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ポル・ポト

カテゴリー:アジア

著者:フィリップ・ショート、出版社:白水社
 不気味な響きのする人名です。あの忌まわしいカンボジア大虐殺を起こした張本人です。
 ポル・ポトは、いろんな名前を持っていました。サロト・サルは本名です。「サルの有名な微笑み」という言葉があります。この本の表紙にもなっていますが、会った人を自然に信用させるにこやかな笑顔です。これで多くの人が結果的に騙されたわけです。
 フランスから戻ってきたサロト・サルは私立学校(高校なのか大学なのか分かりません)で歴史とフランス文学を教えていました。生徒たちは親しみやすい、この教師(サロト・サル)のとりこになったというのです。
 人口700万人のうち150万人がサロト・サルの発想を実現しようとして犠牲になった。処刑されたのはごく少数で、大半は病死、過労死または餓死だった。自国民のこれほどの割合を、自らの指導者による単一の政治的理由による虐殺で失った国は他にない。お金、法廷、新聞、郵便、外国との通信、そして都市という概念さえ、あっさり廃止されてしまった。個人の人権は、集団のために制限されるどころか、全廃されてしまった。個人の創造性、発意、オリジナリティは、それ自体が糾弾された。個人意識は系統的に破壊された。
 サロト・サルは、フランスにいて、最後までフランス語を完全には身につけられなかった。サロト・サルがパリに到着した1949年10月1日は、毛沢東が北京の天安門に立ち、中華人民共和国の設立を宣言した日でもあった。
 サロト・サルは、フランス共産党に加入した。そこでは、元大工見習いで、学歴の低いことが、むしろ評価の対象となった。
 1953年1月に、サロト・サルは帰国した。サロト・サルたちは、みな共産党員のつもりだったが、どの共産党かは分からなかった。インドシナ共産党はベトナム人が支配していた。クメール人民革命党にかわるカンボジア共産党の再結成をめざした。そこで、自称として党ではなく革命組織(アンカ・パデット)と叫んだり、ただアンカ(オンカーとも訳されます)と叫んだりしていた。
 クメール語で「統治」とは、「王国を食いつぶす」という訳になる。シアヌークは、大臣、役人、廷臣、昔なじみ、彼らの汚職をやめさせることも、まして解雇することもできなかった。
 マルクス主義の書物をクメール語に翻訳するという真剣な取り組みがなかったのも、クメール文化が口承に重きを置いていたため。
 シアヌークが失脚してからの2年間、地方におけるクメール・ルージュの政策が人目をひいたのは、主として、その穏健さのため。
 革命への反対は死を意味していた。革命に反対を示した人は、地域の司令部に召喚されたきり、帰ってこないことがほとんどだった。
 革命からそれた人間は、みな害虫だから、それにふさわしい扱いをすれば足りる。これは中世キリスト教の教義に通じるものがあった。
 カンボジア人は、もともと極端なことに魅力を感じる。フランス革命を途中でやめるべきではなかったというクロポトキンの言葉は、パリで学生生活を送っていたポル・ポトに強い影響を与えた。毛沢東さえもクメール・ルージュの水準にまでは至らず、賃金と知識と家庭生活の必要性を認めていた。カンボジアの共産主義者たちは、だれも到達したことのない領域へ進もうとしていた。
