまったということです。
 菜々子は亀有の東大セツルメント診療所で看護婦として働いていたが、薄給のため、ほとんど明夫の助けにならなかった。アメリカより帰国したあと、セツルメント診療所の診療をときどき引き受けていた。こんなセリフも登場します。私のいた川崎にもセツルメント診療所というのがありました(今もあります)。竹内事務長、斉藤婦長(故人)以下、大庭さんなど、何人もの人に可愛がられました。ありがとうございます。おかげで、なんとか初心を忘れることなく、故郷の地でそれなりに真面目に弁護士としてやっています。
 1969年1月18日からの安田講堂攻防戦は、当時、空前の視聴率を誇りました。まさに世紀のスペクタクルショーでした。しかし、それは、警察と全共闘の共同演出にほかならないものです。著者は、次のように評しています。
 その姿は醜い。これは革命ではなく、新しい世を創り出す情熱でもなく、ただ国家権力に反抗してみせるだけの、戦争ごっこだ。大学当局も機動隊も、一人の死者も出さずに封鎖を解除せよと命じられているのを、つまりその暴力はテロでも革命でもなく、単なるお遊びとして嘲笑されていた。逮捕された学生は、楽しい戦争ごっこをした子どもたちのように平然としていた。
 全共闘に共鳴する精神科の医師は、次のように驚くべきことを言った。
 あらゆる精神病者は、体制に反対するゆえに革命家である。だから、あらゆる精神病者は即時解放して、自由を与えよ。体制に対して反対する者は狂人にならざるをえないのだ。精神病質、人格障害、変質者は、この世に存在しない。それを存在すると主張するのは、権力者におもねる犯罪学者という、政治的・権力迎合の人々である。
 いやあ、ひどいですね、信じられませんね。それこそ「狂って」います。
 医学生時代にセツルメント活動をしていたかつての貧民窟は、今では集合住宅とビルの新式の街に変わっている。著者がセツルメント活動をしていたのは、メーデー事件のあった1952年のころ、今から17年も前のこと。そのころ23歳だった青年は、今や40歳のおっちゃんだ。
 全共闘の学生は、個人主義を認めず、いじめの対象にする。まるで戦争中の特高みたいな連中だ。全共闘という学生たちが暴れ狂って学園紛争が全国におこり、大学が破壊されると思わせたのが、大学はかえって強固となり、紛争はウソのようにおさまった。いったい全共闘は何をしたのか?
 2.26の青年将校たちの叛乱と全共闘はよく似ている。全共闘の目ざした大学解体、産学協同反対、高度成長反対は、大学を強固にし、産学協同を促進し、高度成長を現実のものにしてしまった。革命家気取りで全共闘は暴れまわったが、実際には、彼らの敵を結束させて反革命の国家へと向かわせてしまった。
 この世の中の風潮という奴、流行という奴、悪魔のささやきは、一群の若者たちを狂わせるが、それは決して長続きしない。
 いやあ、こう言われると、そうだよねと言いつつ、怒れる若者すべてが全共闘だったかのように受けとられても困るんだよねと、つぶやかざるをえません。
 著者は、学生時代には、戦後の貧困を放置した政府を攻撃してセツルメント運動なんかに夢中になり、貧困者の犯罪に興味をもって犯罪学なんかの研究をし、もちろんベトナム戦争には反対し、今の政府の企業優先の政策にも批判的でした。ところが、全共闘の学生からは、政府と権力者寄りの反動学者とみなされるのです。
 全共闘の学生たちが全員まったく同じ思想をもっていて、それに反対する人間はすべて反動ときめつけるのは異様に思われる。これでは、まるで戦争中のファシズムそっくりで、自分たちの思想に反対な人間は撲滅しようとして暴力をふるう。
 安田講堂内に立て籠もっていた学生は、ほとんど毎日、惰性で過ごしていたのであり、討論、総括、相互批判、自己批判という言葉のイメージでは語れない。美化しすぎるのは単純すぎる誤りだ。
 1968年に起きた東大闘争の全貌を知りたいと思った人には、『清冽の炎』(第1〜4巻。花伝社)を強くおすすめします。
(2008年3月刊。2300円+税)