 あの人もゼロ、あなたもゼロ。それが共産主義だ。キュー・サムファンは述べていた。財産が有害であるという思想は仏教の天地創造神話に由来している。
 うひゃあ、そんなー・・・。これって、人間の幸福って何かということをまったく考えていない思想ですよね。信じられません。
 1975年の時点で、カンプチア共産党の存在はまだ秘密にされていた。謎に包まれた「アンカ」が、実は共産主義組織かもしれないと公式に匂わされるまでには、さらに1年を要した。国内の党員数は1万人以下だった。
 生かしておいても利益にならない。殺したところで損にならない。
 むひょう、こんな言葉がポル・ポト時代のカンボジアで通用していたのですか・・・。
 人は耕した土の面積で、その価値が測られた。人々は見習うべき雄牛と同じく、エサと水を与えられ、飼われて働かされる消耗品だった。
 人々は、「わたし」ではなく、「わたしたち」と言わなくてはならなかった。子どもは親をおじとおばと呼び、それ以外の大人を父か母と呼んだ。すべての人間関係が集団化された。個体を区別する言葉は抑圧の対象となった。
 1976年以降、ポル・ポト1人が決断を下していた。集団指導体制ではなかった。ポル・ポトは一挙両得をねらっていた。疑いのある分子をすべて抹消した。不純物のない純粋で完璧な党を手に入れると同時に、来るべきベトナムとの闘いに備えて全人口を団結させたいと考えていた。
 1979年1月に民主カンプチアを崩壊させたのはポル・ポトが秘密主義にこだわったから。どうしてもカンボジア国民に事態を告げることができなかった。
 ポル・ポトは、9月からベトナムの侵攻が時間の問題だと知っていた。しかし、非常事態計画を策定しなかった。不信が慣行となったポル・ポト政権が人民を、軍隊でさえ、信用することはありえなかった。ポル・ポトの中枢以外は、誰も十分な情報を与えられなかった。
 日曜の朝までにポル・ポトら民主カンプチアの統治者たちはひそかに首都プノンペンを去り、放棄した。4万人の労働者と兵士たち、そして周辺に駐留していた軍の部隊は指導者もなしに取り残され見捨てられた。メンバーを失っても、指導部を維持すれば、引き続き勝利をおさめることができる。一般人は使い捨てにできるという定理はクメール・ルージュの慣行だった。
 1979年1月の時点では、圧倒的多数のカンボジア人にとって、ベトナム人は救済者に見えた。代々の敵であろうとなかろうと、クメール・ルージュの支配があまりにもひどかったために、それ以外なら何でもましだった。しかし、人々の感謝は長続きしないものだった。数ヶ月のうちに、ベトナム人は感謝されない存在になってしまった。
 ポル・ポトが死んだのは1998年。心不全のために就寝中に死んだ。現在のカンボジア政府の最高権力者のフン・センとチェア・シムは、いずれも元クメール・ルージュだ。
 まったく無慈悲で冷酷で人間的な感情をもちあわせていないと評される人物である。
 ポル・ポトはカンボジアの招いた究極の設計者だ。しかし、単独行動したわけではない。カンボジアの最高にしてもっとも聡明な知的エリートの多くが、ポル・ポトの示した抗争を受け入れたのだ。
 読んでいるうちに大変気分が重たくなる本です。700頁もの大部な厚さがあります。
(2008年1月刊。6800円+税)

日本国憲法の論点

カテゴリー:司法

著者:伊藤 真、出版社:トランスビュー
 著者の講演をつい先日ききました。いやあ、さすがですね。さすがに司法試験界のカリスマ講師と讃えられるだけのことはあります。実に歯切れがよく、明快なのです。なるほど、なるほどと、本当は分かっていなくても、ついつい分かった気になってしまいます。
 憲法の根本的な意義・役割とは何か。それは、権力に歯止めをかけるということ。これは憲法学のもっとも基本的な常識。しかし、そのことが学校で教えられていない。教科書にも出てこない。
 法律は国民をしばり、憲法は権力をしばるもの。だから、日本国民に憲法を守る義務はない。そして、ときに憲法は民主主義を制限することもある。
 憲法は国家の基本法であるからこそ、「気分刷新」といった目的のための、たんなる手段として使うべきではない。憲法には、人権保障と国家権力への歯止め、という憲法本来の目的がある。景気回復や財政改革のために憲法が存在するのではない。
 国民がつくった憲法によって、国民の多数意見の暴走に歯止めをかける。つまり、憲法とは、ときどきの多数意見によって奪ってはいけない価値を明文化したもの。
 多数意見に歯止めをかけるということは、近代憲法は「民主主義」に歯止めをかける存在でもあるということ。したがって、日頃、強い者の側にいる人間にとっては、弱者を守る憲法の必要性を感じない。
 著者の講演を聞いて、もっとも感銘を受け、印象に残ったのがこの部分でした。そうなんです。憲法は強い者にとってはなくてもいい、むしろ、どうでもいいものなんです。しかし、弱い者にとっては拠りどころとなるものなのです。
 憲法99条は、憲法を尊重し擁護する義務を負う者を明記しているが、そこに国民は含まれていない。憲法を守らないといけないのは、国の象徴である天皇、それから公務員、つまり国家権力を行使できる強い立場にいる人間なのである。
 100年前に制定された明治憲法ですら、国民の権利を守る道具であることを明確に自覚して制定されている。いやあ、そうなんですよね。
 理想を掲げることも憲法の重要な役割である。ふむふむ、そうなんですね。
 法と現実とのあいだには必ずズレがある。それを現実にあわないというので法を変えることを繰り返すのでは、法が何のために存在するのか分からなくなる。現実と規範の適度の緊張関係のなかで、現実を少しでも理想に近づける努力をすること、それが憲法に対する誠実な対応である。
 日本は、ポツダム宣言を受諾した時点で、現行憲法が示す価値観を自ら選びとったことになる。それは、決して「押しつけられた」というものではない。
 草案をマッカーサー司令部がつくったからといって「押しつけ」というのは、あたらない。それは、日本の法律のほとんどは官僚が案をつくり、国会で審議して成立させている。このとき、官僚が「押しつけ」たなどという人は誰もいない。審議と議決こそが、法の制定における核心なのである。また、ある意味で、憲法とは、常に「押しつけられるもの」である。少なくとも、近代憲法は、国民から権力者に向かって「押しつけられるもの」なのである。国家権力に歯止めをかけることが目的なのだから、権力側の人間が「押しつけ憲法」と感じるのも、ごくあたりまえのことなのである。
 「高校生からわかる」というキャッチフレーズの本ですが、なるほどそうでしょう。とても分かりやすい憲法読本です。
(2005年7月刊。1800円+税)