無実

カテゴリー:アメリカ

著者:ジョン・グリシャム、出版社:ゴマ文庫
 上下2冊の文庫本です。いやあ、こんなことって、本当にあったのかと憤りを覚えながら重たい気分で読みすすめました。冬、寒いので厚着をしているところに、首筋から氷のカケラを投げ入れられた。そんなゾクゾクする、いやな思いをさせられてしまいます。でも、アメリカ・オクラホマで実際に起きた冤罪事件だというのですから、途中でやめるわけにはいきません。最後まで辛抱して読み通しました。いえ、面白くないというのではありません。面白いのですが、ノンフィクションだというので、どうしても、この世にこんなことがあっていいはずはないという思いが先に立ってしまい、頁をめくって次の展開を知りたい衝動にかられる反面、ああ、いやだいやだ、人間って、こんなにも無責任かつ鉄面皮になれるものかという底知れぬ不信感を抱いてしまうのでした。このときの人間というのは、無実の人間を寄ってたかって有罪(しかも、死刑執行寸前にまでなりました)に仕立てあげた警察官、検察官そして裁判官です。おっと、無能な弁護人も、それを助けたのでした。
 これはオクラホマだけの問題ではない。その正反対だ。不当な有罪判決は、この国のあらゆる国で、毎月のようにくだされている。原因はさまざまでありながら、常に同じでもある。警察の杜撰な捜査、エセ科学、目撃証人が誤って別人を犯人だと断定すること、無能な弁護人、怠惰な裁判官、そして傲慢な警察官。大都市では科学捜査の専門家の仕事量が膨大になり、結果として、プロらしからぬ仕事の手順や方法をとってしまう。
 アメリカの中南部のオクラホマ州にある人口1万6千人の町エイダで、1982年12月の夜、21歳の独身女性(白人)が殺害された。警察から犯人と目されたのは白人青年のロン。ロンは、社交性に欠け、社交の場では強い不安を感じる。怒りや敵意から攻撃的になる可能性がある。周囲の世界を危険きわまる恐ろしい場所と考え、敵対的な姿勢をとるか、内面に引きこもることで自分を防御する。ロンはかなり未成熟で、物事に無頓着な人間の典型だった。
 小さなエイダの町では、数十年のあいだ、私刑(リンチ)を誇りとする伝統があった。いやあ、まるで、西部劇の世界ですね。裁判によらずに、町の人々が「犯人」を吊し首にするわけです。
 「犯人」を逮捕したら、拘置所では密告競争が始まる。警察も大いに奨励する。重要事件の被疑者が犯行の一部始終なり一部なりを告白する言葉を耳にいれるか、あるいは耳にしたと主張し、それを材料として検察と旨味のある司法取引をするのが、自由への、あるいは刑期短縮への最短の近道だった。
 ただ、普通の拘置所では、密告者がほかの囚人からの仕返しを恐れるので、それほど多くはない。しかし、エイダでは、この作戦の成功の多さから、さかんに密告があっていた。
 場当たり的な貧困者弁護制度は問題だらけだった。あまりにも手当が少額のため、大半の弁護士は、そういう避けたがった。そこで裁判は、刑事裁判の経験が浅かったり皆無の弁護士を任命することがあった。そんなとき、弁護人は専門家を証人に呼ぶことや、お金のかかることは何もできなかった。
 死刑の可能性のある殺人事件となれば、小さな街の弁護士たちの逃げ足は一段と速まった。多くの時間が費やされるという負担が重くのしかかり、小さな法律事務所なら実質的にほかの仕事はできなくなる。それだけの労力に対して、報酬はあまりにも少ない。そのうえ、死刑事件では上訴手続がだらだらと永遠に続く。
 ロンが拘置所に勾留されていたとき、看守はソラジンの量を微調整した。ロンが独房にいて、看守がゆっくりしたいときには、薬を大量に投与した。これでみんな大満足だった。出廷予定のときは薬の量が減らされ、ロンがより大きな声を出し、より荒々しく好戦的になるよう仕組まれた。
 ロンについた弁護人はベテランではあった盲目のうえ、一人だけだった。しかも、その盲目の弁護人は、ロンを怖がっていた。弁護人は、この裁判に大きな時間をとられ、ほかの、きちんとした弁護料を支払ってくれる依頼人にまわせる時間が削られていった。その弁護人は、被告人から突然おそわれないように、屈強な若者となっていた息子を机の横に待機させたほど。
 毛髪分析では同一という言葉はありえないのに、「同一」という言葉が鑑定でつかわれた。毛髪鑑定はあまりあてにならないようです。
 オクラホマの死刑執行は、致死薬注入による。まず、静脈を拡張させるために食塩水を注入し、最初はチオペンタルナトリウムを注入する。これで死刑囚は意識を失う。もう一度、食塩水を注入したあと、二つ目の薬品である臭化ベクロニウムを続いて注入する。これで呼吸が停止する。食塩水があと一回流しこまれて、3つ目の薬品である塩化カリウムが注入され、これによって心臓が停止する。
 この方法による死刑が、最近、アメリカで相次いでいるという記事を読んだばかりです。
 別の冤罪を受けたフリッツは刑務所内にある法律図書室で毎日午後、4時間ほども勉強した。そして獄中弁護士を自任している囚人に専門書や判例の読み方を教えてもらった。指導料はタダではない。フリッツは、タバコで、その料金を支払った。
 生死のかかった裁判にかけられたら、街で最高の弁護士か、最低の弁護士を雇うべきだ。最低の弁護士の手抜き弁護によって、あまりの弁護のひどさによって再審が認められるこというわけです。
 刑務所の看守たちの一部は、ロンをからかって多いに楽しんだ。
 「ロン、わたしは神だ。おまえはなぜデビー・カーター(被害者)を殺した?」
 「ロン、わたしはチャーリー・カーターだ。なぜ、わたしの娘を殺したのかね?」
 ロンが叫びをあげて抗議するので、ほかの囚人にとっては苛立ちのもとだったが、看守にとっては格好の気晴らしだった。こんな面白いことがやめられるわけがない。
 たまたま、裁判官が記録の洗い直しを命じ、矛盾点を発見してロンは助かりました。ただし、11年もたってからのことです。そのとき、DNA鑑定が役に立ちました。しかし、起訴した検察官と警察官たちは、最後で自分たちの非を認めませんでした。DNA鑑定にしても、それを隠したのは自分たちではないかのように知らぬ顔をしてしまいました。
 ようやく無罪放免になったロンですが、エイダの町はあたたかく迎え入れるどころではなく、いぜんとして「殺人犯人」扱いでした。
 ロンは、この長い絶望状態のなかで、心身ともに病みきっていました。冤罪事件の罪深さは、人ひとりの人生を大きく狂わせてしまうところにあります。
(2008年3月刊。762円+税)

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