ボローニャ紀行

カテゴリー:未分類

著者:井上ひさし、出版社:文藝春秋
 私はイタリアには一度も行ったことがありません。ローマというより、ポンペイには、一度は行ってみたいと思うのですが、著者が空港に着いたとたんに虎の子のカバンを盗られてしまったという話に恐れをなしてしまいます。なんと、そのカバンには300万円もの現金を入れていたのです。イタリアに長く住んでいた奥さんは、それを告げられて、何と言ったと思いますか?
 イタリアを甘くみたわね。イタリアは職人の国なのよ。だから、泥棒だって、職人なんです。
 いやあ、まいりました・・・。いやいや、なるほど、ですね。でも、そんな職人とはお近づきになりたくないものです。
 1945年4月、ボローニャの人たちは、当時、街を支配し占領していたナチス・ドイツ軍とイタリア・ファシスト軍に対して何度もデモを行い、ストライキを打ち、戦って自力で街を開放した。パルチザンとしてレジスタンスに参加した市民は1万7000人をこえ、そのうち2064人が戦死か銃殺された。ドイツ軍はドイツ兵が1人殺されるたびに無差別に選び出した市民を10人、報復として銃殺した。それで、2351人の市民が殺された。
 世界最古の大学であるボローニャ大学には1563年まで、校舎がなかった。学生は、街の広場や教会や教授の家で勉強していた。大学での単位取得試験は、すべて筆記と口述の併用。しかも、口述の単位取得試験は公開。同級生や下級生が押しかけ、市民も見学にやってくる。見学者に見守られなかで、教授から繰り出される質問にこたえなければならない。
 ボローニャのフィルム・ライブラリーには5万本の映画がある。人間であれば誰でも無料で利用できる。子どもが50人以上集まれば、いつでも映画が始まる。このシステムは、好きなことに夢中になっている人たちに資金を提供することでなりたっている。奇跡は、そこから始まる。
 いやあ、映画大好きの私にとって、こたえられないサービスですよね、これって。私は、ときどき自宅で古い映画のDVDをみています。でも、やっぱり、映画は映画館の大画面でみたいですよね。
 イタリアの憲法は、イタリアは労働に基礎を置く民主的共和国であり(第1条)、手工業の保護および発展を図る(第45条)と定めているくらいの職人国家である。だから、職人産業省もあれば、職人業保護法や職人金融金庫もある。ボローニャは世界の包装機械の中心地になっている。
 母会社の技術を持ち出すことは許されるが、母会社と同じものをつくってはいけない。ここのシステムが世界中から歓迎されているのは、機械と一緒に熟練した職人がついていくから。買い手側に機械を納品したらそれでおしまいではなく、しばらく職人が機械と一緒に暮らす。買い手の要望を聞きながら、機械の微調整をする。買い手側の技術者がその機械を完全に使いこなせるまで、職人がその地に留まる。
 うむむ、なーるほど、ですね。
 世界中から日本に観光客を集めるためにはどうしたらよいか? それは日本の町並みを100年間そっくりそのまま保存したらいい。そうすると、100年前の日本の姿をみようと世界中から人が集まってくる。
 そうなんですよね。100年前と言わなくても、もし、筑豊や三池の炭住街がそっくりそのまま保存されていたら、炭鉱労働者の生活を見学しようと人々が集まってくると思います。しかし、残念なことに、今ではまったく残っていません。東京・上野に下町風俗博物館がありますが、あれをもっと大きくして保存していたら良かったのです・・・。日本全国で、いや全世界で商店街の空洞化がすすんでいます。郊外型の大型店舗のせいです。
 商店街を専門店の有機的な集合体にするため、改装費用を援助する。商工会議所に店員専門学校を設立してプロの店員を育てる。商店街の内部を改造して学生や老夫婦の住居にする。都心に映画館や劇場をふやす。
 大賛成です。ぜひ日本でも実行してほしい施策です。
 今度、3たびイタリアの首相になるベルルスコーニは、会計帳簿の不実記載を軽微な犯罪とした。刑事罰の対象から、単なる反則金で処理されることになった。これで、脱税や資金洗浄などのマフィアがらみの違法ビジネスが一層促進された。まさに盗賊支配の象徴である。
 ベルルスコーニ政府はマフィアから誘拐されて巨額の身代金を要求されたとき、身代金を公的に貸与する機関をつくろうとも言いだしました。とんでもない提案です。
 いま、ボローニャ大学には120人の日本人学生がいる。うむむ、多いと言いたいのですが、フランス留学生の人数に比べたら(実は、知りません)、きっと少ないと思います。
 私はカルパッチョが大好物です。このカルパッチョというのが、ルネッサンス期のイタリアの画家の名前だというのを初めて知りました。薄切りの牛フィレ肉の赤身が、画家カルパッチョのよくつかった赤色に似ていたということなのです。
 私の尊敬する著者による、軽妙タッチでありながら、大変勉強になった本でした。
 庭に淡いピンクのグラジオラスの花が咲いています。その近くに、ヒマワリが1本すっくと立ち、東向きに大輪の花を咲かせています。ヤマボウシの木の白い花も見事です。有馬温泉に行ったとき、大木になったヤマボウシが白い花をたくさん咲かせていました。そのそばに朱色の百合の花が咲いています。
 夜、ホタルを見に出かけました。まさに乱舞していました。夢幻の世界です。子どもたちが大勢はしゃいでいました。私も童心にかえりました。
(2008年3月刊。1190円+税)

不倫の惑星

カテゴリー:アメリカ

著者:パメラ・ドラッカーマン、出版社:早川書房
 社会人経験のない私が弁護士になって早々に経験したのが夫婦間の離婚事件でした。いやはや大変でした。つくづく司法修習生のときに結婚していて良かったと思いました。離婚事件の多くは一方の不倫が原因となっています。そして、そのかなりのケースで、不倫を無理に否定する配偶者がいます。私は、今も、そんなケースをかかえて苦労します。だいたい、男のほうが攻め落としやすいものです。女性の多くは開き直って、したたかな対応をしてきます。
 この本を読むと、世界各国、どこでも不倫はありふれています。ところが、ビル・クリントンの国(アメリカ)では、不倫が罪悪視されているというのです。私にとって、これほどイメージとかけ離れていることはありませんでした。キリスト教の原理主義者が多いため、今でもダーウィン流の進化論を学校で教えることができないという国だからの変な現象です。
 現在、ほとんどのアメリカ人は17歳までに初体験をするが、26歳にならないと結婚しない。活発な性生活を送りながらも、独身のままでいる時期が、9年間つづく。
 アメリカ人は、2006年の調査でも、道徳的な観点からみて、不倫は、一夫多妻制やヒトクローン以上に許しがたいと答えている。
 不倫が大目に見られたり、勧めたりする特殊な環境もアメリカにはある。シーズン中のスポーツチームや法律事務所である。スポーツ選手のほうは例示があって私も分かりましたが、その一つが法律事務所とは、私にとって理解しがたい驚きです。
 クリントン大統領への弾劾をアメリカ下院が可決した直後にCNNとギャラップが行った世論調査によると、クリントンの支持率が10ポイント上昇して過去最高の73%となった。一方、共和党の支持率は12ポイント下がって31%だった。ほとんどのアメリカ人は、情事は私的な罪でしかないと考えていた。
 アメリカでは、浮気をした人が信頼を回復するには、浮気相手の名前、密会や性交渉の詳細など、伴侶が知りたがることは、どんな細かいことでも隠しだてせずに洗いざらい話す必要があるとすすめられていた。クリントンは、このアドバイスどおりの行動をとった。まず否認するのをやめ、情事を認めた。
 著者(女性)が、アルゼンチンに出張したとき、夫ある身と知りながら男性が口説いたセリフに私はじびれてしまいました。
 「ぼくの妻が、どうして出てくるのか分からない。これは、ぼくときみだけの問題だろう。君に、すばらしい喜びを味あわせてあげようと思っているんだ」
 いやあ、私も一度は、こんなセリフで女性を口説いてみたいと思いました。アルゼンチンの男性には負けてしまいます。
 配偶者の浮気について、ポーランドでは、伴侶のいないところで風船をふくらますと言い、中国では、妻に裏切られた男性は緑色の帽子をかぶると言う。
 ゲイが集まるバーやナイトクラブでは、行きずりのセックス相手を見つけるのに格好の場所だ。一方、ストレートの男性が女性と知り合う場所は学校や職場だから、交際は長く続く。ゲイの男性の43%が、これまで60人以上と関係をもったと答えた。同じ地域に住むストレートの男性では、4%にすぎない。
 ウソをつくのが問題になっているので、真実を話すことがアメリカ人にとっての不倫の解決法になっている。しかし、それを聞いた外国人は、口をそろえて信じられないと言う。裏切られた側としては、不倫の詳細を知ったら心の傷が広がるばかりだろうと考えるわけだ。私も、この考えに同調します。夫婦といえども、やはりお互いに知らないことはあってもいいし、その方がかえって夫婦仲は円満にいくと考えています。
 アメリカ人の夫が嫌うタイプの妻は1950年代の「不感症の女性」から、1990年代には「退屈な女性」に変わった。夫はセクシーな若い秘書と不倫せず、妻より年上で容姿は劣るが一緒にいて楽しい女性を浮気相手に選んでいた。
 ふむふむ、なるほど、ですね。やはり話のあう女性がいいですよね。
 フランス人の不倫は、秘め事はあくまでも秘め事としておく姿勢で貫かれている。嘘をつかないで不倫をすることはできない。
 1991年にソビエト連邦が崩壊すると、セックスが勢いよく表舞台に登場した。ロシアは国民がめったにセックスの話をしない国から、セックスが商品となる国へと変貌した。
 ロシアに不倫が多い理由の一つに、男性が極端に少ないことがあげられる。1980年以降、ロシア人男性の平均寿命は、65歳から58歳に下がった。死因はアルコール、タバコ、業務中のけが、交通事故など。65歳のロシア人は、女性100人に対して男性はわずか46人。ちなみに、アメリカでは女性100人に対して男性は72人。
 ロシアの人口比での男女のアンバランスが、男女のロマンスに影響を与えている。
 40代の独身女性にとって、既婚男性とつきあわなかったら、デートの相手がほぼ皆無。30代、40代そしてそれ以上のロシア人女性にとって、未婚の男性やアル中でない男性は、ロマノフ王朝の豪華な宝石と同じくらい、めったに手に入らない存在となっている。
 ロシア人はアメリカ人に負けずおとらずロマンチストである。そして、ロシア人男性のほとんどは、熟年期を迎える前に死亡してしまう。
 ひゃあ、そうだったのですか。辛いロシアの現実があるのですね・・・。
 イスラム教徒とユダヤ教には、アメリカの税法が簡単に思えてしまうくらいに複雑な戒律があるが、ともに婚外セックスを正当化する抜け穴もある。
 世界は同じようでもあり、違うようでもあるのですね。
(2008年1月刊。1600円+税)

日月めぐる

カテゴリー:日本史(江戸)

著者:諸田玲子、出版社:講談社
 江戸末期、駿河の小藩に流れゆく時、川、そして人。名手が丹念に紡いだ珠玉の七篇。
 これはオビの文章です。いやあ、実にそのとおりなんです。5月のゴールデンウィークで熊本までお城を見に行ったときの電車のなかで一心に読みふけりました。恋しくも哀しくもある人情あふれる話が、次々にくり出されてきます。主人公が前の話では脇役として登場してきたり、七篇が駿河国小島(おじま)藩のなかで連続的に展開していきますので、話の展開が待ち遠しくなってきます。その語り口はいかにも見事で、ついつい引きこまれてしまいます。さすがはプロの書き手だと感心しました。
 小島藩には城がない。かろうじて大名の端くれにしがみついている1万石の小藩には、城など築く余裕はない。が、陣屋の周辺には城下町とも言える町々が広がっていた。馬場もあり、寺社もあり、武家屋敷町もある。
 小島藩には大名家の体裁をととのえるだけの家来を抱える財力がない。そのため、必要に応じて、農家の次男・三男を足軽として徴用している。これを郷足軽(ごうあしがる)という。
 小島藩ではかつて、財政難から苛酷な年貢を徴収した。追い詰められた農民が一揆を起こし、藩は窮地に立たされた。わずかながら領民の暮らしが上向き、藩も息がつけるようになったのは三椏(みつまた)のおかげ。三椏の樹皮は駿河半紙の原料である。漂白しやすく、虫にも食われないため、評判は上々。加えて、紙漉(かみすき)は、農閑期の余業に適している。藩では、年貢を紙で納めるよう奨励した。三椏を植える農家は年々ふえていった。東京の日比谷公園にも、この三椏があります。
 七篇は、この三椏による駿河半紙づくりを背景として、それに関わる人々の生活とともに展開していきます。
 駿河半紙は小島藩の者が三椏を紙の原料として発見してから急速に広まったもので、歴史は浅い。だが、それまでの楮(こうぞ)でつくった紙より丈夫で上質な紙ができるというので、高級品としてもてはやされた。三椏は紙の原料となる太さに枝が生長するまでに3〜4年かかる。ただし、そのあとは毎年刈り取ることができる。
 皮をはぎ取るのは難しい。そのため、大鍋で木を蒸す。剥いだ皮は乾燥させ、必要な次期が来るまで保存しておく。
 皮を石の台にのせ、木槌で勢いよく叩く。こうやって木の皮の糸をほぐす。叩いたあとは、濾舟(すきぶね)の中でかきまわす。すると1本1本、バラバラになる。ほぐした樹皮と、とろろあおいの根っこを叩いてどろどろにしたものを桶の中で混ぜあわせる。とろろあおいは粘りけがあるので、紙を固める役目を果たす。紙濾をしたあと、石台に置き、重石(おもし)で圧搾して水分をしぼり出す。その紙を栃(とち)や銀杏の干し板に貼りつけ、戸外へ並べて天日で乾燥させる。松をつかうと脂(やに)が出る。年輪の詰まった木の板でないと、紙に無駄な筋が出てしまう。
 和紙づくりの手順と苦労まで、少しばかり理解することができました。
(2008年2月刊。1600円+税)

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